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第10話 少年

タリアが王宮に来てから、三か月が過ぎた。

だいぶ外の寒さが厳しくなった。

王宮内も冬の到来を感じさせる。


石造りの建物の中は冷え冷えして、火鉢のそばにいても寒気が肌にじんわりと染み入ってくる。

現代日本とは違うこの環境にもタリアはすでに慣れていた。


最初は見習い侍女として必死に働いていたが、今ではある程度の仕事を一人で任されるようになった。


持ち前の頭の良さと体力で周囲に認められているのは、なんとなく感じていが、それを誇示することはせず、あくまで控えめに振る舞っている。

それがこの場所で生き抜くための知恵だった。


「よし、次の書状はこれね」と、タリアは紙の山を前にため息をついた。


(まぁ、書類仕事は慣れてるし、ちゃちゃっと片付けちゃおう)


そう思っていたところ、召使が走ってきて、王妃からの急ぎの指示を伝えた。

「王妃の部屋に重要な外交文書を置き忘れたから、至急持ってくるように」とのことだ。


王妃と筆頭侍女ロザリナは外交使節の応接で、謁見の間を離れるわけにはいかない。


(そういえば、王妃様は机に置いたような気がする)

タリアはすぐにそのことを思い出した。

確かに、王妃は昨日の夜、部屋で手紙を持っていったはずだ。


呼びにきた召使が取りに行けよとも思ったが、王妃の部屋に入れるのは高位の侍女だけだし、その手紙の内容を知ってるのはタリアだけだったはずなので、当然と言えば当然の人選である。


そうとなれば、と立ち上がる。


(急がなきゃ!)

王妃は自分に厳しく、部下にも厳しくて有名なのだ。走れ!


タリアは手早く準備を整え、王妃の部屋へと急いだ。

廊下を小走りで抜け、王妃の部屋の扉にたどり着く。


中に入り、目的の手紙を見つけ、すぐに外へ出たそのとき——。


(あれ?)


廊下に出ると、さっきまで誰もいなかったはずの王妃の部屋の前に、ぽつんと男の子が立っていた。

歳は三歳くらいだろうか。


巻き毛がふわりと揺れていて、愛らしい姿だが、その顔には少し戸惑いの表情が浮かんでいる。


(この子、もしかして……)


タリアはすぐに悟った。

この男の子は、王妃の息子ルチだ。


まだ幼い彼が一人でいるということは、どうやったか護衛の目を逃れてここまで来てしまったのだろう。


王妃が将軍とのあいだに対立があって、王子と王女の暗殺を警戒していることは、侍女仲間の噂話で知っていた。


そのため、ルチは王宮内のどこかで、王妃直属の護衛によって厳重に守られているはずだった。


(どうしよう、こんな場所で一人でいるなんて危険よね)


タリアは一瞬迷った。

自分には急ぎのお使い任務がある。


しかし、それよりも今、この無防備な王子を守ることのほうがはるかに重要だと感じた。


(まずは彼を安全な場所に連れて行かなきゃね)


そう思った矢先、タリアの背後から声がかかった。


「やあやあ、王子様。ようやくお見つけしましたぞ」


振り返ると、一人の騎士が立っていた。

鋭い目つきで微笑んでいるが、しかし、それは怪しい。

王子を命がけで護衛していたならほがらかな笑顔になるだろうか?

タリアは一層の警戒心を抱いた。


(この人、本当に王子の護衛なの? それとも……)

将軍派の騎士かもしれない。


タリアは慎重に言葉を選びながら、表情には不安を見せずに話しかけた。


「そうですか、王子様をお探しでしたのですね。ですが、私は先に王妃様の指示でお連れするよう命じられています。王子様を外交使節のいる謁見の間へお連れするのが最優先の任務です」


(嘘なんですけどね。この言い訳物語りが、お使い任務を達成しつつ、王子の安全も確保する策よ。一つだけ欠点があるけどね)


彼女はそう言って、さりげなくルチを自分の背後に隠した。

彼は勝手にここにきた割には、従順に従ってくれて、タリアの後ろにまわった。


騎士は少し戸惑いを見せたが、タリアの自信に満ちた態度に圧されたのか、それ以上深く追及してくることはなかった。


「なるほど、それなら仕方ありませんな。しかし、どうかお気をつけて。王子様の安全が第一ですから」


(なんだか怪しいなあ……)


タリアは騎士の存在を警戒しつつ、ルチの手を取り、なるべく自然に謁見の間へと向かった。

小さくやわらかな手だ。


「すぐ王妃様のところにお連れしますからね」

彼を安心させるためニッコリと微笑んではいたが、彼女の心臓はどきどきしていて冷静に見せるために必死だった。


(それにあいつ、王妃様の所まで護衛します、とも言わなかった)


やがて、タリアは外交使節がいる広間の扉の前に到着した。

深呼吸をしてから扉をノックし、中へ入る。


「王妃様、王子様をお連れしました。手紙もお持ちしました」


タリアは一礼しながら、ルチを王妃のそばへ連れて行った。

王妃は一瞬驚いたように見えたが、すぐに平静を取り戻し、外交使節に向かって微笑みながら言った。


「我が国の王太子を紹介したかったのです。どうぞ、ルチアーノです」


その場の空気が少し和らぎ、外交使節たちも微笑んでルチに軽く挨拶をした。

タリアは、王妃が機転をきかせてその場を無事に収めたことに安堵した。


(ふう、怒られなかったわ、よかった)

(では、余計な事故が起きるまえにおいとましましょう)


タリアがさりげなく退席しようとすると、王妃は素早く目線で刺し、そのままいなさい、と薄い笑顔でタリアの逃亡を阻止した。


その後、外交使節の謁見が終わると、王妃はタリアを近くに呼び寄せた。


タリアが深く礼をしてから近づくと、王妃は静かにルチを抱きしめ、低い声で問いかけた。


「なぜ、ルチを連れてきたのです!」と珍しく声を荒げた。


(わー!やっぱり怒られた、この策の唯一にして最大の欠点だわ!)


「王子誘拐は大罪よ」とはロザリナ。


(ロ、ロザリナ様まで……ひどいこと言うわね。やめてよ、もう)


まあ、ここに連れてきてる時点で誘拐ではないので、ひょっとしたら冗談のつもりかもしれないけど。


無実の罪で処刑されるのは御免なので、タリアはありのままを答えた。


ルチが一人で王妃の部屋の前の廊下にいたこと、そして見知らぬ騎士が保護を申し出たことも伝えた。


「ルチ、勝手に出てきてはだめじゃない!」


「ははうえにあいたかったんだよ」

厳しく叱る王妃に、消え入りそうな声で答える王子。


王妃と言えば叱責が長くて有名である。

王子がかわいそうなので、タイミングよく話に割ってはいる。


「えー、あの、王妃様、保護を申し出た騎士なのですがー」と、騎士の特徴を伝えると、王妃の顔から血の気が引いた。


「そんな騎士は知らない」


騎士は名も告げず、護衛もせずに、すぐに立ち去ったことも伝えると、王妃は王子に「ルチは知っている者だったか?」と問う。


王子は首を振った。


「子供の護衛は、我が一族、縁者から選んだ者たちで、知らぬ者などいないのだ」


王妃はタリアに向かって感謝の言葉を告げた。


そこへ、ちょうど、王子付きの侍女と騎士が血相を変えてやってきた。

「お、王妃様!王子がいなくなってしまいました!」

「気づかれぬように探しているのですが……あっ!」

「あっ!お、王子!ここにおいででしたか!よかった!」

「よかった!ああ、王子!」


ロザリナが声を浴びせる。

「よかったではない!そのほうら、きちんと見てなければ駄目ではないか!」


「はっ……それが、目を離したつもりはなかったのですが、気が付いたらいなくなっておりました」

「申し訳ございません……」


「……もうよい、ロザリナ。そこまでにしてくのだ。そのほうら、以後気を付けるのだ。王子の命には国の運命がかかっているのだ。心するがよい」

「はっ……」

「申し訳ございませぬ……」


ロザリナがルチを連れて護衛たちとともに部屋を出ると、一人残されたタリアに王妃が言った。


「……おかげで、ルチを守ることができました。ありがとう、タリア」


王妃は冷静さを保とうとしていたが、明らかに彼女は動揺していた。

それは本当に危険な状況だったのだろう。


タリアは王妃の言葉にただ静かに頭を下げた。


「このとおり、ここは我が城であるのにどこに敵がいるかわからぬ場所なのだ。タリアよ国のため、妾に力を貸してくれぬか」


タリアはその言葉に一瞬驚きながらも、すぐに心を落ち着け、毅然とした態度で答えた。


「もとよりそのつもりでおりました。あらん限りの力でお仕えいたします」


王妃は微かにうなずき、再びタリアを見つめた。


「タリア、感謝する。これより子供たちの部屋に入ることを許す。あの子たちこそが敵の狙いであり、王国の希望なのだ。どうか頼む」


タリアは深々と礼をして、その言葉を胸に刻んだ。


(彼が女神さまが言っていた、わたしが守るべき選ばれた者……あの子たちがそうなんだろうな)


タリアは静かにそう心の中で呟き、これから待ち受けるであろうさらなる試練に向けて、決意を新たにした。

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