第63話 墓参
ビックワイドランドの領主であったタリアの父、ダグラス・ブラッグマシュは、王都動乱を鎮圧した功績により侯爵に叙せられていた。
その嫡男であるグスタフもまた、王宮で要職を任されている。
平和を取り戻した王都には、侯爵の地位にふさわしい立派な屋敷が新たに構えられており、その屋敷で家族全員がタリアの帰還を心待ちにしているという。
タリアにとっては約二十年ぶり、家族にとっては約三十年ぶりの再会となるのだ。
「みな、お前を待っているのだ」と兄が優しく声をかけた。
「はい……」
彼女は十二歳で王都へ出て以来、家族とは一度も会っていなかったのだ。
だからこそ、この日を心から楽しみにしていた。
タリアたちを乗せた馬車が侯爵邸に到着すると、家族と家臣たちは総出で屋敷の外に出て待ち構えていてくれた。
馬車の扉が開かれると、兄グスタフがタリアの手を取って優しく引き出してくれる。タリアが馬車から降り立つと、父ダグラスと母エレノアが涙を浮かべながら駆け寄り、彼女を力強く抱きしめた。
長い年月の旅を終えて、タリアはついに家族の元へと戻ったのだ。
屋敷には父や母だけでなく、兄の妻とその子供たち、姉夫婦とその子供たちも集まっており、歓迎はたいへん賑やかなものとなった。
家族が一堂に会した場には、長い年月の空白を埋めるように笑顔が満ちていた。
それぞれがこれまでの出来事を語り合い、懐かしい思い出や新しい話題が次々と飛び交った。話しても話しても尽きることはなく、温かい団らんは夜遅くまで続いた。
もっとも、家族の全員が「タリアセレステ物語」を熟読しており、その内容ありきで話をしてくるのにはだいぶ辟易したのだが。
「ところで、タリア、明日、ルチアーノ陛下とカラディア殿下がここに来るそうだ。準備ができたらこちらからご挨拶に伺うと固辞したのだが、どうしてもということでな……」
タリアの父ダグラスが少し困ったような顔で告げた。
「えっ、ここへ来るのですか?お会いするのは一週間後の予定ではなかったですか?」
「そうだが、明日の訪問は非公式ということだ。一週間後の式典はそのまま行われるが、二人ともどうしてもすぐにお前と会いたいそうでな」
「まぁ……二人ともせっかちなのね。もうどこへも行くつもりはないのに。それにしても、国王が臣下の屋敷に直接来るなんて、よくあることなのですか?」
「いや、あまりどころか、全くないな」
「聞いたことない」と、グスタフも付け加えた。
「いいのでしょうか?」
「正直、お二人とお前との特別な関係を考えると、あまり好ましいことではないが……。だが、あのお二人の熱意を前にして、断るのは難しかったのだよ。ましてや、あの物語を読んだ後ではな」
「………………」
「目覚めた後にお二人と手紙のやりとりはしていたのだろう?」
「していたわ。私がハイランドで目を覚ました時、二人からの手紙が枕元に山のように積まれていたもの。読むのに一苦労したわ。内容はだいたい同じだったけど」
「タリア、あなた、ちゃんと返事をしたの?」
口を挟んだのはエレノアだった。
「陛下からの直接のお手紙なんてめったに見るものではないのよ、ちゃんと返事を書いたのでしょうね」
「……少し、したわ」
エレノアの問いに、タリアは少し頬を染めながら答えた。
「ほら、もう。少し、というのが原因でしょうね。面倒がってきちんと返事をしないからこうなるのよ。二人とも、あなたのことをそれはそれは心配していたのよ。それで直接会うと言い出して譲らなかったんじゃない」
「……だって、二人とも手紙の内容が大げさで、返事しづらかったのよ……なんというか、とても大げさで……具合も悪かったし……」
「明日はそんな言い訳じみたことこと言わぬようにな。陛下はともかく、廷臣たちがお前に斬りかかるかもしれないぞ」
ダグラスが半ば冗談交じりに言うと、タリアは少し慌てた表情になった。
「じょ、冗談よね、そんな大げさな……」
「大げさではないぞ。太陽王、善なるルチアーノ陛下の手紙に返事をしないなど、この国ではお前ぐらいだぞ。しかもカラディア殿下にもだろう?お二人ともそれはもう、お前を心配していて、仕事が手につかないほどだったそうだ。廷臣たちは、返事が来なくて不安そうにする陛下をずっと心配していたらしいし」
「そんなこととは知らず……申し訳ありません……どうしましょう……」
「明日は陛下だけでなく、宮廷の者たちも一緒にやって来る。あくまでも臣下としての分を越えず、大人しくしておけ。ただ、非公式な訪問だし、そこまで気を張る必要もないだろうが……」
「……わかったわ」
翌日の午後、王宮からの先触れが屋敷にやって来た。
「もうすぐルチアーノ王とカラディア姫を乗せた馬車が到着します」
その知らせに、屋敷は緊張を見せた。
ブラッグマシュ家の者たちは相談の末、非公式な訪問でありながらも、王家への敬意を示すため、一族の主だった者全員が玄関の外に出て出迎えることに決めた。
やがて、近衛騎士たちを従えた王家の馬車がゆっくりと屋敷の前に到着する。
厳かに扉が開かれ、ルチアーノ王とカラディア姫が姿を現した。
ブラッグマシュ家の者たちは一斉に頭を下げ、最上の礼を尽くして王と王女を迎える。
タリアもその例外ではなかった。
彼女は優雅にひざを折り、深々と首を垂れて礼を行った。
(礼儀作法が肝心よ……ルチとカリナに教えたのは私だけども、ふふっ)
心の中で姿勢を確認しながら、完璧な礼を意識して身をかがめていたその時――
突然、抱きしめられた。
(!!!)
タリアが驚いて顔を上げると、そこにはルチアーノ王の顔があった。
彼はブラッグマシュ家の一同が行う礼儀を全く無視し、真っ直ぐタリアに歩み寄ると、そのままおもむろに抱きしめたのだ。
「タリア……やっとだ、やっと会えた」
王の声は感情に満ちていた。
固く腕を回すその力強さに、彼がどれほどこの瞬間を待ち望んでいたのかが伝わってきた。
「あっ!」
「陛下!いけません!」
慌てふためく廷臣たちの声があちこちから聞こえる。
ルチアーノ王は、礼儀も形式もすべて無視し、ただその心のままにタリアへの気持ちを表してしまったのだ。
そして、それはカラディア姫も同じだった。
彼女もルチアーノのあとを追うように、タリアを強く抱きしめた。
「タリア、よく帰った……タリア!」
「タリア!タリア!」
ルチアーノとカラディアは、それぞれの想いを込めるように、何度も彼女の名を呼びながらしっかりと抱きしめる。
タリアは、この行為が礼法から大きく外れていることを感じた。
臣下としては不味いことになった――頭の隅でちらりと思ったが、それ以上に、この二人が変わらぬ愛情を示してくれていることへの深い喜びが彼女の胸に広がった。
(本当に、帰ってこれたんだ……この二人の元へ)
タリアは感極まり、静かに、けれどしっかりとルチアーノとカラディアを抱きしめ返した。
その姿に、周囲にいた廷臣や家族たちは驚きと戸惑いを浮かべつつも、次第に静かにその情景を見守るようになった。
「戻りました。陛下、殿下、王都へ戻りました」
タリアの声は少し震えていたが、確かな喜びが込められていた。
「ああ、タリア、我々三人は戻ったのだ、王都へ」
ルチアーノ王の言葉に、カラディアも小さく頷き、涙ぐんだ微笑みを浮かべている。
三人はしばし抱きしめ合い、お互いの体温を確かめ合った。
抱擁は、愛情の確認だけではなく、幼いころから寒さに耐え忍ぶときも、不安を抱えた夜も、何度となく交わしてきた行為だった。
その絆は、時を経てもなお強く、いまも変わらぬままそこにあった。
近侍する家臣たちは、普段見たことが無い孤高の君主の感情溢れる姿に驚きを隠せないでいた。
その感情は、実に愛情あふれたもので、ルチアーノ王もカラディア王女も心から喜び、顔がくしゃくしゃになっているのだ。
この場に居合わせた者たちは、タリアセレステ姫は二人にとってそれほどの人物であるのだと思いを新たにした。
互いの温もりを十分に確かめ合ったあと、おもむろにタリアが告げた。
「陛下、殿下、王都へ戻りましたら、一つお願いをしようと思っていたことがあるのです」
「なにかしら、なんでも言って」
ルチアーノとカラディアは優しい眼差しをタリアに向けた。
「ああ、タリア、そなたの望むこと、すべてを叶えよう」
お願い、と聞いた廷臣たちは一瞬、目を見開いた。
心の中で、もしやと不安がよぎる。
(まさかタリアセレステ姫が、大きな領地や莫大な金銭を望むのでは……いや、『聖なるタリア』に限ってそんなことはあり得ないが)
彼ら全員が、すでに「月の女神の星の姫 タリアセレステ物語」を読んでいたため、そんな心配は杞憂に過ぎないと分かっていたのだが、もしも、仮にそうした願いがあった場合、王や王女がどう思うか、そして自分たち廷臣がどれほど困惑するかを想像すると、不安が完全に消えることはなかった。
しかし、皆のわずかな心配をよそにタリアが口にしたのは、ごく簡単なものであった。
「王都へ帰ったことを、王妃様に、セルビナリカ様に伝えたいのです。王妃様のお墓を新たに作り直したと聞きました。どうか、その王妃様のお墓に、私を連れて行って欲しいのです」
将軍の反乱事件では、王妃派の多くの者が命を落とした。
中でも主だったものは、生きて捕まれば処刑され、毒を含み自ら命を絶ったものでさえ、死体を断首し、辱めたという。
……特に、王妃は罪人としてその首を王宮の前に晒され、長きにわたり辱めを受けた後、首と体を別々にどことも知れない粗末な墓所に投げ捨てられていた。
ルチアーノとカラディアは、王都を解放した後にその残酷な噂を確かめ本当であることを知り、人を配し、その日命を落としたものたちの亡骸を一人一人探し、見つかった者も、見つからぬ者も、王都の北の丘に新たな墓所を作り、葬り直し霊を慰めたのだ。
それから十年経ち、みな、知らずのうちに今の生活に慣れ、死者のことを思い出すことが少なくなっていたのかもしれない。
一方でタリアは目覚めたばかりで、いま、ようやく王都へ帰り着いたところなのだ。
昔の仲間への墓参りは、当然と言えば当然の願いであるのだが、自分たちが失いつつあったものを、タリアがいまだに溢れるほどに持っていることに驚き、そしてすぐに深い感動を覚えた。
タリアはやはりタリアなのだ。
変わっていない。
ルチアーノとカラディアはそのことをひどく喜んでいた。
一方、廷臣たちは、それまでの不安が無意味だったと悟り、胸を撫で下ろした。
(それはそうだ、心配するだけ無駄であった。これがタリアセレステ姫という人なのだ……)
その場の空気がしんと静まり返る中、ルチアーノがゆっくりと口を開いた。
「もちろんだ、タリア。母上も、そなたの帰還を何より喜ぶことだろう」
ルチアーノの声は震えていた。
「お母様のもとへ、みんなで一緒に行きましょう」
カラディアも微笑みながら頷いた。
「ありがとうございます。ずっとそうしたかったのです。他には何も望みません。どうかお願いします」
タリアの言葉に、ルチアーノとカリナだけでなく、彼女の家族や廷臣たちまでもがただその場に立ち尽くすばかりだった。
「ロザリナ様や侍女の仲間たちも、王妃様のお側に、改めて葬られたと聞きました。みなを弔いたいのです」
タリアの静かな声に、そこにいる誰もが、彼女が他の誰でもなく、亡きセルビナリカ王妃の忠実な臣であったことを思い出した。
タリアは王子の筆頭侍女として王妃の命を受け、王子と王女を命がけで守り抜き、ついにその使命を成し遂げ、王都へ帰って来たのだ。
そして、彼女は今、どんな栄誉でも報酬でもなく、ただ王妃の墓前に報告することを願ったのだ。
命を与えた主に報告をしたい。
仲間を弔いたい。
ただそれだけを望んだ。
いまこの国が平和であるのは、ルチアーノとカラディアを守り助けた人々の犠牲と努力があったからだ。
しかし、平穏な日常の中で、みながその重みを忘れかけていたのもまた事実だった。
その場にいたすべての人が、タリアの深い忠誠と純粋な願いに心を打たれ、胸を熱くしていた。
王の一行は、来たばかりにもかかわらず、すぐに出発の準備を整えた。
向かう先は、戦後に新たに整備された北の丘の墓所だった。
そこは王族と一部の功臣が眠る聖地であり、一般人は立ち入ることが許されない特別な場所だった。
ルチアーノとカリナは、当然のようにタリアを自分たちの馬車に同乗させた。
「いいえ、別の馬車で」
そう言ってタリアは遠慮したが、ルチアーノはきっぱりと言った。
「タリア、今さら遠慮などするな。我ら三人は共に歩んできたではないか」
譲らないルチアーノにタリアは小声で「だめよ、王と臣下は同乗なんかしないものよ、だめよ、そんな無作法をしてはいけないわ」とまで言ったのが、二人は決して譲らず、タリアを同乗させた。
「タリア、僕たちは家族じゃなかったのか?」
「そうよ、それになによ。さっきから陛下とか王女とか呼んで。いつも通りルチとカリナと呼んでよ」
そこまで言われれば否はない。
タリアは小さくため息をつきしぶしぶと馬車へと足を運んだ。
その仲睦まじくする三人の様子を見ていた廷臣の中に、もはや異議を唱える者はいなかった。
それぞれの胸に去来する想いを抱きながら、タリア、ルチアーノ、カリナは、再び家族として共に大切な人々の眠る場所へと向かうのだった。
墓所に到着すると、タリアは長い時間をそこで過ごした。
王妃セルビナリカと、彼女と共に命を落とした仲間たちの墓前にひざまずき、心の底からの深い祈りを捧げた。
祈りを終えたタリアに、ルチアーノとカリナは熱心に願い出た。
「タリア、このまま王宮へ来てくれ。お前がそばにいてくれなければ、安心できぬ」
「そうよ、タリア。私たちと一緒に来て」
だが、タリアは柔らかく微笑みながら、静かに首を横に振った。
「陛下、殿下、一週間後に、正式にご挨拶に伺うことになっておりますから、それまでお待ちくださいませ」
ルチアーノは不満そうに眉をひそめた。
「だが……一週間も会えないではないか」
「そうよ、タリア。それに私たちはもう待つのに慣れていないのよ」
タリアは肩をすくめながら苦笑いした。
「お忘れかもしれませんが、私は病み上がりの身です。それに母が、新しいドレスを準備してくれるそうですし、少しばかりやつれた顔を整えたいのです。一週間後に、万全の状態でご挨拶に参上いたします。それまでどうかお許しください」
その場には名残惜しさが漂っていたものの、タリアの真摯な態度に触れ、ルチアーノとカリナは仕方なく頷いた。




