第50話 西へ
カリナが西の地へ旅立ったのち、しばらくしてタリアは村人たちに村を去る旨を告げた。
「ルチもカリナも無事に育ったので、そろそろ実家へ帰ろうと思います」
彼女がそう語ると、村人たちは深く悲しみ、何とか思いとどまらせようと尽力した。
彼女の弱弱しい様子を見るにつけ、「もう少し休んではどうだ」とすすめたり、村人から「護衛をつけようか」と提案したりと、彼女の身を案じての言葉が次々と飛び出した。
しかし、タリアの決意は固く変えることはできなかった。
村人たちにとって、タリアは単なる神官ではなかった。
まだ少女であったタリアと幼いルチとカリナの三人がこの村にやってきた時、村を襲い困らせていた獣人を、小柄なタリアが稲妻の魔法で退治してくれたのだ。
あの時助けられた村の少女は、今でも「タリア信者」を自称し、彼女を心から慕っている。
その後、タリアは村で暮らし始めたが、貧しい山間の村で神官として働きながら二人の子供を育て上げた。
神官として冠婚葬祭の儀式を立派に執り行った。
その振る舞いは、村人がそれまで見たことが無い洗練され優雅なものであったし、美しい祈りの言葉は周辺で知らぬ者がいないほど評判で、結婚式にも葬式にも多くの人が集まるようになったのだ。
また、けが人や病人の治療にあたり、困った人にはいつでも親身に手を差し伸べた。
そのすべてに人としての情けと温もりがあり、タリアは村人たちの尊敬を一心に集めていた。
それだけではない。
村人たちが、ときおり村を訪れる商人や旅人たちにタリアのことを自慢すると、タリアのような美しい祈りを捧げ、病を癒し、貧しい人々の相談にのる神官など、いまどき、どこを探してもいない。それは本当か?などと疑われてしまうのだった。
さらに、タリアは、村の狩人と共に山へ入り、得た獲物を惜しみなく村人たちへ分け与えていた。
タリアの隣家の夫を亡くしたばかりの母娘はそれにどれだけ助けられたかわからない。
他にも、しばしば街から訪れる狡猾な商人との交渉でも一歩も引かず、村の利益を守る彼女の手腕は頼もしさそのものだった。
何よりも忘れがたいのは、獣人の相次ぐ侵攻で伯爵領が危機に瀕し、兵士を徴収せねばならなくなった時のことだ。
村から兵士として出るはずだった若者たちに代わり、タリアは自ら軍へ出向いたのである。
その戦では近隣の村々から兵士として出た多くの若者が命を落としたが、タリアは夏が終わる頃、ルチに支えられて帰還した。
無事に帰ったことは喜ばれたが、しかし、その姿はまるで命を削り尽くされたように痩せ細り、見る者の胸を締めつけた。
若者たちの親は、タリアに大きな借りがあると考えていて、必ず返そうと思っていた。
それからのちに、戦場の噂が村にも伝わってきた。
二年続けて北の砦で伯爵軍と獣人軍の大きな戦いがあったのだ。
様々な物語が生まれた。
商人や旅人から聞かされるそれらの話、例えば騎士の決死の奮闘の話や、名もなき兵士たちの勇気ある選択の話と共に、必ず、美しい月の女神の神官が歌を捧げて軍を救ったという話が出るのだ。
小柄なその女神官は、獣人に包囲された軍の中で、凛とした声で戦場中に響く美しい歌を歌い、味方の兵士を光で包んで守ったというし、獣人に囲まれた指揮官と獣人の間に立ちはだかり、弓矢と稲妻を放って獣人を退治して命を救ったともいう。
そして最後に、獣人が凶暴になる満月の晩に、北の砦を虹の光で囲って、日が昇るまで獣人の攻撃を防いで力を使い果たし死んだという話があった。
実際に、それを見たという兵士たちは泣いて感謝していたという。
村人たちは無学ではあったが頭が悪いわけではない。
彼らなりに、今までのタリアの人となりと、戦場のうわさ話で聞く女神官と、やせ細り力を失って帰ってきたタリアを結び付けて考え、誰が言うでもなく、村人はこれまで以上にタリアのことを大切にするようになっていた。
誰も言葉には出さなかったが、彼女に対する敬意と感謝は深かった。
だからこそ、タリアが村を去ると言った時、村人たちは一様に涙ながら心配した。
それでも、タリアの衰えた様子を見て、実家へ帰るという彼女の言葉を信じ、せめて安全に帰れるようにと護衛を申し出たが、断られると、せめてこれだけは受け取って欲しいと、少しずつ持ち寄った金を渡した。
タリアはその思いに深く感謝し、泣きながら受け取った。
そして、村中の人々が見送る中、愛犬アルボと共に、十二年間暮らした村をあとにしたのだった。
行き先は西のハイランド。
険しい山の中に位置する小さな街で、古今の貴重な書物が集められているとされる。
そこは魔導士たちが自治を行う特別な場所であり、王や諸侯に魔導士を派遣したり、助言を与えることを生業としているため、貴族であっても簡単には手で市が出来ない強い権力を有している。
タリアは今、月の女神セレネリアの魂を失ってしまったため、月詠や星観といった力は発揮できないが、しかし、かつて調べた知識を頼りに、悪魔を召喚する魔導士に関する手がかりを探そうとしていた。
魔法の力が弱まってしまったので、各地の月神殿の宿坊や、街の宿屋を使いながらゆっくりでも安全に進むつもりだ。
これから進む街道は、ルチの軍隊が通り抜けたあとでもあるのでもはや将軍派の心配もないはずである。
将軍派の注意はすべて、ルチの軍に向いているのだ。
今ならば、カリナも西へ潜行できるし、タリアもハイランドへたどり着けるだろう。
アルボとの二人旅だ。
幸い路銀は不自由しない程度ある。
早めに宿をとって進むのでおそらく三十日から四十日は歩かなければならないが、考え方を変えれば、旅行のようなものでもあるのだ。
(大きな街についたら、何か美味しいものを食べることが出来るかしら……)
嵐の前のつかの間の休息と言ったところである。
そう思うと、タリアの顔にふと笑みが浮かんだ。
(えび、かに、魚の干物でもいいわ。何か海産物を食べてみたい……海沿いの街を必ず通るわ)




