表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
問わず語り  作者: ごろり
3/105

初めての恋

 波乱の新歓コンパの翌日から、私と岡本さんは部内の公認カップルのような扱いになっていた。

 誰とも交際などしたことがなかった私にとって、それは非常に居心地の悪い状況で、もう既に部活を辞めたい気持ちでいっぱいだった。

 だいたい、私たちはまだ、付き合っているわけではない。

 あのときの岡本さんの言葉に、私は「ちょっと待ってください……」と言葉を濁したのだが、彼はお酒が入っていたせいかやけに積極的で、さっきまでいた男ばかりの席から私の隣に移動し、腕が触れ合うほどの距離、と言うか、もはや私にもたれ掛かるようにして、会がお開きになるまで、にこにことそこに陣取っていたのだ。


(ホント、困る……)

 私は、ついついため息をつきながら、練習中の岡本さんの姿を目で追った。

 エンドラインギリギリに決まりそうなスパイクを見事レシーブする姿や、強烈なスパイクを相手コートに叩き込む姿……やはり、どの瞬間を切りとっても格好いいとは思う。

 鋭い切れ長の目は少し怖そうに見えるが、鼻筋も通っていて、なかなかの美形。

 身長はバレーボール選手としては低めかも知れないが、178センチと十分高いし、細過ぎず太すぎずの引き締まった身体つきは男らしい。

 彼が私の恋人だったらと考えると、胸がきゅんとしないでもない。

 しかし、だからと言ってあんな酒席での戯れを真に受けるのはどうなのだろう。素面シラフで言われたことならいざ知らず。

 いくら恋愛経験を積みたいと言っても、彼がどこまで本気なのか分からないし、あまりにも簡単になびくのはみっともないような気がする……


「佳也子ちゃん、良かったね」

 美彩がニコニコしながら小声で囁く。

「さっそく彼氏出来て羨ましいな〜」

「岡本さん、男前やもんなぁ」

 咲子と綾もそう言って私をからかう。

「いや、べつに付き合ってないし……」

 頬が熱くなりながらも、眉をしかめて訂正すると、さっきまで二人で話していた先輩マネージャーの美由紀さんと優子さんも興味津々といった様子で、私たちの会話に加わる。

「佳也子ちゃんも、岡本のこと嫌いじゃないなら付き合ってあげたらええやん」

「そうだよ。何かまずいことでもあんの?」

 二人は口々にそう言うが、私は先輩方のように男女交際の熟練者ではなく、完全なる初心者なのだ。

 ちゃんと告白されたとは言えないこの状況で、具体的にどうしろと言うのだろう。

「あれは本気にしていいんでしょうか?」などと、私から訊ねなければならないのだろうか。

 そもそも、私は果たして彼に恋しているのだろうか。

 ぼんやりと考えごとをしているうちに、気がつけば部活が終わる時間になっていた。

(このまま、うやむやにならんかなぁ……)

 そんなことを思いながら、スポーツ飲料の入った容器やスコアブックなどを片付けていていたのだが、ふと視線を感じて振り向いたその先に後片付けを終えた岡本さんが立っていて、私の方へすたすたと近づいて来るのが見えた。

「この後、ちょっと時間いい?」

 彼は、少しぶっきらぼうにそう言った。

「……はい」

 ドクンと心臓が跳ねたような気がした。

 何人かがこちらをチラチラと見ている。

(もう嫌や、この状況……)

 私たちの一挙手一投足に注目が集まっているのがひしひしと伝わって来て、どうにもいたたまれなかった。


 私と岡本さんは、皆が帰った後の体育館に二人残った。

「昨日言ったことやけど、あれ、本気やから」

 岡本さんは伏し目がちにそう言って、私の返事を待っているようだった。

「……あの、私……か、彼氏とか、いたことなくて……」

 思わず正直なことを言ってしまう。

 私はもともと、取り繕ったり、嘘をついたりするのが下手なのだ。

「えっ、嘘やろ?」

 岡本さんは信じられないといった表情で、私の目をじっと見つめる。

(やめて……緊張するやん!)

 思わず目を反らし、俯いてしまう。

「や、ホント、です。付き合う……とか、急に言われても……」

 私は、しどろもどろにそう答える。

「そしたら、俺を初めての彼氏にしてくれる?」

「えっ?」

「どう?」

「どうって言われても……」

「……」

 岡本さんがどんな表情をしていたのかは分からないが、彼は私の答えをじっと待っていた。

「……はい」

 根負けしたようにそう答えてしまった。

 彼のことを本当に好きなのかどうかは分からない。

 しかし、恋の始まりなんてだいたいそんなものかも知れない。

 最初からお互いが同じ熱量で想い合っている方が珍しいのではないか。

 高校時代より少しだけ大人になったつもりの私は、そう思ったのだ。

 それに、恋のチャンスが巡ってきたときは、逃げるのではなく、飛び込んでみようと決めたばかりではないか。だから、これでいいんだ。

 そんな風に自分に言い訳しつつ、気恥ずかしさを誤魔化していた。

 こうして、私にとって初めての彼氏と呼べる人が出来たのだった。

 しかし、このときの私は何も分かっていなかった。

 異性とのお付き合いのことも、岡本さんの本当の想いも……


 携帯電話もない時代、恋人たちの連絡手段は、自宅への電話のみだった。

 お互い一人暮らしとは言え、私と岡本さんはマメに電話し合うということは無かった。

 部活で毎日のように会えるというのもあるが、今思えば、まるで中学生のお付き合いのように、部活中少し話したり、たまに一緒に帰るといった風で、十九歳と二十歳になる若者としては、甚だ幼い交際だったのだが、私は恋愛初心者ゆえ、大した違和感を持つこともなく、そのままひと月ほどが過ぎていった。


「今晩うちで焼き肉パーティするんやけど、岡本と佳也ちゃんもどう?」

 ある週末、私たちは、岡本さんと同じ二年生部員の室井さんと松宮さんに誘われ、室井さんのワンルームマンションにお邪魔することになった。

 二人は、明らかにぎこちない様子の岡本さんと私に気を揉んでいたようで、今回私たちを打ち解けさせるべく、この会を企画してくれたようだ。

 当日、下戸で車を持っている室井さんが、松宮さんと私たちを迎えに来てくれた。


 室井さんとは高校時代からの付き合いだという恋人の由香ゆかちゃんが、ひと足先に来て野菜を切るなど、準備を整えてくれていた。

 ポニーテールがよく似合う、目の大きい可愛い子だった。

「いらっしゃい!」

 由香ちゃんはにこにこしながら私たちを迎えてくれる。

「お邪魔します。準備手伝えなくてすみませんでした」

 私は彼女にそう言って挨拶したが、(危ない包丁捌きを見られなくて良かった……)実はそんな情けないことを考えていた。


 それにしても、私のイメージしていた男性の一人暮らしの部屋とは違い、スッキリと片付いて清潔感のある部屋だ。

 目立つものと言えば、部屋に入って右側の壁に沿って置かれているベッドと、ホットプレートや食器類が並ぶ大きめのローテーブルくらいのものである。


「その辺のお肉、もう焼けてるで」

 ホットプレートの上に、由香ちゃんが、甲斐甲斐しく肉や野菜を並べてくれる。

「おっ、美味そうやん」

 室井さんが、さっそく自分の器に肉を載せた。

「ちょっと、お客様が先やろ!」

 由香ちゃんは室井さんの手をペシッと叩く。

「イテッ、ごめんて」

 室井さんは苦笑いして手を引っ込めた。

(これぞカップルって感じや……)

 私はしみじみとそう思い、隣に座ってはいるが、心は遠く離れているような自分と岡本さんの関係をまざまざと思い知った。

「お前らもう夫婦やな。卒業したら結婚すんねやろ?」

 松宮さんが冷やかすようにそう言うと、「俺はそのつもりやねんけど、こいつがなぁ……」

 室井さんは由香ちゃんをチラリと見て言い淀む。

「あたし、大学卒業したらアメリカに留学したいねん。将来、英語を生かした仕事に就きたいし」

 由香ちゃんは室井さんと同い年だが、別の大学の英文科の学生らしい。

「……そしたら結婚はまだ暫く先やな」

 岡本さんがそう言うと、「うん。この人にはちょっと待ってもらうことになりそうやなあ」と、申し訳なさそうな顔をして言った。

「松宮くんは今の彼女とどんな感じなん?」

 由香ちゃんがそう訊ねると、松宮さんは困ったような顔をして「もう、あいつとはあかんかも……」と言葉を濁した。

「なんかあったんか?」

「なんでや?」

 岡本さんと室井さんが同時に声を発する。

「いや、なんかあんまり相性合わんて言うか……」

 松宮さんがそう言うと、「どういう意味で〜?」と笑いが起こる。

 みんなその理由が分かっているようだが、私は訳が分からなかった。しかし、聞くのも面倒なので、みんなに合わせて緩く笑顔を作っておいた。


「そろそろお開きにしよか!」

 後片付けも粗方済んだ頃、室井さんがそう言うので時計を見ると、もう十時を少し過ぎてしまっている。

「どうしよ……門限破りやわ……」

 少し慌ててしまったが、真夜中でもない限り、管理人室のインターホンを押して、適当な理由を話せば、多少の嫌味を聞く程度で中に入れて貰えるらしいことを聞いたことがある。

「岡本と一緒に、ここ泊まってったらええよ」

 室井さんがしれっと言うので一瞬聞き間違いかと思った。

「えっ? 泊まる?」

「うん。松宮を送ったら、俺、由香んとこ泊まるわ。岡本と佳也ちゃんこの部屋好きに使ってええよ。冷蔵庫の中のもんとか調味料も自由に使ってええから」

(どういうこと? この人、何言うとんの?)

「鍵、どうしたらええ?」

 岡本さんが口を開く。

(おい! 泊まる気か!?)

「帰るとき郵便受けの中に入れといて。俺、明日は由香と出掛けるし、遅くなると思う」

 室井さんは、そう言ってにっこりと笑う。

 由香ちゃんと松宮さんも同じように笑顔である。

(待て待て待て!!)

 私の心の叫びも虚しく、三人は「じゃあ、頑張って!」

 と玄関先で言い残し、車で走り去って行った。

(ちょっと〜! 何を頑張れって!?)

 玄関のドアの前で呆然としながらも、私は隣に立つ岡本さんの顔を、上目遣いでチラリと見上げた。

 岡本さんは、顔色ひとつ変えることなく、私を見下ろしていた。

「…………」

 お互い黙り込み、一瞬気まずい空気が流れたかに思えたが、岡本さんは「まあ、しゃあないな。取り敢えず部屋に戻ろか……」と、私の肩に手を置いた。


 テレビをつけているので、さほど沈黙は気にならない。

 私たちに気を遣ってくれているみんなの手前、さっきはくっつくように座っていた私たちも、今はローテーブルを挟んで微妙な距離を取っている。


「なあ、佳也子ちゃん……」

 岡本さんがおもむろに口を開く。

「はい」

「もうちょいこっち座りぃや」

「……あ、はい」

 私は座ったまま、ずりずりとにじり寄り、岡本さんの腕に自分の腕が触れるか触れないかのところまで近づいた。

 そんな私を、彼はおもむろにぎゅっと抱き締め、セミロングの髪が掛かる首筋に顔をうずめた。 

 彼が私の髪の匂いを確かめるように息を吸い込むのが分かった。

 あまりに突然のことで、息が止まりそうになる。

 沈黙が続く。

 私の身体は強張り、変な汗がじわじわと毛穴から湧き出る感覚を覚える。


「佳也子ちゃんて、本当に俺のこと好きなん?」

 吐息混じりの甘い声で、何と言うストレートな質問をするのだろう。

 甘やかな痛みに胸が締め付けられ、頭がぼーーっとする。

 しかし、その問いに即答出来るわけもない。


「俺な……俺自身も、あんまりよう分からんねん」

「……」

「実はな、俺、三ヶ月くらい前に中学時代から付き合ってた彼女と別れたばっかりやねん」

「……そうやったんですか」

「それでな、もうあいつのこと忘れよ思て、好みのタイプやった佳也子ちゃんに声掛けてん」

「……」

「ごめんな。こんな話して」

「……ううん、大丈夫です。何でその人と別れたんですか?」

「ちょっとした喧嘩。徳島と京都の遠距離やし、あいつも寂しかったんちゃうかな」

 岡本さんの家は、徳島で小さな町工場を経営していると聞いている。

「……まだ、好きなんですね、その人のこと」

「分からん」

「それって、逃げてるんじゃないですか?」

「……」

「私も正直、岡本さんのこと本当に好きかどうかなんて分かりません。だって、付き合うとかって初めてなんやもん……」

「そっか。そしたら、今日このまま朝まで抱き合って寝えへん?」

「……何でそうなるんですか?」

「あかん? それで朝になったらお互い結論出すっていうの」

「……わかりました。ただし、ここに座ったままでいいですか?」

「何で? ベッドあんのに」

「何でって、今の状況でそれは抵抗ありますよ。それに、あの二人のベッドやし」

「それはまあ、そうやな」


 私たちは抱き合いながら、お互いの生い立ちや故郷の話、岡本さんの彼女のことなど、早朝までいろんな話をした。

 さすがに、途中疲れて横になったのだが、幸い床に敷いてあるラグは柔らかかったし、もう夏も目前なので寒いこともなかった。

 眠いと言えば眠いのだが、胸が痛いほどドキドキして、とても眠れそうになかった。

 時折チラリと見てみると、岡本さんもそれは同じのようだった。


 この時期の夜明けは早い。

 空が徐々に白み始め、あと少ししたら始発の電車が動き出す頃だ。

「腹減ったな」

 岡本さんがそう呟いたので、私は彼の身体からそっと離れ、キッチンに立ち、冷蔵庫を開けた。

(室井さん、使っていいって言うたよな……)

 冷蔵庫には、うどんと飲み物しか入っていなかった。

「うどんしか入ってませんよ」

「へ? なんやそれ。そしたらうどん作ってくれる?」

「……」

「どうしたん?」

「私、うどん作ったことないです」

「……」

「でも、伊勢うどんっぽい感じならいけるかも……」

 今考えてみると、そのとき私の作ったうどんは、ただ麺をゆでて、醤油をぶっかけただけのものだったような気がする。

 伊勢うどんは、確かにたまり醤油の色が濃いが、勿論そんな単純な味付けではない。


「あいつ、料理も上手かったんや……」

「……すみません。私、料理ダメで」

「はぁ……」

「…………岡本さん! 私たち別れましょう!」

「えっ?」

「一晩抱き合って過ごしたのはさすがにドキドキしました。でも、本当に好きかどうかは分かりませんでした」

「そうなんか?」

「はい。でも、岡本さんがどんだけ彼女を大事に思ってるかは分かりましたよ」

「……」

「だから、もう、これで……」

「……ごめんな」

「何で謝るんですか? 私が振ったのに」

「はは、そうやな」

「でも、明日からも普通に接して貰えますか?」

「うん。分かった」

「それで、彼女とちゃんとヨリを戻してください」

「……戻れるかな」

「ちゃんと話し合えば大丈夫ですよ。お互い嫌いになったわけやないんでしょう?」

「うん。そうやな……」

「じゃあ、頑張って」


 私は、岡本さんを部屋に残して最寄り駅へと向かった。

 さっきまで触れ合っていた記憶が、まだ身体に残っている。

 甘いような、冷えてゆくような痛みが胸を刺す。

(でも、別に本気で好きやったわけやないし!)

 私は、顔を上げて朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。

 少し鼻の奥がツンとする。

 でも、全然平気、私は大丈夫だ。


 岡本さんが退学し、故郷に帰って結婚することになったと知ったのは、夏休みが明けてすぐのことだった。

伊勢弁は関西のイントネーションですが、大阪や京都とはちょっと違います。

〇〇やねんとかは言いません、〇〇なんさ〜とか、〇〇なんよ〜です。

したがって、あれ?っていうところもあるかもですが、ご容赦下さいませm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ……思い出補正アリとは言え、まるでドラマの様な青春の1頁ですねぇ (˘ω˘)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ