第40話 師弟の別離
それからしばらくたった、ある初夏の夜、タリアはカリナに旅の準備をさせた。
「カリナ、明日は朝から遠くに出かけるから、アルボは隣家に預けるわよ」
タリアが告げると、カリナは少し驚いたような表情を見せながらも、準備をはじめた。
「タリア、明日は何があるの?」
カリナが尋ねると、タリアは微笑んで答えた。
「明日はね、赤き城山に連れていくわ。有名な霊山で、明日は一年で昼が最も長くなる夏至の日だから、お参りに行くのよ」
カリナはその言葉に目を大きくして喜んだ。
身を隠すため、狩り以外で村から出たことはほとんどなく、たまに、近くの小さな街へ買い出しへ行く程度でも喜んでいたカリナである。
いままで、二人で遠くの神殿に参拝というようなことは無かったのだ。
「王家の王族は、本当は六歳で太陽神殿へ行くものなのよ。カリナは十二歳になったから六年遅れだけどお参りにいきましょう」
「……でも、いいの?私たち、隠れてるんでしょ?」
「そうね、こっそり行くから大丈夫よ」
「そっか、ねえ、ルチも行ったの?」
「行ったわよ、ちゃんと六歳の時に。ちっちゃかったけどしっかりしていたわよ」
「覚えてないな…」
「そりゃそうよ、あなたはまだ二歳か三歳だったんだから」
「ねえ、アルボは連れていけないの?」
「魔法を使って森を駆けるから無理ね」
「そう……森を走るなら弓はいる?」
「持っていきましょう」
「食事は?」
「今日焼いたパンとチーズをもっていくわ」
「シトールは?」
「もっていくわ」
「むこうで歌うかな?」
「どうかしら。でも持っていきましょう、でも荷物になるからやめとく?」
「ううん!もってく!」
「ふふっ」
カリナは嬉しそうにして、荷物をまとめ始めた。
早朝、村を出て森に入るや、二人はすぐに魔法をつかい、駆け始めた。
村からは大人の足で二日はかかる距離であったが、森を抜ける風の魔法を使った二人は飛ぶように木々の間を抜けて行き、昼の前には、赤き城山が二人の前に壮大な姿を現した。
神殿までの山道を登りながら、タリアはカリナに昔話を聞かせた。
昔々この山が火を噴いたこと、神々の力が宿る聖なる地であること、そして竜が棲む湖の伝承も含め、カリナにとって新しい世界を見せるように語り続けた。
正午に近づくころ、ふたりは太陽神殿の前にたどり着いた。
そびえ立つ神殿の壮麗な建築に、カリナは息をのんでその荘厳さに見入っている。
「あれっ、入れないみたいだよ」とカリナが言う。
数人の門番が門の前に立ちふさがっているのだ。
それもそのはず、今日、夏至の日は太陽神殿では特別な祭礼がある日で一般の参拝者は入れない決まりなのだ。
タリアは残念そうにするカリナをつれて、そのまま神殿の門へ向かうと、神殿の門番は二人を見てすっと道をあけ、中へ通した。
「えっ、えっ、なんで?」と驚くカリナ。
門の中には神殿の神官が待っていて、二人はそのまま神殿の奥へと案内された。
カリナは、不思議そうにタリアの顔を見上げた。
「どうして?私たちがこんなところに?どうなってるの?」
タリアは微笑み、カリナの肩に優しく手を置いた。
「大丈夫よ、今日は特別な日だから」
実はタリアにも理由はわかっていない。
ソラン神官から連絡があったのか、それとも、星の導きによってここへ来ているタリアのように、太陽の神殿の誰かにも導きがあったのか。
いずれにしても、彼らはなぜか今日、この日にタリアたちが来ることがわかっていたようであった。
二人は、神殿最奥のもっとも神聖な間に通され、カリナはその中央にひざまずくよう指示され、そこで時を待つこととなった。
しばらくすると、年配の威厳ある神官があらわれ、祈りを捧げ始めた。
やがて正午を告げる鐘が神殿内に響き渡り、天窓から一筋の光が差し込み、祭壇を明るく照らした。
その光はまるで天からの導きのように降り注ぎ、カリナの体を温かく包み込んでいく。
ふいに、神の存在を感じさせる厳かな声が響き渡った。
『娘に加護を授ける』
その声は深く、力強く、そしてどこか温かい響きを持っていた。
居並ぶ神官たちは息を飲み、その場に平伏し、「太陽の女神アリエラの娘、カラディア王女、お待ちしておりました」と口々に喜びの声を上げ、神への祈りを捧げた。
カリナは、光に包まれたまま静かに目を閉じ、しばらくその神聖な力を全身に受け止めているようだった。
やがて光が収まると、カリナはゆっくりと目を開け、驚きの表情を浮かべながらタリアを見つめた。
「タリア、今のは…」
タリアは静かに微笑み、「カリナ、これであなたはアリエラ様の加護を正式に得たのよ」と語りかけた。
タリアはカリナの小さな体をしっかりと抱きしめ、その髪をそっと撫でながら語りかけた。
「カリナ、あなたはここで太陽神の教えを学ばなければならないわ。ここで学ぶことは、これからのあなたにとってとても大切なことなのよ」
「タリアもいるんでしょ、一緒に住むよね?」
タリアは首を振って答える。
「あなたの務めがここにあるように、私の務めが別の場所にあるのよ、ごめんなさい、カリナ」
カリナは小さな拳を握りしめ、タリアの胸元に顔を埋めるようにして涙を流し始めた。
「でも、タリアとずっと一緒がいいの……。タリアと一緒なら、どんなことでもがんばれるし、どんなに遠くても、いや、タリア、あっちの村でじゃダメなの?ねえ、タリア、おねがいよ」
タリアはカリナの頬を両手で包み込み、彼女の瞳を見つめた。そこには、不安と悲しみ、そして幼さが入り混じった複雑な感情が宿っていた。
「カリナ、あなたはとても強い子よ。そしてこれから、さらに強くなれるわ。けれど、そのためには、私と離れる時間が必要なの」
カリナは涙で濡れた瞳をこすりながら、かすかにタリアの言葉をかみしめているようだったが、それでもどうしても納得できない気持ちが伝わってきた。
「でも、ルチもいなくなって、タリアもいなくなって、私は……」
タリアは深く息を吸い込み、涙をこらえ再びカリナをしっかりと抱きしめた。
「永遠の別れではないわ。少しの間よ。あなたが太陽神の祈りを学ぶ間だけよ。待っているわ。あなたがこの神殿で得る力と知恵は、あなたを、そして私たちの未来を支えてくれるのよ」
カリナはしばらくじっと考え込むように目を閉じ、タリアの温もりを感じながら、その言葉を胸の中で繰り返した。
そしてようやく、震える声で、「また会えるんだよね?」と小さくつぶやいた。
タリアはその言葉に安堵の微笑みを浮かべ、カリナの頭を優しく撫でた。
「必ず会えるわ、わたしともルチとも」
「ああ、タリア……」
二人はそのまま長い時間、しっかりと抱き合い、心の中でお互いを励まし合っていた。
カリナは涙を流しながら、いつまでもこの瞬間が続けばいいと願っているかのように、互いの温もりを感じ続けていた。
やがて、タリアは静かにカリナの肩に手を添え、彼女の顔を見つめて優しく微笑んだ。
「そろそろ行かなくてはならないわ。でも、あなたは決して一人ではないの。いつも、あなたのそばに私たちの思いがあることを忘れないで」
カリナは涙を拭いながら、小さく頷いた。
そして、最後に「タリア、待っていてね。私はきっと、もっと強くなるから」と小さな声で約束を囁いた。
タリアはその言葉を胸に刻み込み、愛おしそうにカリナを見つめた。
カリナは神官に導かれ、神殿の奥へと進んでいった。
消えゆくカリナの姿を見送ると、ついにタリアは涙がこぼれてしまった。
愛おしい少女の小さな手が、自分のもとを離れていくと思うと、タリアの胸は張り裂けそうだった。
タリアは彼女がまだ三歳であったころからずっと一緒に過ごしてきたのだ。
侍女として、そして母として姉として師として。
タリアは涙を拭かず、そのまま神殿を静かに去った。
神殿の神官達は、去り行くタリアに深い敬意を込めて首を垂れた。




