第39話 森の焚火
北の砦での戦いの後、すぐに戦場を去ったタリアは、ひとり静かな山道を村へと急いでいた。
冷たい風が頬をかすめる。
昨日の戦いの緊張がまだ残っていて、タリアの耳には獣人の咆哮や剣の音がかすかに蘇るようだった。
(獣人は撃退したけど、何体も逃げたから…村までは来ないと思うけど…念のため)
タリアは、逃げた獣人が村を襲うことを心配して、急ぎ帰ることにしたのだ。
数日の旅をして、家々と村人たちが見えたとき、ようやく安堵が胸に広がった。
家の扉をそっと開けると、待っていたカリナが駆け寄ってきた。
「おかえり、タリア!」
彼女はその小さな体をタリアの胸に寄せ、無事の帰還に胸をなでおろした様子だった。
「ただいま、カリナ。心配かけたわね」
タリアは微笑みを浮かべ、カリナの肩に優しく手を置いた。
「ねえ、どんなふうに戦ったの?教えて!」とカリナは興味津々に目を輝かせた。
タリアはしばし迷ったものの、戦場での出来事を静かに語り始めた。
強力な獣人を押し返す伯爵軍と、タリアが使った女神の加護の魔法や、傷を負う兵士たちの話など、カリナはまばたきもせずに聞き入り、時折小さく息を飲むその姿に、幼い日の彼女が思い出された。
やがて話が終わると、タリアの心にはある予感がよぎっていた――この娘も、やがて自ら戦いに赴く日が訪れるのかもしれない。
今はまだ未来はわからないが、将軍という敵がいるのであれば、それは必ずやってくるだろう。
砦の戦いから数日後の真夜中、タリアとカリナは同じ瞬間に目を覚ました。
夜の静寂を破るように、「敵の発見の魔法」が反応したのだ。
タリアは体を起こし、カリナと目配せを交わすと、小さな声で告げた。
「獣人かも」
「北の森だね」
「行こう、弓を」
カリナは短く頷き、素早く弓を手に取って夜の森へと走り出した。
タリアも弓を持って、自らに強化の魔法をかけると森へと急いだ。
鋭い知覚を持つ獣人に気づかれぬよう近寄るのは難しいが、気配を消したこちらに獣人が近づいてくるのであれば話は別である。
タリアたちは十分に離れた位置から、聞き耳、気配消し、遠視、夜目、身体強化、強矢の魔法をかけ、待ち受けた。
森の中、カリナは冷たい夜風を背に木に登り、枝に身を潜め、まるで木の一部になったかのように気配を消した。月の光がわずかに木々の隙間から差し込む中で、カリナは弓を構えじっと待ち構えている。
(まかせて)
彼女の念話がタリアの頭に響く。
その短い言葉には、小さな体からは想像できないほどの強い決意が込められていた。
タリアは一瞬迷ったが、彼女を信じることに決めた。
(わかったわ)
タリアは念話で告げた。
時間がじりじりと過ぎ、タリアの耳にかすかな足音が徐々に近づいてくるのを感じていた。
冷たい空気が彼女の肌に触れる中、獣人の息遣いが近づいてくるのを感じ、カリナが弓を引き絞ったまま、気配を感じさせぬよう息を殺した。
木々の隙間から猪の獣人の姿を見た。少し怪我をしているようだ。
おそらくは、北の戦いで負けて逃げた一体だろう。
やはり、ここまでくるものがいた。
まだ遠い、とタリアは思っている距離であったが、カリナは静かに弓を放った。
よく手入れされた弓から音もなく放たれたカリナの矢は、夜の闇を進み、獣人の首元を貫いた。
獣人は一瞬体をよじらせたが、かすかな呻き声をあげると、そのまま地に沈んだ。
(ふう、やったよ、タリア!)
カリナが念話で伝えてくる。
どこか誇らしげな声には、少しばかり褒めてほしいという気持ちが滲んでいる。
(見事よ、カリナ。でも、まだ油断はできないわ。他に仲間がいるかもしれないから気をつけないとね)
タリアが慎重に応じると、カリナも再び息をひそめて、周囲をじっと見渡した。
(ところで、この死体はどうしよう?)
(獣人たちは、仲間の死を察知すると、必ず報復に来ると聞いたわ。見つからないようにしたいところね)
(なら、埋めるしかないね)とカリナは小さく息をつく。
(……朝になったら葬りましょう)
結局、それ以後、獣人が村の近くに来ることは無かった。
カリナが猪の獣人を射た日から数日が過ぎたある夜。
夜、山の見回りをするとカリナに告げて出てきたタリアは、ひとり焚き火の前で静かに座り、燃え上がる火の揺らめきに目を細めていた。
彼女は考え事をするとき、山の中で一人、焚火を見つめることがあった。
タリアは暗い夜空に浮かぶ星々を見上げながら、カリナのことを思い浮かべていた。
獣人との戦いで見せたカリナの冷静な判断と弓の腕前は、幼い日の彼女の姿を知るタリアにとって、胸に刺さるような驚きと感動をもたらした。
タリア自身は、弓で強靭な獣人を一撃で仕留めることが出来るかどうか自信が無いのだ。
まさか、カリナが、手負いとはいえ獣人を一撃で仕留めるとは。
なにより、タリアを驚かせたのは、カリナは、自分が一撃で獣人をしとめることが出来ると、自分の強さを知っていたことであった。
あの小さな少女がここまで成長するとは……
それはなんと素晴らしいことだろうか。
まだ小さかった頃のカリナを思い返し、タリアの心には感慨があふれてくる。
だが同時に、カリナが自分の力を越え、さらに成長していくためには、タリアには教えられないことが多くあることも痛感していた。
月の女神の魔法はほぼ授け終えた今、カリナには新しい師が必要なのだ。
それに、なにより彼女は太陽と月の姉妹神からの二つの加護を持っているのだ。
今のカリナには、タリアでは教えられない太陽神の祈りや神々の加護を得るための修行が必要だなのだ。
他にも、カリナがこれから王女として将軍派と対峙し、軍を率いるのであれば、騎士や将軍としての力や知略も学ばねばならない。
ルチが、村を離れたのは十二歳の時で、カリナも十二歳となったのだ。
(今がその時なのね……)
タリアは星からの導きにより、カリナの次なる修行の場が北の聖地『赤き城山』であることを示されていた。
かつて『力の地を見つけるべし。近からず遠からず』とのお告げを受けていたのだ。
村から北にあるその大きな山は、かつて火を噴いたこともあると言い伝えられており、太陽神、火の神、土の神が祀られた神殿が連なる霊山である。
さらに、山の中には古くから「竜の棲む湖」と伝えられる場所もあり、神秘の力が集まる場として地元の人々に崇められていた。
(月にも星にもよくきいて、最善の道を選ばなきゃね……)
ぱちり、と小さな音がして、くべたばかりの小枝がはじけ火の粉が舞った。
その火の粉をタリアはじっと見つめていた。




