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第38話 伯爵軍

春が近いある夜。


(ひどい夢…)

タリアは夜中に悪夢の恐怖で目覚めてしまった。


(これは……ただの夢ではない。近い未来の、現実だわ、間違いない……)


今までの経験から、今みたのは予知夢であるとタリアは確信を持っていた。


横で静かに眠るカリナは穏やかな寝顔だ。

やはり、予知の力はカリナにはなく、タリアだけに与えられているようだ。


タリアはカリナに夢で見た光景を見せずに済んだため、安堵した。


しかし、これほどひどい夢は、王都で王妃たちを救えなかった時に見た夢以来である。


いま見たばかりの凄まじい光景がタリアの胸を深く締めつけている。


――この村よりも北の暗い森の奥から地響きのような足音と咆哮が鳴り渡り、無数の獣人たちが夜闇の中から襲い来るのだ。

そして村々を襲い、砦を潰し、領主を殺し、国中に散らばり何年もこの地の人々を苦しめる。

獣人は牙を剥き、逃げる人々を捕らえて喰らう。


その姿があまりに生々しく、タリアは思わず震えた。


夜の静寂が村に広がる中、寝床をこっそり抜け出したタリアは、ひとり小さなセレネリア像の前でひざまずいていた。

そこで恐る恐る占いの儀式を行ったものの、結果は予感を裏切らなかった。


星も月も、いずれも凶兆を示している。


しかし、予知を見た、ということは、まだ未来を変えることが出来るということでもある。

タリアには、いままで変えられなかった未来もあるが、変えたこともある。


タリアは村の守護をカリナに任せ、自ら北へ向かう決意を固めた。


明け方、タリアはすべてをカリナに伝えた。


もちろん十一歳の少女は驚き、そして涙ぐみ、「私も一緒に行く」と懇願したが、タリアには、もし彼女を同行させれば、死が降りかかると、月から教えられてわかっていたのだ。


タリアはカリナの頭を優しく撫でた。

「カリナ、ここにいて。私が帰るまで、この家を守るのよ。それが、今のあなたにできる最も大切な務めだから。どうかお願いよ」


その言葉をどうにか飲み込んだカリナが、小さく頷いた。


幼いころの彼女であれば、それでもいやだと言ったかもしれない。

しかし、カリナは成長し強く、賢い子に育ったのだ。


「必ず無事で戻ってきてね」と繰り返し言って、彼女はタリアを見送った。


家を後にしたタリアは、冬が終わったばかりの朝の冷たい風に背を押されるように北へ向かって歩を進めた。


――その後、道沿いの幾つかの村で聞いた噂は、彼女が見た夢と符号していた。


グンマー伯爵領の北部で次々に村が襲われており、ついには砦が獣人に包囲されたとの報せもあるようだ。


伯爵は急ぎ貴族たちに招集をかけ、領内の神官にも協力を要請したと、立ち寄った小さな街の神殿の神官が教えてくれた。

「男爵が守る北の砦に伯爵が救援軍を率いて向かっているようです」とのことだ。


(急がなきゃ…間に合わないかもしれない)

彼女は道を外れ、森にはいると魔法を使い、急ぎ、夢で見た北の砦に向かって走った。

急がねば、あの夢が正夢になってしまうと思ったのだ。


北部に到着すると、男爵が守る砦があるという山から少し離れた村に兵が集まっていた。

村人たちはすでに砦に避難済みで無人となっていて、兵士だけがいた。


伯爵自らが率いる兵士たちは、騎士や従士を含めても二千人ほどである。


敵の獣人は五百体以上というのが本当であるならば三千人の兵士がいなければ危険な数である。


もし二千人で戦うのであれば、たとえ勝ったとしても、多くの犠牲を覚悟せねばならないだろう。


だが、今ここで砦を見捨てるわけにはいかない。

砦は獣人の軍に包囲されて数日経過し、もう、もたないと言われていた。


砦の中には兵士だけではなく、近隣の人々が避難してきているのだ。

獣人が門を破って侵入すれば、まさに、タリアが夢で見た凄惨な虐殺が行われるだろう。


タリアは「領内の月神殿の神官、タナ」と名乗り、義勇兵として加わった。


それはもろ手を上げて喜ばれることであった。

癒しの力を持つ神官は戦場において何より貴重であり、兵たちは皆、彼女の来訪に感謝と敬意の念を込めて接した。


タリアの他にも、城から来たという何人かの神官たちもいて、彼らと共に戦いを待つこととなった。


しばらくすると、何人かの兵士がやってきて、タリアの手を取って感謝を伝えた。

この地の出身だという兵士たちだ。

もしも砦が破られれば、彼の家族や縁者がみな、獣人の手にかかってしまうのだ。

彼らの真摯な眼差しに、彼女もまた気持ちを新たにする。


すぐ翌日の早朝、伯爵は砦の守りが限界となるぎりぎりまで兵の集まりを待っていたようだが、ついに、砦が危ういと見て兵を動かした。


男爵が守る砦を包囲する獣人と、それを打ち破るべく集まった伯爵軍との激しい戦いが幕を開けた。


夜が明け切らぬ薄暗い中、前進する兵士たちの前に、砦周辺から地鳴りのような足音と共に、獣人たちが現れる。


咆哮(ほうこう)(とどろ)く。


獣人の姿が近づくにつれ、兵士たちの顔にも恐れと緊張が浮かぶ。


タリアは神官としての務めを全うすべく、負傷兵が運ばれる後方に陣取り、手当の準備を整えた。


前線の兵たちは剣や槍を構え、次々と押し寄せる獣人たちに立ち向かう。


獣人は人間の三倍の強さがある。

あっという間に走り寄り、大きなこん棒で兵士を横に薙いだり、自慢の爪で鎧ごと切り裂きもする。

大声で吠え、威嚇したかと思うと、飛び去り、そうかと思うと、横から、後ろから跳びかかってくるのだ。


彼らの壮絶な戦いぶりに、タリアは胸を潰した。

獣人の群は飢えに駆られ、異様なまでの戦意に燃えている。


凶悪な目つきで斧や爪を振り下ろし、倒れた兵士を喰らう者までいる。


敵は強く、味方は少なく、このままでは伯爵軍は敗れ去り、夢で見たようになってしまう。


(彼らを守らなくては……でも、あまり目立つことはすべきでないのだけど…それでも…)


タリアは、そっと戦場の後ろに下がり、なるべく目立たぬようにと願いながら月の女神セレネリアに祈りを始めた。


「――セレネリアよ、闇を照らす月の女神よ、(きよ)き光をもって我らに力を授けたまえ。おお、銀の光は心の曇りを拭い、我らの恐れをも薄める。その輝きにて、我らの手は剣となり、我らの心は盾となるべし。月よ、昇り来たりてその導きをお与えください。天に輝く真白き月のごとく、我らに戦の道を照らしたまえ。戦場に集う我が仲間に、速き風を、揺るぎなき力を与えたまえ。(きよ)き月の加護を、いまここに――」


「月光は我らと共にあり!女神の名のもとに、恐れを忘れ、力強く立ち向かえ!」


――第六位階の祈りの力が、青白い光となって戦場を覆っていく。


以前、ソフィア先生はタリアに言った。

「月の女神の魔法は、守りこそ神髄(しんずい)よ。愛するものを守って戦うものにその加護を与えるのです」


ソフィア先生から説明では、この祈りを使うと、一定の時間、味方の恐怖が薄れ、戦意が上がり、攻撃力も守備力も上昇し、移動力や行動速度までも向上する、しかも効果範囲は味方全体という抜群の効果があるというのだ。


第六位階の魔法で、高位神官でも魔法陣をつかわないと発動が難しい、とても難しい魔法とのことだったが……どうだろうか。


(ちゃんと効くかしら……お願い、セレネリア様……)


幸いに、朝だが、月はまだ空に残っている。


タリアが効果を見守る中、兵士たちの体に清らかな月光の加護が行き渡ってゆく。

その光は一人ひとりを(おお)っていった。そして彼らの心に勇気をもたらしていた。


戦場に大きな喊声と怒声が響いた!

加護の力に興奮した伯爵軍の兵士たちが自然に声を上げたようだ。


その後、兵士たちは驚くべき奮闘を見せ、次々と獣人を討ち倒していく。


タリアは祈りの力が兵たちに伝わるのを感じ、ほっと胸をなでおろした。


大魔法が効いたとて、獣人は強く、凶暴である。


前線から次々と運び込まれてくる多くの負傷兵を目にして、タリアは他の神官たちと共に、すぐに彼らに駆け付け、治癒の魔法を施し始めた。


戦場で受ける傷の多くは深く、骨に達するものも少なくない。


大呪文で疲労しているとはいえ、まだまだ魔力が残っているタリアが癒しの祈りを行う。

タリアの胸に抱かれ、手当てを受け、傷が癒えた兵士たちは、疲労を抱えながらも、すぐに戦場へ戻って行った。


やがて、戦いは終わりを迎えた。

当初の予想に反して、伯爵軍は多くの負傷者を出しつつも敵を打ち破り、砦を囲んでいた獣人たちは力尽き、散り散りに逃げ去った。


兵士たちは無理に追撃をかけず、砦を取り巻く防衛陣を再整備しつつ、野営地へと戻っていった。

解放された砦は、門を開け、伯爵軍を迎え入れ喜びを分かち合った。


戦闘の喧騒が終わり落ち着きを取り戻す。

タリアは他の神官たちが魔力を使い切る中で、最後まで癒しの祈りを捧げ、負傷した兵士たちの手当を続けた。


献身的に祈りを捧げ続けるタリアの姿を、兵士たちは皆、感謝の眼差しで見つめていた。


伯爵軍はそのまま野営を行い、タリアも神官や兵士たちと共に夜を過ごした。


夜明けと共に、タリアは野営地の朝食の準備を手伝っていた。


火を起こし、ささやかながら兵士たちに温かい粥を振る舞い、癒しきれず、いまだ動けない重傷の兵士には手ずから食事を与えるなど、一心に彼らの世話を焼いていた。


彼女の手にかかるたび、兵士たちの苦痛が少しずつ和らぎ、彼らは静かに目を閉じ、感謝を捧げた。

小柄で美しい()()()()が、てきぱきと小気味よく働く姿は、周囲の兵士たちに安らぎを与えていた。


その献身的な姿を遠くから見守っていたのは、グンマー伯爵をはじめとする騎士たちであった。

彼らの表情には一種の敬意が浮かび、何かを深く思い巡らすように、タリアの姿を見つめ続けていた。

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