#12 陰と影
内側から溢れる成長への期待と、黒く渦巻く何か。
その狭間で、僕は思わず、そう呟いていた。
「……死術、〈闇〉」
その瞬間、空気がざわりと揺れた。
足元の影が、ぬるりと広がる。
ただの影じゃない。重く、濃く、どこか湿り気を帯びた“何か”だった。
影は自我を得たかのように蠢き、地を這い、渦を巻く。
その中心から突如、棘のような“影糸”が四方に走った。
「──っ!?」
次の瞬間、秋宮の身体がビクリと硬直した。
その腕を、脚を、黒い線が縫い止めていた。
まるで影そのものに捕縛されたように。
「……やっぱり、“影”か」
秋宮が呟いた。
わずかに瞳を細め、その口元に浮かんだのは、驚きではなくどこか確信めいた色だった。
黒い糸は小さく震え、微かに脈打っている。
まるで“生きて”いるかのように。
「......これは動けそうにないね。やるじゃん、トオルくん。これが君の死術?」
秋宮が苦笑する。
けれどその声音の底には、微かな警戒心と、期待のようなものが混じっていた。
「<影縫>......名付けるならそんなところだ」
確かに今、死術を使ったのも、秋宮を”縫い留めた”のも僕なのだが。
全てが自分の意志だったのかと言われれば、そうでは無かった気がする。
......どちらかと言えば、影に動かされていたかのような。
まるで僕ではない”何か”が、躊躇いなく引金を引いたみたいに。
「なぁ、秋宮」
「なんだい」
片手と両足を縛られた状態でも、依然として応える秋宮。
「今のが、死術の本来の姿なのか?正直、死念力しか扱えなかったから、これが闇の死術なのかどうかわからない」
「......そうだね。闇の死術ってのは、自身の精神に呼応するって言われてる。今の具現化したトオルくんの死術を見るなり、あれは”影”だね。トオルくんの中に眠る、暗くて、何処か儚い記憶が、その”影”となって具現化したんだと思うよ。思い当たる節は......あるんでしょ?」
そう言われ、掘り返したくはない、されど忘れてはいけない、辛く傷く、苦しい葉月の記憶が蘇る。
「......僕には昔、妹がいた。何で過去形かって、そうだ。僕の妹は、僕たち家族の前から、いなくなった。数年前の事件のことだ」
「......そうか。それがトオルくんの中に眠っていた、”陰り”だったんだね。それが影となって具現化して、君と共生し始めた」
「面白い話だよな。朝の玄関で眠たそうにしている、葉月。せっかく可愛いセーラー服も、朝からジュース零したとか言って汚しててさ。馬鹿にしてやったら酷く怒ってた。『兄貴大嫌い!』なんて言って、振り返りもせずに家を出てって。それが最後に見た葉月だった。......もう話せないって分かってたら、あんな下らない喧嘩なんてしてないのにな」
「......言葉にしてくれて、ありがとう」
そういって秋宮は、わずかに視線を落とした。
その視線の先には、きっと、僕の”影”も映っていた。
「良いよ。消化なんて出来た気でいないけど、それでも最近やっと、飲み込んだところだから」
そんなふうに、少しばかり昔話に耽っていた僕らであったが。
中々に、秋宮の拘束が外れない事に気が付く。
「......でトオルくん。この<影縫>はいつ外してもらえるのかな?」
秋宮も同じことを考えていたようで。
どうにかして一旦はこの拘束を外そうと、秋宮に近づき、手で触れようとしてみる。
だが、”それ”は掴めなかった。
僕の手はその縫い留める影をすり抜けるようにして、まるで空を扇ぐかのように、するりと。
「......どうしたものか」
なんて、さっきとは違う意味で頭を抱える僕たちだった。
そのまま外す方法を模索するが、なにか秋宮の様子がおかしい。
「どうした秋宮。その体勢、やっぱ大変?」
手足を空で縛られている訳だから、そろそろ身体が痛くなってきたのかとも思ったが。
「......いや。扉なんだけどさ」
「扉?」
「うん。訓練中に万が一のことが起こったらヤダなって、俺、確かに施錠したはずなんだよね。でも今見たら、『UNLOCK』って表記されてるなって」
「またまた、締め忘れたんじゃないのか?」
「いや、それはないと思う。確かに扉を閉める時、タッチパネルから施錠したはずだよ」
「だったら何で開いてるんだって話だ。まぁいい、<影縫>の解除方法について何か知ってるかもしれないし、局長か水卜さん呼んでくるよ」
「......だったら澪ちゃんにして。局長にこんな姿見られたら一生ネタにされるから」
少しばかり嫌な顔をする秋宮だったが、こればかりはしょうがない。
先程まで見つめていた扉の方へ歩みを進める僕。
「......待ってトオルくん」
「?」
「危ない、伏せて!!!」
秋宮の叫び声と同時に、空気を裂く音が走る。
扉を貫いて突っ込んできた“何か”が、僕の頭上をかすめ、背後の壁に激突。
爆ぜるような破裂音と共に、肉片と羽根が宙を舞った。
振り返る暇もなかった。あれは、明らかに生き物ではなかった。
何が起きたのか理解できず、思わずうつ伏せとなった身体を起こす。
扉には大きな穴。
穴の奥から覗いていたのは、奇妙な猫の仮面だった。
祭りの面のようにどこかチープ。けれどその面に付着するのは、多量の血痕。
仮面の内側からは、まんまるとした瞳が、こちらを見つめていた。
......そして、口元がゆるむ。
「みっけ」
その一言と同時に、耳を裂くような衝撃音が走った。
分厚い扉が、紙のように引き裂かれる。
「ったく、おんぼろのエネルギー探知機が。どれだけ”種”一匹探すのに手間掛けさせるんだよカス」
そう言いながら、謎の仮面は、手に持っていた機械を地べたに投げ捨て、ぐしゃりと踏み潰す。
「下がってトオルくん!!!」
秋宮が声を荒げ、僕に呼びかける。
ただ事ではないと本能で自覚し、即座に後ろへと飛び下がる。
「あーあー、そんなに怖がんなって。......にしても、こんなひょろっこいのがあの人直々の命令?冗談でしょ」
そう言って、引き裂いた扉を跨ぎ、部屋へと入る仮面。
迷いなく、仮面は僕の方へと近づいてきた。
「侵入者か何か知らないけど、その子に手を出すのはやめときな。断罪担当として、絶対に許さない」
「断罪?てか何その恰好、ふざけてんの?」
くすくすと笑いながら、拘束された秋宮を小馬鹿にする。
「......あれは僕のやったことだ」
「えへぇ、凄いんだねお前。断罪担当いっぴき縛り上げちゃったんだ?」
「うるせぇ、誰だよ。お前」
「......俺は枯。組織じゃそう呼ばれてる」
「枯。こんな派手なお出まししてくれちゃって、一体全体僕に何の用だ」
「え~やっぱ派手だった?そんな褒めても何も出ないぞっ」
そう言って、無垢に照れるような仕草をしたかと思えば。
枯は背負袋から、”腐敗したハトの死骸”を取り出した。
「......見ててよ。もっと派手なの見せたげる」
それを指先でつまみ上げ、仮面越しに笑う。
次の瞬間、死骸がびくんと痙攣し、ばさばさと苦しそうに羽音を立て始める。
肉が膨れ、骨が軋み、ぎゅーぎゅーと苦しそうな声で鳴く。
「俺はさ、褒められると伸びるタイプなんだよ。だからもっと褒めて?いっぱい殺せたねって」
そうして、仕上げかのように、そのハトの首をへし折っては、引きちぎって。
さらに袋から取り出した、死んだ猿の頭を、ねじ込むように押し付けた。
めきめきと、骨と肉の擦れる嫌な音が響き、ハトの身体が嫌々ながらも受け入れるように猿頭を咀嚼していく。
完成したのは、肥大化したハトの死骸に、焦点のあっていない、猿頭。
羽は異様に長く、開ききった口からは、何かが滴る。
胸元からは臓物が見え隠れし、ぎゅーぎゅーと掠れるような呼吸音。
「さぁ、ご主人様の命令だあ。あいつら全員、喰っちゃいな」
枯の一声で、それは空に舞い、こちらに襲い掛かってくる。
僕は咄嗟に、先程と同じ死術を使った。
「<影縫>!」
しかし、異形の動きはあまりにも俊敏で、伸びた影糸は空を切るようにすり抜けた。
「ぎゅらぎああああああ゛゛゛」
まるで吐気を催すかのような、生臭い奇声をあげる。
「くそッ!対象に命中しないと効果ないのかこれ!」
その声と共に、異形は再度距離を詰めていた。
死術もFPSも、技は全て適材適所だ。すばしっこかろうが、異形がこちらへと突っ込んでくるのなら。
それが目と鼻の先まで近づいたその刹那。
僕は手の先を二本指にして、引き裂くかのように振り抜いた。
それはまるで、空間ごと裂いたような感覚だった。
「喰らえッ!<影轢>!!!」
猿頭の頭部に、黒い影が一文字に走る。
覆いかぶさるようにして影が密着し、ぐちゃりと。
冷たく、それにして嫌な弾力感。肉を裂く感触だった。
......唯一対峙した罪人、剣崎裂人の戦い方を真似てみたが、意外に通用したことに、自分でも驚いていた。
まさかあの屑から学ぶことがあるなんてな。
僕は荒い息をつきながら、距離を取る。
背後で、身動きが取れずもがいていた秋宮が口を開く。
「......トオルくん。君はホント、目覚ましいね」
闘う僕の姿を見て、安堵の表情を浮かべていた。
「はあああ?てめぇこないだ生まれたばっかの雑魚ベイビーだろ?なのに、なのにだよ?俺の!俺様の愛玩動物壊してくれちゃってさぁ、どうしてくれんのコレ?」
地べたには裂けた異形の肉片。
枯はそれを指差し、ぶち切れたように地団太を踏む。
「もーーー決めた!あの人の命令とか知らねぇ!絶対!絶ーっ対に!俺様が、この手でお前を殺してバラして、接いで!次の愛玩動物にしてやるよ!!!」
そうして、我を忘れた枯は、袋からいくつかの死骸を取り出すと。
「犇めけ!<愛しの肉人形>!」
枯の手の中、乾いた肉の塊がひときわ不気味な音を立てて脈打ち始める。
骨と腱が勝手に組み合わさり、指の無い手が、脚のない胴に縫いつけられていく。
異形の「何か」は、まるで産声のような呻き声を上げながら起き上がる。
それはすでに“生物”ではなかった。死と愛玩の混成物。
「なあ、可愛いだろ?こいつができた時、俺さ、感動して泣いちゃったんだよ。あははっ」
枯は笑いながら、嬉々として“それ”を床に放った。




