第54話 月の王女
ロングゲイト侯爵領は、大きな領地ではないが、島国であるこの国の西の端に位置し、他の島や外国との貿易の窓口となる立地である。
そのため、商売が盛んで裕福であり、人口も多い。
西国でも最大級の勢力を持つこの地は、その豊かさゆえに諸侯たちの注目を集めていた。
いま、西の諸侯がここに集まるのは、西国の中央に位置する地の利と、船の往来が盛んな港の利便性とだけではなく、この地を治めるロングゲイト侯爵が、反乱で討取られた先代の王の正妃セルビナリカを出した家であるということも関係しているのであろう。
(大きなお城ね……)
カリナは、旅の疲れを押し隠しながら目の前にそびえるマウントマウス城を見上げた。
大きな港町ワードからほど近いこの場所は、西国の交易を支える拠点として栄えている。
その威容に圧倒されながらも、彼女の心はどこか落ち着かない。
(それに、見たことないくらい華やか。古都といわれる王都とは違う異国文化の……)
もちろん、まだ幼かったカリナ自身が王都の街並みを見た記憶はなく、それはカリナの内にあるタリアの記憶であった。その記憶が彼女の目を通して鮮明に蘇るのだった。
(東国の田舎からやってきた薄汚れた神官が、会議で有力諸侯が集まる城にいるタリアのお父様にすぐに会えるはずもないわね。困ったときはセレネリア様だわ。まずは月の神殿へ行こうかしら。神官長に相談してみましょう)
カリナは一息つくと、街の門をくぐった。
タリアの父、ビッグワイドランド伯爵であるダグラスは、マウントマウス城の会議の場に座していた。
この十年の間と同じように、円卓に集まる西の諸侯たちは、それぞれの主張を繰り返し、議論は一向に進まない。
西の諸侯たちは王妃派に与して十年前の王都の変で多くの犠牲を出したため、反将軍の兵を挙げる動きもあったが、ここに至るまで大規模な軍を集めることができず、国境での小規模な小競り合いが続くだけで、本格的な侵攻は一度も行われていなかった。
その原因は、誰も軍をまとめる者が出なかったためだ。
西の諸侯は豊かな国が多く、一国一国に力があるがゆえに、誰かの下風に立つことを良しないものがいたり、貿易など利害が複雑に絡み合い足並みが揃わなかったのだ。
しかし、状況は変わった。
ルチアーノ王子が東部で軍を集めているという知らせがもたらされたのは、昨年のことであった。
そして先ごろ、東の諸侯がルチアーノ王子のもとに結集し、進撃を開始したという情報がもたらされたのである。
西の諸侯には「してやられた」という気持ちがないでもない。
そもそも軍を集め共に戦うのであれば、疎遠な東部ではなく、王家に同情的であった西ではないのか。
なぜ、ルチアーノ王子は西に来なかったのだ。
しかし、実際に東の軍は動いている。
そうであるなら、それに呼応し、西も軍を動かさねばならないのだ。
東だけが戦い、もしも敗北すれば、将軍派は次に西を討とうとするだろうし、逆に東が勝てば、主導権を奪われてしまう。
一番良いのは、両軍が相打ちになり、互いに疲弊することだが、そう都合よく進む保証はどこにもない。
とにもかくにも、家族の恨みがある将軍を討つには絶好の機会である。
しかし、ここに至ってもなお西の諸侯たちは、指揮を執る者を巡ってもめ続けていた。
これでは何も進まない。
ダグラスは、円卓の諸侯たちをじっと見つめながら考え込む。
(いっそ自分一人で兵を挙げるべきか……だが、ブランクシェルム将軍を相手に少数の軍で立ち向かうのは無謀だ)
その時、一人の召使が会議室の扉を静かに開け、ダグラスに頭を下げて言った。
「失礼いたします、伯爵様。マウントマウスの月の神殿の神官長が急ぎお目通り願いたいと申しております」
「神官長が?」
ダグラスは眉をひそめながらも、神官長であれば事情があるに違いないと判断し、この部屋へ通すよう命じた。
やがて、神官長が現れ、その隣には旅装の汚れが目立つローブのフードを深くかぶり顔を隠したもう一人の神官が付き添っていた。
伯爵は内心で疑問を抱きつつも、彼らを席の近くへ招いた。
「失礼します、伯爵様。こちらをお読みください」
神官長が差し出した書状は、自領に住むヴィクトール老人からのものだった。
そこには、この目の前のフードをかぶった少女こそ、タリアが育てたカラディア王女だと記されていた。
(あの老人も年だな。タリアが死んだという知らせでだいぶ気落ちしていたが……)
また新たなカラディア王女が現れたのだ。
これまでの十年の間に、自称ルチアーノ王子、自称カラディア王女、自称タリアセレステ姫たちが現れ、そのたびに調べを重ねたが、いずれも偽物であった。
中には恥知らずなことに、ダグラスの目の前でお父様と呼びかけた、見ず知らずの薄汚い女もいたのだ。
そのため、ダグラスはたとえ賢者と称えられるヴィクトール老人の紹介であっても、最初から信じる気にはなれなかった。
しばらく前に本物か偽物かはさておき、東にルチアーノ王子が現れたという報告があってから、西にも、再びカラディア王女を名乗る者たちが現れ始めていたからだ。
もちろん、調べた結果、それらはすべて偽物であった。
そもそも、東で軍を率いるルチアーノ王子自身も本物かどうか知れたものではないのだ。
深読みするなら、彼らが彼ら自身の都合で偽物を立てている場合もあるのだ。
もし、そうであるなら、こちらもまた偽の王女を担ぎ上げるという手段が考えられる。
(彼らに対抗するために、この娘を偽の王女に仕立て上げる手もある……)
ダグラスは再びフードをかぶった少女に視線を戻した。顔は見えないものの、年のころは王女と一致している。
(まぁ、まずは確かめる必要があるな)
そう決意し、タリアについて知っていることをいくつか質問してみることにした。すると、驚いたことに、思った以上に正確な答えが返ってきた。
それならばと、さらにタリア自身でなければ知り得ないような、子供の頃に家族と出かけた思い出や、城の召使たちの名前といった、より踏み込んだ質問を投げかけた。それらもまた、少女は間違えることなくすらすらと答えた。
「すべて、タリア様から聞いております」
少女はそう答え、フードを深くかぶったまま、膝をついていた。
それもそのはず、タリア自身の記憶があるのだからカリナは間違えることなどないのだ。
「そのタリアはどうしたのだ」
「ご無事でございます。いまは、月の女神セレネリア様の導きを受け、知恵の街ハイランドにて計略を練っております」
「タリアからの手紙は持ってこなかったのか」
「持って参りました。ここに」
それは、タリアが貧しい中でやっと手に入れた粗末な紙片に、小さいが美しい文字が書き込まれた手紙であった。
そこには、これまでのことと、今目の前にいる少女が、カラディア王女であることが書かれていた。
「むむっ……」
うめき声をあげるダグラス。
(まさか本物なのか?)
少女は静かにひざまずいたままである。
まさか。
信じられぬ。
しかし、今このやり取りに嘘はなかった。
大きな会議部屋の中の他の諸侯たちも、そのやりとり様子を目にし、異常な事態にであることに気付き始めていた。
その中で、隣で話を聞いていた諸侯の一人が立ち上がり、声をあげた。
「おい、女よ。そなたはタリアセレステ姫から様々なことを聞いてきたと言ったな」
「はい……みな様とお会いするために」
「では、わが父を知るか?わが家はリバフォンテである。タリアセレステ殿であれば王都で会ったことがるのではないか?何か聞いてはいないか?」
少女は少しの間、目を閉じると、内に宿るセレネリアの魂に刻まれたタリアの記憶をたどり始めた。
そして、落ち着いた声で語り出す。
「オチュアーノ・リバフォンテ伯爵は……タリア様とルチアーノ殿下、カラディア殿下が王都から城壁の外へひそかに逃げ出すための秘密の抜け穴を守っておりました」
「なに?なんだと?抜け穴だと?では、どうして父は一緒に逃げなかったのだ?」
「……伯爵は抜け穴を使わず、王子たちを逃がした後、まだ城で戦い続けている仲間を救いに行きました。王子たちとはそこで別れたのです」
「……誠か?タリアセレステ姫がそう言ったのか?」
「はい。間違いございません」
セリオ・リバフォンテは、驚いたような表情を浮かべながら黙り込み、静かに席に戻った。
その場の空気は重い静寂に包まれた。
「おい、女!アイトーネを知るか!」
部屋の反対側から筋骨たくましい精悍な顔つきの男が怒鳴るように呼び掛けてきた。
「タリア殿から聞いているか!」
「はっ。フォンテプーロ侯爵は、将軍が王の狩りだと騙して王子を森へ連れ出したときに、護衛の騎士の隊長として同行していました。罠を警戒し自ら護衛隊の指揮をしていたからです。変が起き、タリアが駆け付けた時、侯爵率いる騎士たちは将軍の兵に囲まれており必死に防戦しておりました。侯爵はルチアーノ王子を抱きかかえ決死の突破をして囲みを破り、王子をタリアに託したと聞いております」
このことはタリアの魂に強く刻まれており、すぐに思い出すことが出来た。
男は怒ったようにさらに問うた。
「それでどうなったのだ、父は……」
「……王子が逃げる時間を稼ぐと言い、同朋の騎士たちと共にその場に残り、タリアと別れました」
「……………………それもそうか。父上ならそうするだろう。俺でもそうする。そう父から教えられたからな。そうか。それで、その場に他に誰がいたか聞いているか?」
「はっ、フォークラウン島の騎士たち、騎士ダイムラス、騎士ベルノス、騎士アデス、騎士ムデイオン……みな、その場におりました」
「おお。やはりそうか……ダイムラス殿もか、そうか」
「亡骸は森にあるのか」
「王家の狩りの森を探そう」
そのアイトーネ家の騎士は数人の騎士に囲まれ静かに引き下がった。
その他にも諸侯に何人かの名前を聞かれ、カリナはタリアの記憶を読み、わかる限り、最後の様子を伝えた。
何人目の質問か、ひときわ優しく、丁寧な口調で話しかけてきた男がいた。
「わが妹の名はロザリナです。妹がどうなったか知っていますか」
その男は、タリアの記憶にあるロザリナによく似た顔立ちであった。
タリアはロザリナとはずいぶん仲良くしていたようだ。
ロザリナとの別れの場面は、タリアの記憶の中でも特に忘れたくても忘れられない、思い出すのがつらい記憶であったため、カリナにとっても伝えることは非常に苦しいことだった。
タリアは、そのことをのちのちまでずっと後悔していた。
もっと早く将軍の反乱に気付いていれば、もっと魔力を上手に使えば、もっとうまく立ち回ればみなを救えたと、そのことで眠れぬこともあった。
その思い出はタリアの心の一部を溶かしこんだカリナの心にも刻まれていたのだ。
「ロザリナ様は……ロザリナ・ヴェルディナ様は、秘密の抜け道への通路をふさぐ敵兵を引き付けるため、王妃の上着をかぶり、王妃のふりをして逃げるそぶりを見せ、敵兵を連れて走りました。その隙に王妃たちは走り、逃げることが出来ました。その時、タリアの侍女仲間であったエニス、ミルルもロザリナ様と一緒に走り運命を共にしました。そのように……タリアから聞いております」
彼はその後どうなったか、とは聞かなかった。
そういう場面で侍女たちは、凌辱されぬよう、自裁のための毒と短剣を必ず携えているのである。
「……そうですか。ロザリナは昔からセルビナリカと仲が良かったんですよ。侍女になんかなるなと散々止めたんですけどね。そうですか、最後まで彼女を守ったのですね。教えてくれてありがとう」
彼はにこりと微笑んだ。
ロザリナと本当によく似た顔であった。
「妹がどうなったのかずっと知りたかったんですよ。今日、夢に先祖が出てきてね。いい知らせがあると言っていたんですよ。このことなのかな?」
「はっ……」
「セルビナリカはどうなったのだ」
部屋の一番奥に座っていた、最も年配の男、おそらくロングゲイト侯爵が、カリナが膝まづく目の前にやってきて言った。
そのころには、諸侯はみな、膝まづくカリナの周りに集まりその言葉を静かに聞いていた。
「セルビナリカの最後を聞いているなら教えてくれ」
最も威厳のある、厳めしい顔をした男は低い声で静かに問うた。
「はっ……セルビナリカ様は、王城の外へ続く秘密の抜け道を開き、タリアたち三人を道へ入れると、自らは外から抜け道の扉を閉じ、外から壊し、追手を防ぎました。それが最後となりました」
「最後の言葉は聞いているか?」
「はっ、ルチアーノ王子には善き王になるようにと、カラディア王女には……王女には愛を告げました。『愛は常にそばにあると』」
それはカリナの魂のうちに眠るタリアの魂に深く刻まれた、生涯忘れえぬ記憶であった。
死を悟った王妃は実に、美しい表情をしていた。
カリナは、母の顔をはっきりと思い出すことができなかった。
最後に別れたのは四歳の時だろうか。
その時の記憶は薄れ、よく思い出せなくなってしまっていたのだ。
たまに、夢で母を見ることはあってもその顔や姿はぼんやりとしたままで、目覚めるとすぐに忘れてしまうのだった。
しかし、タリアから受け継いだ魂によってその姿が鮮明になった。
今、カリナの知る母の顔は、タリアが胸に強く刻み込んだ最後の別れの際のものだ。
タリアたちを見送るセルビナリカは――母であり、王妃でもある、誇り高く美しい顔であった。
セルビナリカの目はカリナを見て優しげに濡れていたのだ。
カリナはそのまなざしに愛を感じた。
自分は母に愛されていたのだ。
人生で共に過ごしたのは短い時間ではあったが、母は確かに自分を愛してくれていたのだ。
辛く悲しい記憶であっても、タリアがこの母の最期の表情の記憶を鮮明に残しておいてくれたことに深く感謝していた。
それは死を前にしても動じず、為すべきことを為す者の表情である。
セルビナリカの子であるカリナにも同じような表情が出来るだろうか。
どんな時でも王族として誇り高くあれるだろうか。
いまがそれを試す時だ。
カリナはローブのフードを外し、素顔を見せ立ち上がった。
カリナの顔が露になると驚嘆の声が満ちる。
「おお……」
「これは……似ている」
「セルビナリカ様だ」
「セルビナリカ姫にそっくりだ……」
「似ているなんてものじゃない、生き写しのようだ……」
震える声で、侯爵が尋ねる。
「愛は常にそばにあると、わしもそう言ったのだ。昔、王家に嫁ぐときに。まさしくセルビナリカの言葉であろう。そなたはカラディアなのだな……」
「はい、おじいさま、お会いしとうございました」
「おう……」
「おじいさま……」
抱きしめ合う二人。
「よくぞ生きていた。よくぞここまで来た、よくぞ……」
「ルチアーノお兄様も生きています。タリアも生きています。皆が守ってくれたからです。皆が命を懸けて守ってくれましたから……生きております」
その言葉を聞き、居並ぶ諸侯たちも二人を囲んだ。
王女は十年以上もの試練の旅を終え、ようやく西へやってきたのだ。
その後、会議を終え自国へと向かう諸侯たちの姿があった。
急ぎ、自領へ帰り兵をまとめるためであった。
十年以上も終わらないと揶揄された会議はついに終わり、西の諸侯はカラディア王女の呼びかけに応じ、その旗のもとに集い、王を僭称する将軍を討つべく軍を進めるのだ。
東に続き、西でも将星がその座を得て光を放ち、星を集めた。
東西から進む二つの星の群れは、やがて国の中央、王都で出会うだろう。
(カリナ……よくやってくれたわ、ありがとう……)
遠く、ハイランドではタリアが星を観て祝福をしていた。




