第56話 黎明に消ゆる星
カリナがハイランドへの森の坂道を進んでいくと、街まであとわずかというところで、木漏れ日の中に佇むタリアの姿をみつけた。
カリナは疲れを忘れ歩みを速めた。
胸に込み上げる思いが止まらなかった。
「来てくれて嬉しいわ、カリナ。早かったのね」
「タリア……!」
カリナが駆け寄ると、タリアも彼女を迎えるように歩み寄り、静かに抱きしめた。
その腕はカリナが子供のころと同じく暖かく、懐かしいぬくもりがあり、それは二人の間にある言葉では語り尽くせない特別な絆を思い出せるものだった。
同じ時間を過ごしたというだけではなく、カリナはタリアの魂の一部を受け継いでいる――そのつながりが二人をより深く結びつけていたのだ。
「カリナ、おめでとう、よくやり遂げたわね、本当によくやってくれたわね」
「タリア、ありがとう……本当に……タリアのおかげよ」
カリナの目から涙があふれた。
これまでの長い旅路で堪え続けていた感情が、タリアの前で一気に溢れ出した。
カリナとルチは諸侯の軍を率い、王都を解放したのだ。
しかし、闇の力を得て悪魔の復活をたくらむこの騒乱の張本人である魔導士の行方を見失っていた。
そのために、カリナはハイランドへやってきたのだ。
「タリア、ごめんなさい。魔導士を見つけることが出来なかったの。私のせいだわ……ごめんなさい」
「まさか、あなたの責任であるわけないわ、大丈夫、カリナ。もうすべて準備はできているわ」
タリアの声は穏やかであった。
タリアはカリナをハイランドの指導者たちが集う会議の場へと案内した。
そこでは既に闇の魔導士に対抗するための計画が進められていた。
「ようこそおいでくださいました、カラディア王女」
奥の座から長老格の魔導士が挨拶をした。
ハイランドの魔導士や占術士たちだけではなく、各神殿の高位神官が緊張した面持ちでカリナの到着を待っていたのだ。
「カリナ、闇の魔導士は、もうずいぶん前に王都を離れていたようだったの。それを見逃してしまっていたわ。彼は強固な魔法的な守護を得ていて、それを突破しなければ、彼がどこにいるかもわからず、彼に近づくことさえできないの」
そう、もとより王都にいなかったのだ。
だからこそ、万を超す兵士が捜索しても、占い師も魔法使いも神官も居場所を知ることが出来なかったのだ。
タリアの言葉に、集まった者たちが深く頷いた。
「でも、何とかする方法があったのよ」
彼女たちが立てた計画は三つの柱から成り立っていた。
一つは魔導士の居場所を知ることであった。
ハイランドの魔導士たちは、王国中から集めた魔導士や神官たちと協力し、闇の魔導士の結界を一時的に突破するための魔法を編み出していた。
それは膨大な力を必要とするが、成功すれば短時間ながらも魔導士の守りを破ることが可能になるという。
次に、結界が崩れたあとに、魔導士の魂まで魔法の通路を開き、覗き見ることで魔導士の正確な居場所を特定する。
魂をつなぐ秘術。
これが可能となれば多くの情報を得ることが出来るのだ。
その特別な高位魔法をハイランドの大魔導士たちが行う。
最後に、開いた魔法の通路を使い、闇の魔導士を罠にかけ、彼の強力な力を封じ込め、力を削ぎ落とす。
「その封印の魔法を、カリナにやって欲しいの。以前教えた月影封神牢よ」
月影封神牢は月の女神の神殿に伝わる第七位階の大魔法である。
ありとあらゆるものを石と化し、永遠に封印する聖女の祈りであり、カリナは以前、タリアから伝授されていたのだ。
「封印するって、何に封印するの……闇の魔導士の魂は強く大きいんでしょ?かなりの霊格が無いと……中に何も入っていない、魔法の器になりうるものなんて、いまの王家の宝物庫にもどこにも無いと思うわ」
「その器は……私の魂よ、カリナ。わかるでしょう。それしかないのよ」
タリアは静かにそう言った。
それを聞いてカリナは言葉を失ってしまった。
だが、タリアのいうことは正しくもある。
タリアの魂であれば、確かにそれは可能なのだ。
だが、それはタリアの人生を終わらせることに他ならないのだ。
そんなことはできない!そう言うカリナにタリアは首を振る。
「どうしてもやらないといけないのよ、カリナ……」
古い伝承によれば、かつて聖ルミナリアが悪魔を召喚しようとした闇の魔導士を討伐したときに、討伐に出た彼女とその仲間たちは全員帰らぬ者となったという。
今回もまた、闇の魔導士を討つには大きな犠牲が伴う可能性が高かった。
生きては戻れぬ探索の旅となる。
星の知らせで、その役割を担うのが、ルチアーノ王子とカリナであることは明らかであった。
そのことは、タリアもカリナも分かっていた。
「このままでは、二人の命を捧げることになってしまう。それだけは避けたいの」
タリアの言葉には、彼らを守りたいという強い思いが込められていた。
そこで彼女は新たな策を考え出していたのだ。
それは――相手の反撃を誘発する罠だった。
「居場所を突き止めるだけでは不十分なの。相手にそれを気づかせ、反撃を誘発して、その隙を利用し、彼の力を封じ込める……賭けをするわ」
会議の場は静寂に包まれた。
その作戦の詳細はすでに知られており、カリナが同意するかどうかが最後の鍵となっていたのだ。
カリナが部屋を見ると、この場所には、タリアの師であるソフィア大神官も、ルチの師であるソラン大神官もいた。
二人ともカリナの中に眠るタリアの記憶の中よりも少し老けていて、今は沈痛な面持ちでこちらを見てる。
この二人が、自殺にも似たタリアの提案を止めないはずはないのだ。
ここに居る皆はわかっているのだ。
西の空に輝いていた一番星は、神からの贈り物を大切に守るため、自らの身を削るように東でも輝き、今や、ほんのわずか、微かな光が明滅する末期の時を迎えていることを。
それは、タリア自身も知る。
タリアが、道を選んだのだ。
カリナは耐えきれず涙を流した。
無理とわかってももう一度、言葉を尽くして止めた。
「タリア、そんなことをする必要はないわ。必ず私たちが勝つ。だから――」
カリナの言葉に、タリアは静かに微笑むと、彼女を抱きしめた。
「お願いよ、カリナ。これは私しかできないの。敵は慎重で狡猾だわ。よほどの餌じゃないと喰いつかないの。これまで散々と彼を邪魔して苦しめた、聖ルミナリアの魂を持つ私の、タリアセレステの魂なら、彼をひっかけることが出来るわ」
「そんな……だって、死んでしまうのよ、そんなこと……」
「私は魂を出して、魔法の通路を抜けて敵の魂を見つけてくるわ。そしてその時に、彼に私が見たことを気付かせるの。そうすれば敵は必ず私の魂を追ってくるわ。カリナ、あなたは、私が敵を引き付けて戻ってきたら、私が敵の居場所を知らせた後に、私ごと封印するの。お願いよ」
ハイランドの人々とタリアが考えた最良の策だった。
「それに、魔導士を倒したら、解呪してくれればいいのよ。その魔法は授けているでしょ」
「でも……危険すぎるわ」
「あの男を野放しにするほうが危険なことは、カリナならわかるでしょ。お願いよ。力を貸して」
カリナはタリアの腕の中で、声をあげて泣いた。
タリアはカリナが泣き止むまで抱き続けた。
その夜は新月であった。
闇が深く広がる空に、無数の星々が美しく輝いていた。
静寂が満ちるハイランドの奥――外界から隠された秘密の場所で、神秘の儀式が始まろうとしていた。
周囲を覆う木々の間には聖なる精霊の気配が漂う、古より神聖な魔法を行うために選ばれた場所だった。
火の灯された円形の祭壇の東と西には、北斗南斗の星座を模した合計十二の石柱が配置され、そこには選び抜かれた魔導士たちが陣取っていた。
知恵の街ハイランドが誇る、大魔導士たちがこの場に集結している。
彼らは総力を結集し、闇の魔導士の結界を破り、魂の通路を開く役割を負った。
祭壇の南には各神殿から選ばれた最高位の神官が六人いて、六神結界を張る。
タリアを助けるための結界である。
彼らには死を厭わぬ決意があった。
北には日月陣があり、ソフィア大神官と、ソラン大神官がいる。
封印の祈りを行うカリナを助けるための魔法陣である。
中央の祭壇には強力な五芒星陣が敷いてあって、そこにタリアがいた。
そして近くにカリナが立つ。
全ての準備が整ったことを魔導士が知らせ、儀式は厳かに始まった。
十二星陣を敷いた魔導士たちは、それぞれの持つ膨大な魔力を込め、星と精霊の力を借りるための呪文を唱え始めた。
夜空に広がる星々が不思議な輝きを帯び、その光が魔法陣を照らし、周囲の空気が一変した。
複雑な呪文が響き渡る。
十二本の石柱が青白い光を放ち、巨大な力が星陣から放たれた。防御結界に打ち込むその力はまさに圧巻だった。星の力が渦を巻き、対象を包む結界を徐々に蝕んでいく。
「破った」
中央に立つ長老格の魔導士が低く告げると、そこからはすぐに進んだ。
続けて魔導士たちが声を合わせ詠唱を完了させると、祭壇に光の柱が立った。
これが、闇の魔導士への魂の通路である。
通路を完成させた術者たちは、必死に詠唱を続け、それを維持する。
例えるならば、それは熱い湯の中に腕を突っ込むようなもので、長くはもたない。
「行きます」
タリアは静かに言い残し、光の通路へと足を踏み入れた。
タリアが祈りを捧げると、タリアの魂は通路を抜け飛翔し、東と北の遥か先――山脈を越え、闇の魔導士の魂の近くまで飛んで行った。
タリアは光の通路の先に、大きな召喚陣の中央に一人たたずみ祈りを捧げる、闇の魔導士を見た。
男は髪が乱れ、薄汚れた狂人であった。
そして、その場には恐るべき力が集まっていて、召喚陣は完成しつつあるのがわかった。
大きく邪悪な陣である。
おそらく、伝説の大魔神を呼び出すのであろう。
あたりにはむごい扱いを受けた野獣や獣人が、生贄となった後の無残な姿が散らばっていた。
そして、闇の魔導士は、それを見たタリアに気づき、血走った赤い目を向けた。
彼は、とっさに左手から氷の槍を放ったが、それはタリアの魂を突き抜けて何の効果も示さなかった。
「小癪な!魂できおったか!命知らずの女め!」
敵に気づかれたタリアは、急ぎ、魂を引き戻す。
彼の魂を魂で観た時に必要な情報は得たのだ。
空に架かる光の通路を飛びハイランドへと戻る。
魂の通路は、魂だけが通ることが出来る。
闇の魔導士は発狂したように声を上げると、闇の力で自らの魂の左手を冷たい影と化して、タリアに向かって伸ばした。
影となった左手は光の通路に入り、タリアを追う。
風よりも音よりも速く飛ぶタリアの魂を、影の手はそれを上回る速さで追う。
(自分を見つけた者がいた)
(以前にもいたが、その者たちは全て葬ってきた)
(いつものように闇で心臓を握りつぶすだけなのだが、今回の相手は、あのタリアセレステなのだ)
何度も何度も王都を牛耳る計画を邪魔した憎き女。
この女さえいなければ、王都で召喚の儀式を完成させることが出来ていたのだ。
(いまいましいこの女を殺してやる)
のこのこと自らの手の届く場所へ現れたタリアの魂を見つけた魔導士は、これを好機と捉え、薄汚れた唇をいやらしく舐めた。
彼の凍てついた魂の手がタリアの心臓めがけて伸びてゆく。
かつて、彼の秘密を探ろうとした何人もの魔導士たちを葬ってきた凶悪な腕であった。
逃げるタリア。
タリアは、自らの魂で魔導士の魂をはっきりと見たので、彼が今どこにいるのかわかったのだ。
急ぎ魂をハイランドにある自らの身体に戻し、この場所を皆に告げなければならない。
しかし、闇の魔導士の力は、タリアの予測を大きく裏切って、とてつもなく強いもので、音より早く翔ぶタリアの魂に、あっという間に迫ったのだ!
(は、はやい、なんて速さ、掴まれる……)
寸でのところでタリアを救ったのは六神陣から放たれた強力な守りの魔法であった。
六神殿から集められた神官たちは、タリアの安全を守るために命を懸けていた。
影の手を聖なる結界がはじいた。
しかし、不意をつかれ一度は弾かれた影の手は、それでも引き下がらず、拳を振り上げると強力な六神結界を突き破った。
その攻撃で六神陣は破られ神官たちはみな吹き飛んだ。
恐るべき力であった。
それでも、その一瞬が、タリアの魂を救けることになった。
諦めない影の手は再びタリアを追い、あとわずかでハイランドの祭壇というところでついに追いついた。
そしてそこでついに、タリアの胸に凍てつく影の手が届いてしまったのだ。
(まずい!心臓にきてる!守らないと!)
ようやく祭壇に戻ったタリアの魂に差し込まれていた影の手は、そのまま、タリアの実体の胸に手を差し込まれることとなった。
タリアは胸に手を当て、魔法の力を込めて心臓を守る。
「いかん!」
「やらせるな!守れ!」
魔導士や神官たちも残された力を全て注ぎタリアに加勢する。
凍てつく影の手はタリアの胸の中で、形がつくほど強く心臓を掴んだが、あとわずかの所で握りつぶせずにいた。
(苦しい。胸を掴まれた、もう息が出来ない。いま、肺にある空気だけ分しか言葉を出せない、急いで慎重に……魔力が尽きる前に、息が尽きる前に言葉を遺すのよ)
カリナは予定通り、第七位階の魔法を放つ直前の状態でタリアのすぐそばにいた。
苦しそうなタリアの顔に顔を寄せる。
苦悶の表情のタリアは、肺に残るわずかな息をゆっくりと少しずつ吐き、小さな声でカリナに告げる。
「…敵は東に行った北の果てよ、獣人の領地を四つ抜けた北の果て……死者の声を聴く古の大霊場を穢し…召喚の祭壇を作ってい…」
(苦しい……肺の空気が残り少ない)
「召喚は近い……夏至までに……討たないと間に合わない……行くのは六人よ……多くても少なくてもいけない」
(六人の内訳は、前に星を観た時に心に刻んだから、カリナならわかるでしょう……)
(もう、空気が無い……もう最後ね……)
カリナは、胸を押さえ苦しみながら言葉を紡ぐタリアを見ていた。
いま、タリアの胸を潰すために魔導士の魂の一部である影の手が刺さっている。
それをタリアもろとも封印するためにカリナはいる。
タリアからの最後の合図を待っているのだ。
そして、タリアは王国の誰もが掴めなかった情報をカリナに告げその役目を果たし、最後に小さな小さな声で「愛している」と言った。
それがカリナが最後に聞いたタリアの言葉となった。
カリナは月の女神セレネリアの第七位階の魔法、月影封神牢を放った。
青い光があたりに満ちて、大きな神気が渦巻いた。
やがて光が静まると、そこにはうずくまり胸を押さえ苦悶の表情を浮かべるが、どこか優しげな眼をしたタリアの石像があった。
時を止め石と化し、神さえも封印する大魔法はソフィア師とソラン師の助けもあり見事に成就した。
カリナは自分の育ての母であり、姉であり、最良の友であっただけでなく、最高の師匠でもあった、魂の半身であるタリアを永遠に石像に封じてしまったのだ。
カリナは石となったタリアを抱きしめた。
まだ少し温もりがあったが、もうすぐ、冷たくなるだろう。
カリナが抱きしめると、タリアはいつも抱きしめ返してくれたのに、今日からはそうではないのだ。
(タリア……あとは任せて。必ずやり遂げるわ)
カリナは心に誓った。
悪魔の召喚まで時間が無い。
急ぎ討伐に旅立たなくてはならない。
儀式の翌朝、カリナは早くも王都への帰還の途に就いた。
(ルチには……やはり言えない。タリアの言うとおりにするしかない。闇の魔導士のことだけを伝えよう)
タリアたちは、タリアのこれからの運命について、ルチに知らせないように強く言われ、約束させられていた。
ルチがタリアの身に降りかかることを知れば、止めるだろうし、なぜ止めなかったと怒るだろうし、何があっても助けようとするだろう。
彼はこれから王として戦士として多くの敵と戦い王国を守らねばならない運命が待ち受けているのに、邪魔をしてしまいたくないとタリアは言ったのだ。
王の妨げとならぬよう。
それこそがタリアの切なる願いであった。
そして、それはハイランドの占術士たちも星を観て強く同意するところであった。
タリアが石像と化したことをルチアーノ王に知らせることは王国にとって凶なのだ。
カリナはタリアの記憶を持っていたから、タリアとルチの関係も知っていた。
もしもタリアがその身に闇の魔導士の魂の一部を封じたまま石像となってしまった今、ルチにそのことを知らせればどれほど悲しむかわからないほどであった。
(ごめんね、ルチ……ごめんね、タリア。必ず、魔導士は討つから。ごめんね)
カリナはソランを伴い、急ぎ王都へ帰り、いまだ混乱の続く宮廷に現れ告げた。
そこでカリナは、ハイランドで大掛かりな儀式を行い敵の情報を掴んだことを伝えた。
闇の魔導士は、獣人の領地をいくつも抜けた北の果ての古の聖域に大規模な悪魔召喚陣を作っていること。
儀式は進んでいて夏至までの残り約三か月ほどでそれは完成してしまうため、それまでに敵を見つけ出し打ち取らねばならぬこと。
そして、探索の旅は少人数で行かねば失敗すること。
その人員は、ルチアーノ王、カラディナ王女、騎士キヴァーローヒュ、騎士ハルトヴィン、ソラン神官、平民一名であり、平民は以前、王都脱出を手伝った旧知の者であること。
もしも討伐に失敗すれば、悪魔の中でも魔神と呼ばれる強大な力を持った存在が召喚され、地上は地獄と化すこと。
これらのことを説明した。
これまで知りえなかった情報を知った王都の君臣は大いに驚いたが、ハイランドの指導者からの手紙をも持参し、六神殿の大神官を従えて告げたカラディア王女の言葉に従うしかなかった。
かくして、ルチアーノ王子たち六人は急ぎ集められ、獣人の領地へ向かって旅立っていった。




