第23話 森の中の星たち
秋の山は季節が早く進む。
初秋の山の夜は街のものが思う以上に冷え、焚火の暖かさが明るさ以上の安らぎをもたらしている。
追手を避けるため王都から東へと向かい、過酷な山道を三日がかりで進んできたタリアと王太子ルチアーノとその妹カラディア王女の三人は、今夜も暗闇に沈む森で身を寄せ合い、休息の時を迎えていた。
空には月がなく、星が幾重にも瞬いている。
小さな焚火がかすかな明かりを灯し、寄り添う三人の顔をわずかに照らし出していた。
「ふぅ……」タリアはゆっくりと息を吐いた。
(こうしていると、ソフィア先生と過ごした森を思い出すな)
(あの時は、自分が子供だったけど、いまは……)
彼女の腕の中には、ルチとカリナが疲れ果てた表情で寄りかかっている。
彼らの旅は、未だ目的地も定まらぬまま、険しい道のりを続けていた。
わずかな食糧と限られた水、そして慣れない山の生活は、幼い彼らにとって過酷であり、タリア自身も深い疲労を感じていた。
ルチは今日も、なるべく自分の足で歩こうとした結果、疲労が蓄積していた。
王宮での過保護ともいえる、快適な生活から一転し、冷えた山の中で過ごす数日は、心も体も幼い彼にとっては大きな負担だった。
タリアがルチの顔を見つめると、そんな彼女に気づいたのか、「タリア、ぼく、ちゃんと歩けてるかな?」と小さな声で問いかけてきた。
「ええ、よく頑張ってるわ。ルチは、とても勇敢な王子様よ」とタリアは微笑みながら答え、そっと彼の背中を撫でた。
ルチは少し安心したのか、さらにタリアに身を寄せて目を閉じた。
日中はずっと背負われたカリナも、いまはタリアの肩に頬を寄せて、森の静寂の中でまどろんでいた。
彼女は四歳と幼く、今まで温かく守られた生活しか知らなかったのだ。
この森の旅のはじめこそ泣いていたが、けなげにも耐えて歩くルチの姿に思うところがあったのか、しばらくすると泣くのをやめ、タリアの背でおとなしくするようになっていた。
タリア自身、二人の存在に心強さを感じていた。
(王族とはいえ、こんな幼い二人が頑張っているのに……しっかりしなきゃ)
そう思うことで、タリア自身も少しずつ落ち着きを取り戻していた。
タリアは二人を腕の中に抱き寄せ、温もりをもたらす小さな焚火を見つめながら思案を巡らせていた。
目の前にあるのは、持ち出した最後の「石より少し柔らかいパン」だ。
硬く焼き固められたこのパンは、過酷な状況で役立つ非常食だが、それも残り少ない。
もって2日分といったところだろうか、いずれ狩りをするか、街に寄って補給をしなければならない。
(でも、どの街に行けば安全なのか分からない……)
まだ王都の近くを抜けておらず、どこで追手に出くわすかもわからない。
それに中央部の諸侯には王妃派もいれば、将軍派もいる。
彼らの勢力が複雑に絡み合う中、誰が味方で誰が敵なのかを確かめる術がない。
今の自分たちに必要なのは、裏切りのない隠れ場所や、護衛してくれる味方のいる地を探すことだった。
行先として、最もよいのは西である。
王都から二つの貴族領を越えれば、そこはもう、タリアの父が治める伯爵領で、そこに行けば安全は保障されるし、その西には二人の母である王妃の実家の侯爵領があり、彼ら二人を喜んで保護してくれるだろう。
その他にもタリアがよく知る王妃派の貴族が多く、行くべきは西なのである。
しかし、将軍派が、王子と王女の行方を追うなら、まず最初に封鎖するのは西への道だろう。
それに、この前、王の狩りの時に、タリアが使った「悪を見破る魔法」で、悪意を持った存在を見破ることが出来なかったのだ。
どんな力を使われたのか、もしもタリアの魔法が通じないならば、なおさら西の国境を突破するのは難しいだろう。
魔法が通じなかった。
そのため、反乱の発生を察知するのが遅れた。
…考えても意味のないことではあるとわかっているのだが、もしも、を考えずにはいられないのだ。
もしも、もっと早く反乱に気づいて、王子を無事に城へ連れて帰ることが出来ていれば、と。
そうすれば、城の守りを固めることができたかもしれないし、王妃もロザリナも仲間たちもみんな一緒に脱出できたかもしれない。
そんな風に考えずにはいられないのだが、それがもうどうしようもないことだと言い聞かせ、今、何をすべきかということに集中しなければならない。
(いまは、そう、どこに行くかを考えなくてはいけないんだ…だめよ、余計なことを考えては…後悔は後にしなきゃ)
(街に詳しい素敵なおにいさんも、西はやめておけと言ったしね……)
(私の占いによれば、彼は善で、正だ。ここは従うべきよね……実際、なんか義理堅かったし)
では、どうするべきか。
中央の領主たちは、敵か味方かどうかも分からない以上、彼ら全員を避けるしかない。
西には行けないし、南は将軍の所領そのものだ。
残るは東しかないのだ。
では、東はというと、東の領主たちは王家に反抗的であるが、将軍派ではなく、今回の騒動には中立の立場をとることがあるかもしれない。
しかし油断はできない。
三人を捕らえて、将軍派に突き出して、交渉を有利にすすめる手立てにしてしまうことがあるかもしれない。
(ふぅ、一体どこに行けばいいのかしら……)
パチリと音を立てて、焚火にくべた小枝が割れ、火の粉が宙に舞ったのをタリアは見上げた。
ふと、火の粉のもっと上にある星空に気づいた。
今日は月のない星夜で、あたりはただ暗闇に包まれている。
焚火の光が周囲の木々を照らし、時折影を揺らしながら、まるでその中でただ自分たちだけが存在しているような錯覚を覚える。
(この静けさ……久しぶりに星観を試してみようかしら)
そう思ったタリアは、そっと焚火を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
以前王都では、厚い闇を突き破ることが出来ず、何度星観をしても、何も見ることが出来なかったが、あの場所を離れた今ではどうだろうか。
いまは、儀式もなく、たくさんの祈りもなく、ただ、ただ、今、ここにある自分の力だけで星を観る。
結果はあまり期待していなかったが、それでもせずにはいられなかったのだ。
しばらく深呼吸をし、星々の導きを仰ぐように祈りを捧げた。
すると、どうであろうか。
驚いたことに、王都から離れたことがよかったのか、森の、その澄んだ夜空の中に彼女は星々をはっきりと見通すことができていた。
王都では、夜空は泥水が満ちた池のように濁り、星々の輝きは曇り遠い先を見通すことができなかったが、だが、この場所では違った。
月明がない暗闇の中で輝く星々が、小さくかすかな光ではあったがタリアに手がかりを差し出してくれていた。
(東……星は、私たちをさらに東へと導こうとしている……)
王妃の実家やタリアの生家がある西ではなかった。
今、タリアに星は道を東だと示した。
(なぜ、東なの?)
星々の導きにタリアの胸には疑問を持った。
西には王妃の実家や自分の故郷には、信頼できる人々がいるはずだ。
それなのに、星は道を東へと示していた。
温かな絆を置き去りにしてまで進むべき道なのか、タリアの心は乱れていた。
暗闇の静寂が、タリアの周りを静かに包み込む。
その静けさは、彼女の迷いと不安を一層引き立たせるようだった。
ときおり、火がはぜて乾いた音が微かに響き、風もない冷たい夜の中、タリアは深く思いを巡らせた。
(でも、星が告げる以上、それに従うべきなのかもしれない……)
タリアは、二人の幼子を守り抜くため、ただひたすらに未来の光を探そうとしている。
また、小枝がはじけた時、カリナが少し動いた。
その寝顔を見て、タリアはもう一度、星を見上げた。
(王妃様、ロザリナ様、どうか二人をお守りください……)
タリアは二人の魂に祈りを捧げ、少し休むために目を閉じた。




