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第46話 砦の戦い

グンマ―伯爵エルンスト・ラングフェルトは、先発した息子ハルトヴィンの兵を追いかけ、三千と援軍五百騎の兵を率い北の砦を目指し進軍を急いでいた。


その道中、ふと昨年の戦いを回想する。


兵が手薄な時期を狙われ、北の砦に五百体ものまとまった数の獣人が襲来したとの報を受け、二千の兵で出撃する決断を下したエルンスト。


五百の獣人に二千の兵では、勝ちはするが兵の半数は死傷してしまうだろう。

それでも行かねばならないほど、北の砦の攻防は重要であったのだ。


しかし、出陣を前にして妻が「夢に先祖が現れた」と語り、必死に引き止めに入った。


「行ってはなりません。この戦いで命を落とすでしょう、どうか出陣を見合わせてください、どうか」


彼女は、これまでエルンストの数々の戦いを支え続けてきた、最も愛し、最も信頼のおける生涯ただ一人の伴侶である。

常に戦いを支えてくれた彼女が、出陣を止めることは初めてであったし、涙を見るのも初めてであった。


さらに、側近の魔導士と神官も口々に「闇が伯爵の星を侵しています!」と強い調子で出兵を止めた。共に長くこの地を守り続けてきた彼らが、これほどまでに慎重を訴えるのは異例のことだった。


しかし、エルンストにとって北の砦は、絶対に失うわけにはいかない要衝だった。

たとえ不利とわかっていても、それでも戦わねばならないのだ。

彼は、長男を城に留め、一族郎党すべての兵をかき集めて北の砦へ向かった。


伯爵軍は決死の覚悟を胸に、悲壮感を漂わせながら北の砦を目指した。

死を覚悟した行軍であるというのに逃げ出すものもおらず、みな、伯爵と心を一つにした、伯爵家の守護神である月狼そのもののような軍であった。


北の砦付近で獣人軍と対峙し、戦いが始まった。

するとどうだろう、あっけなく勝ったのだ。

被害も少なく、圧勝であったのだ。


獣人との戦いが始まると、不思議なことが起こった。

エルンストの軍を包むように輝く光が現れ、その光が味方を包み敵を圧倒する力を与えたのだ。

兵士たちはその光に勇気を得て奮戦し、勝利を収めた。


エルンストはそれが加護の光であることを知っていた。

神の加護を持った王族や、偉大な聖騎士が軍を率いるときに神が軍に与える力と愛の光である。


昔、エルンストが若かった時に、東を守りにやってきた王族の将軍が獣人を討伐する激戦いの中で加護の力を使い、勝利に導いたことがあったが、この戦いで、まさにその時と似たような力を得たのだ。


……おそらくタナと名乗る神官の存在によるものだった。

なぜなら、タナ以外の他の魔導士や神官はみな伯爵の顔見知りで、不思議な力を使うようなことは無いのだ。


義勇兵として現れたタナは小柄で美しいだけでなく、無尽蔵の魔力をもって傷ついた兵士たちを癒し続けた。

その姿は、ただの神官ではありえないほど力強く、同時に優しさに満ちていた。

彼女は、食事の支度も重症者の看護も汚れ仕事も献身的にてきぱきとこなした。


騎士も兵士もみな、彼女のそばにいるだけで心が安らぎ、疲れが癒えるように感じたという。


戦いが終わると、タナ神官は自らの功を誇ることもなく、静かに姿を消した。

けが人を癒し尽くした後、報酬も求めず去るその姿は、まさに「女神の使い」と呼ぶにふさわしいものであった。


慎ましいというよりはむしろみすぼらしい装いながら、その凛とした佇まいは、れっきとした貴族の騎士たちの心を揺さぶり、居住まいを正させるほどであった。


戦いが終わると魔導士と神官たちは「死の兆しが消えた」「闇がはらわれた」と語ったが、その具体的な意味は明かされなかった。

彼らは、「星が来て闇を払った」と言ったが、「その星がすぐに見えなくなった」ため、それ以上の真相はわからなかったのだ。


それが去年のことであった。


今年は状況が幾分良かった。


早めに募集を行い、村々から徴兵もしたため、昨年に比べ兵の準備が整えることができた。


そのため、北の砦に五百体の獣人が攻め寄せたとの報にも、かつてほどの動揺は無かった。

四千の兵がいれば十分に対応可能だ。


だが、それでも今年も妻や城の神官、魔導士が一様に出兵を止めた。

彼らは口を揃えて言った。


「どうかお考え直しください。この戦いは命が危ういのです」

彼らは今年も悪い兆しを見たのだという。


妻の言葉を軽んじるわけにはいかなかった。

彼女はこれまで、いかなる時も冷静に彼を支えてきた伴侶であり、戦いに関して口出しすることは滅多に無かった。


そこで「昨年出てくれた星は、今年も輝いているのか?」とエルンストは魔導士に尋ねた。


魔導士は困ったように首を振りつつ答えた。


「おります、伯爵様の近くにおります。ただ、その星は弱々しく、明滅を繰り返しているのです。今にも消えそうです」


その言葉に不安を覚えつつも、エルンストは行くと決断を下した。

領民を守ることこそが彼の使命なのだから、行かねばならぬのだから。


一千の兵を先遣隊としてハルトヴィンに託し、自らは三千の歩兵を率いて後方から出陣した。


道中、さらなる援軍が到着した。

それはメンストグロッド侯爵からだった。


まさか本当に援兵を出してくれるとは!


数は五百と少なかったが、侯爵の実弟ラーズロ子爵みずからが率いる精鋭の五百騎が加わると聞いて、エルンストの心は安堵で満たされた。


北の砦の状況を話すと、ラーズロはぜひとも参戦したいと熱望した。


「ありがたい!」エルンストは感嘆した。


「ラーズロ子爵といえば、東国で名を轟かせる猛将。この上なく心強いではないか」


さらに、ラーズロは二人の若い従士を紹介した。


「彼らはキヴァーローヒュとモチと申します」

ラーズロは言った。


「もしや、キヴァーローヒュといえば、侯爵の息子か?」

エルンストが問いかけると、ラーズロは頷いた。


「はい。我が甥でございます」

「……厳しい戦いとなるかもしれない。それでも良いのか?」


「伯爵、ご心配には及びません。彼らは十分な強さを持ち、むしろこの戦いで功績を上げれば、正式な騎士として認められる機会となるでしょう」


エルンストはしばらく考えた後、低くうなずいた。


「獣人を侮ってはならない。侯爵家にとって大切な若者だ。この城に留め置くという選択も考えるべきでは?」


ラーズロはにこりと微笑み、「お気遣い感謝いたします、伯爵。しかし、どうかご安心を。彼らは既に幾度となく獣人との戦いで経験を積んでおります。きっと北の砦を守る大きな力となるでしょう」と断言した。


ラーズロほどの歴戦の騎士がそこまで言うのであれば、と、若い二人を見ると、二人はしっかりとした居住まいで、なかなかの武者ぶりである。


援軍を得た伯爵軍は北の砦へと向かって進んだ。


北の砦まで一日の距離に迫った頃、負傷した兵士が急報をもたらした。

「伯爵、獣人は五百ではなく、千を優に超えております!ハルトヴィン様の部隊は激しい攻撃を受け、砦に退避されました」


千の獣人……三千の兵士とほぼ互角の戦力だ。

エルンストは眉間に皺を寄せた。


「今、我々は三千五百の兵を率いているが、まともに戦えば多くの死者が出るのは避けられない」


さらに追い討ちをかけるように、彼の頭を悩ませる情報があった。


「明日の夜は満月か……」エルンストは呟いた。


満月の夜、獣人たちの力は倍増する。

それは、彼らにとって最大の優位がもたらされる魔の夜だった。


(奴らはこの夜を狙って動いているのか……)


最悪の未来がエルンストの脳裏をよぎった。

砦が陥落し、さらには自軍の援軍も壊滅する可能性。

二重の惨劇が彼を襲うかもしれない。


「獣人たちは次に何を狙うだろう?砦か、それとも我々の援軍か……」

エルンストは決断を迫られた。


「このまま砦を救援に向かうべきか。それとも満月の夜に備えて、守りを固めるべきか……」


北風が顔を撫でる中、彼は険しい表情で天を仰いだ。


ラーズロ子爵は、「砦を信じてここを動くべきではない」と主張した。

神官や魔導士もまた同じ意見であった。


伯爵は、歯を食いしばり、北の砦からわずかな距離で軍を留め置き、獣人の夜襲に備えさせた。


満月が昇った真夜中過ぎ、眠れず悶々と過ごしていた伯爵のもとに腕利きの物見が戻り、重要な報告をもたらした。


「砦は無事です!落ちていません。満月の夜、千を超える獣人が砦を包囲しましたが、何とも不思議な光が砦全体を覆い、獣人は一体たりとも砦内に侵入することができていませんでした!」


「なんだと!ほんとうか!」

伯爵エルンストは歓喜の声を上げた。


ついに朝になり、「砦は落ちず、獣人は森へひとまず引き上げた」との知らせを受け、伯爵は胸をなでおろし、喜んだ。


しかし、手放しで喜ぶわけにはいかない。


このまま千以上の獣人を放置しては、いずれ砦が危険にさらされるだろう。

ここで撃退しなければならない。


伯爵は砦の奮戦に応えるべく、軍を進めた。

砦の間近に陣を構え、状況に応じて砦からの援軍も期待できる位置を選ぶ。


この地こそが、戦場として最善であると判断したのだ。


平地に陣を整え、獣人たちを挑発する。

すると森の中から獣人たちが現れた。

昨晩夜通し砦を攻め立てた割には、疲労の色は見えない。



獣人たちは人間のように陣形を組むことはなく、ただ集団でまとまり、ゆっくりと近づいてくる。


味方の陣から挑戦の角笛が響くと、獣人たちは応戦するかのように咆哮を上げた。

戦いの火蓋が切られる。


驚くべきことが起こった。


昨年と同じく、味方の軍が光に包まれたのだ。

それは神の加護であった。

兵たちは勇気を得て、力がみなぎるのを感じた。


「太陽神の加護だ!」「王家の加護だ!」

ラーズロが率いるメンストグロッド軍から歓声が上がる。


王が軍を率いる時に降り注ぐという太陽神アリエラの加護。

その神秘的な力が、この戦場で具現化しているというのだ。


加護を得た軍勢は次々に獣人を打ち倒していく。


その中で、特に目覚ましい働きを見せたのが三騎の騎士であった。

ラーズロ子爵だけでなく、若き二人の騎士が強烈な輝きを放つ魔法の光に包まれ、戦場で圧倒的な力を発揮していた。


そのうちの一騎、黄金の光をまとう騎士は燃え上がるような魔法剣を振るいながら、獣人の長に挑戦を挑んだ。


獣人の長は人間ごときの挑戦を拒むことなく受けたが、騎士は一振りで長を打ち倒してしまった。


味方は大歓声を上げ、獣人たちは悲嘆に暮れるような咆哮を響かせる。

戦況は決したのだ。


その時、砦の門が開け放たれ、吹き出るように兵士たちが突撃してきた!

ハルトヴィン率いる騎兵と、砦の守備兵が総出で駆けだしてきたのだ!


彼らは、旺盛な戦意をもって獣人たちを背後から包囲するように襲い掛かり、弱っている獣人たちを一網打尽にした。


獣人たちはみな倒れ、包囲をなんとか突破したわずかな者たちは散り散りに逃げ去った。


メンストグロッド軍を中心とした騎兵たちは、逃げる獣人を追撃していく。

歴史的な大勝利であった。


だが、その中で、敵の長を討ち取った黄金の光に包まれた一騎は、逃げる敵には目もくれず、馬の手綱を砦の方向へ向けた。


その騎士は、ひたすらに馬を駆けさせる。

ルチアーノであった。


(タリア!今行くよ!)


その名を心に呼びながら、ルチは焦燥に駆られるまま、砦へと疾走していった。

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