第43話 奇襲
森はあっという間に怒号と咆哮に支配されていた。
タリアたちの軍勢は両脇から襲いかかる獣人たちの奇襲に遭い、瞬く間に混乱に陥った。
獣人は力も速さも人間に勝るため、人間は集団で立ち向かう。
平地で陣を組み、獣人に勝る人数で規律を持って行動すれば人間が勝つこともできるが、森の中では個人の力がものを言う。
森では圧倒的に獣人が優勢なのだ。
そして、今、タリアたちは、森の中で両脇からの奇襲を受けて絶体絶命の窮地に陥っている。
(まずいわ、支援魔法を唱えなきゃ……!)
タリアはそう思ったが、乱戦となった戦場では、その隙が与えられない。
次々と現れる獣人たちの振るう武器と爪が、まるで容赦のない嵐のように兵士たちを薙ぎ倒していく。
(しまった!)
タリアの前に立ちはだかったのは、大柄な熊の獣人だった。
その手に握られた巨大な戦槌が振り下ろされると、彼女の乗っていた馬の首を叩き折り、馬の身体は重い音を立てて地面に崩れ落ちた。
(……っ!)
タリアは身を翻してなんとか槌の直撃を避けたが、足元に倒れた馬を見て、口を引き結ぶ。
彼女は即座に弓を手に取り、矢を引き絞り、放つ。
月光の矢の魔法だ。矢に魔力が宿り、貫く力が増す。
次の瞬間、彼女の矢は獣人の首を正確に貫き、倒れる音が響いた。
タリアは戦場を駆け巡りながら魔法で強化した身体能力を活かし、矢を放つ。
味方を助けるため、何体かの獣人を倒したが、敵の数は減っていない。
周囲を見渡すと、すでにかなりの人数の騎士や従士が討たれ、死体が横たわっていた。
(奇襲する側だったから、奇襲されるだなんて思ってもみなかったわ……)
タリアはしつこい狐の獣人を倒し、ようやく見つけた隙を使い、気配を消す魔法を唱え、木の陰に身を隠した。
荒い息を抑えながら、司令官ハルトヴィンの姿を探す。
(ハルトヴィン…司令官をまず守らなきゃ。それに……たぶん彼は星の一人……)
戦う兵士と獣人たちの中を探し回り、ようやく森の奥に、三体の獣人に囲まれたハルトヴィンの姿が目に入った。
彼は東国一の騎士として名高く、その剣技は群を抜いていた。ここでも果敢に魔法で光る剣を振るい、次々と獣人を倒している。
彼の戦いぶりから、名のある戦士であるのはすぐにわかる。
獣人たちは強者を狙い、取り囲もうとしていたのだ。
彼を守る護衛の騎士は、凶暴な獣人との戦いで倒れたようで、彼は孤立していた。
(あぶない!)
タリアはとっさに弓を構え、魔法の光をまとった矢を放つ。それはハルトヴィンの背後から飛びかかろうとした獣人の首に命中し、即座に地に沈めた。
だが、それを見た他の獣人たちがタリアの存在に気付き、矛先を向けて襲いかかってきた。
「くっ……!」
タリアは獣人の攻撃を必死にかわしながら矢を放ち、さらに二体の獣人を屠る。
だが戦場の喧騒の中で、多勢に襲われ苦しむハルトヴィンの姿が再び目に飛び込んできた。
彼は数体の獣人に追い詰められ、ついに大柄な熊の獣人の棍棒の一振りによって吹き飛ばされてしまった。
(あぶない!)
タリアは駆け出したが、大きな体なのにとても素早い熊の獣人が追撃の棍棒を振り上げ、倒れたハルトヴィンに向けて振り下ろす。
「っ!」
嫌な音が響き、彼がうめき声をあげるのが聞こえた。獣人はさらにもう一撃を加えようと棍棒を振りかぶる。それは確実に彼の命を絶つだろう。
(だめ!)
タリアは魔力を込めた矢を放ち、血の興奮に滾る獣人の首を貫いた。
熊の獣人が地面に崩れ落ちると、タリアは全速力でハルトヴィンのもとへ駆け寄り、魔法で強化された力で抱きかかえると、逃げるために駆けた。
追ってくる獣人に、聖なる稲妻の祈りを唱えると、轟音が響き、周囲に稲妻が落ち獣人数体を焼けこげにした。
ハルトヴィンを地面に降ろし、傷を確かめると彼は胸を棍棒で打たれ、鎧は潰れており、血を吐いて動かない。生きているか死んでいるかも分からない状態だった。
(血で息が出来ないの?すぐに癒さないと……)
すぐに癒しの魔法を使わねばならないが、その隙に獣人たちが襲ってくるだろう。
迷っている時間はない。
(……守りながら癒すしかない)
タリアは弓を手放し、膝をつくと、第五位階の魔法の詠唱をはじめた。
(間に合って……)
月天に座す光の神よ。
その清澄なる光輪を以て、
愛の守護を賜り給え。
ここに結ばれる輪は、
我らを外敵の刃より守り、
癒しの力をもって苦痛を和らげ給う。
全ての生命を慈しむその御力をもって、
御力を顕現せしめ給え。
月天光環
彼女とハルトヴィンを囲むように金色の光が現れ、金色の光の輪が二人を守り始めた。そして輪の中心に金色の光が注がれた。
それは彼女の祈りに応えるかのように彼の体を包み込み、癒しの力を発揮し始めた。
月天光環は自らの周囲に結界を張り敵の攻撃を防ぎつつ、結界の中にいるものの傷を癒す高位魔法だ。
祈りの言葉が長いため、戦場で使うのが難しいのだが、なんとか唱えることが出来たことにタリアは思わずほっとした。
獣人たちがタリアとハルトヴィンを取り囲み、魔法の結界に次々と武器を叩きつけ、金属の音や鈍い衝撃音が響き渡るが、月天光環の結界はびくともしなかった。
その光は二人を包み込み、守り続けた。
(はぁ……はぁ……これで、少し時間を稼げる……)
タリアは荒い息を整えながらハルトヴィンの様子をみると、鎧に隠れて見えない胸の傷がきちんと癒えているのだろう、呼吸が浅いながらも安定してはじめ、彼の青白かった顔色にも、わずかに赤みが戻り始めている。
(命は取り留められた……よかった……)
しかし、タリアの中に湧き上がった安堵は一瞬のことだった。
戦場の凄惨な光景が彼女を現実に引き戻した。
周囲では、獣人たちの咆哮と、仲間たちの悲鳴が入り乱れている。矢が放たれ、剣が振り下ろされる音が響き、地面には無数の血が染み込んでいた。
(まだ終わってない……次よ……)
タリアは震える手を自らの膝に押し当て、体を支えた。そして、再び祈りの言葉を口にし始める。
月の女神よ、聖なる力を授けたまえ。
その癒しの光で、傷を癒し、
体力を回復させ給え。
我らに与えられし力で、
すべての者の傷を癒すことを誓う。
今ここに顕現せよ。
聖療月光
彼女の体から溢れる魔力が、眩い光となって周囲を照らし出した。
その光は戦場の各所へと広がり、呻いていた兵士たちの傷を癒し始める。深い傷から血を流していた者が立ち上がり、倒れかけた兵が、武器を再び握り締める姿が見えた。
聖療月光の効果は広い範囲の味方の傷を癒すという、戦局をひっくり返すほど強力な祈りであったが、その代償としてタリアの身体からも魂からも力が削ぎ取られるような強い痛みを伴う脱力感が押し寄せた。
タリアの身体は限界に近づいていた。
魔力を激しく消耗し、体が鉛のように重く感じる。視界が霞み、膝に力が入らない。
(もう……これ以上は……無理……)
額から冷たい汗が流れるのを感じながら、タリアは荒い息をついた。
しかし、彼女は倒れるわけにはいかなかった。
戦場の中心に立つ彼女の周囲には、今もなお仲間が血を流し、命を落としている。
もしここで力を尽くさなければ、砦は落ち、グンマー伯爵領全土が獣人たちに蹂躙されるだろう。
(これが最後……)
タリアは震える膝を押さえ、立ち上がった。彼女の視線は戦場の彼方を見据え、再び口を開く。
――セレネリアよ、闇を照らす月の女神よ、
清き光をもって我らに力を授けたまえ。
おお、銀の光は心の曇りを拭い、我らの恐れをも薄める。
その輝きにて、我らの手は剣となり、我らの心は盾となるべし。
月よ、昇り来たりてその導きをお与えください。
天に輝く真白き月のごとく、我らに戦の道を照らしたまえ。
戦場に集う我が仲間に、速き風を、揺るぎなき力を与えたまえ。
聖き月の加護を、いまここに――
月光は我らと共にあり!女神の名のもとに、恐れを忘れ、力強く立ち向かえ!
月華白清輝霊祈
タリアの祈りとともに、戦場全体が眩い光に包まれた。
その光は戦場の隅々にまで届き、味方の兵士たちの身体を満たし、彼らの恐怖を取り除く。
そして、獣人たちはその神聖な光に怯え、攻撃を躊躇した。
(お願い……この光がみんなを守りますように……)
タリアの意識はそこで途切れた。
全ての力を使い果たし、彼女はその場に倒れ込んだ。
彼女の放った光はなおも戦場を照らし続け、仲間たちに力を与えた。
彼女の近くで、意識を取り戻したハルトヴィンが立ち上がる。
その目には、タリアの放った神聖な光が映っていた。
彼は倒れた彼女の、その小柄な体を抱きかかえる。
そこへ騎士たちが駆け寄る。
「ハルトヴィン様、ご無事で」
「神官に助けられた…どうだ、戦況は」
「加護の光で持ち直しました、去年と同じです。これなら押し返せるでしょう」
「そうか。お前たち、タナ殿と言ったか、この聖なる女性をみてやってくれ。力が尽き果てている。すぐに休ませねばならん」
「はっ、かしこまりました、必ずお守りします。だれか他の神官を探して呼んできましょう。ハルトヴィン様は?」
「軍をまとめる。砦に退かねばならない。あとは頼んだぞ」
ハルトヴィンは騎士たちにそう言い残し戦場の只中へ駆け行った。
戦場を包む月の女神の光はなおも輝き、加護を受けた兵士たちは士気を高くし獣人たちを打ち倒していた。




