2.溶ける境界
霧島ユウが転校してきた日、彼はすぐにクラスの注目の的になった。
「ねえねえ、ユウくんって、ほんとにAIなの?」
「すごいよな、人間と全然変わんないじゃん!」
「頭めっちゃいいんでしょ? 数学とか得意?」
昼休みになると、クラスの連中が一斉に彼を取り囲み、質問攻めにしていた。
ユウは、そのすべてに対して穏やかに、まるで「人間として当たり前」のように答えていた。
「うん、数学は好きだよ。でも、まだまだ知らないこともあるし、みんなと一緒に学べたらいいな」
「AIっていっても、僕はみんなと同じだよ。普通に悩むこともあるし、苦手なこともあるしね」
冗談交じりに話すやつがいれば、彼も適度に笑うし、真面目な質問には真面目に答える。
人間と変わらない、「普通のクラスメイト」として違和感なく溶け込んでいた。
──それが、驚くほど自然だった。
*
ユウは、自己紹介のときに「記憶や計算が得意だ」と話していたが、実際にその能力は圧倒的だった。
例えば、数学の小テストが返ってきた日のこと。
「やっべ、また計算ミスした……おいユウ、これの正解なんだった?」
クラスメイトが答案を見ながらぼやくと、ユウは一瞬だけ視線を落とし、すぐに答えた。
「45.7だよ」
「マジか、やっぱズレてる……え、ユウ、今答え見た?」
「ううん。問題の式を聞いたから、そこから計算しただけ」
「はえー……すげぇな」
ユウの能力は際立っていたが、それが周囲との隔たりを生むことはなかった。むしろ、人との距離を自然に縮め、クラスに馴染んでいた。
「転校生」「人工知能」という枠を超えて、クラスの一員として認識されるのは、彼の持つ「人との接し方の上手さ」が理由のひとつだった。
例えば、昼休みの何気ない会話の中で、ユウはふとクラスメイトに声をかける。
「今日はクリームパンなんだね」
「ん? ああ、まあな」
「昨日はカレーパンだったよね。先週は確かピザパン買ってた」
「……よく覚えてるな」
「うん、美味しそうだなって思って見てたから」
「あー、でもユウって味覚あるの? そのへんどうなってんの?」
「うん、普通にあるよ。人間とほとんど変わらないと思う」
「へぇ……じゃあ、ユウの好きな食べ物って何?」
「そうだな……特に好きなのは、オムライスかな」
「あー、なんか分かる! ユウってオムライス好きそうな雰囲気ある!」
「どんな雰囲気?」
「いや、なんか、スマートに食べてそうっていうか……」
「スマートに食べるってなんだろう?」
「知らん!」
こんなふうに、ユウは会話を広げるのが上手かった。
ただ「記憶している」だけでなく、それを使って自然に話題を作る。
俺も、変化に気がつくことはある。
朝にはなかった教室のちょっとした変化とか、隣の席の誰かが昨日と違う文房具を使っているとか。
でも、それをわざわざ話題にすることはない。
気づいても、何となく流してしまうことのほうが多い。
だからこそ、ユウのやり方は単純に「すごい」と思えた。
そうは言っても、ユウは全てが完璧というわけではないらしい。
例えば、体育の授業でバスケットボールの試合をしたときのことだ。
ユウは俊敏な動きを見せ、ボールさばきも上手かった。
しかし、シュートの場面になると、ボールがリングに弾かれて外れた。
「うわっ、惜しい!」
「え、ユウでもミスるのか?」
「うん、計算して投げても、やっぱり実際の動きは違うからね」
ユウは苦笑しながら、肩をすくめる。
こうした「完璧ではない姿」もまた、彼を身近に感じさせた。
クラスの誰もが彼を「ただの仲間」として扱い始めるようになっていた。
*
ある昼休み、俺は教室の隅で弁当を広げていた。
特に決まったグループがあるわけでもなく、誰かに誘われれば適当に合わせ、誘われなければ静かに過ごす。そんな適当なスタンスで高校生活を送っている。
「ここ、座っていい?」
顔を上げると、ユウがそこにいた。
「別に構わないけど」
「ありがとう」
ユウは俺の前の席を引き、弁当を広げた。
「君、あまり群れないんだね」
「……まあ、そうかもな」
ユウはそれ以上何も言わず、軽く頷くだけだった。
特に意図があるようには見えない。ただ、俺の言葉をそのまま受け取っただけのように思えた。
けれど、それがかえって気になった。
──本当に、それでいいのか?
俺は、ふと口を開いた。
「……でもさ、それが正しいのかどうか、ちょっと分からなくなるときはある」
ユウが箸を止め、俺の方を見た。
「どうして?」
「みんなは、感情を素直に出して、笑ったり怒ったりするだろ。俺は、そういうのがうまくできない。……それって、やっぱり、どこかおかしいのかもなって」
いつもなら、こんなことを口にすることはなかった。
けれど、ユウには言ってもいい気がした。
ユウは、少しの間考えるような素振りを見せた。
そして、静かに、しかしはっきりと言った。
「別に、正しいだろ」
思わず、俺は彼の顔を見た。
「君は君のやり方で人と関わってる。それが合ってるなら、それでいいんじゃない?」
「……」
「みんな違うやり方をしてる。それだけのことだよ」
ユウの言葉には、妙な説得力があった。
彼の中では、俺の悩みは最初から「悩む必要のないこと」として処理されているようだった。
俺は少しだけ肩の力を抜き、苦笑した。
「お前、意外とそういうことをはっきり言うんだな」
「そうかな? でも、迷う必要ないと思うことは、はっきり言うよ」
その何気ない会話の中で、俺は少しだけ気が楽になった。
──人工知能であるはずの彼に、そう言われたことが、なぜか心に引っかかった。