第65話 悪女
ルチアーノ王は憤っていた。
そんな不条理があるのかと、怒りに燃えていた。
ルチアーノ王は、少年時代に大きな苦労を重ねたため、人の心の痛みがわかる情け深い性質となり、また、謙虚で穏やかでもあり、めったなことで怒りを表すようなことは無かったのだが、今回は違ったのだ。
彼は明らかに怒っていたのだ。
その向け先は、忠実な家令であった。
「ですから陛下、何度も申しますが婚礼は一年後ですし、婚礼の日まで花嫁に触れることはできません。それが古くからのしきたりでございます」
うんざりしたような表情で家令が答える。
「だが、余はもう十年も待っていたのだぞ!皆の前で結婚すると言ったのだからそれでいいではないか!」
「ですから、何度も申し上げますが、王家の婚礼ともなればそれなりの準備が必要なのです。どうかご理解くださいませ」
「納得できん!」
しばらく、ずっとこんな調子なのである。
「しかも、花嫁に触れてはいけないというのはどういうことだ!余の花嫁だぞ?!余が触って何が悪いんだ!おかしいではないか!」
「それもう、古くからの慣習でございますよ、いいですか。すこし真面目にお話しますと、例えば陛下が、花嫁にべたべた触って陰でこっそりいけないことをしていたとしましょう」
「してなにが悪いか!」
「たとえ話ですよ、たとえ話です。もし、そうした場合に、花嫁が浮気者で、こっそり他の男とも通じ合っていた場合、どうなるでしょうか」
「男は斬首だろう!タリアはそんなことしない!」
「いや、そうではなくて例え話ですってば。花婿が一年間手出しをせずに我慢すれば、もし、その間に、花嫁が子供を授かってしまった場合、何かの間違いであることがわかるではないですか。もし、花婿がそういうことを一度でもしてしまっていれば、それはもう、誰の種かわからなくなってしまい、ひょっとしたら王家の正しい血統が守られない恐れがあるのです。一年間というのは、国を預かる最高位の貴族として当然の準備期間なのですよ」
「貴様!いうに事欠いてタリアが他の男を連れ込むと申すか!」
「ああ、もう、だれかたすけて……」
家令はついにさじを投げた。
太陽王ルチアーノ陛下が普段、温厚でわかりが良い分、よけいに負担に感じる。
彼はほとほと疲れてしまった。
悩んだ家令は、ついにカラディア王女にこのことについて相談を持ち掛けると、あっさりと返答をもらうことが出来た。
「それはあなたが言うから納得できないんでしょう。その様子だと私が言ってもだめよ」
「ではどうすれば……」
「そんなの簡単よ。ルチが言うことをきく人に言ってもらえばいいのよ」
「陛下が従う、そんな方がいるのですか?」
「わからない?タリアよ。タリアが言えば問題ないわ、ためしてごらんなさい」
即日、誠実で忠実な家令は事情をこと細かに記した書状を書き上げ、ブラッグマシュ家に送り届けた。
すると、すぐにタリアがカリナに会うという名目で王宮へやってきた。
タリアがきた!
少年のように純粋な愛を持ち続けているルチは、いてもたってもいられなくなり、結局その日も執務を途中で切り上げて、タリアとカリナがくつろぐ部屋へ行ってしまうのであった。
(きたわきたわ)
実は、この時、タリアこそがルチを待っていたのである。
「タリア!」
明るい笑顔で部屋に飛び込んでくるルチ。
昔から、実にかわいらしいなつっこい顔をしている。
「ルチアーノ陛下、ごきげんよう」
タリアはいつも侯爵家の令嬢らしくきちんと礼をするが、そのたびにルチにそんなことしないでいいと文句を言われている。
ひとしきり世間話をした後、タリアはついに本題を持ち出した。
「ねえルチ、そういえばちょっと、話があるのです」
「え、なんだい」
「婚礼のことです。しきたりの」
「しきたり……ひどい話だよね。あんなのおかしいよね、僕、納得いってないんだよ」
「ルチ、しきたりは理由があるから皆が守っているのです。それをないがしろにしてはいけませんよ」
「……でも……」
「それに、今の王国のためにとてもいいことでもあるじゃないですか」
「たとえば?」
「例えば、ルチは、私たちの結婚式はどうするつもりですか?」
「……別にしなくてもいいんじゃないかな、必要ある?」
と言った時に、タリアとカリナから恐るべきある種の強い波動を感じたため、ルチはびっくりしてしまった。
そして彼は賢かったのですぐに言い直した。
「え、あれ、いや、ごめん結婚式はあったほうがいいよね。なんといっても女性にとって晴れの舞台だし、するべきだ。いい式にしたい。本当に」
言い直したルチににっこりと微笑みかけタリアが言葉をつなげた。
「もちろんよ、ルチ。晴れの舞台というのは花嫁だけではなく、王家にとってもそうであるのよ。豪華な式にして王家の力と権威を見せつけ貴族たちを治めるという理由もあるし、出席する高位貴族たちも、あらたな服を仕立て、その財力を見せつけるのよ。そのために仕立屋にとびっきり豪華な服を依頼するからそれを待つための時間が必要なのよ」
「な、なるほど……」
「もしも、式までの期間が短ければ人気の仕立屋は、服を作り切ることが出来ないと思うわ。王家の結婚式に出たいと考えている貴族はとても多いのでしょう?」
「まぁそうだね。ほとんど全員だよ」
「仕立屋の数は限られているのだから、このままだと下級貴族たちはみな服を仕立てることが出来なくなってしまうわ。王国としては、たくさんの服を仕立ててもらったほうがいいのよ」
「それは、服屋が儲かるから?」
「そうよ、前にお金が世の中に回るって話をしたのを覚えているかしら?服屋が儲かれば、布職人も、針職人も稼ぎになるわ。他にも宝石商や髪結いだってみんな仕事が増えるのよ。それに、地方から大勢の貴族がお供を連れて王都にやって来るのよ。その時の宿や、酒、食事はいつから準備すればいいのかしら」
「う、うーん」
「それに料理人はどうしましょうか。給仕たちは足りるかしら」
「……」
「王家の婚礼は、王家と貴族がたくさんお金を使う公共事業みたいなものなのよ」
「公共事業?」
「ああ、ごめんなさい、そんな言葉はなかったわね。国家が民のために行う公式な仕事みたいなものってことよ。この婚礼で、各地からたくさんの産物がやって来るし、商人の往来がたくさん増えるわ。仕立屋だって珍しい布地を探して血眼になるでしょうし、腕のいい料理人は取り合いとなるわ。もちろん、料理の材料も」
「なるほど……」
「ルチ、王家の婚礼が一年後というのはそれがいいという理由があるからなのよ。あなたならわかってくれるわよね」
「……うん、わかったよ」
しおれるようにうなずくルチ。
ルチは、結局、タリアの生徒のままであったのだ。
タリアが真剣に教えれば素直に受け止めるのだ。
それは彼が大人になっても変わらない素晴らしい美質で、タリアはそれをとても愛していた。
(なんてかわいいの!ルチったら!今は少し年上だけど……かわいい!)
そして心の中でぺろりと唇をなめたタリアは仕上げに取り掛かった。
「ところで、ねえ、ルチ」
「なんだい」
「あのまじめな家令は、実際のところは、あなたにどう言ったのかしら」
「え?どうって?」
「花婿は花嫁に婚礼までの一年間、指一本触れてはいけないと?」
「そう、そうなんだよ……」
「それで怒っていたのね、でも彼は正しいわ」
「うん、ごめんよ……」
「ところで、ルチ、本当に指一本触れないつもりなの?」
「えっ」
驚くルチ。
(そう、この顔が見たかったのよ。うふふふ)
「ねえ、ルチ。触れたか触れないかって、それはいったい誰が確かめるの?」
「え、誰って、それは……侍女?」
「結局のところ、それを最終的に確認できるのは、わたししかいないってことはわかるかしら」
「!」
「ずっと、一日中すべての時間、侍女や護衛がいるわけではないと思うのよね」
「!!!」
「もしもルチが誰にも知られずに、そうするなら大丈夫なんじゃないかしら。わたしも一年間、ルチに触れられないなんてとても寂しいわ。もしも、誰にも見つからないなら、なんて考えちゃうわたしは悪い女かしら。ねえ、ルチはどう思う?」
突如としてルチの目に光が戻った。
そうなのだ。
簡単なことであったのだ。
ばれなきゃいいのだ!
タリアはなんと賢いのだろう!
そしてなにより、タリアもそれを望んでいるのだ!
僕のことを待っているって今言ったよね!
ああ、タリア僕も愛しているよ!
「ちょっと用事があるからこれで失礼するね!また!」
ルチは、ぴょんぴょんと跳ねるかのように部屋を飛び出していった。
行先はおおかたキヴァのところで、二人で誰にも見つからずにタリアと過ごすための計略を練るのであろう。
今の今まで黙って聞いていたカリナがついに口を開いた。
「タリアお姉さまったら、わっるいわねー…なにが『悪い女かしら?』よ」
そう言ってカリナはくすくすと笑った。
「別にいいじゃない、これで家令の悩みは解決したも同然でしょ」
「ねえ、本当にお兄様がこっそり来たらどうするの?」
「こっそりきたら、もちろん喜んで抱きしめられるわ。だって私、彼を愛しているもの。だけど…」
「だけど……?」
わくわく。
カリナは明らかにこの会話を面白がっていた。
「だけど、私の護衛は東国一の騎士ハルトヴィン隊長よ。彼と彼の精鋭たちの鉄壁の防御をかいくぐれるかしら」
「まあ!どうなるのかしら!」
「実は五分だと思うわ。だって、わたしのハルトヴィンは優秀だけども、ルチの密偵長のケニスもかなりの腕利きよ。彼ならなんとかしちゃうんじゃないかって思うのよ。可能性はあるわ」
「お姉さま、いま、本当にわっるーいお顔しているわよ」
「少しくらいいいじゃない。塔のてっぺんにつかまったお姫様を銀の鎧の騎士が救けに来てくれるかどうか、興味あるのよ。それに結局、あのまじめな家令の悩みは解決したでしょう」
「たしかに。ルチはもう、婚礼の時期やしきたりより、いかにタリアの護衛をかいくぐるかに考えを集中したはずね」
「誰かの悩みを解決することが出来てよかったわ」
「わたしも姉が賢い人でよかったわ」
「まあっ!わたしも妹が素敵でかわいくてよかったわ」
「ああ、タリア姉さま、愛しておりますわ」
そう言ってカリナはタリアを抱きしめた。
それこそが今のルチには出来ぬことであったので、ふたりは抱き合ったまま笑い合った。
かわいそうだったタリアちゃんの物語も、もうあとほんのちょっとです。
これまで泣かせすぎたので、最後は笑顔にしてあげたいです。
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