第12話 王妃の苦悩
タリアが十三歳になった年は、王国にとって苦難の年であった。
国王の病は快復の兆しが見られないまま、王妃は日々政務に追われていた。
王の代役として国政を代行していたが、ここ数年続く災害がさらに王国を苦しめていた。
そして、この年は特に災害が多く発生し、王国各地で被害が拡大していた。
まずは、夏の初めの雨季に雨が少なく、どの村の池も水が枯渇した。この日照りは夏の終わりまで続き、王国中の農作物に深刻な打撃を与えた。
その秋の実りは乏しく、比較的被害の少なかった西に対して、王国の東の諸国では食料不足が問題となり始めた。さらに東の諸国では秋に大雨が降り、いくつかの貴族領が壊滅的な被害を受けた。川沿いの田畑は収穫を目前にして流された。
援助を求める領主たちは、王都へ悲鳴のような知らせを送るのだが、それに返事が来ることはまれであった。
この日も、王妃は重病の国王を訪れていた。国王は床についたまま二年以上が経過し、食事がやっと喉を通る程度の状態で、家族や侍医と会話をすることすら苦しい状態のままであった。
王妃は忙しい政務の合間を縫って毎日顔を見せていた。
王妃が来ると国王は目を細め、彼女を気遣った。
「すまない……私がこんなざまで……」
国王の声はか細く、かすれるほど弱々しかった。
「あなた、気にしないでください。なんでもないことです。それよりもお体を早く治して、元気になってください」
王妃はにやさしく微笑んで返した。
国王に向けるその表情は穏やかな笑顔だったが、内心では深く心を痛めていた。
国の都合、諸侯勢力の調和を目的として結ばれた二人であったが、このような結婚では珍しく、王と王妃の間には愛情があった。
最初の子の誕生こそ遅かったが、二人は互いを愛し、国王が病に伏すまで実によく、国を治めており、名君と呼ばれる治世になるだろうと期待されていたのだ。
王妃は病床の国王に対して不安を一切口に出さなかった。
それが王を傷つけるだけだとわかっているからである。
「義弟は……将軍は、しっかり……助けているのか?」
国王はかすれた声で将軍のことを問うた。
将軍は国王が信頼してその地位につけた者だったが、現実には国王の知らぬところで、「助ける」とは真逆の行為をしていた。
王妃の調べによると、将軍は王家の権威を削ぐために自身の派閥を強化し、取り巻きを使って国政において王妃の指示を妨害していた。
王妃はそれを承知の上で、あえて穏やかに答えた。
「ええ、将軍は私をよく支えてくれています。どうかご安心くださいませ」
王妃は夫を安心させるため、わずかに微笑んで見せた。
もしも、と、王妃は考えるのだ。
もしも、国王に将軍の裏切りを告げたらどうなるだろうか。
国王はおそらく強く憤り、それが病をさらに悪化させ、心臓が止まるかもしれない。
仮に体力がもったとしたら、国王は将軍を討つべく軍を招集するだろう。
しかし、今の城内では、どこに将軍の息がかかった者がいるかわからない。
もしも、王が将軍を討つという情報が、将軍派に漏れたら、逆に国王が討たれる危険すらあった。
もちろん、そうならないように王都には信頼できる兵士を配置しているが、王国軍の兵権の大半は、今や病に伏す国王ではなく将軍が握っている。
もしも、王都で王の軍と将軍の軍が対峙すれば、王や家族はどうなるのだろうか?
将軍は理由をつけて城に出仕せず、護衛兵を詰め込んだ自身の屋敷から指示を出している。
彼を討つには兵が足りないし、そもそも謀反の気配ははっきりと感じるのに、決定的な証拠がなく討つための大義名分がない。
大義名分がなければ、たとえ将軍を討っても、その非を問われ、残された将軍派の勢力から次々と新たな将軍が現れ、謀反が続くだろう。
討つのであれば、諸侯が納得する理由を用意し、反撃の隙を与えずに息の根を止めなければならない。
「何も心配はございません。陛下、どうかお身体をお安めくださいませ」
王妃はそう言い、国王の見舞いを終えた。
そして執務室に戻ると、信頼する二人の大臣が待っており、各地の状況を報告した。
彼らは王家派の重要な人物であり、真実の情報を伝えてくれるが、その惨状は王妃の心にさらに重くのしかかった。
「東の収穫はそれほど悪いのか?」
王妃はため息をついた。
「まったく芳しくありません。この秋は大変なことになります。きますぞ」
そう言ったのは忠臣であるオチェアーノだった。
「獣人か……」
王国は、Lの文字が左に寝たような形をしており、王国の東部の陸地は北に続いている。その北部には、人間を襲う獣人の領域がある。
この陸地で、実りが悪いということは、人間の領域だけでなく、同じ陸地に住まう獣人の領域でも同様のことが起きていることになる。
そういった年は、獣人たちは春までの食料を求め、国境を越えて東の国々を襲うのだ。
「今年は早く、多く来るでしょう。困ったことに」
「どうする?」
不安げに尋ねるのは、同じく国王派の有力貴族であるアイウトーネだった。
「軍は出せないのか?」と王妃が聞いた。
返事が「否」だとわかっていても聞かざるを得ない。
「将軍が反対するでしょうな。理由を思いつくのがうまいですから、どうにもなりません」
「誰か、行ってくれる者はいないだろうか……」
獣人は一人で人間三人分の力を持つと言われているため、一人一人では到底太刀打ちできない。
多少の人数であれば地元の領主の軍勢で十分なのだが、群れで来る場合は、まとまった軍で迎え撃たねばならない。
今年のような場合は、軍を招集し、国境の要所要所に兵を込め、監視網を広げて素早く領内を移動し、国境のそこら中から湧いてくる獣人たちを防ぐのだ。
その場合、国王や将軍が中央軍を率い指導力を発揮して、東部の諸侯の軍と合流して組織的に獣人を追い払わねばならない。
しかし、今はその役割を果たすべき国王は病に臥し、将軍は命令を拒むことが目に見えている。
「東部の諸侯たちはもともと協力的ではなく、王家への支援を遅らせようとしています。この状況を利用しようとしているのです」
王妃はその報告に顔を曇らせた。
「王妃様、災害の被害も深刻です。民の不満が日に日に高まり、民が逃亡する領地も出るでしょう。このままでは……東部全域が飢饉に見舞われます」
オチェアーノが憤る。
「全く、いまいましい将軍派どもめ!今はつまらぬ争いをしている場合ではないというのに!」
王妃は静かにうなずき、彼らの気持ちを受け止めた。
軍の出撃だけでなく、各地への支援や物資の配給も将軍派によって遅延させられているのだ。
「それでも、今は国を守るために全力を尽くさなければなりません。出来る限りのことをしましょう。将軍の動向についても、できる限り監視を続けましょう」
王妃は毅然とした態度で二人に答えた。彼女の心は不安に満ちていたが、決して諦めるわけにはいかなかった。まだ王国は崩壊していないのだ。
この状況を打破する方法は、王が力を取り戻す以外にもう一つある。
それは、王子が王となることだ。
諸侯は、王に対して忠誠を誓っている。
それは神の前での宣誓で、強い力を持った誓いなのだ。
王が、玉座から大義ある命令をしかと命ずるなら、諸侯は断れず、断るならばそれこそがその諸侯を討つ大義名分となるのだ。
しかし王子は幼い。
まだとても王にはなれない。
王とは強くあり、諸侯を率いる唯一の存在で、年端もいかぬ幼児に国を任せることが出来るはずもないのだ。
したがって、王妃は唯一の希望であるが、まだほんの子供であるルチアーノ王子が、王となるにふさわしい年齢になるまで、なんとしても王国の崩れを防がねばならないのだ。
それは彼女しかできないことなのだ。
家族を守るため、国を守るため、彼女は自分に言い聞かせながら戦っている。
その後も王妃は大臣たちと協議を続けたが、よい策を出すことが出来ず、手立てを打てないまま、結局、この年、東部には秋の早い時期から、獣人たちによる侵入が始まった。
もちろん王妃は軍を派遣しようとしたが、将軍派の妨害によって十分な兵力が集まらなかったし、将軍自身も理由をつけて指揮をせず、将軍の代理として選任された貴族が指揮した申し訳程度の軍が獣人の侵入に悲鳴を上げる東部の貴族領に向かった。
王家派でも将軍派でもない、中立の派閥であるからというだけで選ばれたその指揮官は、どうして選ばれたのか不思議なほどに無能であった。
彼は軍の移動にもたもたと手間取っただけではなく、東の諸侯に侮られ、呼べど叫べど参加する諸侯の軍勢は無く、十分な軍の集結が行えず、わずかな軍勢で現地に入った。
しかも、時すでに遅く、村々は獣人に荒らされた後だった。
村々は次々に腹をすかした獣人たちに襲われた。
獣人は、人間がため込む食糧だけでなく、獣人の種類によっては家畜も食うし、人も食う。
多勢の獣人に各領地の軍だけでは対抗できず、領主たちは少ない食料をもって、それぞれの城にこもり、獣人の血風が過ぎ去るのをただ待つだけなのだ。
無能な指揮官が率いる脆弱な軍は、必ず獣人が去った後に現れた。
そして、すでにことが起きた後に現れ、なにもせず去るのみであった。
いや、去るのみであったのならばどんなに良かったかと思うようなことが起こった。
それは、その無能な指揮官が現地の領主に無断で食料や資金を徴発し、現地住民との間で衝突が発生したのだ。
既に獣人から多くを奪われた者から、同胞である人間がさらに奪うなどという事が許されるだろうか?
しかも王国軍兵士の中には「こんな遠くまでいかされて、せめて何かをいただかねば帰れぬ」と言う者が数多くいたという。
「これでは……王家の、国の威信が失われてしまう」
報告を聞き、王妃は顔をしかめた。
この冬の出来事で、東部の諸侯たちと王家の間に深い溝が生まれたのは間違いなかった。
無理もない。
獣人の領域の境界の領主たちは、獣人に領地を荒らされただけでなく、王国軍にも荒らされたのだ。
災害で食べるものもない中、腹を空かせて土地を捨てるものが数多く現れた。
こうなってみると、この指揮官の人選も将軍の策謀によるものだったのかと思えるほどにひどい結果であった。
「なんとむごいことをするのだ」
王妃の心は氷の刃で無残に切り裂かれたかのように傷つけられ続けている。
彼女はなんとかして国を立て直したいと願っていたが、将軍派の妨害はそれを許さなかった。
「今は耐えるしかない……」
それでも王妃は静かに自分にそう言い聞かせた。
彼女はまだ西部の諸侯の支持を失っていなかったが、それでも情勢は厳しさを増していた。
将軍派による妨害が続き、民の不満も日に日に高まる中で、彼女は諦めずに国を守るための策を考え続けた。
王子が王となるまではなんとしても。
この年、王国はかろうじて政権を維持していたが、その支配力は弱まっていった。




