拾われた元令嬢と拾った暗殺者 II
「起きろファー。朝だ。食材探しに行くぞ」
強張る体を起こし、肩をぐるぐると回す。床に直寝に近い、薄い布を敷いただけの布団はどうやらまだ私には慣れないようだ。
服も、家を出てきた時と同じもの。泥や汚れが付いている。新しいものに変えたいが、そういう考えは捨てようと決めたのだ。何もしていないのにあんな贅沢な暮らしをするなんて、おかしいに決まっている。
しかし、メークは何者なんだろう。密偵で暗殺者。それ以外の情報がない。金色の瞳に鈍く光る銅色の長髪。色男だけれども女で遊ぶ事はしない、真面目な人。年齢不詳で誰に雇われているのか不明。親はどこに住んでいるのか。兄弟はいるのか。どうして私が令嬢だと分かっているのに匿ってくれるのか。
「子供は考えんな。感覚で生きろ」
ぽい、と汚れた布を渡してきた。
「これは?」
「あー、貴族様には分かんないよな。これ、平民の服。因みに、今まで見てきたであろう『平民』は平民じゃなくて豪商な。金持ちの平民。一応言っておく」
私の知る平民はこんなものは着ていない、と反論しようとしたのだが、先に訂正された。そうだったのか。私から見て、豪商もなかなか辛そうな生活をしているな、と感じていたのに、平民はそれ以下。
「あとなー、それで可哀想、とか思うの、違うからな。それぞれ、幸せっつーもんがあんだ。それを自分の定規で測るんじゃねーぞ」
雷に打たれたような感覚。
新しい、私にはなかったものの見方だ。私は豪華絢爛な生活をいつの間にか当たり前だと感じていた。必要最低限のものを上手く使った、充実した生活だってあるだろう。それを『可哀想』と思うのは、どこかおかしい。
そうか、私は貴族にかぶれないように、と自分なりに抗っていたのだが、かぶれていたようだ。
そんな私の気持ちをどこかに放り投げ、メークは、ほらその綺麗な服脱げ、と言って小屋から出ていった。
メーク手作りのこの家。部屋は一つ、床は剥き出し。壁は土で天井は枯れ草で作ってあり、ドアは大きな木の板をはめているだけ。大人三人が雑魚寝できるくらいの広さがあるがメークは昨日、外で寝たらしい。一応女だしな、一緒の部屋で寝んのも嫌だろ、と言って。
紳士である。自称暗殺者の癖に。
「着替えました」
思ったよりもスムーズに動くドアを開け、外に出て、驚いた。
目の前には、緑が広がっていたのだから。
「何だ、この滲み出る高貴な感じ。いっぺんそこの泥水ん中で遊んでこい」
「何故?」
「高貴さが泥に覆われるかもな、と思ってな」
ジト目で見ていると、観念したような顔で言う。
「その金髪、目立つだろ。だから、泥で汚くした方が良いぞ」
町中ではなく、森の近く、人の寂れた場所に小屋が建っていた。だから、泥水なんてあちこちにある。
私は躊躇う事なく、泥水を手ですくって髪にかけた。何度も。途中で泥をその付ければ良いことに気付き、よくすりこんだ。
「貴族様はその美しい金の御髪を誇る、って言われてるけどそれはファーには当てはまんないのか?」
私を拾ってくれた人は何と馬鹿なことを私に問うのだろう。
「私は平民。貴族じゃないです」
髪は、金ではないだろう?
「あー、そうだな」
けらけらと笑うメークを睨む。メークはお構いなしに腰にさしていた暗器を私に見せておどけた調子で言った。
「平民のファーさん。貴女はどの武器から操れるようになりたいですか?」
それからメークは私に食べて良い植物、家の作り方、戦い方、値切り方等生きるのに大切な事をたくさん教えてくれた。
お陰で4ヶ月経つ頃には先鋭の暗殺でも簡単に殺せるまでに成長した。メーク自身、ここまで私の学習能力が高いことに驚いていた。貴族では当たり前だった、と漏らせば、じゃあ貴族は皆暗殺者になるべきだその前にお前は貴族ではないんだろ、と捲し立てられる。
3ヶ月経った頃に雑魚寝をしたいといってみれば、ちょっと驚いたように目を大きくさせ、頷いた。
ファーは信用できるからな。
そう言って、隣に寝っ転がって私の髪を優しく撫でてくれた時、兄の優しい手を思い出した。暗闇を怖がる私の側にいてくれた兄。今はどうしているだろうか。
涙を流しながら寝る私に狼狽えたように手を彷徨わせるメーク。
そのまま、頭を撫でて。
そう言いながら私は眠ってしまったと言う。翌朝起きた時に気持ち悪いくらいにメークが優しかったので覚えている。
そう、4ヶ月。
そこから、私の思い出の中にメークの姿はない。メークは明日ここから離れて隣の国に行くぞ、と言った。
「久々の依頼だ。ファーも、一緒にするか?」
暗殺を、一緒にするか。
この手で誰かを殺すことになる。もう、令嬢なんかに戻れない。どうする。
メークが楽しそうに目を輝かせている。
「私も、やる」
これが、私の選ぶ道だ。
メークが私の分も揃えてくれた武器を手に持って宣言した。
宣言した夜。
私はメークを助けられず、負け犬のように尻尾を巻いて逃げてしまった。