除湿機に告白されたのは、加湿器に告白された翌日だった
「罪な女ね」
お風呂上がりの私の髪を乾かしながらドライヤーが言った。私だって申し訳ないと思っている。でもまさかこんなことになるなんて思わなかったんだもの。
「結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」
高校の同窓会の帰り道、突然告白された。「なんのドラマだよ」と思ったものの、私の頭は情報処理が追いつかずフリーズした。変な顔をしてたらどうしよう。告白してきたのはこの日7年ぶりの再会をした加湿器だった。
「卒業してから自分の気持ちに気づいて、その気持ちを今まで見て見ぬふりをしてきて……でも今日やっぱりこのままじゃいけないと思って……」
歯切れ悪く話す加湿器。緊張しているせいか吐き出す息は真っ白だ。なんだろう、ちょっとかわいい。色白で顔もタイプ。仕事終わりに来たらしくピシッと着こなしたスーツもかっこいい。
加湿器。彼が高校の時すごくモテていたのをよく覚えている。スポーツも勉強もできて、そして気配りもできる。冬には「乾燥は喉に悪いから」と言って教室に潤いを与えてくれた。潤いを求めて、下心を隠しながらたくさんの女子が彼の周りに集まったことは言うまでもない。
私は子どもの頃から全てが中途半端だった。これといって目立つ要素がなく、普通の女の子だった。それは今も変わらない。クラスの中心の彼と私はきっと住む世界が違うんだろうなと思っていた。そして今日も同じような気持ちで彼を眺めていた。
なのにそんな彼が私のことを? なにかの冗談じゃないの? 嬉しい反面なんだか疑わしくも思う。
「本当は何度も連絡をしようと思ったんだ。卒業してすぐにミシンに頼んで連絡先を教えてもらったんだけど……でも連絡する勇気がなくて……」
え、なにそれ、聞いてないんですけど。同じ短大に進学して、今でも仲のいいミシン。先週新しい彼氏のロックミシンを紹介されたところだ。なんであいつはこんな大事なことを教えてくれないのよ。
アルコールのせいでいつもより鈍い思考回路にいらいらする。何も考えずビールを飲みまくった私が悪いんだけど。
今すぐに返事をして欲しそうな加湿器を見て色々考えた。うんうん唸ってみた。でも酔った頭じゃ何もまとまらなかった。
「少しだけ考える時間をください」
私はそう言ってその場を逃げた。全速力で。
角を曲がる時にちらっと後ろを見ると加湿器がぽかんと口を開けて歩道の真ん中に突っ立っていた。
加湿器の告白から逃げ帰ると、気分を落ち着かせたくてすぐにお風呂に入った。でも、湯船に浸かってもなんだかそわそわして落ち着かなかった。5分ほどでお風呂から上がった私はドライヤーに相談することにした。
「どうすればいいと思う?」
私の髪を優しく乾かしてくれるドライヤーに加湿器に告白されたことを話してみた。するとふんっと鼻で笑われた。ドライヤーから出てくる風が一瞬だけ強くなった。
「そんなこと自分で考えなさいよ。あんたの人生なんだから」
「考えてもわからないから相談してるのに……」
洗面所の鏡の前。お風呂上がりに私はいつもドライヤーに髪を乾かしてもらう。いい具合に乾かしてくれるのでとっても楽。私はドライヤーの動きに合わせてブラシで髪をとかすだけでいい。いつもならリラックスできる時間なのに、今日はまったくリラックスできない。
「でも、加湿器に会ったのは7年ぶりなんでしょう?」
「うん、卒業してから連絡もとってなかった」
「それならいくら相手がイケメンだからってすぐに付き合うのはやめた方がいいんじゃないの?」
ドライヤーは面倒くさそうに言った。確かにそうかもしれない。
「でもこの機会を逃すと後悔するかも……」
「そんなこと知らないわよ」
ドライヤーはぴしゃりと言った。もう少し優しいコメントをしてくれてもいいのに。ドライヤーはいつだってドライだ。
あ、温風が涼しい風に切り替わった。
「でも、そんなに悩むならあいつに相談してみたら?」
ドライヤーがわざとらしく思い出したかのように言った。
「あいつ?」
「そう、あいつ。腐れ縁で明日も二人で飲みに行くんでしょう?」
「あー、あいつね」
それはいい考えかもしれない。私は少しすっきりした。
「はい、終わったわよ」
ちょうどいいタイミングで髪が乾いた。私は満足してちゃちゃっと歯磨きをしてベッドに潜り込んだ。
「ちょっと待ってくれ。おれも大山のことが好きなんだ」
加湿器に告白された翌日の夜、小学生の頃から腐れ縁の除湿機と飲みに来ていた。除湿機とは月に一、二回飲みに行ってはお互いに仕事や日々のくだらない話をする仲だ。
3時間ほどくだらない話をしながら楽しく飲み、私たちはいつも通り割り勘で会計を済ませた。駅までの道のりをふらふらと二人で歩く。二人とも気持ちよく酔っていたので今なら聞きやすいと思い、私は除湿機に加湿器の件を相談してみた。
こいつならずばっとアドバイスをしてくれるはず。笑って何かいいことを言ってくれるはず。そう思っていた。思っていたのに全く想定外のコメントが返ってきた。
除湿機を見るとさっきまでの酔っ払いの顔ではなく、きりっとした真面目な顔になっていた。冗談じゃなさそうだ。そうわかった途端、私は昨夜と同じようにフリーズした。
「いつもお前のことばかり考えてる。今だって。でも一歩踏み出す勇気がなかった」
聞いているとなんだか恥ずかしくなってきた。すごく顔が熱い。鏡を見なくてもわかる。今絶対私の顔は真っ赤だ。
加湿器と違ってがっしりとした体格の除湿機。何事も歯切れよく大きな声ではっきり言う彼がもし自分の交際相手だったら……そう思ったことがないと言えば嘘になる。嘘になるけどまさかそんな……
「おれじゃだめか? 何がいけない?」
除湿機の真っ直ぐな目を私は見ていられなくなった。そして悩んだ結果、昨日と同じように私は逃げ出した。「考える時間をください!」と叫びながら。
「罪な女ね」
お風呂上がりの私の髪を乾かしながらドライヤーが言った。二日連続逃げ帰った私は昨日と同じようにお風呂に入った。そしてすぐに上がりドライヤーに相談した。
「考える時間っていつまで考えるつもりなの?」
ドライヤーの風がいつもよりきつい。期限なんて考えてなかった。逃げ帰るので精一杯だったから。でもこのままじゃいけない。どうしたものか。
「愛梨もそろそろいい歳なんだから腹括ったらどうなの? どっちかと付き合ってみたら?」
温風から冷風に切り替えたドライヤーが言う。どっちかと付き合ってみる。そんなことをしていいのだろうか。
「お試しでもいいんじゃない? 付き合ってみないと見えないこともあるんだから」
「そりゃあそうかもしれないけれど」
私は髪をくるくるいじりながら鏡を見る。かわいいわけでも美人でもない普通の女がそこにいた。
「私、こんなに普通の女なのよ?」
ふんっとドライヤーが鼻で笑った。強くて冷たい風が私の髪をなびかせ、そしてすぐにやんだ。
「そんな普通の女を好きな男がいてもいいんじゃない? ほら、乾いたわよ」
「うん」
「普通普通って言うけど、それは愛梨のものさしの話でしょう。少しは自信を持ったら?」
「でも…………」
「少なくともいい男が二人惚れてるんだから。でしょう?」
「……うん、そうね。ありがとう」
ドライヤーの話を聞いて私の頭の中の引っかかりが少し取れた気がした。考えがゆっくりと流れ始めた。答え、出さなきゃな。
「馬鹿な女ね」
除湿機に告白された十日後。お風呂上がりの私はドライヤーに冷風を吹きつけられていた。冷蔵庫から出てくる冷気並みに冷たい。冷たすぎる。まだ髪の毛は濡れまくっているのに。
私は失恋した。
加湿器と除湿機に告白された私は調子に乗った。乗ってしまったのだ。今の私ならいけるかもしれないと思ってしまった。
空気清浄機。
加湿も除湿もできる。花粉やハウスダスト、ウイルス対策もできる優れもの。ハイスペックな彼に実は私は一目惚れしていた。
半年前、私の部署に異動してきた彼。彼のハイスペックさに叶わぬ恋と思っていた。でも、加湿器と除湿機に告白された今の私ならもしかして。そんな淡い期待を胸に想いを告げた。
「ごめんなさい。ぼく、実はエアコン課長のことが好きなんです」
完敗だった。既婚者のエアコン課長。仕事も育児も手を抜かない課長は私の尊敬する女性だ。彼女には敵わない。
「既に結婚されているので告白はしません。ぼくは彼女の下で働ける、それだけですごく幸せなんです」
そうはっきりと言い切られた私にはもうできることはなかった。
加湿器と除湿機には空気清浄機に告白する五日前に「ごめんなさい」と一言メッセージを送っていた。そう、本当に調子に乗っていたんだ。それから二人とはなんのやり取りもしていない。
失恋した私は家に帰るとすぐにお風呂に入り湯船で泣いた。自分の馬鹿さ加減に泣いた。涙が止まらなかった。
「愛梨ってたまにスイッチが入ると突っ走ることがあるけど、今回はかなりやらかしたわね」
ドライヤーの言葉が重い。
「そうね……」
鏡を見ると目を腫らした惨めな女が映っていた。
「まあ、そんなこともあるんじゃない? そういや加湿器と除湿機はどうしてるのかしらね。二人にも素敵な出会いがあればいいけど」
普段はあまり話さないドライヤーが今日はよく話しかけてくれる。その気遣いが身に沁みる。
「二人は仲良くなったみたいよ」
「仲良く?」
「うん、ついさっきミシンが教えてくれた」
家の最寄駅に着いた時、突然ミシンから電話がかかってきた。そして彼氏のロックミシンの愚痴を30分も聞かされた。電話を切る前、彼女は加湿器と除湿機が私の件をきっかけに仲良くなったことを教えてくれた。二人で飲みに行き意気投合したらしい。
今度二人は湿度50%の部屋でお互いに加湿と除湿を行い力比べをする予定なんだとか。男の人が考えることはよくわからない。
「何その力比べ。不毛すぎる」
ドライヤーはばっさりと切り捨てた。
「……そうね」
「まあ、過去の男なんてさっさと忘れちゃいな。次だよ次。いつどんなチャンスがやってくるかわからないんだから」
ドライヤーの風が温かくなった。強さもとっても心地よい。私はまたなんだか泣きたくなった。
「もうこんなところで泣かないでよ。泣き顔なんて見たくないわ」
溜息混じりのドライヤーの風はいつもより優しい気がした。