第5話 予知夢
タリアが九歳のある晩、夢を見た。
夢の中では、何日も大雨が降り続け自分が住む城から見える街が山奥から流れ出た濁流に襲われるのだ。
街を流れる三本の川のうち一番大きな川が堤防を越えて家々を飲み込み、人々が流される様子が目に焼き付いた、そんな夢だった。
(これ、ただの夢じゃないよね……?)
タリアは目覚めると、心臓の鼓動が速まるのを感じながら独りごちた。
これはセレネリアから授かった予知の力だとすぐに理解したが、誰にも言えない秘密の力――それを守らなければならないという約束があった。
タリアは予知夢の不安をどう伝えるか考えながら過ごしていた。
なんといっても、いまは令和からやってきた星空ではなく、九歳のタリアなのである。
大人が信じてくれるとは思えない話だし、たとえ大人であったとしても信じてもらえないような内容の話なのだ。
「大雨で堤防が壊れます、夢で見ました!」
などと言えるはずもない。
どうしたものだろうか。
その日はソフィア先生とヴィクトール先生の授業がある日で、二人の授業は別々だが、お茶の時間を共に過ごすことがあり、この日はちょうど二人が並んで座っていた。
「タリア、どうした?今日は少し落ち着かない様子だけど」
ソフィアが優しく声をかけた。
「うーん、ちょっと変な夢を見たから、なんとなく気になっちゃって……」
タリアは軽くお茶をすすると答えた。
内心では焦りと不安を抱えながらも、ソフィアやヴィクトールに心配させたくなかった。
「夢か。夢というのは、時に何かを予兆することがあるものだ」
ヴィクトールが神妙な表情で言った。
ソフィアとヴィクトールはタリアに気づかれぬよう、お互いに短く目を合わせた。
二人ともタリアが普通ではない特別な力を持つ存在だと認識していたが、それをタリアに悟らせることはなかった。
ソフィアはタリアを普通の子供として扱うべく、あえて平静を装いながら言葉を紡いだ。
「もしも悪い夢ならば、誰かに話せば正夢ではなくなるってこともあるのよ。心配ならば、話してごらんなさい」
そう優しく微笑みながら話した。
「うん、なんか大雨が来る感じがして……念のため、お父様に堤防の確認をお願いした方がいいかもって思ってさ」
タリアは、できるだけ軽い口調で言った。
ヴィクトールは頷きながら、やや含みを持った口調で答えた。
「賢明な考えだな、タリア。備えあれば憂いなし、という言葉もあるからな。そういえばこの城の周りの川の堤防も、築かれてからだいぶ経っておるからな」
二人はタリアを普通の子供のように扱いながらも、彼女が特別な力を持っていることを理解していた。
普通ならば九歳の子供が堤防を確認したほうがいいなどという事はない。
それを大人が信じることもない。
「タリア、気になるならダグラス様にその話をしてみてはどうかしら」
「えっ、お父様はこんな話、信じてくれるかしら」
「可愛い娘の話だ、聞く耳くらいは持つと思うぞ、伝えてみなさい」とはヴィクトール。
タリアはその後、二人の勧めに従い父ダグラス伯爵に会いに行った。
彼に「なんとなく気になる夢を見た」と話し、城の周りの川の堤防の確認をお願いした。
ダグラスは、タリアの言葉にすぐに反応はしなかったものの、内心では彼女の言うことを決して軽んじるつもりはなかった。
「そうか……夢の話とはいえ、準備はしておくに越したことはないな。春先は雪解け水で水かさが増すし、いつ大雨が降るかわからないから、堤防の点検を指示しておくよ、ありがとうタリア」
ダグラスは穏やかな声で娘に言った。
タリアが執務室から去るとすぐ、ダグラスは近侍を呼び寄せた。
「堤防を確認せよ!急げよ!」
伯爵の指示で使者が走った。
ダグラスのもとに堤防の壊れている箇所が見つかったとの知らせが届き、彼はすぐに修繕するようにと強い指示を出した。
それからわずか数日後、大雨が降り始めた。
窓から強い雨音を聞くタリアは、予知が現実となっていくのを感じ、不安と焦りを抑えきれなかった。
(堤防が壊れなきゃいいけど……)
父がタリアを信じて、すぐに堤防の修繕を行ったことを知らなかった彼女は、夜空を見上げながら、厚い雲に隠れたその上にある月にそっと祈りを捧げた。
雨は数日続き、ようやく降りやむと、大量の土砂を伴った黒い鉄砲水が川岸を襲った。
タリアは城から濁流を見ていたが、それが堤防を破ることは無かったのでほっと胸をなで降ろした。
上流下流の小さな木橋は流され、小舟が何そうも壊されるなど多少の被害はあったものの、街は堤防の点検が行われ修繕が間に合ったことが決め手となり、決壊せず、住居や畑に大きな被害はなく、領民は無事で被害を最小限に食い止めることができたという報告がダグラスに届いた。
「伯爵様の明察で被害を未然に防ぐことができた」
城の家臣たちは口々に称え、領民たちは感謝の声を上げた。
そのことを聞いたタリアは、内心ほっとしながらも、「予知の力」がもたらす責任の重さを改めて実感していた。
誰にも言えない秘密の力でありながら、少しでも人々を守ることができたことに、少しばかりの安堵を感じていた。
その後のお茶の席でソフィアが優しく語りかけた。
「タリア、夢のこと……やっぱり念のため相談してよかったわね」
「うん、ありがとうソフィア先生。なんだか、これからもこういう直感、大事にした方がいいのかもね」
タリアは軽い調子で答えたが、心の中ではセレネリアの力と自分の未来に対して一抹の不安も感じていた。
ヴィクトールも静かに微笑みながら、「タリア、君の感じ取るものは大事だ。それを見逃さず、これからも多くを学んでいけばいい」と助言をくれた。