拾われた元令嬢と拾った暗殺者 Ⅲ
火が爆ぜる音と、誰かの話し声。
私は屋敷にいた頃の夢を見ていた。暖炉を囲み、家族で楽しく話していた頃。優しい眼差しを向けて、辿々しい私の話を微笑ましそうに見てくる家族。
暖かい。
「起きろ!」
場違いな言葉遣い。でも、好きな声。
誰の声だろう。でもね、私は起きているよ。ほら、こうやって自分の字も書けるんだよ?
いつも持ち歩いている羊皮紙をドレスから取り出してペンでカリカリと書いてゆく。上手ね、とお母様が頭を撫ぜた。
「ファー!」
暖かい手。
ぺちりと頬を叩かれた。
「逃げるぞ」
パチパチという音は未だになっている。ごお、と木製のドアが赤く燃え上がっていた。
焦りの色を見せるメークを見て、さっきのは夢だったのだとようやく気付く。そして、自分が嫌ってきた貴族の生活、貴族である家族を懐かしい、暖かいと感じていたことに気持ち悪くなる。
呑気に寝ていて、危険に気付かなかった自分に、嫌悪感を抱く。
「これは」
「多分雇い主と対立するところからの密偵。俺が優秀過ぎて邪魔になったんだろ」
自画自賛。
でも、事実、メークは強い。嫌味になっていないのが憎らしい。
メークは濡らした布を私の顔に巻きつけてキッと目に力を入れた。
「取り敢えず家から出るぞ」
「はい」
ドアから一番遠い屋根に思い切り蹴りを入れて穴を開ける。メークが最初に出て、手を伸ばす私を引っ張り上げた。
そして、不敵な笑みを見せた。
「上等じゃねーか」
屋根の上に立って下を見れば十人ほどが家を囲んでいた。真っ黒いローブを着ていて顔まで判別出来ないが、恐らく上級魔法を使う、金持ちお抱えの魔導師ばかり。
月夜は、魔法が一番効きやすい。
令嬢教育の一環として教えられた魔術一般論。
そこにこう書いてあった。
月の見える夜は、魔を司るお方と魔導師の持つ魔術が繋がりやすい。月の持つ引力があのお方の力を増幅させるからだ。しかし、だからといって月の力が強ければ良いというわけでもない。完全無体の月の昇る特別な夜には、魔は危険だ。なぜならーー
「っ!?」
屋根に火が飛び、私たちの方へ、まるで蛇の舌のようにチロチロと進んで来る。私の体に散ろうとした火の粉をメークが風圧で振り払い、私を抱えて地面へ降り立った。
「今晩は。死の執行者メーク。今宵は月がとても美しいですね」
私を背中に隠し、声をかけてきた人物に目を向けるメーク。
「お前は刑の番人じゃねーか。何の用だ。俺はガキの子守で忙しいんだ。雑魚どもの相手をしてる暇なんてねーんだよ」
自然体で、隙を見せるメークに囲んでいた一人が魔を放った。メークは手でそれを受け止め、金色の光を握り潰した。
「何だ、と」
魔を放った者がありえない、といった顔でこぼす。
私は必死に逃亡経路を確認してメークとすぐに逃げられる様に脳内でシュミレーションを行った。
私の髪に火の粉が散り、焦がす。
「なるほど。おめーらが誰に飼われていんのか、分かったぜ」
「流石。お見事ですね。あの死の呪文を受けて無傷など称賛に値します」
刑の番人、と言われていた人物が不敵な笑い声を上げ、深く被っていたフードを鬱陶しそうに手で払い、金色の髪を月の光に反射させながらじりじりと近づいて来た。
端正で、とても上品な顔立ちをしていた。ちらりと私に目を向け、ほんの少し目を見開いた。口が何やら動いたが、音としてそれは出なかった。
「でも、あなたに勝ち目はありませんよ?」
メークの顔が怒りに歪んだ。
「言っとくが、このガキに手出したらただじゃ済まさねーぞ」
「忠告、痛み入ります。……わざわざ弱点をお教え頂けるとは」
ふ、と体が一瞬無重力状態になる。気付くと刑の番人の隣にいた。メークが憎々しげに目を光らせている。
「おい、手え出すな、っつっただろーがっ!」
次の瞬間、メークは刑の番人の前にいた。首元にナイフを当て、牙を剥く。
「こいつは関係ねえ。殺したいんなら、俺だけを相手しろ」
「へえ。そこまで人に執着するなんて。この子供は、何処の生まれなのでしょうか」
「っ、ファー! こいつらに素性がバレるとまずい! 一刻も早く、逃げろ、ここは俺が足止めする!」
メークは焦った様に怒鳴った。
「まずい? こちらにバレてはいけない、というのはどういうことでしょうか。気になりますね。正直、子供は気にしていなかったのですが。まあ、調べて損はないでしょう。いたぶって、色々なことをして、こちらに情報を渡してくれる様な人物にも見えませんが。捕らえなさい。ああ、メーク、安心して下さい。貴方はここで終わりです」
刑の番人はメークのナイフをいともたやすく払うと私に手を伸ばす。それをメークが暗器で何とか遮り、叫んだ。
「良いから逃げろ! ここでこいつら纏めて道連れにするから」
体が動かない。あれだけ暗器を扱う練習をして、メークに褒められたのに。実際に必要になった瞬間に体が強張る。メークに加勢して、こちらに危害を与えようとしている敵を蹴散らすべきだと分かっているのに。こんなに危険な出来事は初めてで、恐怖で体に鎖を巻かれている様な、そんな感覚に陥る。
「この子供、すばしっこいですね。足でも切断しますか」
私を捕らえようとする魔導師がそう呟く。
捕まえようという手は、反射神経で避けている。こちらから攻撃できないくせに、逃げはする。あと、痛いのも嫌。足を切断など。
「森に逃げろ!」
メークが私を相手にしていた魔導師の足に暗器を打ち込み、怒鳴った。メークは全身血だらけで多くの魔導師を相手にしている。
「でも」
「こいつらを片付けたら迎えに行くから今は命を守れ」
恐怖が限界を迎えていた。
私はメークの言葉に従い、森に逃げた。魔導師二人が私を追いかけてくる。刑の番人はメークを相手にてこずっていた。恐らく、あの場にいた中で怪我をしていないのは私だけ。全部メークが私の代わりに傷を受けていた。
「殺さずに捕らえろ、って言っていましたけれど、殺すべきでしょう」
「ですよね、そう思います。死の執行者の可愛がっていた子供なんて碌な者じゃないですし」
必死に走り、森の中央まで来て魔導師の放った呪術で足を絡ませ、転んでしまった。
「本当にすばしっこい。でも、攻撃してこなかっただけ良かった。何です、その布は」
魔導師の前で顔を隠して良いのは貴族と皇族だけ。平民は力のある魔導師に一切隠し事をしてはいけない。
そういう決まりがあることを知らなかった私は転んでしまった際に捻挫した左足を庇いながら挑戦的な光をたたえた目で魔導師を睨め付けた。
「この布が何であれ、あなた方には関係のないことではありませんか」
「っ、この、世間知らずの餓鬼めが、魔導師になんたる口の聞き方を!」
怒り狂った魔導師は私の顔を隠していた布を魔で払った。地面に落ちた布を目で追い、満足げな顔をした魔導師達は私の顔を見て体を強張らせた。
「シェファーヌ……様?」