第41話 犬との生活
タリアがカリナと別れてしばらくが過ぎた。
夏の陽光が木々の隙間から差し込み、明るく森を照らしているが、タリアの心には空虚があった。
長年守ってきたルチを城に送り出したあと、最後の家族のような存在だったカリナも太陽神殿へ行ってしまい、タリアの回りに誰もいなくなってしまったのだ。
彼女が長らく寄り添ってきた緊張感さえもカリナと共に去ってしまったようだった。
王妃の侍女として出仕してから約十二年もの間、いつ敵が襲い来るか分からない危機に備えて神経を張り詰めてきたが、今は護るべきものが何もないという現実が、彼女の心にぽっかりと穴を空けていた。
タリアは村人たちに、ルチに続いてカリナも大きな神殿に修行へ行ったと伝えている。
おおむね事実であり、村人の誰もが彼らの未来を信じ、安らかに送り出してくれ、タリアに「寂しくなりましたなぁ」などと声をかけてくれるのだが、タリアがどれほど寂しい気持ちなのかは、彼女自身にしかわからないことであった。
彼女の心の隙間を埋めてくれているのは、白犬のアルボだった。
「アルボ~、お前がいてくれてよかったわ」
タリアがそう声をかけ抱きしめると、アルボははっはっはっと息を荒くして彼女の腕の中で嬉しそうな顔をした。
初めカリナがアルボを飼いたいと言い出した時、タリアは危険な生活に犬を巻き込むことを躊躇し、反対したものだった。けれど今や、アルボはタリアにとって唯一の家族としてなくてはならない存在になっていた。
彼は毎日、タリアのそばに寄り添い、そのやわらかな体温を伝えてくれる。
それだけでタリアの心は温かくなるのだ。
そのアルボは猟犬として育てられたが、実際にタリアやカリナが彼を伴って狩りに出たことは、これまで一度もなかった。
しかし、この夏の時期は、晩秋や冬とは異なり獣人の襲撃もほぼないとされているので、タリアは、アルボと一緒に森を歩き、狩りの手伝いを始めさせてみようと考えた。
森に入ると、アルボはタリアの動きに注意深く耳を傾けながら、かすかな匂いを嗅ぎ取るように鼻を鳴らして周囲を探り始めた。
訓練通り、吠えずに落ち着いていて、よく指示に従い、なかなか優秀である。
(この様子なら、何度も狩りに行けばいい猟犬になれそうね)
木漏れ日の中、タリアはアルボが慎重に歩く姿を微笑ましく見守った。
彼と歩むこの日常は、少しずつではあるがタリアに平穏を取り戻させてくれる。
朝、タリアが寝ているのに、顔や特に口元を執拗になめて無理やりに起こして朝ご飯をねだる、という子犬がよくやる、彼の唯一の悪癖ですらタリアを喜ばせていた。
村の平凡な神官として祈りを捧げ、狩人として森で食料を得る安らかな生活は、これまでの緊張に満ちた日々とは異なるものだったのだ。
ただ、タリアはこの平穏が長くは続かないことを知っていた。
今年も森の実成りが悪く、村の畑も不作になりそうで、苦しい冬越しとなる兆しが見えているのだ。
前の冬も不作で、グンマ―領に獣人の侵入が相次いだが、このまま二年連続の不作となれば、今年は前回以上の数の獣人がやってくるだろう。
その不安を確かめるため、タリアは準備をして、よく晴れた新月の晩にアルボを伴って、星観の儀式を行うため、以前、鹿に教えてもらった天井の空いた洞窟へ向かった。
タリアは夏の夜空を見上げ、星々の輝きをみて未来の兆しを読み取る。
結果は、凶である。やはり、よろしくない。
北の星々は赤く光り、南へあふれ出しそうである。
おそらく、早ければ秋、遅くとも冬には北から飢えた獣人たちがやってきてグンマ―の地を荒らすだろう。
この地を守る星はいくつかあるが、数が足りず、輝きも小さく、このままでは対抗するのが難しい……
ルチとカリナを示す光る星も、彼らを囲む守り星たちもまだ幽かで、そろっていない。
この冬は、グンマ―の地がまたも大きな被害を受けるだろうし、領内に獣人が蔓延ればここから北の地に住むカリナの身にまで災いが及ぶかもしれないのだ。
ルチとカリナが潜むこの地を守らなくてはならない。
以前、セレネリアは、星空がこの世界に転移する前に「悪を討つように選ばれた者たちがいて、その者たちの手助けをして欲しい」と言った。
星空=タリアが頼まれているのは「手助け」で、タリア自身が、セレネリアが危惧する「悪」を討つのではないのだ。
……タリアは、誰が呼んだか、『明星』と人々に呼ばれているらしかった。
明星は…金星は、地に沈む太陽の光を受けて西の空に輝き、日が沈めばやがて消える。
それはタリアが王族を守って、逃げ去った象徴であったのかもしれない。
もし、そうであるならば、東に太陽が昇る前の、夜明けを告げる一番星として輝くことも、セレネリアがタリアに託した役割ではないだろうかと思う。
ルチとカリナの日月二人が天高く登るため、二人の準備が整うまで、彼らが潜む東の地を守ることがタリアの使命ではないだろうか。
おそらく、いまが日が昇る前の最も深い闇のときで、あともう少しで、夜明けなのだ。
日の出は近いのだ。
そうであるならば、ルチとタリアを守るため、この冬に襲来する獣人たちとタリアは戦わなければならない。
日が昇れば、星が消える運命であったとしても。
星観を終え、村へと帰る帰り道、いまは、どこへでもついてくるアルボがタリアにそっと寄り添ってくれたので、彼の頭を撫でる。
彼女の掌に感じる微かな温もりがありがたかった。




