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さん

由紀(ゆき)

「はい、ご主人様」

「何か送られてきたんだが」

「……………………動画のようです。こちらのボタンを押して頂ければ、動画が再生されます」

「分かった」


勝馬(かつま)はスマートフォンをじっと見下ろすと、真ん中に位置する右向きの白色三角ボタンを押した。



「おい!そのハイカラな機器を私に向けるな!」

伸ばされた手に仰け反る《彼》。シワの刻まれた手の持ち主は《彼》を睨み付けた。

「あ、あの、だからお祖父様に伝えたいことがあるなら――」

「お前が伝えればいいだろう!孫!」

「あう、言えないよ!」

和装の決まった老人に怒鳴られ、孫こと《彼》――櫻千里(さくらせんり)がスマートフォンを揺らす。

すると、そこに赤茶の髪の青年が割り込む。

「おじさん、おじさん、何だっけ?『ギックリ腰ぐらい自分で伝えに来い!腰抜けおやじ!』って?腰だけに?」

腰を抑えてニヤつくは崇弥洸祈(たかやこうき)

「お前は黙れ!崇弥!『おやじ』なんて言ってないし、お前は当主様と呼べ!『事前に言ってくれれば、当主不在のパーティーなぞせずに、お見舞いに行けた』だ!《適当》が家訓のお前とお前の親族に、我々がどれだけ苦しめられたことか!」

「ギックリ腰でお見舞いってさ、嫌だったからちぃに伝言頼んだんじゃないの?親族にぞろぞろ来られちゃ恥ずかしいでしょ」

「我々が恥ずかしいだと!お前達崇弥が行って来た愚行の数々…………その尻拭いを我々が何度してきたと思っているんだ!」

怒りで顔を赤くし、今にも噛みつかんばかりの老人は、櫻一族分家総代に当たる(いちい)家の当主であるが、彼は洸祈の襟首を強く掴んだ。顔や手の甲に数多くのシワが刻まれているとは言えど、日焼けした健康そうな肌、着物の上からでも分かる筋肉、洸祈に並ぶ身長の櫟家当主は迫力があり、騒ぎを聞き付けた親戚達がギョッとした顔を向ける。止めたいが、分家のボスを止められるのは櫻家のみ。その櫻家は…………スマホを持って立ち尽くす孫のみ。

「おじさんに拭って欲しい尻なんてないんだけど」

「っ、糞ガキが……!」

「あの、えと、喧嘩はやめてよ!」

スマホ越しでは千里の声が聞こえるが、取っ組み合い中の櫟家当主と洸祈には全く聞こえていない。

「うう……っ、あお!洸を止めてよ!」

千里が振り返ると、グラス片手に二人を見物する崇弥(あおい)の姿が。

彼は千里の助けを求める声に、唇をグラスの端に付けたまま「……急性腰痛症」と一言。

「え?」

聞きなれない言葉と葵らしからぬ低くて小さな声に千里が聞き返す。

すると、葵が皿のように据わった瞳を向けてきた。目尻が赤い。

「ギックリ腰じゃなくて、急性腰痛症。あと、崇弥は《適当》じゃない。洸祈は適当でも、俺は違う。俺も喧嘩してくる」

「え!?ちょ、あお、お酒飲んだの!?」

「ん?ティーだけど?シャリアンティーだって。可愛い名前。お前みたい。あ、褒め言葉だから。……あー!!!?こら、洸祈!!崇弥の力をちゃんと見せてやれ!!戦争だ!!」

突然声を荒らげ、洸祈の背中にエールを送る葵は、陽気に笑いながら拳を上げていた。千里が酒類のコーナーを確認すると、『まるで紅茶のような飲み心地のシャリアンティー』と書かれたポップの前にグラスが並んでいる。

何事にも慎重な葵が謝って酒を飲むことはほぼないが、今回は有名な軍事一族かつ恋人の親族のパーティーともあって、集中力が失われているようだった。それは、アルコール3%のシャリアンティーをグラス半分飲んだだけでも理性が飛ぶ程。

千里は傍に幼女こと聡美(さとみ)の姿を見付けると、『聡美ちゃん、これ持ってちょっと離れててくれる?』と自身のスマホを渡した。画面に映る景色に目を輝かせた彼女は頷くと、取っ組み合いの現場から離れて、母親の元へと走っていった。

千里も喧嘩に乱入しようとする葵を捕まえに走る。

「そこ!右ストレートだろ!」

「あお!?そんな物騒なアドバイスしないでよ!ほら、もう帰ろう?」

「嫌。適当な阿呆って馬鹿にされたんだ、やり返さなきゃ帰れない」

千里の静止を振り切り、洸祈の背後へ。洸祈も葵の気配を察して「おじさんには俺が復讐しとくから、葵は座ってろ」と喧嘩とは無縁なはずの弟を宥めるが――

「適当な洸祈は黙ってて!」

と一蹴。何故か、洸祈の背中に抱き着いた。

「ちょ、葵っ!危ないって!」

「うるさい!足!足狙うんだよ!」

「二対一とは卑怯な家系だな!」

「家族愛って言ってくれる?おっさん」

「いや、葵がくっついてる方が動き辛いから」

「あーもう!喧嘩しちゃ駄目だって!陽季(はるき)さん!陽季さーん!」

興奮で酔いが回り、顔を真っ赤にした葵と、そんな彼にへばり付かれる洸祈。そして、『崇弥』全体への不満がとうとう爆発したお怒りモードの櫟家当主。

彼らの間に割って入った千里は応援を呼ぶ。この場で最も大人で第三者の陽季を。

しかし、肝心の陽季は大きなガラスの向こう、一面緑の芝の上でゴルフを習っていた。老若男女が彼の周囲に集まり、彼にゴルフクラブの構え方を指南する。

会場とは随分と温度差のある和気藹々とした雰囲気を漂わせていた。

千里が周りを見渡せば、殆どの人間がゴルフ大会に向けて芝生の方へと移動していた。残っているのは談笑を嗜む一部のグループのみ。

櫟家と崇弥家の喧嘩を見守る者がいない訳では無いが、それでも招待者の総数に比べれば少ない。

その時だ。

「じっちゃん!じっちゃん!」

ツインテールの幼子が犬のぬいぐるみを片手に現れた。ピンクのワンピースにスニーカー、腰ではクマの顔を象ったポシェットが揺れる。

「あ、幼女だ。これはこれは。まだお宝が隠れてたんだ」

洸祈が自然な動きで少女の前に移動した。そのせいで櫟家の拳は洸祈には当たらず、背中にくっつく葵の顔面を掠める。

「ちょっと、洸祈!反撃は!?」

「何言ってんの?この子に当たるだろ?初めまして、俺は崇弥洸祈。可愛い髪飾りだね。お名前は?おじいちゃんに用事?」

「あ…………櫟ちなつ……」

「ちなつちゃん!はい、これ、あげる!おじいちゃんの分もね!」

「………………じっちゃん!」

勝手に少女のポシェットを開け、棒付きキャンディーを二本入れた洸祈。少女はまじまじと洸祈を見ると、ばたばたと走って櫟家当主の足に隠れた。

「あれ?お兄ちゃん怖くないよ?もっとあげよっか?」

両手に計八本。少女に目線を合わせるようにしゃがんだ洸祈がキャンディーを手に笑顔を見せる。

そんな洸祈の表情を見下ろした千里は彼の隠し切れていないニヤついた気持ち悪い笑みに眉をしかめた。

櫟家当主も孫を背にジリジリと後退する。

「ママがじっちゃんを呼んでって。大会始めるって。今年もブービー賞取ってくれる?」

「あ、ああ……じっちゃんがちなつにぬいぐるみ貰ってあげるからな」

「ありがとう!じっちゃん!」

ふと馬鹿らしく感じたのか、櫟家当主は少女に手を引かれるまま外へと向かう。洸祈、葵、千里を完全に無視して。

取り巻きも櫟家当主について大会会場へと行ってしまった。

「ちなつちゃん…………行っちゃった……」

洸祈は渡せなかった追加のキャンディーを手に床に座り込み、葵も頭を洸祈の背中に付けて座り込む。そして、安らかな寝息をたて始めた。

「………………………………もう……なんなのさ……」

まるで台風だ。

通り過ぎている時は酷い嵐だと言うのに、去ればもう知らん顔。

千里一人だけ無駄にあたふたしていたようで、ムカつくどころか虚しくなってくる。

「せんりさま?」

「え…………あ、聡美ちゃん!突然ごめんね。ありがとう」

「うん……!」

千里から与えられた任務をやり終えた達成感と感謝された嬉しさで、聡美は母親の手を掴みながら肩を竦ませて頷いた。

「あの、千里様、その携帯、聡美が何か触ってしまったかもしれません……音が鳴っていたので」

「あ、えっと、大丈夫です。…………そうだ!洸、飴一本貸して」

「え……あう…………」

落ち込む洸祈の手からキャンディーを取ると、聡美ちゃんの手に握らせる。

「これ、お礼」

「…………ママ?」

貰っていいの?――伺うように聡美は母親を見上げ、愛子(あいこ)は肯定するように頷いた。

「ありがとうございます、よ。聡美」

「あ……せんりさま、ありがとうございます」

可愛いクマさんの顔の形をした飴に頬を染めて笑みを見せた聡美。千里も初対面の人間と上手くコミュニケーションが取れた喜びで肩を竦め、照れたようにぎこちなく微笑んだ。

そんな彼を見詰めていた洸祈は、手に残ったキャンディーで徐に背中の葵の頬をつつく。

「なぁなぁ、葵母さん」

「ん……ん…………なに……?洸祈お父さん……」

「今夜はやっぱり、赤飯にしよう」

「ん…………そうだねぇ……お祝い……だねぇ……」

そう言って、葵は再び眠りに就いた。





「あ、あの、お祖父様…………メール…………申し訳ございません!あの、間違って送っちゃったみたいで…………」

起きたら、千里が視界の隅で謝っていた。

「あれ…………俺………………ここは……」

ソファー…………温かみのある木の壁と煉瓦造りの暖炉は…………そうだ、櫻家の別荘だ。いつの間に戻って……。

「陽季、葵が起きた」

「分かった」

「おは、葵」

「…………おは」

ソファーに横たわる俺を背もたれに肘を突いた洸祈がにこにこと見下ろしている。

今は何時で、あれから一体……そもそも、いつの間に俺は眠っていたのか。

「うえ…………怒って…………あ……そうですか………………え…………あ…………はい…………あ、ありがとうございます………………はい……分かりました……」

千里は携帯電話相手にペコペコと頭を下げ、そして、通話を切ると、大きな大きな溜め息を長々と吐いた。

「ああああああああぁぁぁ…………ああ……疲れた……」

「ちぃ、おつかれ。葵も起きたし、ご飯にしよう?」

「あ…………あお、もう平気なの?お酒飲んで酔って寝ちゃったの覚えてる?」

「……………………」

俺は千里のお供として、櫻一族のゴルフ大会会場に行き、そこで千里が櫻家当主の名代を立派に果たすのを見た。千里は親戚に会うのをとても嫌がっていたが、俺は良かったと思う。

千里が親戚に会いたくない理由は、そもそも親戚が千里のことを煙たがっている――と思っていたからだ。だけど、そうではなかった。少なくとも、(しきみ)さんは千里に会って話したいと思っていた。他の親戚達も決して千里を避けたり、侮蔑の言葉を投げて来ることはなかった。

昔はそうだったとしても、親戚達の千里への気持ちは今はもう違うのではないだろうか。

もしかしたら、千里の祖父がこの役目を次期当主の(つばさ)さんではなく、千里に任せたのは、そういった誤解を解かせるため……と言うのは評価し過ぎだろうか。だが、悪意ではないのは確かだろう。

千里と祖父との関係は俺が思う以上に改善しているのかもしれない。それが喜ばしいことなのか分からないのは、祖父が千里にしたことをどうしても俺が許せないでいるからなのだろう。

千里自身はとっくに許しているのかもしれないのに……。

「あお?葵?あれ?あお?まだ寝ぼけてる?」

「あ…………すまない…………頭が回らない……ズキズキする……」

お酒なんて一体いつ飲んだのか。

洸祈が陽季さんと別れる別れない話で号泣していた記憶までしかないし。

「じゃあ、葵君は先にこれ飲むといいよ。はい、しじみ汁。あ、洸祈、今夜はソファーの方で食べよう。そこの移動させてくれる?」

「うーん…………頑張る」

洸祈が渋々と動き出し、陽季さんは湯気が立つお椀を俺の手に乗せてくれた。ひと口飲めば、その温かさが身体中に染み渡る気がした。疼く頭を優しく撫でてくれるようだ。

「きょーのお夕飯は……赤飯?えっと……お赤飯ってお祝い事で食べるんじゃなかった?」

何だか場違いではあるが、今夜の夕飯は赤飯としじみ汁。千里は首を傾げるが、俺と洸祈にとっては予期していたメニュー。というより、洸祈と今夜は赤飯を食べようと約束していた。

「今日はお祝いだろ?」

千里が頑張って頑張り抜いたお祝いだ。

洸祈が俺に視線を投げ掛ける。お前は分かるだろう?と言いたげに。

ああ、分かるよ。

「初ゴルフにして20人中8位になった陽季さんのお祝いだね。みんな驚いてたよね」

それは凄い。

どういう経緯で陽季さんがゴルフ大会に参加するまでに至ったのか気にならないと言えば嘘になるが、初めてで上から数えた方が早い順位とは……やはり、芸能に生きる陽季さんの持つセンスなのか。

「あれは俺も吃驚したよ。ルールとか、結局、ホールインすればいいぐらいしか分からなかったし」

俺もそれぐらいしか知らないな。

「そんなもんじゃないの?バスケしかりサッカーしかり。穴にボールが入れればいい」

一足早く陽季さんから任された仕事を終えた洸祈が自分のお茶碗から赤飯の小豆を箸でつまんでは陽季さんの茶碗へ移しつつ答える。飲み物を用意する陽季さんにばっちり見られているのに気付かぬまま。

「洸祈、俺の茶碗に小豆入れないでくれる?豆大福好きなんだから食べれるでしょ?」

頭上で響く陽季さんの声に、スっと無表情になった洸祈。彼はつまんだまま行き場を失った小豆をじっと見詰めると、ゆっくりと箸を移動させた。そして――

「ホール……イン」

ぽと……。

静まり返った部屋では小豆が米の上に落ちた音が聞こえるようだった。

「千里君」

「あ、はいっ!」

「洸祈のと俺の茶碗交換してくれる?」

「あ…………」

俺からはちょうど三人の顔が見えていて、陽季さんは爽やかな怒り顔、洸祈はむっつり、千里は焦り顔。三者三様、三つ巴状態だ。この中では千里が一番可哀想か。

「あ……あぃ……こ、洸、交換するね…………」

陽季さん監視の下、洸祈の顔色を伺いつつお椀に手を伸ばす。洸祈の眼球が千里の手の動きを完全に捉える。

双子ながら、なかなかの圧だ。親友に向ける目ではない気がする。

「洸祈のことは気にしなくていいよ。俺がやる」

グラスをテーブル置いた陽季さんはエプロンも外れていて、支度を終えたようだった。

途端に青ざめた洸祈は陽季さんを振り返る。

洸祈にとって最悪の展開だろう。

千里のことは牽制出来ても、陽季さんのことは絶対に無理だからだ。

洸祈は陽季さんに胃袋どころか、生活の全般でお世話になっている。ここでいくら千里を苛めても、用心屋においては琉雨(るう)がいるが、用心屋の外では、洸祈が陽季さんに頭が上がらないのは分かりきったこと。

千里がほっと胸を撫で下ろして俺の隣で小さくなる。

「は……はる……」

「何?文句あるなら聞いてあげるよ?聞くだけだけど」

「………………なんか二之宮(にのみや)みたい……」

「今はね。はい、お前が作った小豆増し増しお赤飯。じゃあ、乾杯しよっか」

陽季さんはニコニコと微笑みながらグラスを持ち上げる。俺と千里も烏龍茶の入ったグラスを持ち上げると「千里君お疲れ様。乾杯」とグラスをぶつけてきた。

その時も洸祈は自分で小豆を積み上げた赤飯を見下ろしていた。

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