第22話 闇路の逃避
タリアはルチとカリナを連れて、城から外へ抜けるための暗い通路の中を歩いていた。
タリアは胸の内に残るわずかな魔力を絞り出し、冷たく柔らかな光を灯していた。
その光はまるで月のように薄く青みがかり、暗い通路を少しだけ照らし出す。
ルチの手を引き、カリナを背負う。
魔力はつきかけており、今は自分の力だけで歩いている。
子供たちは息を殺し、ただタリアの背中に従っている。
「タリア、ぼく頑張るよ」とルチが小さな声で言った。
「わたしもなかない……」と背負われたカリナが、タリアの肩に頬を寄せながら涙をぬぐう。
タリアは微笑みながら二人に頷き、前に向き直ると通路を進んでいった。
やがて彼女の視界に、それとわかる荷物の山が見えてきた。
簡素な毛布や食料の包み、いくつかの金貨が詰まった小袋が置かれている。王妃が最後まで周到に考えて備えてくれたのだと、タリアは深い感謝を覚えた。
「これ、避難用の食料とお金……でも全部は持ちきれないわね」
タリアはさっと荷物を確認しながら、ルチとカリナに話しかけた。
彼女が手に取った瓶には赤い液体が入っている。
ワインだった。
ルチが疑問を投げかける。
「ワインだよ、これ。お水じゃないの?ワインって、子供も飲んでいいの?」
タリアは微笑みながら答えた。
「こういう時は水よりワインがいいのよ。水は長くおくと腐ってしまって、飲むと病気になることもあるのよ。だからこういうときはワインのほうが安全って言われているのよ」
彼女は非常食の硬いパンを取り出し手に持ってみる。カチカチである。長持ちしそうだ。
毛布を手に持ってみた。上質で軽いさすが王家。これなら持っていけるかな?
カリナを背負っているので多くは持てないが、とにかく毛布だけでも手に持てるだけでも持っていきたいけど……
食料は森に入ればなんとかなるだろう。
荷物をどう持とうか、試行錯誤しているタリナに、カリナは「あるく、わたしあるく」と言ったが、タリアは「カリナ、ありがとう。でも大丈夫よ、そうね、いまは荷物はあきらめて、急いでここを離れましょう」と言った。
結局、金貨だけをもって、毛布も食料も置いていくことにして、タリアたちは通路を進んで行った。
どれほど進んだだろうか。
静かで冷たい通路を抜け、ようやく出口が見えてきた。
タリアは足を止め、周囲の気配を確かめる。
手をかざしてみると、微かに月明かりが差し込む場所にたどり着いていることがわかった。
「出口みたいね」
タリアが小声で呟き、気配を消しながら、慎重に出口から外を確認すると、そこは王都の外れにある市民の墓地だった。
古びた墓石が並び、夜の冷たい空気に包まれている。
城からは遠く離れ、静けさが支配する異界のようだった。
(こんなところにつながっていたのね……)
ルチとカリナを連れてそっと外に出ると、タリアは城の方に耳を澄ませ、魔法で聞き耳を立てた。
微かに、戦いの音が遠くから響いてくる。
城では、いまだ王妃派の兵たちが戦い続け、時間を稼ごうとしているのだろう。
(急がなければならないわ)
タリアは思案を巡らせ、夜の王都から脱出するためには、城壁を越え、敵の目を避ける必要があるのだ。さらに、逃亡先も決めなければならない。
と、その時、背後から冷ややかな声が響いた。
「おいていくなんて、随分じゃないの?」
振り返ると、タリアが雇っている「街に詳しい素敵なおにいさん」と呼んでいる男が立っていた。
「あなた速いんですね……森にぽつんでこまりました」
彼は少し得意げに微笑みながら、軽く手を挙げて見せた。
「何の用?どうしてここにいるの?」
「まだ依頼中ですからね。手伝いに来たんですよ」と皮肉っぽく言いった。
「どうしてここがわかったの?」
「そりゃもう、さるスジからの情報ですよ、敵じゃないから安心してください」
「どうかしら」
彼の周りには、汚れた服をまとった子供たちが数人並んでいた。
「彼らは?」とタリアが不安げに問うと、彼は面倒そうに肩をすくめた。
「こいつらは手伝いの方々です。あなたの依頼の『もしもの時に安全に逃がす』ってやつの続きをやりにきたんですけど、はじめていいですか?」
信用できるのかどうか判断がつかない、いま、月詠はできないのだ。
「いそがないとやばーいですから、さくさくいきましょう」
男はタリアの気持ちにはお構いなしで話を続ける。
ルチとカリナに汚れた古着を渡し、「さっ、これを着ておいてください、注目されないようにしてください」と指示した。
タリアにも汚れたローブを手渡すと、彼女を軽く見やりながら「こういうの、よく着るんでしょ」と軽く笑った。
ルチは言われた通りにすぐに古着に着替え、タリアも汚れたローブを羽織り、カリナを着替えさせた。
そして男たちと共に街の奥へと歩き出した。
王都を抜けるには、巡回する将軍派の兵を避けながら進む必要があったが、彼は子供たちをうまく配置し、見張りを欺きながら慎重に進んだ。
「あっちの路地で一旦止まってね」「この子が右に行ってから十数えて左に行って」などと、タリアたちは彼の指示に従い、小道や暗がりを利用しながら街の外れへと向かった。
やがて、彼らは街の端にある汚れた小さな屋敷へとたどり着いた。
そこには古い建物や壊れた建物が多い界隈で、ほとんど人気がない場所となっている。
男は扉を押し開け、中に入るよう促した。
「ここは?」とタリアが尋ねると、彼は小声で「私ののもう一人の依頼主の秘密の屋敷でーす」と答えた。
中には老人が一人だけおり、年季の入った家具に囲まれた薄暗い部屋で、タリアたちを出迎えた。
「オチェアーノ!」
「じい!」
ルチとカリナが老人に飛びつく。
「おお、殿下、よくぞご無事で!よくぞご無事で!」
王妃の忠臣であったオチェアーノ・リバフォンテ伯爵であった。
いまは、平民の服を着ているが、西の国の有力な貴族である。
タリアは何度も顔を合わせたことがある、信頼できる人物だ。
タリアが何か言いかけると彼はそれを遮った。
「今は時間が惜しいです、急ぎ、地下室へ」と、オチェアーノは静かに言い、タリアたちを階段の下にある隠し扉を開け地下室へと導いた。
地下室に降り立つと、古い石造りの部屋があり、その奥にはさらに続く隠し扉が見えた。
男が扉を押し開けると、狭い通路が闇の中に伸びていた。
タリアに「ここを通り抜ければ、王都の外だ」と、彼は指差した。
彼は優しく頭を撫で「いつか、無事にお戻りください、ルチアーノ殿下、カラディナ殿下」と低く囁いたき、そして「すぐに行ってください、殿下」と言い、素直にルチとカリナは扉の先へ向かった。
その場にいた汚い服装の子供たちも、王族に対する正式な礼をとり小さな声で「お元気で」と口々に言いながら見送った。
どうやら彼らは見かけ通りのものたちではなかったらしい。
「オチュアーノ様……感謝いたします」タリアが礼を述べると、「老い先短い身だ、あとは頼むぞ」言って、少し寂しそうに微笑んだ。
「友が待っておるから、行ってやらねばならん」
彼は、おそらくはこの後、いまだ戦いが続く城に向かうつもりなのであろう。
今さら行っても無駄であるのは誰の目にも明らかである。
しかし、彼の顔には決意が見られ、タリアやルチが止めても行くのであろう。
それがわかったので、タリアはそれ以上言葉をかけなかった。
「急ぎますよー」
そういうと、街に詳しい素敵なおにいさんは、地下室に用意されていた松明に火を灯し、通路の中を照らした。
彼を先頭にしてタリアたちは再び闇にふさがれた通路へと入って行った。
通路の中、タリアはカリナを背負い、ルチは男が背負い、速い速度で暗闇を進んだ。
長い間歩き、ようやく抜け出た出口から、朝日が光が差し込んでいた。
「ここはどのへんかしら」
「王都の南にある丘でーす。北へは行かないほうがいいですよ。戻ってしまうから。南もだめです。魔獣がうじゃうじゃいます。いくなら西か東です。ここからは好きなほうへ行けまーす。ただし、西はおすすめじゃないです。あなたたちことを探す兵隊が山ほどいると思います」
「じゃぁ東しかないじゃない。東って、何があるのかしら」
「山。そのあと海」
「ねぇ、あなた、ちょっと説明が不親切じゃない?」
そんなもんでしょと、言って男は笑った。
「まぁ、いいわ、ありがとう、報酬を支払うわ」
「もう、もらったよ。妹をなおしてもらった。ありがとう。治らない病気だったのよ」
「他にも約束したでしょ、私の全財産をあげるって」
「約束は、王妃と王子と王女を無事に逃がすだったからもらえないわ……ごめんね」
たしかに王妃様をここまで連れてくることはできなかった。
でもそれはこの男のせいではない。
「あなたは出来る限りのことを、きちんと果たしてくれたわ。だから私も出来る限りのことを果たすわ。実はちょっと問題があるのよ。王宮の東の塔の南側に、一本だけ楓の木があるの。そこの根元に宝石箱が埋めてあるわ。それが私の全財産。あなただったら王宮に忍び込むくらいなんとかなるでしょ」
「ふっふっふっ、それは、なかなかひでぇですねー。たしかにそれなら丁度いいです。わかりました。これで契約は満了ということで」
「ここまでありがとう、感謝します」とタリアは言い、貴族の正式なカーテシーで一礼した。
「……まぁ、また機会があったら、声をかけてくださいー。あなたたちの痕跡は、帰りにわたしが消しときまーす」
そう言い残し、男は闇の中へ溶けるように消えていった。
「タリア」
「ルチ、疲れましたね。でも、もう少しだけがんばれますか」
「うん……あぶないんでしょ」
「ええ、でも大丈夫、タリアがついていますから」
よいしょ、と背負うカリナをおぶいなおし、タリアは東に向かって歩き始めた。
色々なことが一度に起こった一日であった。
多くのものを失い、体一つだけとなった三人だったが、それでも、三人でいることに今は感謝するだけであった。
大きな悲しみをこらえ、タリアたちは、山から登る朝日に向かって歩いて行った。




