第4話 成長
タリアは聡明で、家族や周囲の者たちに愛される子供だったが、実は誰にも知られていない秘密があった。
彼女は月の女神セレネリアから授けられた特別な予知夢をみる力を持っていたのだ。
それを知るのは彼女自身と月の女神セレネリアだけ。
セレネリアから『予知夢の力は誰にも教えてはいけない』と言われていたため、タリアはその力を隠し、普通の少女として成長するよう努めた。
タリアが六歳を迎えた時、彼女へ特別な教育が始まった。
彼女の教育は、外部に知られないよう、選りすぐりの信頼できる教師たちによって行われた。
タリアの元に王都の月の大神殿から送られた優秀な女性神官、ソフィア・オストロフスカがやってきた。
ソフィアは将来、王都の大神官となることが期待されている才能を持つ神官で、タリアの教育を担当することが特別に命じられていた。
彼女は、タリアに神官としての知識や礼儀作法、さらには月の女神の魔法を伝授する役割を担った。
「タリア、今日からあなたには多くのことを学んでもらいます。でも、これらの知識は優秀な神官だけが得ることができる知識なの。だからここで教わることは誰にも秘密よ」
ソフィアはそう言って、タリアに神官としての基本的な魔法を教え始めた。
月の女神セレネリアの魔法は、心優しき女神らしく、癒しの力や守護の結界の魔法であったり、戦士たちを応援したり、中には歌を歌って心や体を強める魔唱と呼ばれる歌の技法もあった。
他にも闇に穢された魂を天に返す祈りや、秘伝として聖なる雷で悪を撃つ強力な魔法まで、たくさんの魔法を、惜しみなく伝授してくれた。
「これは、基本的な守護の結界の術よ。自分や大切な人たちを守るために使うの」
タリアは驚くほど早くソフィアの教えを覚え、魔法を使いこなしていった。ソフィアはその成長ぶりに驚いた。
さらに、ソフィアはタリアに神殿騎士に伝わる護身術も教えた。
これは、体術や杖術、生存術など、危険な状況に直面したときに自分を守るための技術だった。
ソフィアは実戦的な訓練を重視し、タリアに身につけさせた。
「セレネリア様は刃のついた残酷な武器を好まれていないの。だから私たちは刃のない武器である杖を使った杖術を研鑽してきたのよ。杖術は弱そうに見えるけど、工夫されていて、上手く使えば、厚い鉄の鎧を着た戦士だって倒すことができるのよ。魔法を使えない時でも、体術や武器を使って自分を守れるようになりなさい」
杖を使った訓練はタリアにとって興味深いものだった。
彼女は、現代日本での武道の訓練と似た感覚を覚え、それを楽しみながら学んでいった。
タリアは軽い調子でソフィアに話しかけることもあり、ソフィアもまたタリアの無邪気な姿に微笑んだ。
彼女の訓練は徐々に難しくなったが、しばらくすると体が十分に育ったとして、森での生存訓練も取り入れられるようになった。
月の女神セレネリアは森の守護者でもあり、ソフィアはタリアに自然の中で生き抜くための技術を教えた。
「森で魔法や道具を使わず森にあるものだけで火をおこす方法、役に立つ薬草の見分け方、水を見つける方法……危険な獣たちから身を隠す方法もこれらはすべて、あなたが一人で生き抜くために必要な技術よ」
普通の貴族の子弟であれば、このような訓練を行うことに拒否反応を示すのが普通であるのに、タリアはそうではなかった。
まるで自分に必要なことであるかのように真剣に学んでいった。
ソフィアの指導のもと、タリアは森での生活を楽しむようになった。
森での訓練が進むと、ソフィアは他にも腕利きの狩人を連れてきて、いろいろな技術を教えてくれた。
弓矢の扱い方や、用心深い動物を追跡する方法、それに気配を消す方法など多くの技を覚えるにつれ、彼女は狩人として森で過ごすことが大好きになった。
タリアは貴族の娘とは思えないようなことを平気で行った。
それは食べられる草やキノコを探したり、動物をしとめることができる木の根の毒を使う方法や、研究を重ね、動物ではなく人間の追手から痕跡を隠しながらすばやく移動する方法まで、タリアは幼い体に様々な知識を詰め込んでいった。
一方、歴史や経済、地域の風土に関する知識は、地元で隠遁生活を送っていたヴィクトール・グリンスキーが担当することになった。
彼は名高い学者であり、長年にわたり王国の歴史と文化に関する研究を続けていたが、驚いたことに、彼が信じる歴史の神が夢に出てきて、領主の娘に教えを授けるように命じたという。
神からの言葉を受け取った。
彼はそのことに強い衝撃を受け、使命感を持って伯爵の屋敷を訪れ、タリアの教師となることを懇願した。
「歴史は繰り返される。だからこそ、過去を学ぶことは未来を知る手がかりとなるのだ」
ヴィクトールの授業はタリアにとっても興味深いものだった。彼は王国の歴史や政治、経済の仕組み、さらにはこの地域特有の風土や文化について深く教えた。
タリアは、日本で学んだ知識と比較しながら、新しい世界のことを理解しようと努めた。
(織田信長は……出てこないわ)
(日本でも歴史の授業はあったけど、こっちの世界は全然違うなぁ。また覚え直しね……)
時折、日本のことを思い出しながらも、タリアは目の前に広がるこの新しい世界の知識を吸収し続けた。
さらに、タリアの父ダグラスの実妹で、タリアの叔母に当たるエレオノーラが、貴族としての礼儀作法や貴族社会の振る舞いについて教える役を担った。
エレオノーラ夫人は子爵に嫁いでいて、かつて王城で優秀な侍女として仕えた経験を持ち、タリアに厳しくも丁寧に指導した。
「タリア、貴族の礼儀作法はあなたを守るための鎧のようなものよ。きちんと身につけておきなさい」
エレオノーラ夫人の指導は、タリアにとってやや厳しいものだったが、彼女はそれを真剣に受け止め、努力を惜しまなかった。現代日本で培った社交性と知識が、彼女の成長を後押ししていた。
(これはなんだか、礼儀っていうより、ビジネスマナーみたい。どっちにしても、覚えておいて損はないよね)
タリアは、こうした軽い気持ちで礼儀作法を学んでいたが、その裏では、どこかでこれが将来役立つ場面が来ることをうっすらと感じ取っていた。
それがいずれ自分を救うことになることも、タリアの胸の中でかすかに予感していたのかもしれない。こうして、タリアは予知の力を隠しながらも、信頼できる教師たちによって着実に成長していった。
彼女の存在は極めて限られた者たちにしか知られておらず、その秘密は守られていた。
タリア自身も、自分が特別な力を持つ存在であることを理解しながら、それを周囲に悟られないように慎重に振る舞っていた。
伯爵家と月の神殿に仕える神官たちのごく一部の者と教師だけが、タリアが特別な存在であることを知っており、彼女の身を守るために、タリアが神から才能を与えられた極めて優秀な生徒であることは徹底的に秘匿され、よくいる一般的な貴族の子女程度の才能であることが周囲に広まるように努めていた。