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第1話 序章

とある王国の、とある場所。


いくつもの山を越えた深い森の奥に、古の時代に作られたあと、その地を去る人々から隠されて忘れ去られた聖地があった。


そこは、古い神が(まつ)られた場所で、天と地の力が強く集まる極所のひとつであった。


そこを探しあてた者がいた。


力を求める邪悪な魔導士が(いにしえ)の知識を探り、その聖地を突き止め、大悪魔を呼び出すために利用しようとしていたのだ。


聖地は闇の呪法によって(けが)された。


「ついに見つけた……」


かすかな声でつぶやいたのは月の女神に仕える若き神官ルミナリアであった。


彼女は神のお告げに従い、困難な旅を経てこの古びた聖地にたどり着いたのだ。


古代の巨木がそびえ、山脈から湧き出る清らかな水に満ち、静謐(せいひつ)で美しかったこの森も、今では生き物を苦しめる黒い霧が辺りを覆い、かつての清浄さは跡形もなく、悪の力を跳ねのける大地でさえも腐り落ちていた。


彼女はただ一人であった。


この場所に至るまでの厳しい道のりで、自らを支えてくれた仲間たちをすべて失っていたのだ。


ルミナリアは月の女神セレネリアから授かった使命を果たすため、ただ一人になっても恐れずにこの邪悪な地に足を踏み入れた。


「必ず止めなくては……」


女神から受けた大切な使命の一つを果たすため、地の穢れを(はら)い、清めるべく祈りを捧げようとしたその時、不気味な低い笑い声が響いてきた。


聖地を探すことと同様に探し続けていた邪悪な魔導士が姿を現したのだ。


「よく来たな、お前はあの狡猾(こうかつ)なセレネリアと共に、これまで邪魔をしてきたが今日こそ決着をつけてやる。悪魔の復活はもうすぐだぞ! 不埒(ふらち)にもこの国を支配する愚かな者どもを抹殺し、正しい支配者が治める正しい国にしてやる」


魔導士の声には確かな勝利の響きがあった。

彼の周囲には黒い影が集まり、魔力が渦巻いた。


「見るがいい、もうすぐ儀式は終わる」


魔導士は手に持った杖で地面を指し示すと、その先に、大悪魔が目を覚まそうとしている姿が現れた。

地獄の炎が渦巻くその姿は、人の形を保ちながらも、恐ろしく醜い容貌をしていた。


「どうだ、今からでも遅くはない、俺と共にこの国を本来あるべき姿に戻さないか。この国は腐っている。わが元に来い」


魔導士の目が赤く光った。

強い力を込めた魔法の言葉には、常人には抗えない強制力があった。


しかし、ルミナリアにはセレネリアとの強い絆があった。

彼女は魔導士を鋭く見据え、力強く叫んだ。


「あなたの手伝いなんてごめんだわ!」


彼女の決意に満ちた声が、静寂に包まれた聖地に響き渡り、胸の奥にある月神の光が、魔導士の邪悪で強力な魔法の誘いを跳ねのけた。


「ふん……ばかな女だ」


魔導士は古めかしい杖を彼女に向けた。

男は太古の知識を修めた強力な魔導士であり、長く修行を積んだ彼女とはいえ、一人で立ち向かうことは到底できなかった。


彼女を助けるべくともに旅立った仲間たちは、ある者は旅の途中で邪悪で狡猾な罠にかかり、ある者は魔導士からの刺客の凶刃に倒れた。

仲間たちは彼女をこの地へ届けるため、そのすべてを犠牲にしたのだ。


それでも、たった一人でも、たとえ勝ち目が薄くとも、彼女は魔導士を打ち倒さなければならなかった。

魔導士が呼び出そうとしているのは多くの眷属を支配する大悪魔で、もしも召喚に成功すれば王国は征服され、人々は奴隷以下の家畜となりはててしまう。


「お守りください。どうか力を」

心の中でセレネリアと仲間たちに必勝の決意を込め、祈りを捧げたその時、セレネリアの声が彼女の耳に響いた。


「ルミナリア……わたくしの力を託します。あなたがこの闇を打ち払う最後の光です。しかし……その力は、あなたの魂に大きな傷を与えるでしょう……」


女神の声は優しくも、悲しみに満ちていた。

ルミナリアはその理由を知っていた。


魔導士を滅ぼすために女神の与える力を自らの魂に受け入れて使えば、その人の身に余る大きな力は彼女の魂の器を壊してしまい、悪くすると魂を肉体に保つことができず、死んでしまうかもしれないのだ。


しかし、この国を守るために、彼女には、他に選ぶ道がが残されていなかった。


「私はこの命を捧げます。どうか……この身に力をお与えください」

ルミナリアはその場に立ち、神聖な力を全身に集め始めた。女神の力が彼女を包み込み、彼女は光の剣を手にした。


それは月神の加護そのものだった。対する魔導士は古の書から探り出した闇の力をまとい、強烈な冷気を辺りに放った。


戦いが始まった。


魔導士は闇の結界を作り出し、触れるものを凍てつかせる闇の炎と魂を切り裂く氷の刃を放ち、ルミナリアを傷つけた。しかし、ルミナリアは青く輝く月光を束ねた聖なる剣を振りかざし、突進した。

彼女は恐れることなく、邪悪な魔法を聖なる光で跳ね返し、魔導士に一撃一撃を加えていった。


闇と光が激しくぶつかり合った時間が、長かったのか短かったのか、もはやわからなかった。


ついにルミナリアは月神の力を集め、最後の一撃を放った。

闇を払う冷たい光の刃が魔導士を貫き、断末魔を上げたその体は光に包まれ、崩れ去り、彼の叫びもやがて光の中に消えた。


ルミナリアは勝利した。

しかし、その代償は大きかった。


ルミナリアの体は徐々に光を失い、闇の力で引き裂かれていく。


彼女の身体と同様に魂もまた、大魔導士の暗黒の魔法によって削り取られていた。

彼女はその力が失われていくのを感じながらも、最後の力を振り絞り、聖地に充満する邪悪な瘴気(しょうき)を払うべく、(けが)された地面にひざまずき、祈りを捧げた。


毒と腐敗にまみれた空気と地面が、青く冷たい月の光に照らされると、朝陽に溶ける霧のように、それらは速やかに姿を消した。この聖地に満ちていた邪悪な瘴気は完全に払われ、悪魔の復活は阻止された。


使命を終えたルミナリアは、祈りを終えると倒れた。

肉体と魂に残るすべての力を使い果たしたのだ。


「……セレネリア様……お別れです……」


はかり知れぬ神の力をその身に宿したことで、彼女の魂の器は砕け、その魂を肉体にとどめることができなくなっていた。さらに、魔導士から受けた暗黒の魔法は今だに彼女の魂を冷たく焼き続け、器の底にわずかに残った魂も蝕まれ、削られ続けていた。


彼女の魂は最後のひとかけらとなった。それはあとほんのわずかな時間で消えてしまう。


闇に穢された魂を天の門番は受け入れない。

彼女の魂は天に還ることができず、消滅してしまう運命にあった。


もしも、女神がルミナリアの魂のかけらについた穢れを取り除こうとしたならば、わずかに残された魂は朝露のように消えてしまうだろう。


あとほんのわずかな時間でそうなる。


しかし、神に仕える者として最大の不幸である魂の消滅が彼女を待っていようとも、ルミナリアに悲しみはなかった。


生まれてからこれまで、彼女は良き人々に囲まれ、愛されて生きてきた。そして、この国とそこに住む人々を深く愛していた。だからこそ、それらを守るために命を捧げたことは、むしろ喜びであったのだ。


女神の声が聞こえた。


その声は、深い悲しみに満ちていた。


「ルミナリア……あなたの魂が消え去ってしまうことは耐えられません」


もう、口を動かすことができないルミナリアは心の中で返事をする。


「ありがたきお言葉に感謝いたします。しかし、よいのです、セレネリア様。あなたのために戦えたことを、私は誇りに思います。わたくしが生きた時間は、十分に満足できるものでした。どうか、悲しまないでください」


「ああ、愛しき子よ、そんなことを言わないでおくれ。あなたの魂を癒すため、別の世界へ送り出します……異世界へ渡るその途中で、あなたの魂を(むしば)む邪悪な力は振り払われ、消滅の運命から逃れるでしょう。たとえ魂のかけら一つでも残っていれば、やがてその形を取り戻すでしょう」


「いけません、セレネリア様。異世界を渡る御業(みわざ)は、多くの力を費やします。この戦いですでに多くの力をお使いになられたというのに……」


「それでもです、ルミナリア。生きるのです。この世界とよく似た、そして全く異なる地へ届けます。そこで幾年も幾たびも輪廻(りんね)し安らかに過ごし、魂を癒しなさい。さようなら、愛しき子よ。どうかかの地でも月の恵みがありますように」


ルミナリアは目を閉じ、月の女神セレネリアからの深い愛を感じながら、その運命を静かに受け入れた。


「……ありがとうございます……セレネリア様……」

感謝の気持ちを込めてつぶやくと、光が彼女を包み込み、彼女の魂は別の世界へと運ばれていった。


遠いその地で最初に彼女の魂の器となったのは、地上の片隅で静かに息づく小さな野の花だった。

彼女は淡い青い色で咲いていた。


花となった彼女は風にそよぎ雨に打たれ、花を咲かせたあとに種を残し、冬が来ると枯れた。


幾度も草木として生まれ変わり、時には同じ姿で、また時には大きく、あるいは小さく姿を変えた。


幾度となく繰り返される輪廻の中、生を全うし天に還るたび、彼女の魂は傷を癒し少しずつその力を取り戻していった。


長い長い時が流れ、魂の大きさが人間の体を満たすことができるようになった。


かつて神の使いであった彼女の魂は特に大きく、強く、美しいものであったため、完全に元通りとはいかないまでも、それでも普通の人間であるならば十分といえる大きさに成長していた。


彼女の魂は日本の東京に住む夫婦のもとに生まれた新しい命を器として宿った。


両親は彼女に「星空」と書いて「せいら」と名付けた。


名前を授けたのは母親であった。友人や親族にその名の由来を問われると、母親は微笑みながらこう答えるのが常だった。


「初めてあの子を抱いた時、彼女の瞳が澄んだ夜空に輝く星のように見えたの。まるで、遠い空から私たちのもとに降りてきたかのように……」


普段の母親は詩的な表現を好む人ではなかったが、この娘の名前について語る時だけは、特別な思いを込めてそう説明するのだった。

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