苦いキス
十九の夏を切り取った写真の中の私は、恋を失ったばかりとは思えぬほどキラキラと生命力に溢れ、自分の若さが永遠のものだとでも言わんばかりに、青春を謳歌しているように見える。
しかし、それは『あの頃の私』の母親ほどの年齢となった『今の私』から見た印象であって、当時の自分の心境など、もはや忘却の彼方である。
ただ、これだけは覚えている。
恋と呼ぶのも憚られるほど短く散った恋。
そんなもの一日も早く忘れて前を向こう。
失恋なんて誰でも通る道だ。
時が傷を癒やしてくれると言うではないか。
そんな風に自分で自分を励ましたことを。
何よりままならぬことと言えば、部員たちの私を見る目だった。
少し前の、幸せ者を冷やかすような視線とは打って変わって、恋人に捨てられた可哀想な女を憐れむ目で見られるようになった。
さもありなんとは思う。
まるで下手な恋愛小説のような失恋だったのだから。
高校時代はあんなにも平穏で、至って地味な学生生活を送っていた私が、一年も経たぬうちにどうしてこんな風になってしまったのか。
そう考えるたび、情けなくてため息をついた。
そもそも、なぜそんな居心地の悪い思いをしながらも、バレー部のマネージャーを続けていたのかと言えば、ただ、自分が真面目で負けず嫌いな人間だからに他ならない。
少しくらい辛い事があったとて、ここから逃げては負けだ、私はもっと頑張れるはず。
そんな妙な粘り腰が、私をここに留めていたのだ。
素直にやめておけば良いものを。
気鬱な部活動とは違い、短大の授業は思いの外面白くなっていた。
特にテレビやラジオの放送実習は楽しかった。
アナウンサー、カメラクルー、音響、タイムキーパーなど、役割を割り振って模擬番組を作るのだが、特に私が皆に褒めてもらえたのは、ラジオのDJとして、一分程度の短い原稿を書き、それを読むというもので、「原稿も面白いし、声のトーンも高過ぎず低過ぎずで聞き取りやすい」と、高評価をいただいたのだ。
現実的には、優秀な人材が数多志望するマスコミ関係の仕事に、無名の短大生が就職するのは困難だと分かっていたし、実際、卒業生でそういったところへ就職した人はゼロではないが、ほぼいなかった。
それゆえに、これはお遊びのようなものだと割り切ってはいたものの、やはり人から褒められ、認められるのは嬉しく、自分は意外と書くことや話すことが好きなのかも知れないと、チラリと思った出来事であった。
休日は、地元京都出身の綾に案内して貰い、咲子や美彩たちと一緒に、清水寺や金閣寺、二条城など、まるで修学旅行気分であちこちの神社仏閣や観光名所を見て廻ったり、すぐ近くの嵐山を食べ歩きしながら散策したり、若者の集う四条河原町で、話題のお店をあちこち巡ったり、洋服や化粧品など、お互いアドバイスし合いながらショッピングを楽しんだり、話題の映画を一緒に観たりと、若物らしい遊びや、京都での暮らしを満喫していた。
娯楽らしい娯楽などなかった故郷での暮らしとは打って変わって、心浮き立つ色鮮やかな日々であった。
私はもう、失恋の痛手からすっかり立ち直ることが出来ていた。
少なくとも、自分ではそう思っていたのだ。
◇◇
「佳也子ちゃん、俺や室井が余計なことしてごめんな」
他大学との練習試合を終え、自宅付近へと車で送ってもらう道すがら、ハンドルを握る松宮さんは、申し訳なさそうな声でそう言った。
練習試合のときは大抵、運転の出来る先輩方の車に分乗して、対戦相手の大学まで行っていたのである。
そして帰りも適当に分乗し、そのまま最寄り駅か、自宅付近まで送ってもらうのだった。
その日、私はたまたま彼の車に乗せてもらっており、同乗していた他の男子部員二人を先に降ろすと、最後に私と松宮さんの二人きりになってしまったのだ。
同じアパート住まいの美彩は、この日部活を休んでいた。
「えっ? ああ、こっちこそすみませんでした。あんなお膳立てまでしてもらったのに……」
「いや、まあ、大変やったな」
「いや、もう全然気にしてないですから」
「ホンマか?」
「ホンマですよ」
「無理してないか?」
「してませんて」
「あんまり無理して強がることないんやで?」
(う〜っ、本当にもう大丈夫なんやけどなあ……っ!)
一体どうして、そんな風に私を哀れで健気な女に仕立て上げたいのだろうかと、半ば鬱陶しい気分になり、思わず眉間に皺を寄せ、唇を噛みそうなところをぐっと堪えていた。
それゆえ、次に続いた台詞を聞き逃すところであった。
「なんか、俺、佳也子ちゃんのこと気になってる……」
「は?」
「傷付いた素振りも見せんと頑張ってるとこが健気やなあって……」
(待って、それ以上言わんといて……)
「俺と付き合ってくれへん?」
(なんでなん!?)
『モテ期』などと言う言葉は当時はない。しかし、これは……紛れもないモテ期であった。
いや、それともそんなに同情されるほど、当時の私は辛気臭い顔をしていたのだろうか。
「いきなりそれは……」
「今すぐ返事が欲しいわけやない。考えといてくれへんか?」
「いや、そんなこと言われても、岡本さんの次は松宮さんって……おかしいでしょ」
「別におかしいことないやろ」
「いやいやいや……他の人からどう見られるか……」
「他の奴は関係ないやろ?」
「世間体ってもんがありますよ」
「世間体て、オバちゃん臭いこと言うなあ自分」
二人でそんな不毛なやり取りをしているうちにアパートに到着し、はたと気付けばすっかり日は落ち、電気も点いていない暗い部屋で、私は深いため息をついていた。
「どうしたらええんや……」
一人でいると、考えが堂々巡りで行き詰まる。
しかし、このまま返事をせずうやむやにするなど、あまりにも不誠実であろう。
それにしても、若いときは悩んでいてもお腹が空くものである。
あの失恋以来、私は自分の生活力の無さに思うところがあって、ちゃんと本を見て料理を作るようになっていた。
包丁を持つ手付きはまだまだあやしいものの、それなりにレパートリーも広がって、作り置きの惣菜や、冷蔵庫の中の残り物を使った簡単な料理などで、それなりにちゃんとした食事を摂ることが出来るようになっていた。
この日も、そんな風に手早く夕飯を済ませると、私は下の階に住む美彩に電話し、今から遊びに行っても良いかと訊ねた。
◇◇
「いらっしゃい」
突然の訪問にも関わらず、美彩はいつもにこにこと快く迎えてくれる。
「は〜、落ち着くわ。ここに来ると……」
靴を脱いで部屋にあがった途端、思わずそう呟いて、頬が緩んでしまう。
女の子らしい暖色使いのラグやカーテンで彩られた部屋には、カントリー調の木製家具が置かれ、縫いぐるみやドライフラワー、少女漫画など、いかにも若い女の子の部屋といった小物たちが、片付け過ぎず、ごちゃごちゃもし過ず、ごく自然に置かれている。
私は、美彩の淹れてくれた、茶葉の旨味が良く出たお茶をゴクリと一口飲んで、ほっと安堵の息をついた。
「ええーーっ! 松宮さんが!?」
私の話を聞いた美彩は、思った以上に驚いていた。
「うん。何でか私のこと、やけに健気な女やと思いたがってて困るわ。そういうタイプやないのに……」
私が大きくため息をつきながらそう話すと、美彩は少し考え込むような顔をしてこう言った。
「う〜ん。失恋したての弱ってる女の人に興味を持つ男の人、いるらしいからね」
「あ〜、やっぱり? 別に弱ってないんやけどねえ」
「うん。もう元気そうに見える」
「そうやんなあ。……どうしたらええんやろ」
湯呑の中で寝てしまっている茶柱をじっと見ながら私がそう言うと、美彩はふわりと微笑んで、「佳也子ちゃん、松宮さんとは話し易そうに見えるけど、実際どうなの?」と、私の思いもよらないことを言う。
「えっ? ああ、確かに話し易いっちゃあ話し易いかな」
「ね、それって結構大事なことじゃない?」
「……そうかも。岡本さんとはなんか緊張してうまく話せへんかったもんなあ」
「なまじ見た目が好みだとそういうことってあるかもね。あと、岡本さんて割と無口だったし」
「そうそう、確かに。その点、松宮さんはめっちゃ喋ってくれるし気が楽かも」
「いいんじゃない? 付き合ってみても」
「うん……でも、みんなの視線が……」
「大丈夫じゃない? 岡本さんと付き合ってたのなんて一ヶ月そこらでしょ?」
「ううっ、痛いところを……でも、まあ、その通りやわ」
「ふふふっ」
私は、美彩にお礼を言って自分の部屋に戻ると、暫く床に座り込んで電話を見つめていたが、思い切って受話器を取ると、今日、教えて貰った松宮さん宅の電話番号を、胸の鼓動を抑えつつ、慎重に押したのだった。
◇◇
「佳也子ちゃん、ちょっと……」
部活が終わると、美由紀さんと優子さんに呼び止められた。
「はい」
「この後予定無かったら、私たちとお茶せえへん?」
「はあ……」
二人は何だか意味ありげににこにこと微笑んでいる。
(な、なんで? 呼び出されるようなことしたっけ? まさか、松宮さんとのことで何か……)
私は、キャッキャと楽しげに会話する二人の後ろをおっかなびっくりで付いて行くと、そこは大学近くの小洒落た喫茶店であった。
初めて入ったが、店内は外から見た印象より広く、学生らしき若者たちでまあまあ混み合っていた。
「私、ホットコーヒーにするわ。優子は?」
「え〜、どうしよ。私はパフェとか食べてもいいですか?」
「優子、甘いもん好きやなあ。佳也子ちゃんも好きなもん頼み? 私、奢るし」
「えっ、自分で払いますよ」
「ええからええから。遠慮せんとき」
「でも……」
「こっちが誘ったんやし」
「……じゃあ、私もホットコーヒーで」
「部活どう? 楽しい?」
美由紀さんは優しく微笑んでそう切り出した。
「はい。皆さん優しいし、楽しいです」
私は咄嗟に無難な答えを口にした。
「そう? そんならええんやけど、最近ちょっと元気ないなあって私ら心配してたんよ」
「えっ、そう見えますか?」
確かに、松宮さんと付き合い始めた私は、周りの目を気にしてぎこちなかったかも知れない。
あんなに話し易いと思っていた彼とも、いざ恋人として付き合うとなると、何となくギクシャクとした感じになってしまう。
恋愛に不慣れな自分が歯痒かった。
「何か悩んでることあったら聞くよ?」
優子さんも、柔らかな表情で私をじっと見つめる。
「ええっと、特に何もないんですけど……」
「松宮とのことで、何か悩みがあるんちゃう?」
「避妊とか……ちゃんと気をつけてる?」
「はあ!? ひ、避妊!? 突然なに言って……」
「いやいや、大事なことやで。松宮にもちゃんとしてって言わなあかんし、自分でもちゃんと気をつけて……」
「ちょっ、ま、待ってください!」
「どうしたん?」
「いや、あの、私、キスすらまだ……」
「……嘘やろ? あの手の早い松宮と付き合ってて?」
「いや、松宮さんがどうとかじゃなくて、私、全くなんにもしたことないんです……」
「ホンマのこと言うてる?」
「……はい」
「岡本とは?」
「……してません」
(何で毎回驚かれながら、こんな恥ずかしいこと暴露せなあかんの? そんなにみんな経験済みなん?)
私は、二人の顔をまともに見られず、恥ずかしさに俯いてしまう。
「いや〜、そこまで初心な子に松宮くんが行くとはね……」
最近、彼氏と別れてしまったらしいが、恋愛経験豊富だという噂の優子さんは、心底驚いたような口調でそう言った。
◇◇
その頃、友人の咲子も恋をしていた。
相手は、松宮さんと同じ二回生の野々村さんである。
彼もバレー部員だが、他の部員たちとは少し距離を置いて付き合っているようだった。
お坊っちゃん育ちといった雰囲気の、優しそうで整った顔立ちをしており、体つきもほっそりとしている。
ボーイッシュな咲子とは対照的な雰囲気だが、二人は傍から見てもお互い想い合っているのが分かる、お似合いのカップルだった。
私は、そんな恋愛の先輩となった咲子の話を聞いてみたくなり、こうして彼女の部屋に遊びに来たのだった。
少年のような彼女の雰囲気に似合う、色味や飾り気の少ないシンプルな部屋である。
私は、彼女がスカートなど履いているところは見たことがない。
いつもジーンズを履き、ゴツいスニーカーやスポーツブランドのリュックなどを身に着けている彼女が、恋人と二人きりのときはどんな風に振る舞うのだろう。
そんなことを考えながら、ふと窓辺に吊るされた洗濯物に目をやると、そこには意外なほど女っぽいレースの下着類が干されていてドキッとした。
私たちは、近所のコンビニで買ってきたお菓子を食べながら、お互いの恋愛について取り留めもなく話していたのだが、私には大して語ることなど無かったし、咲子の惚気話を聞いている方がずっと楽しかった。
「なあ、咲ちゃん、ちょっと聞いてもええ?」
「ん? なに?」
「……キスってどんな感じ?」
「へ? 佳也ちゃんもしたことあるでしょ?」
「いや、それがまだなんよ。そやからどんな感じなんかなあって思って」
「えっ、嘘っ! 本当に?」
(はあ……この話、何人にしたやろか? そしてみんなに驚かれるって何なん?)
「ホントにホント」
「へ〜、なんか意外。それに、松宮さんて経験豊富でめちゃくちゃ手が早いって野々村くんから聞いてるのに」
「やっぱりそうなん!?」
「うん」
「それで美由紀さんと優子さんが妙に気にしてくれてたわけか……」
「そうなの?」
「うん……なんか、避妊に気をつけてって言われた」
「あーー、まあ、大事なことだしね」
「ええっ? 咲ちゃんの口からそんなこと聞くの意外!」
「付き合ってたら当たり前のことだよ」
「……そっかぁ」
「そうだよ」
「で、キスするときってどっちかからキスしよ〜って言うもんなん?」
「そういうときもあるけど、普通は気が付いたら自然としてるって感じかな」
「へ〜! どういう感覚なん? してるとき」
「そうだね〜、ふわふわしてドキドキして幸せって感じ? なんか上手く言えないけど」
「ふーーん」
「でもね、エッチする前のキスは、普段のキスとはまた違った感じで、情熱的で凄くドキドキするよ」
「ひええ」
「なによ〜、その反応」
「やっぱり大人やなあと思って!」
心のどこかで、自分と大差無いはずと決めつけていた咲子の女性としての成熟度が段違いに高いことを知って、私は思いの外衝撃を受けていた。
◇◇
六甲山の展望台から眺める、地上にばら撒かれた星屑の如き夜景はやはり美しかった。
満天の星空は故郷でいつも見ていたが、こんな都会ならではの地上の星の煌めきを恋人と見る日が来るなんて、想像したこともなかった。
松宮さんに夜景を見に行こうと誘われたときは、正直警戒してしまったが、食事や買い物を楽しんだ後、二人で寄り添いながら眼下に広がる美しい景色を眺めていると、この先もこの男と上手くやっていけるのではないかと、希望のようなものが湧いてきた。
松宮さんがハンドルを握る帰りの車中でも、私たちはごく普通の恋人同士、もしくは仲の良い友人同士のように他愛のない話で盛り上がり、気が付けば、もうすぐそこが私の住むアパートだった。
もう深夜で、門限など軽く過ぎていたが、その頃の私は既に、管理人夫婦に気付かれず、アパートに忍び込む術を身に付けていた。
とは言え、あまり近くまで車で行っては、エンジン音やライトの明かりで気づかれてしまう。
「ここで降りますね。今日はありがとうございました」
そう言ってそそくさと助手席のドアを開けようとしたその瞬間、私の右腕を松宮さんがぎゅっと掴んだ。
「佳也子ちゃんて、いつもアッサリしてるな」
「……すみません」
「付き合ってもう二ヶ月以上経つのにずっと敬語やし」
「……だって先輩やし、この方が喋りやすくて」
「彼氏やろ?」
松宮さんはそう言って私の身体を引き寄せ、抱き締めた。
ヘビースモーカーの彼からは、いつも吸っている洋煙草の匂いがする。
「なあ、後ろの席に移ろか……」
耳元でそう囁かれ、私は素直に頷いた。
二人で後部座席へと移動した後も、彼は私の身体を抱き締めながら、「この匂い好きや……」そう言って、ヘアケアを頑張っていた、私の髪の香りを楽しんでいるようだった。
その頃、若い女の子の間で流行っていた、ウッディムスクの香りのシャンプーを、私も気に入って使っていたのだ。
「キスしよ……」
松宮さんが、掠れた声で囁く。
ああ、ついに来てしまった……
「私、キスしたことないんです……」
小さな声でそう答えると、松宮さんはまるで信じていないようにこう言った。
「嘘やろ? 今どき高校生でもそんなやつおらんやろ」
「そんなことないでしょ? まだハタチになってないんやもん、こんな人いっぱいいますて!」
「いやいや、そんな訳ないやん。佳也ちゃんこないだ岡本とお泊りしたやろ?」
「あ、あれはただ夜通し話してただけですよ!」
「それ絶対嘘やろ、ええ年した男と女が」
「いや、ホンマですって!」
「ふ〜ん? それがホンマやったら、これがファーストキスってことになるな」
「えっ?」
「目ぇ閉じてみて」
「嫌です」
「ええから」
「良くないです……っ?」
気付いたときには、私の唇に松宮さんの唇が重なっていた。
それはごく軽く触れるようなキスで、一瞬何が起こったのかと思うくらいのものだったが、思い切り見開いたままの目は、至近距離で松宮さんの色白の肌と伏せた長い睫毛を見ていた。
さっきまで彼が吸っていた煙草の匂いが鼻孔に強く刺ささった。
「……どうやった? 初めてのキス」
松宮さんはニヤリと笑ってそう言ったが、私は思わぬ事態に混乱し、うまく声が出てこない。
乾燥した唇に、柔らかな人肌の感触が残っている。
呆然とした私の目をじっと見つめ、彼は薄っすらと開いた唇で再び私の唇を奪い、強引に私の口をこじ開けようとする。
ぬるりとした舌の感触に驚き、思わず勢いよく彼の身体を突き放してしまった。
「やめて……」
私はそう言って、彼から顔を背けた。
言葉が出なかった。
とにかく早く帰りたい……
「どうしたん?」
「……もう帰る」
やっとの思いでそれだけ言うと、私は逃げるように車から降り、別れの挨拶もそこそこに自宅アパートへと足を早めた。
彼は何か言っていたかも知れないが、後は振り返らなかった。
足早に階段を上がり、玄関のドアを乱暴にバタンと閉め、バタバタと洗面所に駆け込む。
勢いよく蛇口をひねり、両手で水をすくって何度も何度も口を濯いだ。
洗面台の鏡には、顔色を失い、今にも泣き出しそうな情けない顔をした、乱れ髪の女が映っている。
(私、松宮さんのこと愛してない……)
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
洗面台の縁を掴んで項垂れながら、小さな声で何度もそう呟いた。
ただ、松宮さんに申し訳なくて、馬鹿な過ちを犯した自分がどうしようもなく情けなくて、涙が零れて止まらなかった。
取り敢えず、R15にしておきました。