第37話 狼と王女
森は静まり返り、秋の冷たい風が木々の間を抜けていく。
木々も葉を落としはじめ、秋は深まりつつある。
タリアたちは食料を増やすため、毎日のように山へ入っていた。
今年は森の恵みも例年より少なく、鳥や獣たちの気配も薄い。
この地では胡桃や山栗、コクワやツノハシバミ、クロモジの枝なども山の幸として村人の貴重な食料となっている。
タリアが現代日本で星空として生きていた時は見たこともなかったし、ましてやそれらを食べることなど想像すらしなかったものまで探しているが、それでも、それらの実りは多くは得られなかった。
収穫のない日もあったが、タリアとカリナは獣人への警戒を怠らず、狩りを欠かさなかった。
タリアたちの心配をよそに、獣人たちは現れない。
時折来る商人や旅人から、タリアたちの住む集落よりもさらに北方に獣人が現れ、領主の軍が出動したという噂が伝わってくるだけであった。
そして年が明け、冬も終わりが近づいたある日。
いつものように警戒を兼ねて狩りに出たタリアとカリナは、「聞き耳」の魔法で遠くに人の気配を感じ取った。
(誰かいるよ)
(わたしにも聞こえたわ)
(見に行こう)
(魔法を忘れないでね、気づかれないように)
その言葉にカリナは、素早く自らに魔法をかけなおした。
気配を消す魔法、遠くを見る魔法、そして悪を発見する魔法だ。
彼女の魔法の腕前は、同じ年頃のタリアを上回るほどで、タリアには他に弟子はいないが、この上なく優秀な生徒であると感じていた。
音の聞こえる方へしばらく進むと、かすかな足音と断続的な話し声、金属がぶつかり合うがちゃがちゃとした音が聞こえてきた。
二人は慎重に気配を消し、音の方へ進んでいった。疲労困憊した十人ほどの兵士たちの姿が木立の隙間から見えた。
皆どこかしらに傷を負い、槍を杖にしたり、肩を貸し合ったりしながら、足を引きずるようにしてゆっくりと移動していた。
先頭の一人の鎧に刻まれた家紋に気づいたタリアは、カリナに念話を送った。
(伯爵家の騎士だわ)
かつて侍女として貴族の家紋を学んだタリアには、先頭の騎士が身につけている山・月・星・狼の黒い紋章が、この地の領主であるグンマー伯爵ラングフェルト家のものであるとすぐにわかった。領主の兵士たちがこんなに傷を負いながら森をさまよっているのは、ただ事ではない。
(どうする?)とカリナ。
(…獣人と戦闘があったのでしょうね。助けてあげたいわね)
(出て行くの?)
(姿を見せずに何とかしたいわ)
(うん……)
処刑された『悪の王妃の息子と娘とその仲間』には今でも多額の懸賞金が掛けられている。自分たちのことを知る人間は一人でも増やさず、時が来るまで潜まねばならないのだ。
(なんとかして、陰から助けましょう)とタリアはカリナに念話で囁いた。
(どうするの?)
(もう少し様子を見て、何が出来るか考えてみましょう)
(わかったわ)
兵士たちの会話に耳を傾けていると、どうやら彼らは散り散りになった仲間と合流しなければならないようだった。
(本隊が別にいて、はぐれちゃったみたいね)
(じゃ、探して連れて行ってあげましょう)
(それがいいわね)
タリアが本体を探しに行き、カリナがこの兵士たちに気づかれぬよう見守ることにした。
タリアは、森を抜ける風の魔法を使い、素早く移動を始めた。
幸いにも山一つ越えた向こう側に、本隊が集結して休息しているのをすぐに見つけることが出来た。彼らも傷つき、疲れ果てているが、なんとか持ちこたえているようだ。
どうやってそこまで導くかを相談し、カリナの案で狼を使うことにした。
月の女神の神話では、狼は女神の眷属であり、森の守り神であるとされている。女神から神官に授けられる魔法の中には、狼と意思を通わせる祈りがあるのだ。
カリナたちは森にすむ狼を探し出し、兵士たちが進む先に案内する役目を頼むことにした。
こういった魔法において、タリアよりも腕のあるカリナが、狼に念話で話しかけた。この魔法は、あくまでも「森の友として狼と友好的に話をする」ためのものだ。
呼び出された狼は、はじめ、人間の前に出ることを喜ばず、あまり乗り気ではない様子だったが、カリナとの交渉の末「鹿一頭」で手伝ってくれることになった。
伯爵家の守護神は月の女神であり、中でも女神の眷属である月狼を自らの先祖と称して信仰している。
隊長と兵士たちは狼の姿を見て、神の導きを信じて進むだろう、とカリナは考えたのだ。
(だ、大丈夫かしら…)
(大丈夫よ、タリア、心配しないで)
カリナはそう言うのでこの方法をとってみたが、タリアは少し不安だった。狼を見て大声を上げたり、槍を投げつけたりしないだろうか。
カリナの指示で狼が彼らの前に姿を現すと、兵士たちは一瞬驚いた様子でざわめいた。
兵士たちにはわからないと思うが、狼自身も少し心配げな様子である。
しかし、カリナに押し切られる形で参加したとはいえ、「鹿一頭」の報酬はなかなかである。
与えられた役割はしっかりと果たそうとしているようだ。
狼は兵士たちの前に立ち、意味ありげに見つめると、本隊の方へ歩き出し、少し進んでから立ち止まって兵士たちを待つような仕草を見せた。
それを見た兵士たちは互いに相談し、神の導きと考えて狼について行くことにしたらしい。
皆、不安を口にしていたが、隊長である騎士が「月狼が我が家の守り神で、我らは月狼の子だ」と言い、ついていくと決めたのだ。
彼らはぞろぞろと狼のほうへ歩き始めた。
(ほらね、大丈夫でしょう)
タリアとカリナは、念話と魔法を使いながら、狼を誘導して兵士たちが迷わぬよう手助けを続けた。
兵士たちは狼の先導に従い進んでいき、ついに仲間たちが待つ場所に到達した。
狼は用が済むとお役御免とばかりに走り去っていったが、去り際にカリナに『鹿のこと、忘れるなよ』とでも言いたげな視線を送った。
合流した兵士たちからは安堵の声が上がり、タリアとカリナはその様子を遠くから見守り、気づかれることなく森の奥へと静かに姿を消した。
(よかったね)
(そうね)
(……どうしたの?)
(鹿、取らなきゃだよね)
(そうだったわね…)
この山で獣人と兵士が争ったならば、鹿は逃げ散っているに違いない。
二人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。同時だったのが面白かったのか、二人はくすくすと笑い出した。
しかし、領主の兵がタリアの住む村の近くまで来て激しい戦闘があったということは、この近くに獣人が来ていた証拠でもある。
ここは村から山三つしか離れていない場所。兵士たちが追い払ってくれたようだが、油断はできない。
タリアとカリナは、獣人が来た時に戦うための準備として、月の女神の魔法で戦闘向きの祈りの練習をしているが、セレネリアは心優しい神のため、暮らしに便利な魔法や、癒しと守りの魔法が多く、攻撃に適した魔法はごく少ない。
強力な獣人に二人だけで立ち向かうには不安が残る。二人で体術、棒術、弓矢の練習もしているが、どこまで通用するかはわからない。
もし村に獣人が現れたらどうしようかと、タリアは常に不安を抱いている。
そのため、この秋から冬にかけては星観と月詠を欠かさず、危険の察知に努めてきた。
今回、兵士が来たことを予知できなかったということは、重大な危機ではなかったのかもしれない。
(カリナを守り育てるのが私の使命…)
タリアはカリナを見る。
この少女は、正式にタリアの弟子となってから、驚くほど早く、強く成長している。
今や月の女神の魔法の技量はタリアに並び、間もなく上回るだろう。
体が成長すれば、狩りや体術、棒術もさらに上達するだろう。
そうなれば、タリアとの修業も終わる。
カリナには、月神だけでなく太陽神の加護もあることが、以前の星観で明らかにされた。であるならば、太陽神の祈りも身につけなければならない。
タリアのもとを去る。
その時はそう遠くないのかもしれない。
タリアとカリナは十二歳の歳の差があるが、今日のカリナは、森での動きは十一歳とは思えぬほどしっかりしていた。
彼女は頭がよく、勇気もある。
カリナは成長するにつれ、亡き王妃によく似てきている。
王妃は常に硬い表情をしていて冷たい印象だったが、カリナはよく笑ってくれる。
笑顔のカリナを見ると、亡き王妃も笑うとこのような表情だったのかと、胸が締め付けられる気持ちになることがある。
そんな時は、その気持ちの仕返しとばかりに、彼女を思い切り抱きしめてしまうことがある。
この時もそうしてしまった。
カリナは「ちょっと、何、タリア、急に」と笑って彼女の急な抱擁を受け止めてくれた。
タリアは、我ながら威厳のないダメな師匠であるとは思っている。
「ねえ、タリア、はやく鹿を探さないとだよ!狼が村まで取り立てに来たら大変だと思うわ」
カリナはそう言ってタリアから離れ、森の奥へと駆け出していった。




