第6話 決意
タリアが十歳を迎えた頃から、家の中で感じる空気が少しずつ変わってきた。
家族や教師たちがどれほど頑張って彼女の特殊な能力や知性を隠そうとしても、その隠し切れない光が、周囲の人々に少しずつ漏れていくのだ。
彼女自身も、どうやら「普通」でいることが難しいと感じる場面が増えてきていた。
例えば、ある日の昼下がり。
タリアはいつものように城の庭を散歩していた。
花々が咲き乱れ、爽やかな風が吹く中、彼女のそばには忠実な侍女のリディアが付き添っていた。
リディアは若いが、とても真面目で、タリアの面倒をよく見てくれる侍女だった。
「タリア様、今日は森に遊びに行く日ですよ」
今日は母と姉と一緒に、城の近くの森へ遊びに行く予定であった。
ここでいう森で遊びとは、森の中にある小さな広場に布を敷いてお茶を飲んだり詩の朗読をしたりする、貴族的な過ごし方のことである。
ところが、実は、予知夢を見ていたのだ。
森に行くのは避けねばならないし、警告を与えねばならない。
どうしたものだろうか。
「やっぱり、庭の向こうにある川の方にしようかな。森は今日はちょっと……なんだか気が進まない気がするんだ」
「タリア様がそうおっしゃるなら、川の方がいいかもしれませんね。奥様へ行先を変えたいと、お願いしに行ってきます」
それだけではいけないのだ。
タリアは父ダグラスの執務室へ向かった。
タリアが「お父様、お部屋にはいっていい?」と言いながら返事を待たず扉を開けると、部屋の中にいたダグラスは笑顔になってタリアを迎えた。
「いいっていう前に入ってるじゃないか、いけない子だ」
「しかるの?ちょっと用事があるんだけど」
「まぁ、なんだい、用事ってのを先に終わりにしてからしかろうかな、かわいいお姫様」
「あのさ、城の向こうのあの森って、化け物は出る?」
「いやぁ、出ないだろうね、あそこは兵隊たちが訓練で使うし、狩人も見回っているから、いないと思うなぁ」
「そうかしら、なんだか探せばいそうな気がするの。ちょっと探してほしいな」
「まぁ、そう、あなた様がおっしゃるならやらんでもないかな、タリア姫様」
「おねがいね、お父様大好き」
リディアは強面な外見からは想像がつかないほど娘に甘い伯爵の会話をほほえましく見ていた。
もちろん、ダグラスはタリアたちが部屋を去った後、呼び鈴を振り回して従者を呼び寄せた。
「森に兵を送れ!」
「はっ?!も、森とはどこの森でしょうか、伯爵様」
つとめて冷静に返答する従者に伯爵はたたみかける。
「森と言ったら近くの森に決まっているだろう!動ける騎士隊に魔獣がいないか巡回させるのだ!急げよ!」
その日は結局、タリアは母親と姉と城の近くの川に行って過ごしたが、侍女のリディアを驚かせたのは、今日行くはずであった近くの森に、普段は北の山にいて、人里におりてこない凶暴な魔獣が現れて隊商の荷馬車が襲われたという知らせがあった事だ。
幸いにして、たまたま森を巡回していた騎士が率いる兵隊が近くにいて、魔獣は退治され、犠牲者は出なかったものの荷馬と荷物のいくつかを失ったとのことであった。
もしタリアたちがあの時森に向かっていたら、危険に巻き込まれていたかもしれない。
リディアは後からそのことを知り、内心タリアの判断力に驚いた。
「タリア様って、やっぱり……ちょっと普通じゃないかも……」とリディアは思わず胸の中で呟いた。
それから数週間後、今度は城の食堂での出来事だ。
タリアは夕食を取っていると、護衛の騎士たちが食堂の隅で何か話し込んでいるのが見えた。
少し顔が険しく、何やら問題があるようだった。
「うーん、何かあったのかな……?」タリアは食事の手を止め、彼らに目を向けた。
どうも馬の調子が悪いらしい。厩舎の管理に何かトラブルが起こっているようだ。
タリアはその場で何も言わず、さりげなく食事を続けたが、翌朝早く、厩舎の管理者に向かって何気なく一言だけ伝えた。
「今日は特に馬たちの蹄の具合をよく見てあげてね。なんとなく、蹄が痛んでいる子がいるかも」
タリアはただの思いつきのように言ったが、実は彼女は夜の夢で、その馬が具合を悪くして倒れてしまうという未来を見たのだ。
その後、厩舎の管理者がタリアに言われた通り馬たちの蹄を詳しく調べた結果、一頭の馬の蹄に小さな傷が見つかった。
数日前から調子が悪いのはわかっていたのだが、いくら調べても原因がわからなかったところ、タリアの助言で蹄を注意深く調べると、ごく小さいものの毒のあるとげが刺さっているのを見つけることができたのだ。
このとげの毒はゆっくりと体の力を奪っていくため、もし放置され治療が遅れたならば倒れて二度と立ち上がれない可能性があったのだ。
管理者は驚き、タリアに感謝を伝えるとともに、騎士たちにもそのことを話した。
そのため、「タリア様が言うことは、ただの偶然なんかじゃない……彼女には何か特別な力があるんじゃないか?」彼らの間でささやかれるようになった。
さらに、タリアの知性も周囲に感づかれ始めた。ある日、城での晩餐会の準備が進められていたが、厨房では料理の順番を巡ってちょっとした混乱が起きていた。タリアは偶然その場を通りかかった。
「ねえ、少しだけ意見言ってもいい?」彼女は笑顔でそう言い、料理長に近づいた。
「もちろんです、タリア様」料理長は驚きつつも彼女に耳を傾けた。
タリアは、料理の並べ方や出すタイミングをいくつか提案した。
それは、現代日本での宴会や会食の知識を元にしたものだったが、彼女はそれを自然に、あくまで幼い少女らしい口調で伝えた。
「料理が冷めないように、この順番に出してみたらどうかな?そうすると、みんなが美味しい状態で食べられるし、無駄がなくなると思うよ」
その結果、晩餐会は大成功に終わり、招待された貴族たちは料理の美味しさに感嘆した。料理長は「タリア様の助言のおかげだ」と、密かに感謝の意を伝えたが、その知性の光を隠し続けることは難しくなってきていた。
城中の誰もが彼女がただの貴族の娘ではないと感じ始め、彼女の行動にいつも注目するようになったのだ。そしてそれはやがて城下に住まう街のものにも伝わったのだ。
小さな噂が少しずつ伝えられ、それはやがてたくさんの噂となり、広がり、彼女が十一歳になるころには伯爵領に才女ありと領国中に評判が広がっていた。
彼女の才の評判というのは、小賢しさだったり人を傷つけるような不快感をともなうようなものではなく、新しい発見だったり、勤勉さであったり、神秘的で神聖さを持った出来事に彩られた、人々の希望となるような評判であった。
領内では、いつしかタリアの最初の奇跡として、大雨を予知して堤防を修理した話や、森の魔獣を察知した話が広まっていた。
他にも怪我をした身分の低い兵士をいたわる話や、病気の侍女を親身に看病する話、子供ながら学者が読むような難しい本を読んでいる話、はたまた、月の女神に仕える神官と深い森の奥で祈りを捧げる話など、いささか真偽の定かではない話まで、広く流布されていた。
誰が呼んだか、天の星を意味するタリアセレステという彼女の名前にちなんで「西の国の星」「西の明星」などと呼ぶ者が増えていた。
そして十二歳の誕生日を迎える頃、王都からの書状が届いた。
それはタリアの評判を聞きつけたこの国の王妃が、彼女を侍女として迎え入れるための召命だった。
「やっぱり来たか……」タリアはその知らせを聞いても驚くことはなかった。
なぜならばこのことは月なき星夜の星観で、起こるべきこととして知っていたからで、星なき月夜の月詠で、行かねばならぬことと知っていたからある。
「タリア、本当に王都へ行くの?断っても大丈夫なのよ、我が家は強いのよ、侍女の召命を断ったくらいで困るような家ではないんだから」
タリアを溺愛する母は心配そうにたずねたが、タリアは軽く微笑んで答えた。
「うん、大丈夫。私、ちゃんとやれると思うよ、王都に行ってみたいの」
母が心配しないように、明るい口調で話す彼女の言葉には、自信と覚悟が込められていた。
「それに、王妃様をお手伝いしてみたいの」
(それが私の役目なんだもの)
もしかすると、これが家族との最後の別れになるかもしれなくとも。