旅立ち
作品中の個人名は仮名となっており、ストーリーの一部はフィクションです。
当時の京都駅は、今のように近代的な駅舎にリニューアルされる前の古びた建物であったが、まるで昭和の初めで時を止めたかのような漁村から出て来た私にとっては、まごまごしてしまうくらい華やかな都会の駅に感じられ、構内を行き交う人の多さにも圧倒されたものである。
(うわ、京都ってこんなやったっけ……)
近鉄特急を降りた私は、不安と期待がない交ぜになったような高揚感に包まれながら、きょろきょろと案内表示を見つつ、JR嵯峨野線の乗り場を目指した。
受験の際は大阪の親戚宅に泊めてもらい、そこから現地へ向かったため、京都駅に降り立ったのは小学校の修学旅行以来である。
比較的近いとは言え、三重県人にとって、京都は割と馴染みの薄いところかも知れない。
ネット通販など一般的では無かったこの時代、少し気の利いた物を買いたいときや、就職や進学などで都会へ出ようとなったときは、大阪か名古屋を目指す人が多かったのだ。
私の叔父や叔母(伯母)、つまり、両親のきょうだい達も、そのどちらかの都市で所帯を持って生活していた。
長男には、家と船と漁業権が与えられるが、他のきょうだい達には何もないゆえ、皆、職を求めて都会へ出るのが当たり前だったのだ。
母も、父との縁談がなければ、大阪で別の人生を歩んでいたかも知れない。
そんな中、私が京都のこの学校を選んだ理由、それは、古都への憧れと、テレビやラジオなど、放送技術について学ぶ珍しい学科があること、そして、本好きの私にとって憧れだった司書の資格を取得できること、この三点だった。
しかし、実は、進学しようと思い立った当初は、東京の四年制大学に行きたいと、両親に訴えていたのだ。
とにかく遠いところ、誰も私を知らないところがいい。そう考えたとき、最初に思い浮かんだのは、親戚の多い名古屋や大阪ではなく、憧れの大都会、東京であった。
とは言え、私の通っていた高校は全く進学校ではなかったし、有名大学への進学実績など勿論なく、父は、「大した大学に行けるわけやないのに東京とは……しかも四年もか?」とあまり良い顔をしなかった。
勿論、そう言われることは予想していたため、代替案として考えていた『京都の短大』というカードを切ったわけだ。
近鉄特急一本で行ける距離と、二年という短い就学期間。私は、これなら許して貰えるだろうと踏んだのだった。
「どうしても東京!」などと言うほど拘っていたわけでは無かったし、とにかく、故郷から離れるきっかけにさえなれば、それで良かった。
後は、なし崩し的に何とかなるだろうと考えていたのだ。
それに、なぜか祖父が「お前が東か西かどっちを目指す方がええか占ってもろたら、西がええらしい」などと言い出したのも、京都に決めた一因かも知れない。
『京都』と一言で言っても、私が住んでいたのは京都市内ではなく、長閑な田園風景が広がる、自然豊かな某市である。
京都駅からJR線に乗り換えると、ランドマークである京都タワーや、賑やかな市街地の風景はどんどん後ろヘと流れ去り、代わりに若葉の緑が眩しい春の野山や、トロッコ列車の走る美しい渓谷など、心沸き立つような景色が次々と目に飛び込んで来る。
とは言え、こんな鄙びた景色の中を行く列車にガタゴトと揺られていると、(私はどこへ連れて行かれるんやろ? 本当にこの列車で合うとるんやろか?)と、不安な気持ちも湧いて来るのだった。
生粋の京都人の中には、京都市内、もしくはその中でも特に中心部である、所謂『洛中』と呼ばれるところ以外は、京都ではないと言う人もいるらしい。
冗談半分でもあろうが、それを鑑みて言うと、某市はかなり『京都』から外れていた。
しかし、私にとってそんなことはどうでも良かった。
念願叶って手に入れた、自由な暮らしが始まるのだ。
しかも、全く知らない土地で、知らない人に囲まれて。
私のことなんて誰も知らないのだから、思い切り違う自分になってみたい。
特に、恋愛に関しては、もっと積極的にならないといけないのではないか、そんな焦りを感じてもいた。
婿養子をとって結婚するのが嫌で逃げた私なのに、恋愛せねばと思うとは、おかしな話だと言われても仕方がない。
しかし、私は、奥手過ぎる自分を変えたいと思っていたのだ。
結婚どころか、恋愛する自分、もっと言えば、キスしたり、誰かの腕に抱かれて朝を迎える自分など想像もつかなかったし、想像することすら照れ臭さかった。
少女漫画の甘いラブストーリーに憧れていたわりには、私は、年頃の女の子特有の可愛気や潤いのない、まるで小学生男子のような少女であった。
恋などという甘いもの、『本物の女の子』だけに許されるもので、こんな私には不似合いだと思っていた。
(男やったら良かった。漁師を継いでお父さんに喜んでもらえたのに……)
とっくの昔に振り切ったつもりでいた、そんな思いが、心の片隅でひっそりと燻り続けている。
それなのに、私の容貌は小柄で幼顔、胸もあるという、いかにも女の子らしいものだ。
心と身体があまりにも相反している。
その外見が、異性の目を引いたり、時には恋愛対象として見られることに、嫌悪感にも似た居心地の悪さを感じていた。
恋に憧れながらも、自分の性を否定することで、異性を遠ざけていたのだ。
しかし、この頃の私はまだ、そんな葛藤の最中にいる自らを理解するには若過ぎた。
それゆえ、自分には荒療治が必要だと判断したのだ。
(難しいこと考えんと、チャンスがあったら、とにかくお付き合いしてみよう……!)
故郷を離れ、親の目の届かぬ場所へ来た開放感も手伝ってか、私はそう決意していた。
『甘い恋』それを知った先に『結婚』があればいい。
さもなくば、いくら故郷から逃げたとて、親から全く意に沿わぬ縁談を持ち掛けられ、呼び戻されるかも知れない。
それだけでなく、人として、恋も知らず朽ち果てるのは嫌だった。
念願のひとり暮らしに期待していたのは、何も恋愛のことばかりではない。
これからは、好きなものを食べ、好きなだけ寝て、好きなことをして暮らそう! そう思うと、ひとりきりの寂しさなど全く感じず、ひたすら楽しみでしかなかった。
正直、勉強は二の次三の次だったような気がする。
こうやって綴っていると、あの頃の私は動物としての本能に突き動かされていたのだと気づく。
あの頃こそ、私が野生味を全開にして生きていた、最も馬鹿馬鹿しく、最も旬な時期だったのかも知れない。
私の住んでいたアパートは、同じ短大に通う女子学生専用の物件で、建物の周りを有刺鉄線に囲まれ、敷地内には中年の管理人夫婦が住まう別棟があるという、非常に厳重に警備された建物であった。
門限もちゃんとあり、確か二十二時だったと記憶している。
年頃の娘たちを大勢預かっているのだから、責任があるということなのだろうが、有刺鉄線はやりすぎではないかと、今思い出すと少し笑ってしまう。
いや、しかし。当時の私たちは本能むき出しの野生動物だったのだ。
自由を奪うためなのか、外敵から身を守るためなのかは分からないが、檻が必要なのだと、大人が考えたとしてもおかしくはない。
そんな厳重な警備を掻い潜って、彼氏を連れ込んでいる学生がいるのだと、同じアパートに住む友人から聞いたとき、初心な私は胸がドキドキした。
(なんか、やらし……凄い人がおるもんやな……)そんな風に思ったが、その後私も似たようなことをやっていたのだから、人とは変われば変わるものである。
それはまた追々語るとして、ここに来て私は、生活するうえでの大きな問題に気付いた。
よく考えてみれば、私は全く家事をやったことがなかったのだ。
漁具の手入れなど、家業の手伝いこそよくしていたが、家事は曽祖母、祖母、母と、三世代の大人の女たちがやってしまうので、私も妹たちも、何もできないまま育ってしまった。
掃除や洗濯はいいとして、料理はほとんどしたことが無く、味噌汁を作って米を炊くぐらいのことしかできなかったのだ。
それでもまあ、朝食は何とかなったし、昼は安くてボリュームのある学食に助けられた。
問題は夕食である。
基本的に自分で作っていたのだが、スマホでレシピを検索とはいかない時代のこと。
たまに料理本を見て真面目に作るときもあるにはあったが、大抵は食材の切り方から味付けまで全て自己流の『名もなき料理』を作っていた。
それゆえ、「料理は何が得意?」と訊ねられると、「えっ? え〜っと……」と、あさっての方向を見ながら言葉に詰まった。
幸い、そんなことを聞かれることはめったに無かったとは言え、ほどなくして、『名のある料理』が出来ないことでピンチが訪れようとは、そのときの私には思いもよらないことだった。
「ねえ、佳也子ちゃん、私と綾ちゃんと一緒に男子バレーボール部のマネージャーやらない?」
同じ学科の咲子に、そう誘われたのは入学して間もない頃のことだった。
咲子は、静岡県出身の、小柄でショートカットが似合うボーイッシュな子で、黒目がちの目が小動物のようで愛らしい。
彼女は誰にでも愛想が良く、その親しみ易さで友人が多かった。
綾も私と同じ学科の学生で、京都市内の自宅からこの短大に通っている。
黒髪ストレートのロングヘアに、背が高くスレンダーな体型で、サバサバとした口調が竹を割ったような性格を表しているようで好ましい。
私たちはよく一緒に行動し、仲良く並んで講義を受けていた。
実は、この短大は、同系列の四年制大学と同じキャンパス内にあり、学食や図書館、体育館などの施設を共有しており、短大生は、四大の方の部活やサークルにも参加することができたのだ。
確かにあの頃、バレーボール人気は高かった。
とは言え、私はさほど興味は無かったのだが、せっかく出来た友人の誘いを無下にするのは気が引けるし、(彼氏が出来るかも……)と、いう淡い下心もあり、入部を決めたのだ。
その後、私と同じアパートに住む美彩も入部し、一回生の女子マネージャーは、私を含めて四人となった。
美彩は福井県出身で、色白でぽっちゃりとした体型に、おっとりとした話し方がよく似合う、癒やし系の女の子である。
専攻する学科は違うが、何となく気が合ってよく話すようになっていた。
彼女は私をたびたび自室に招いてくれて、美味しいお茶と手作りのお菓子でもてなしてくれるような、家庭的な子だった。
ところで、関西の大学では学年を言うときに、〇年生ではなく、〇回生と言うことを知ったのも、京都へ来てからだ。
◇◇
「新歓コンパには全員参加してね」
私たち四人が、先輩マネージャーの美由紀さんと優子さんからそう声を掛けられたのは、バレー部に入部して、数週間が過ぎた頃だった。
美由紀さんは四年制大学の四回生で、ちゃきちゃきとした、いかにも頼れる雰囲気の女性だった。
彼女と、キャプテンである西野さんとは、一回生のときからの恋人同士で、二人は既に婚約しており、卒業と同時に結婚するのだと聞いている。
三回生の優子さんは、小柄で華奢な少女のような容貌に似合わぬ色香を感じる女性で、彼氏が途切れたことが無いらしい。
確かに、私から見ても、いかにも男性が好みそうな「女っぽい女」という気がした。
「新歓コンパやて、なんか大学生って感じやなあ!」
部活が終わって四人で歩く道すがら、綾がはしゃいでそう言うと、「だよね〜、楽しみ〜!」と、咲子も笑顔で頷いた。
美彩はただひたすらニコニコと笑っていたが、綾と咲子に手を振って、私と二人きりになると、おもむろに「ねえ、佳也子ちゃんはバレー部で誰か気になる人いる?」と、目を輝かせて問い掛けてきた。
「ええっ? う〜ん、強いて言うなら……二回生の岡本さん……?」
私がしどろもどろに答えると、美彩は大きく頷き、「わかる〜! 格好いいよね。精悍で男らしい感じがする」と、同意してくれた。
当時は「イケメン」などという言葉は無かったのだ。
「そういう美彩ちゃんは?」
照れ臭さを誤魔化すように私がそう訊ねると、「私は、三回生の奥田さんかなあ」と、はにかんだ笑顔を見せながら、意外な人の名前を口にした。
奥田さんは、育ちの良さそうな穏やかな雰囲気を感じさせる人だが、決して美男ではないし、バレー部内では背も低めで、それほど目立つ存在ではなかった。
「へえ〜、なんか意外やね……」私は、それしか言えなかった。
少女漫画好きな美彩は、もっと中性的な美形が好きなのだと思っていたのに、眉が太く、髭も濃い目の奥田さんの顔を思い出すと、やはり何だか納得がいかなかったのだ。
◇◇
近辺の学生がよく利用している居酒屋での新歓コンパは大いに盛り上がっていた。
一回生の自己紹介が済んでしまうと、後は無礼講だった。
男子の先輩たちは、ビールや日本酒、焼酎など、アルコールが入ってかなり出来上がっており、美由紀さんと優子さんも、ほんのり赤く染まった頬で楽しげに笑っている。
私たち四人の新マネージャーと、新入部員の男の子たちは、未成年ということで烏龍茶やコーラなど飲みつつ、ほのぼのと交流を深めていた。
新歓コンパとはいえ、先輩たちは新入部員そっちのけで飲み会がしたいだけなのだろうと思っていた矢先のこと、「佳也子ちゃん、岡本が佳也子ちゃんのこと可愛い言うてるで〜」そう言って、こちらに近づいて来たのは、岡本さんと同じ二回生で、少し強面の松宮さんだった。
「うそっ! 岡本、佳也子ちゃん狙い?」
他の先輩たちも一気に色めき立つ。
「佳也子ちゃんは? 岡本のことどう思う?」
美由紀さんや優子さんまで、ニヤニヤと嬉しそうに私の顔を覗き込む。
美彩の顔をチラリと見ると、ニンマリと笑っているのが分かった。
「……」
私は、恥ずかしさに何も言えず、自分の頬が熱く火照っているのを感じながら俯いていた。
岡本さんもバツが悪そうではあったが、私ほどおどおどするでもなく笑っており、「二人、付きあったらええやん!」誰かが言った言葉に「じゃあそうするか?」と、悪戯っぽく私に問い掛けるのだった。