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問わず語り  作者: ごろり
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優しい夜

「お邪魔しまぁす」


 電気のスイッチを押す伊沢くんの後ろで、私は囁くようにそう言った。古めかしい日本家屋のこの家にしては意外だが、彼の部屋は広めの洋間だった。思えば、実家住まいの男性の部屋に足を踏み入れるのは、中学の頃までよく遊びに行っていた、母方の従兄弟の部屋以来である。少年漫画とガンプラとアイドルのポスターに溢れたあの部屋は、男兄弟のいない私たち三姉妹にとっては物珍しくて面白く、何度行っても飽きない遊び場だった。


 そんな事を思い出しながら、さり気なく部屋の中を見回した。もしかして、今日私が来ることを見越していろいろ片付けたのではないか……そんなことがチラリと脳裏を掠めるほど、無駄なものが何も置かれていないすっきりとした部屋である。正面には大きな腰窓があり、その窓際にベッドが置かれている。部屋の中央にはガラスの天板の載ったローテーブル、右手にはテレビやミニコンポ、左手にはクローゼットらしき扉がある。


 建付けの悪いドアに手こずっている私を見て、「これ、閉めるのにコツがいるんや」と言いながら、伊沢くんが代わりに閉めてくれた。バタンと大きく音がして、ドアが完全に閉まったその瞬間、私たちは、シンとした部屋に二人きりになった。


(ホンマにええんやろか……)


 いきなり来て晩ご飯を喰らい、堂々と息子の部屋に泊まろうとしている得体の知れない女。彼のお母さんには、そう思われているに違いない。


「明日の朝は、佳也ちゃんを家まで送ってから会社行くでな。出勤時間、九時やろ? 俺は八時やし」


 テーブルの上のリモコンを取ってテレビをつけてから、伊沢くんは私を見て優しくそう言った。


「うん。ありがとう……って言うか、今さらなんやけどさ、私……この部屋に泊まってもええの?」


「なんで? 佳也ちゃんは、俺と朝まで一緒に過ごしたないん?」


「そっ、そんなこと…… 一緒にいられるんは嬉しいけど、お母さんたち下におるやん? それってどうなんかなぁって」


「ウチの家族、誰も気にしてないと思うで?」


「えっ、嘘やろ? 私の実家やったら大事《おおごと》やで? 彼氏を家に泊めるとか、絶対許されへんと思う。それも、同じ部屋で寝るとか……」


「そうなん? 女の子やからちゃう? うちは全然平気やで」


 これは……おそらく初めてではないんだろう。きっと、今までの彼女もこうやって自宅に泊めてきたに違いない。何だか少し胸がもやもやするが、素直にそれを問いただすことはできない。付き合って早々、嫉妬心をさらけ出して、重い女だと思われたくはない。そんなことを悶々と考えている私の目の前で、伊沢くんは、おもむろに着ていたトレーナーとジーンズを脱ぎ始めた。


(ふぁっ!?)


 私は、ぎょっとしながらも、思わず目を見開いて、半裸の彼を上から下までじろじろと見てしまった。細身な身体に似合わず、半袖姿の腕が逞しいとは思っていたが、やはり思った通りどこにも贅肉の付いていない、引き締まった美しい身体つきである。建材の積み下ろし作業で鍛えられているせいだろうか。


「綺麗な身体しとるなぁ」


 思わずそう口走っていた。ここは、恥ずかしがって目を逸らすべきシーンだろう。私は、照れ屋なくせに妙なところだけ大胆なのだ。それに、綺麗なものは綺麗だと言わずにはいられない性分である。


「佳也ちゃんエッチやなぁ。見やんといて〜!」


 伊沢くんは、おどけた調子でそう言って、腕をクロスさせて胸を隠した。そして、ベッドの上に無造作に脱ぎ捨ててあったグレーのスウェットを手に取り、ゆったりとした仕草でそれを身に着けた。


「佳也ちゃんも着替えたら?」 


「う、うん……」


 そういう問題ではないかも知れないが、あんな美しい裸を見た後で、さしてスタイルの良くない自分の裸身を晒すのは嫌だ。彼には後ろを向いていてもらい、部屋の隅でそそくさと着替えを済ませた。お気に入りの、濃いベージュの生地に、黒い水玉模様のパジャマである。


「佳也ちゃん、おいで」


 既にベッドに入った彼は、無邪気に笑いながら掛け布団を捲って私を呼んだ。


「……やっぱりそこで一緒に寝るんや?」


「それ以外ないやろ?」


 私もそこそこ経験を積んだいい大人なのだから、今さら初心なフリをするつもりはない。しかし……しかしである! やっぱり気になってしまうのだ。いろいろと。


「じゃあ……ひとつだけお願い聞いてくれたら、私も言うこと聞くわ」


「えっ、なに?」


「化粧《メイク》させて」


「なんて?」


「口紅とかアイシャドウとかつけさせて」


「え〜っ! イヤや!」


「何でよ〜、お願い!」


「絶対イヤ!」


「ふ〜ん? そんなら一緒に寝たらへん」


「何なんそれ〜! なんでそんなことしたいん?」


「お肌綺麗やし、顔女の子みたいやし、似合いそうやから」


「やっぱりイヤや〜」


「お願い! 口紅だけでも!」


 私は手を合わせてぎゅっと目を閉じ、伊沢くんを拝んだ。


「〜〜っ、しゃあないなぁ……」


「わ〜い! ありがとう!!」


 私は、持ってきた大きめのトートバッグから、いそいそと化粧ポーチを取り出した。


「伊沢くんは肌が浅黒いでなぁ……やっぱりピンクよりはオレンジ系かな? それとも朱赤がええかな?」


「もう何でもええわぁ。任せる〜」


 ベッドにちょこんと腰掛けた伊沢くんは、脱力しつつ、へろへろと情けない声を出した。


「じゃ、軽〜く唇閉じとってな〜」


 私はそう言いながら、鮮やかな朱赤の口紅をリップブラシに取り、彼の薄くて形の良い唇の輪郭をすうっとなぞった。


 目を閉じて、私にされるがままの彼の身体がぴくりと動く。


「ふふふ、綺麗やでぇ。やっぱりアイシャドウもつけさせて?」


「……派手な色はやめてな」


「大丈夫、ブラウン系やで。目ぇ瞑っといてな」


 私がそう言うと、伊沢くんは素直に瞼を閉じたまま、じっとしている。


(カワイイなぁ)


 この艶っぽい唇にいきなりキスしたら、伊沢くんは驚くだろうか。息がかかりそうな距離で、彼の瞼にブラウンの陰影《グラデーション》をつけながら、私はそんなことを考えていた。その刹那、私は彼の腕の中にぎゅっと抱きすくめられていたのだ。


「ちょっと! まだお化粧終わってないんやけど!」


 そんな私の言葉にはお構いなしに、彼は私の唇を奪い、そのままベッドに押し倒そうとする。私は、身をよじってじたばたと抵抗した。


「いやっ、やめて……」


「ホンマにイヤ?」


「…………じゃない」


 私は小さくそう呟いて、彼の目をじっと見上げた。息が止まりそうなほど、どきどきと胸が高鳴る。口紅とアイシャドウをつけた伊沢くんは、妖しくてとても綺麗だ。でも、やっぱり男は男に見えるもんだなぁなどと、頭の片隅で冷静に考えていた。


「俺の口紅が移っとる……」


 彼は、そう言ってうっすらと微笑み、もう一度私の唇に優しくキスをしながら、パジャマのボタンにそっと指をかけた。


 そのときである。ミシミシと階段を登る足音に気づいた私たちは、固まって至近距離で目を見合わせた。その瞬間、ドアをコツコツと小さくノックする音が響いた。


「拓斗《たくと》、まだ起きとる? 明日の朝ごはん、佳也子ちゃんも食べてくんやんな?」


 お母さんの声である。

 身体の上に覆い被さったままの伊沢くんを押しのけて、私はベッドの下にとすんと滑り降りた。お母さんは、さすがにいきなり入って来ることはなかったが、ドアの外で返事を待っている気配がする。


「朝ごはんまで申し訳ないって……」


 私は小声でそう言ったのだが、伊沢くんは全く聞いていなかった。


「何なんやいきなり! 食べてくで用意しといたって!」


 彼が強めの口調でそう叫ぶと、お母さんは、「はいはい」と返事をして、またミシミシと階段を降りてゆく音がした。


「やっぱりこんなん無理や……」


 私は、しかめっ面で床にへたり込んだまま、ベッドの上の伊沢くんの顔を見てそう言った。

 彼は、「もう来やんよ。大丈夫やって」と、諭すように言いながら、私の両腕を引っ張って、また自分の隣に戻そうとする。


「お化粧……ちゃんと落としてから寝た方がええよ」


 私は、彼の腕から逃れつつ、そう言ってバッグから取り出したメイク落としシートを彼に渡した。


「ホンマにこっち来て?」


 メイクを落とした後、ベッドに戻った伊沢くんにそう言われ、私は素直にその言葉に従った。彼の隣に滑り込んで、引き締まったその胸に顔を埋めると、かすかに石鹸のいい香りがして、胸がきゅんと狭まった。


「佳也ちゃん、好きやで」


 伊沢くんは耳元でそう囁きながら、私をぎゅうっと抱き締める。切なくて、幸せな気持ちが溢れて、目の奥がじわんと熱くなった。恋人に愛されている。当たり前のことがこんなに嬉しい。


 だけど、何だか不思議だ。伊沢くんとは同じ高校だったが、彼は一学年上の先輩だし、とりわけ目立つグループに属していたらしい。ゆえに、地味めな後輩だった私とは、当時は全く接点がなかった。それなのに、今はこうして抱き締め合って、夜を越えようとしているなんて。


 それにしても、高校を卒業してからも時々一緒に遊ぶと言っていた、あのキラキラした女の子たちとは、今でもまだ会ったりしているのだろうか。実は、私と一緒にいるよりもそっちの方が楽しいんじゃないか……そんなことを悶々と考えたりもするのだが、やはり、それを問い詰めることなど出来ないのだった。


「……佳也ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんやけど……」 


 私を胸に抱いたまま、伊沢くんはそう切り出した。


「うん? なに?」


「えっとな、あの……今さらなんやけど、佳也ちゃんと社長の噂って、ホンマのことやったん?」


「……その噂、まだ消えてなかったんや……? それは絶対無いって何度も言うとんのに」


「ホンマにホンマなん? 嘘ついてない?」


「嘘なんかついてない!」


「……わかった。佳也ちゃんのこと信じるわ」


「うん」


 今さらこんな事を聞かれるとは思わなかった。そんな疑いを持たれながら、二ヶ月の間付き合っていたのかと思うと、何ともざらっとした気分である。


「それと、あとひとつだけ聞いてもええ?」


「何なん? 怖いんやけど」


「……安斎さんとは、何でもなかったん?」


「えっ、あっ、安斎さん?」


「うん……安斎さんとも怪しいっていう噂があったんさ」


 まったく、どうなっているんだろう。そんなこと、社長や店長も気づいていない様子だったのに。


「……いったい誰がそんな噂流しとるん?」


「事務員の姐さんたちから聞いた。去年の春に、N電機の住宅設備展示会があったやん?」


「うん」


「その展示会に佐田《さた》さんが行ったやろ?」


「ああ、そう言えば来てたなぁ」


 若いお姉さんたち二人は来ていなかったが、ベテラン事務員の佐田さんは、確かに会場にいた。


「佐田さんがそこで見たんやって。佳也ちゃんと安斎さんが喋っとるとこ。何かただならぬ雰囲気が漂っとったって聞いたんさ」


 ……驚いてしまった。何という女の勘。彼女は淡々としつつもどこか人の心を見透かすような、只者ではない目つきをしているのだ。やっぱり恐ろしい人である。


「はぁ……」


 私は、思わずため息をついた。


「安斎さんのことは……本当に好きやったよ。でも、私の片思いやったんさ」


 みなまで語らなかったが、嘘をついたわけではない。


「ふ〜ん。なんか、ちょっとだけショック」


「もう転勤してったしな。結婚もするって聞いたし……」


「う〜〜ん」


「今は、伊沢くんが好きやもん」


「……信じてええの?」


「うん。信じて欲しい」


 私がそう言うと、彼は私の瞳の奥をじいっと覗き込んだ。そして、私たちはまた深く口付けを交わして、お互いの身体の温もりを確かめ合った。

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