#14 明日に繋ぐ
秋宮の隣に並び立ち、水卜は静かに背の剣を引き抜く。
銀に煌めく刃。そこには凛とした、彼女の瞳が映っていた。
「あーっはっはっ!一度に二人の断罪担当に相手して貰えるなんて、俺は幸せ者だ!」
仮面の奥で、狂気に染まった声が弾ける。
「さぁオーバードール、最ッ高のおもてなししてやんな!」
枯の命令に応じ、オーバードールたちは喉を鳴らす。
崩れた骨と肉を引きずっては、再びこちらへと襲い掛かる。
しかし。
「......万物、流転せしは命の雫」
その呟きと共に、水卜は剣を地へと突き立てる。
その瞬間、空気が”波打つ”。
まるで清水に落ちた雫が、世界を振動させたかのように。
大地が透き通る。
足元を清流が覆い、澄んだ波紋が二人から円環状に広がっていく。
やがて水蒸気が天へと立ち昇り、空中で舞っては、冷気を孕んだ雨に変わる。
「穢れし者よ、雨を以てその魂を洗え――」
一片の情も無く、ただ冷ややかに真実のみを穿つ、審判の声音。
「死術<水>......<小夜氷雨>」
その瞬間、天より無数の水槍が降り注ぐ。
それは罪の具現、<愛しの肉人形>の身体を貫き、静かに水面へと葬っていく。
死骸の痛苦に悶える叫びすら、雨音の前では静寂に等しかった。
「......澪ちゃん、さては腕上げたね?」
「お前に馬鹿にされん程度にはな。それに私の力は、こうして誰かを救うためにある」
そうして、剣の矛先を枯に向けては。
「覚悟しろ罪人。私の後輩、そして......同期を嬲った罪、その身で受け止めるといい」
紅い瞳に蒼い覚悟。
それが枯にとって劣勢であることは、語るまでもなかった。
「......おいオーバードール、テメェ何この程度でくたばってんだよ。ったく、これだから人間は嫌いなんだ。材料に混ぜた途端、人形としての強度が下がる。......はぁ、分かったよ。ちょっとぐらい――俺様とも遊んでくれるよなぁ?」
そう言って、枯は自らの仮面に手を触れては。
幸せそうな声音で、そう言い捨てる。
「罪生......<愛しの肉人形>」
その瞬間、枯の身体が脈を打つ。
腕は太く、体は獣のように。
全身の筋肉が痙攣を始め、瞬く間に隆々とした肉体へと組成される。
――まるで快楽でも得ているかのような吐息を漏らして。
「......さぁ死神ちゃんたち。本番を、始めよっか」
自らを“人形”へと創り変えた枯。
全身は、肉と骨の継ぎ目が浮き出るような、不自然なまでの膨張を見せていた。
笑うたびに、全身のどこからともなく砕けるような骨の音が鳴り渡る。
けれど、二人は怯まない。
「……どうする、秋宮。まさかこうなるとは正直思ってもいなかったが」
「思った通りに戦況が動いたら、それだけ楽しくて、楽な事はないよね。……とりあえず俺が、何とかして隙を作るよ。だから澪ちゃんが――決めてくれ」
そんなやりとりに、言葉は要らない。
同期として、幾度となく背を預け合った戦場の記憶が、それを裏打ちする。
肯定の沈黙を合図に、秋宮は一歩踏み出す。
「さぁ人形ボーイ、まずは俺が相手だ。……俺に一撃でも入れてみな」
軽口とともに動き出す秋宮の狙いは、ほんの僅かなテンポの乱れ。
だが。
「あははっ。その左手も引きちぎって、ホントのお人形さんにしてやるよ」
首を鳴らし、瞳のど真ん中で秋宮を捉え、笑う。
次の瞬間、枯は深く膝を折り、獣のような跳躍で秋宮へと襲い掛かる。
秋宮が視線を上げた刹那、隆々とした右腕が、関節という概念を拒絶するかのように、うねり出す。
「死術……〈炎〉!」
咄嗟に構え、声を張り上げた、その瞬間だった。
肥大と錬成を繰り返しながら、鞭のようにしなり、獲物へと伸びる腕。
轟音と共に、異形の右腕が秋宮の身体を薙ぎ払う。
肋骨ごと押し潰すような重圧が、その身を地へと叩き付けた。
――水卜は動く。
静かな怒りを燃やしながら――その動き、一寸の迷いなく。
無言で剣を構え、枯の背後へと迫る。
狙いすました一閃。
その太刀筋は確かに首をなぞり、枯は顔を歪めるが。
斬れた首筋は即座に盛り上がり、肉と皮膚が泡立つように縫い合わさる。
そしてぐるりと首を捻っては、水卜へと視線を合わせた。
「......”女”が粋がってんじゃねぇよ!」
その言葉の冷めぬ内に、左腕がうねる。
歪に血管の浮き出る掌が、蛇のようにしなっては、水卜を襲う。
水卜もすかさず剣を振るうが、その刃先は掌に受け止められる。
無垢で、しかし乱暴なその手が、握った刀身を軋ませた。
「......まるで馬鹿力だなッ!」
剣では届かない。そう悟った水卜は、手元の剣を手放す。
そして、静かに詠じた。
「——理に逆らいし者。渚の飛沫に包まれよ」
次の瞬間、辺りは淡く霞み、水の気配が満ちていく。
「死術<水>......<潮騒>」
枯を起点に、渦潮が爆ぜるように広がった。
「なっ!?ぐあああぁぁぁ゛ッ!!!」
――その潮は、穢れに渦巻く蒼い潮。
異質に軋み、筋骨を唸らせるその身体を、内側から押し流していく。
抵抗する間もなく枯の身体は崩れ、半身ほどが、元の等身へと退化する。
強烈な一打を受けた秋宮も、口から血を吐きながら、それでも立ち上がる。
そして潮の裁きを静かに見守った。
「……はぁ、はぁ……。ったく、大人しそうな顔して、物騒な女だな。こっちも“お利口さん”じゃ、ちっとは苦労するんでねぇ……。ほらよ、これならどうだ!」
着実に傷を負った枯の次なる一手。
その標的は秋宮、水卜でもなかった。
今だ異形と化す右手をうならせ、枯は床に横たわる透を狙う。
「......させるものか」
静かに、そう呟いた水卜。
手元に剣はなく、死術の連発では消耗が激しい。
「......ッ澪ちゃん!!?」
彼女が選んだのは、”身体”だった。
自らの身体を盾にし、枯の奇襲から透を守る。
「......ほぉら。結局、守るものがあるってのは、それだけで足枷になるんだ」
その一撃は、水卜の肩を抉り取った。
周りには鮮血が飛び散り、枯もその結果に満足げな声音を走らせる。
――しかし、水卜は笑う。
「......守る者、守られる者。私はそれぞれが、幸せ者だと心から思う。お互いを信頼し、今後を、明日を託したいと思うからこそ、その一歩は踏み出される。名も無き異形......貴様はどうだ。誰かのために傷を負う覚悟が、貴様にはあるか」
「......覚悟だぁ?小賢しいこと口走ってんじゃねぇ!俺は組織でも、いつだって蹴落とし、見捨てて、成果を残してきた。そうやってのし上がってきた!お前みたいな阿保と一緒にされてたまるかよ!
お前に......俺の、俺様の軌跡なんて分かるハズないだろ!?」
「あぁ、貴様のような異形の感情など、分かりたくもないな。......だが、これだけは言える。
――他者を理解したいと思わない限り、自分の本質など理解できないぞ」
痛みに震えながらも、確かに一つ一つ、言葉を紡ぐ水卜。
流れる血の雫が、まるで涙のように零れ落ちる。
やがてその一滴が、透の頬へと滴った。
『ねぇ、兄貴?』
ふと、聞き馴染みのある声が、影のような空間に響く。
『......いつまで寝てるんだか。兄貴のお友達、傷だらけだよ』
だんだんと意識が鮮明になる。それと共に、声の元を見つめると。
『ねぼすけさん。まだあんたのカッコいいトコ、見てないんだけど?』
――葉月。
そう一言、呼びかけようとするが、その声は届かない。
『......大丈夫。私はいつも、――ここで見守ってるから。だから、ほら。”行ってらっしゃい”』
毎朝聞いた、あの台詞。
あの朝に交わせなかった、悔恨の証。
それが今度は二人を結ぶ線となり――僕の身体を蘇らせる。
影が自らに流れ込み、意識がすっと消える。
そうして、再び目を醒ます。
倒れていた身体を起こし、ワイシャツの埃を払っては。
「......秋宮。......それに水卜さんも。――三人寄れば文殊の知恵って、言いますよね」
多少のカッコ付けぐらい、許されるだろう。
葉月は、ちゃんと影にいる。
それが自信にならなくして、何になるというのか。
「......トオルくん、その目は、”何か掴んだ顔”だね。にしても、少々遅刻気味だけど?」
「秋宮、こちらを見るな......。藪坂......いや、――透。よく戻った」
そう言って、水卜さんは、僕の頬に垂れた流血を、指先で拭う。
「僕があいつを掻き乱します。やれるだけのことは絶対やる。......水卜さんは無理せず、秋宮、お前は全力だ。三人で、――いや”四人”か。”四人”でアイツを、ぶっ飛ばすぞ」
痛いほどに握り込んだ拳も、今では少し、気持ちいいほどだ。




