2.
「今日は楽しかったなぁ」
日没直後の夕暮れ。
まだ空に赤さが残る黄昏時。
今日の出来事を振り返り、噛み締めるように秋は呟く。
俺と出かけた日の帰り道、秋は必ず楽しかったと言う。
目的の物が買えなかった時も、途中で嫌な思いをした時も、最後に秋は必ず楽しかったと笑う。
作り笑いなんかじゃない本当の笑顔で、本当に嬉しそうに。
「......明くんは楽しかった?」
隣を歩く秋は不安そうに瞳を揺らす。
「......うん、楽しかったよ。秋、誘ってくれてありがとう」
「本当!? よかったぁ。」
俺の返事で秋はまた笑顔になる。
日が沈み、暗闇が台頭し始めた中で尚、見惚れるくらい美しい顔を満面の笑みに変えて、秋は笑う。
秋と並んで歩く帰り道。
今日はいつもより遠出をした。
見慣れない景色。
見慣れない街並み。
その中でもいつもと変わらない2人の距離。
ずっと考えていたことがある。
なんで秋じゃダメなのか。
出会った時から今日までずっと隣にいてくれた秋。
日増しに可愛く魅力的になっていく秋。
俺なんかよりも良い男なんて五万といるのに、その男達のアプローチを一切受け付けず、俺の隣にいることを選んでくれた秋。
夢に出てくる秋とは違う。
今、俺の隣にいる秋は真摯に、誠実に、俺だけを見てくれている。
もういいじゃないか。
秋の気持ちは十分伝わっている。
例え俺の心が秋をダメだと拒絶しても。
この世界の秋は報われなきゃいけない。
秋に伝えよう。
ずっと俺の隣にいてくれてありがとうって。
ずっと待たせてごめんって。
そして......
「なぁ、あ......き......」
秋に告白しようと口を開いた時、向かいから歩いてくる一人の女性に目を奪われた。
「? ......明、くん? どうしたの?」
そんな俺に、秋が疑問の声を上げる。
そしてそれは女性も同じで。
「......明くん、なんで......っ!」
俺の名前を聞いた女性は、目を見開き俺の名前を呟くと、来た道を引き返し走り出した。
俺はそんな女性の姿を目で追い......
......思い出した......全部。
夢の中の世界が夢じゃなかったこと。
前の世界を生きていたこと。
そして、俺の心が秋を拒絶する本当の理由。
「......行かなきゃ」
「行かないでっ!」
女性を追って走り出そうとする俺の腕を掴む秋が、悲痛な声を上げる。
「......ごめん秋。俺、行かないと」
「嫌だっ! 嫌だよ! お願いだから行かないで!」
いつも俺の前で笑顔を絶やさなかった秋が、目尻に涙を溜めて、縋り付くように必死に懇願する。
「......思い出したんだ。全部。あの日のことも。あの日からのことも」
「っ!? そんな......そんなこと......じゃあ私は、何のために......」
秋が悲痛に顔を歪め力無く項垂れると、支えを失った涙がポタリポタリと地面を濡らした。
「ありがとう、秋」
既に力が入っていない手を優しく握り、腕から離す。
「......明くん?」
秋はゆっくりと顔を上げる。
可愛く飾ってあった顔は涙でぐちゃぐちゃだけど、その顔は今まで見てきたどんな秋よりも一番可愛く魅力的に見えた。
「こんな俺を好きだと言ってくれて、ずっとそばにいてくれて本当にありがとう」
「いや、いやだよ。そんなこと言わないで......」
あの日のことを考えると今でも胸が苦しいけど、秋にはそれ以上のものをたくさんもらった
どんな時でも一緒にいてくれた。
いつも笑いかけてくれた。
俺だけを見てくれた。
「秋が大好きだった。小さい頃から、ずっと大好きだった」
初めて保育園で見た時からずっと、ずっと大好きだった。
「私も! 私も明くんが大好き! 大好きなの! だからっ!」
秋が答える。
涙が溢れた瞳で俺を見つめながら。
今まで何回も口にしてきた想いを。
今までにないくらい必死に。
「......でも、それ以上に大切な人がいるんだ。だから、ごめん」
俺は女性が走り去った方へ駆け出す。
「嫌っ! 明くん! 待って! お願い! 行かないでっ!」
徐々に遠くなっていく秋の悲痛な叫びに応えることなく、俺はひたすら走り続けた。
あの女性の姿はまだ見つからない。
でも心当たりがある。
この街は前の世界の俺が住んでいた街だ。
思い当たる所を虱潰しに探していく。
思い出の公園。
思い出の踏み切り。
思い出の階段。
思い出の神社。
そして。
いた!
女性は思い出の橋の欄干から静かに川を眺めていた。
俺は女性の腕を掴む。
「っ!?」
驚いた女性はこちらを向き、涙をいっぱいに溜めた目を見開いた。
間違いない。見間違えるわけない。
絶望に暮れていた俺を救ってくれた人。
俺を幸せにしてくれた最愛の女性。
「見つけた、沙奈恵」
===向井沙奈恵目線===
日が沈んだ街。
明くんを諦めた私がせめてもと住む所に選んだ、明くんとの思い出の街。
向かいから来る仲睦まじい男女の姿に、過去の私と明くんの姿を重ね眺めていた。
暗くて顔は見えないけど、2人の姿はまるで幸せな恋人同士のようで、今の自分と比べてしまい、胸が締めつけられた。
自分と相手の距離が近くなった時、男性の方が足を止めた。
顔は暗くて見えない。
だけど胸の鼓動が高鳴った。
それはまるで最愛の男性、明くんを思い浮かべた時のように。
「? ......明、くん? どうしたの?」
隣の男性を気遣う女性の声。
その名前を聞いて、私の頭の中は真っ白になった。
「......明くん、なんで......っ!」
不意に口から出た最愛の男性の名前。
自分の失態に気づいた私は、逃げるようにその場から走り出した。
明くんに会ってしまった。
この世界では明くんに幸せになって欲しくて、明くんを諦めるって決めたのに。
会いたくなかった。
会ってしまったら......
明くんへの想いが溢れ出してしまうから。
────
私には幼馴染が3人いた。
柴田雄二くんと鈴森秋ちゃん。
そして私の最愛の男性、新田明くん。
私達4人は保育園の頃からずっと一緒に遊んでいた。
その中でも明くんは特別だった。
元々引っ込み思案な性格の私は、友達もいなくていつも一人ぼっちだった。
そんな私に明くんは一緒に遊ぼうと声をかけてくれた。
明くんはいつも優しくて気遣ってくれて、私はそんな明くんに恋をした。
だけど明くんはもう1人の幼馴染、秋ちゃんのことが好きだった。
小学生になっても中学生になっても、私は明くんが好きだった。
周りの女の子達はかっこよくて運動が出来るもう一人の幼馴染の雄二くんがいいって言っていたけど、私は明くんだけを見続けた。
明くん以外目に入らなかった。
でも、明くんも私と同じように秋ちゃんだけを見続けていた。
そして高校生になってすぐ、雄二くんに告白された。
すごく悩んだ。
明くんは秋ちゃんがずっと好きで、それはきっと一生変わらない。
それに雄二くんは悪い人じゃない。
なら私は明くんを諦めて、私を好きだと言ってくれた雄二くんと付き合った方がいいんじゃないかって。
私は雄二くんの告白を受けた。
明くんを忘れる為に。
明くんよりも雄二くんを好きになる為に。
でも、ダメだった。
明くんと話す度に、明くんの優しさに触れる度に忘れられなくなる。
雄二くんの好きな所を探そうとすると度に、明くんのことをもっと好きになる。
雄二くんと恋人らしいことは一つも出来なかった。
手を繋ぐ時でさえ明くんのことが頭に浮かんで、悲しい気持ちになった。
もしもこれが明くんだったら......
何度も何度も思った。
私は彼氏の前で他の男のことばかり考えて、他の男の姿を重ね続けた。
本当に酷い女で雄二くんに申し訳なくて、自分が嫌になった。
そして、私の人生が一変したあの日がやってきた。
高校2年生の夏、私は買い物をする為に街に出かけ、そこで偶然明くんを見かけた。
胸が高鳴った。
約束もしてないのに明くんと出会えたって。
でも、明くんの様子がおかしかった。
茫然自失というか生気を感じない危うい雰囲気でふらふらと歩いていて。
私は明くんがフッと消えてしまうんじゃないかという不安に駆られ、明くんの跡をつけることにした。
しばらく歩いた明くんはマンションのような建物の中に入っていく。
私も後からついて行き階段を登っていく。
そして屋上に出た時、フェンスの内側から外を見ていた明くんが不意にフェンスを登り始めた。
私は急いで後ろから明くんに抱き着いた。
驚いたように振り返った明くんは私を見るなり目に涙を浮かべ、縋り付くように泣き崩れた。
しばらくして落ち着いた明くんに事情を尋ねると、最初は口を閉ざし拒んでいたけど、ポツリポツリと気持ちを吐露するように教えてくれた。
秋ちゃんと雄二くんがホテルに入って行く所を見てしまったこと。
2人の関係はたぶん初めてじゃなくて、もう何回も裏切られていること。
もうどうでもよくなって死んでもいいと思ったこと。
そして最後に「いきなり抱き着いてごめん。嫌だったでしょ?」って、申し訳なさそうに謝ってきた。
明くんの話を聞いて、頭がどうにかなりそうなくらい怒りが込み上げてきた。
雄二くんのこともだけど、それよりも秋ちゃんが許せなかった。
2人は小さい頃から両想いでお似合いだった。
秋ちゃんの隣にいる明くんはいつも幸せそうで、私が入る隙なんてなかった。
だから諦めたのに。明くんが幸せならって諦めたのに。
なのに......
私はスマホを取り出して直ぐに雄二くんに電話をかけた。
電話に出た雄二くんは普段通りの明るい口調で話しかけてきて。
私の怒りは限界を迎えた。
今まで使ったことない汚い言葉を感情のままにたくさん吐いた。
同じように隣にいるだろう秋ちゃんに向かっても暴言をたくさん吐いた。
隣にいた明くんが驚いた顔をしていたけど、私は止まらなかった。
そして最後に雄二くんに別れを告げて、返事を聞く前に電話を切った私は、そのままの勢いで明くんに気持ちを伝えた。
保育園の頃から好きだったこと。
ずっと明くんだけを見てきたこと。
秋ちゃんには勝てないと思って、告白してきた雄二くんと付き合ったこと。
でも明くんを忘れることができなかったこと。
明くんの傍にいたいこと。
恋人になれなくてもいいから、傍にいさせて欲しいこと。
全部を伝えた。
明くんは、ありがとう。と言って少しだけ笑ってくれた。
私は明くんの傍から絶対離れなかった。
秋ちゃんも雄二くんも近づけさせず、明くんだけを見続けた。
高校を卒業して同じ大学に行った。
元々国立志望で勉強していたから先生達にはすごく反対されたけど、明くんと一緒にいることを選んだ。
そして大学卒業後、私と明くんは結婚した。
挙式も披露宴もない結婚。
婚姻届を出しただけだけど、私は十分幸せだった。
結婚してからも私達に体の関係はなかった。
高校生の時から今までキス以上のことをしたことがない。
そのキスだって数えるくらい。
だけど私は明くんといられるだけで幸せだった。
結婚してから数年が経った日。
明くんが珍しくお酒を飲んで帰ってきた。
ほとんど歩けない状態で玄関に座り込む明くんに、肩を貸しながら部屋の中へ連れていこうとしたら、急に唇を奪われて寝室に連れ込まれ、私は初めてを経験した。
前戯もなければムードもない、服を脱がされてのいきなり本番。
初めては痛いって聞いていたけど、本当に死んじゃうくらい痛かった。
だけど明くんに求められたことが嬉しくて、私は明くんに心配をかけないように、顔に出ないように必死に痛いのを我慢した。
初めてのエッチは全然気持ちいいものじゃなかった。だけど明くんと上辺だけの結婚じゃない、本当の意味で夫婦になれた気がしてすごく嬉しかった。
行為の最中、明くんが何度も呼んだ名前。
たとえそれが私じゃなくてもう一人の幼馴染の名前だったとしても、私は本当に幸せだった。
次の日の朝、明くんに土下座された。
うろ覚えだけど記憶があったみたいで、私に酷いことをしてしまったと申し訳なさそうに謝られた。
私は気にしてないと言って、昨日感じた想いを明くんに伝えた。
明くんに求められて嬉しかったこと。
明くんと本当の夫婦になれたと思ったこと。
それと口に出すのはちょっと恥ずかしいことまで全部明くんに伝えた。
そして最後に、驚いたけど全然怒ってないと伝えると、明くんはありがとうと言ってやっと笑ってくれた。
でも「初めてですごく痛かったから、次からは優しくして下さいね」って伝えたら、明くんは困ったように笑いながら「ごめん」といって頷いた。
それからの明くんは、まるで昔に戻ったような優しい笑顔で笑う明くんになった。
昔と違うのは秋ちゃんじゃなくて、私を見てくれていること。
明くんが私を好きだと言ってくれることが本当に夢のようだった。
そして、程なくして私は明くんとの子供を妊娠した。
明くんとの子供だ。
嬉しくない訳がない。
明くんも本当に喜んでくれた。
家族が増えるねって笑いあった。
私達は直ぐに産婦人科に行った。
検査の結果、妊娠検査薬の通り私は妊娠していた。
だけど同時に病気が発覚した。
明くんのことばかりで自分を蔑ろにして検診を怠った結果だった。
なんでこんな時に。
せっかく明くんと幸せな家庭を築けると思ったのに。
こんなのあんまりだよ......
先生の話だと出産は問題なくできるらしく、治療も並行してやっていくことになった。
そして私は無事娘を出産した。
明くんにそっくりな可愛い女の子。
恐る恐る娘を抱く明くんの姿がおかしくて、私は笑ってしまった。
何もかもが初めての子育て。
私も明くんも悪戦苦闘した。
更に私の病気の治療は上手くいってない。
明くんは私の体に負担をかけないように率先して育児をしてくれた。
私はそんな明くんの姿に感謝しつつ、申し訳ない気持ちになった。
ずっと考えていることがある。
本当にこれでよかったのかって。
私は幸せだ。
小さい頃からずっと大好きだった明くんと結婚して、明くんの子供まで産めて。
本当に幸せだ。
でも明くんは?
私が明くんを秋ちゃんから引き離した。
明くんの為と言って、明くんを裏切った秋ちゃんを許せないと言って。
それは紛れもない本心だけど、その中には明くんを私だけのものにしたいという邪な気持ちも確かにあった。
それに明くんは秋ちゃんと離れてずっと辛そうにしていた。
秋ちゃんを好きな気持ちと許せない気持ち。
会いたい気持ちと会いたくない気持ち。
その天秤を持ってずっと葛藤していた。
そしてその天秤の秤を傾けているのは明くんの意思じゃなくて私の存在。
あの日、弱っている明くんに告白してから、ずっと私は傍に寄り添った。
優しい明くんがそんな私を切り捨てる選択をする訳がない。
本当は秋ちゃんの所に行きたいのに、私に恩を感じて、裏切ることが出来なくて、私の所にいるという選択肢を取るしかなかったんじゃないか。
今でも明くんの中には秋ちゃんの所に行きたいという気持ちがあるんじゃないかって。
挙句の果てに病気になって、明くんに大変な思いをさせている。
明くん本当にごめんなさい。
明くんと娘は毎日のようにお見舞いに来てくれる。
娘はまだ私の病気のことがわかってないから「ママ、いつおうちにかえってくるの?」って聞いてきて、私は頭を撫でながら「うーん、もう少しかな」って答える。
でも私の体調は日増しに悪くなっていく。
明くんは絶対良くなるって言ってくれるけど、自分の体のことだもん。
もう助からないってわかってるよ。
明くん。
こんなダメな私でごめんなさい。
こんな私を好きだって言ってくれてありがとう。
明くんとの時間は全部が幸せでした。
明くんずっと、ずっと、大好きだよ。
私の人生は最後まで明くんの重荷になってばかりだった。
だから......
神様、もしもやり直すことができるなら、私は明くんの幸せを願います。
だからお願いします。
どうか私に......
────
明くんから逃げた私は、明くんとの思い出が詰まった街をひたすら走った。
この世界の私は、明くんと距離を取った。
保育園で私を見る秋ちゃんの目に、強い意志が宿っているのがわかったから。
秋ちゃんも私と同じように戻ってきてるなら、明くんはきっと幸せになれる。秋ちゃんがしてくれる。
私は明くんと秋ちゃんの邪魔にならないように、小学校は明くん達と別々の所に進学した。
それから明くんとは一度も会わなかった。
明くんが好きなのは秋ちゃんで、その秋ちゃんがもう間違いを起こさないなら、私の入る隙なんてどこにもないから。
本当は明くんの隣で、明くんと笑い合っていたいけど、きっと私じゃ明くんを幸せにできない。
だから私は前の世界の明くんとの記憶があれば大丈夫。
どんなに辛くても、どんなに寂しくても頑張れっていける。
そう自分に言い聞かせて過ごしてきた。
過ごしてきたのに......
一目明くんを見ただけでずっと抑え込んでいた想いが溢れ出てきてしまった。
だけど。
この世界には明くんだけを見つめる秋ちゃんがいる。
明くんの初恋の相手、私なんかじゃ敵わない。
無我夢中で走り橋の上で息が切れた私は、手を膝について息を整えると、欄干に寄りかかり川を眺める。
この橋は明くんと娘とよく3人で歩いた思い出の橋。
ここを通る度に川を眺めては「お魚いるかな?」ってみんなで川を覗き込んでいた。
日が沈んだ川は暗くて何も見えないけど、私の目にはあの幸せな日常が確かに映って見えた。
「明くん......」
大好きな人の名前を思わず口にすると、涙が溢れぽろぽろ零れた。
明くんに会いたい。
明くんと話したい。
明くんと抱き合いたい。
明くんとキスがしたい。
明くんとまた幸せな日常を送りたい。
明くんの幸せを願いたいのに、どうしても明くんを諦め切れない。
でも、やっぱり無理だよ。だって明くんは......
「っ!?」
突然腕を掴まれてビクッと体が跳ねる。
考え事をしていて人の気配に全然気づかなった。
そして勢いよくそちらに顔を向けてさらに驚いた。
えっ!? なん、で......
目の前にいたのは最愛の男性。
「見つけた、沙奈恵」
「......明くん」
私の大好きな人が、私に会いに来てくれた。
======
「......明くん」
俺を見た沙奈恵の目から涙が溢れ出す。
そんな沙奈恵を力強く抱きしめる。
「あっ......」
「沙奈恵、ずっと会いたかった......」
沙奈恵の病気が見つかった時から、ずっと後悔していた。
俺がもっと沙奈恵を気にかけていれば、こんなことにはならなかった。
沙奈恵はずっと俺を見てくれていたのに。
俺が立ち直れたのは、いつも沙奈恵が近くにいて笑いかけてくれたからだ。
俺がどんなダメな姿を見せても沙奈恵はずっと寄り添ってくれた。
こんな俺と結婚までしてくれて、新婚らしいことなんて一つもなかったのに、文句も言わず「私は明くんと一緒にいれるだけで幸せです」って笑って、本当に俺なんかには勿体ないくらい素敵な人で......
沙奈恵にはたくさんのものを貰ったのに、俺はほとんど返せなかった。
「明くん、ごめんなさい。私、明くんをおいて......本当にごめんなさい」
なのに沙奈恵は先にいなくなってしまったことを謝罪してくる。
「俺の方こそ、沙奈恵に甘えてばかりで何もしてあげられなかった。本当にごめん」
「いいんです。私は明くんと一緒にいれるだけで幸せだったんですから」
沙奈恵は懐かしい決まり文句を口にして微笑む。
俺はそんな沙奈恵の目を見つめ、自分の正直な気持ちを言葉にする。
「......沙奈恵、もう一度俺と一緒になってくれないか?」
「 え? でも......私なんかでいいんですか?」
沙奈恵は不安そうな顔で尋ねてくる。
だけど俺の答えは最初から変わらない。
「......愛莉、結婚したんだ」
「え?」
沙奈恵が大きく目を見開く。
唐突な話題転換にじゃない。
愛莉が結婚したと聞いたからだ。
新田愛莉。
俺と沙奈恵の子供で、沙奈恵は愛莉が小学校に上がる前に亡くなってしまったから想像もしてなかったと思う。
「大きくなる度にどんどん沙奈恵そっくりに綺麗なっていってさ、変な男が近づいてこないかいつも心配だったよ」
学校で告白されたなんて話を聞く度に、何度乗り込んで行こうと思ったか。
「でも愛莉は言うんだ。『大丈夫だよ。ママみたいに幸せになりたいし、パパみたいな人を選ぶから』って。こんな俺みたいのがいいなんて、本当に可愛いだろ?」
沙奈恵に苦笑いを向ける。
愛莉に俺みたいな奴じゃダメだろって言ったら「ママはいつも笑ってたから、私もそうなりたい」って、本当に可愛い娘だ。
「それで俺なんかより全然いい男を捕まえてきて、結婚して子供が産まれて、俺おじいちゃんになったんだ。俺がおじいちゃんだよ。信じられるか?」
沙奈恵は涙を浮かべ笑いながら首を振る。
「幸せだった。本当に。沙奈恵が俺を幸せにしてくれたんだ。でも、沙奈恵はもういないくて、それだけがずっと心残りだった」
助かる病気だった。
もっと早く発見できてれば沙奈恵は長生きできたんだ。
俺のせいなんだ。俺がもっとちゃんとしてれば......
「だから神様にお願いしたんだ。もしもやり直せるなら、沙奈恵と幸せになりたいって......そしたら、戻ってこれて、また沙奈恵に会えた」
「明くん......」
沙奈恵の瞳を見つめる。
「だから沙奈恵、また俺と結婚して欲しい。ずっと一緒にいて欲しい。今度はもっと、もっと沙奈恵を幸せにするから」
「明くん......はい。私を、幸せにして下さい。私も、明くんと幸せになりたいです」
何度も頷き涙を拭う沙奈恵ともう一度抱きしめ合う。
「明くん、ずっと、ずっと大好きです」
「俺も、沙奈恵が大好きだ」
今度はもう間違えない。絶対に......
「......あっ」
「ん? 沙奈恵?」
しばらく抱き合った後、沙奈恵は思い出したように口を開く。
「私、まだ初めてなので......今度は優しくして下さいね」
そう言って沙奈恵はイタズラっぽく笑った。
お読み頂きありがとうございました。
少しでも面白いと思ってもらえたら、評価して頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。