疑惑に駆られ
「具合はどうですか」
目をうっすらと開けると、穏やかな声が降ってきた。
「え、私は……」
「弟さんは、薬を飲んでぐっすり寝ていますよ。状態も安定している。医師に任せておけば、あと一週間ほどで完治するでしょう」
ふんわりとした肌触りのものが私を優しく包んでいる。ぼや、とした視界に映るは伯爵家の、見知ったものより成長し精悍な顔つきになった男の顔と綺麗なモチーフの天井。
「あっ」
ベッドに寝かされていることに気づき、慌てて体を起こす。
「ああ、楽にしてください。体力がかなり削がれています」
そう言われるや、私の体は重力に逆えず、ヘナヘナとベッドに倒れた。
「っ……ありがとうございます、私たちを救って下さったこと、深く感謝いたします」
力なく笑えば、令息ーーメルクスはさあっ、と顔を赤らめた。そして、一瞬後には悲しげな、やるせない顔をした。
「貴女は、今は亡き友人に似ている」
そうぼやいた。私は曖昧に笑い、心の中でメルクスに謝った。
メルクスは良い友人だった。私には勿体無いくらい。
あの逃亡前日、メルクスと会って遊んでいた時に私はついつい心の内をこぼしてしまった。
『皇太子殿下に嫁ぎたくないわ。私は、お金がなくても、医師に直ぐにかかれなくても良い。平民になりたい。自由になりたい』
メルクスは取り合わなかった。
『温室育ちのお嬢様が平民になったとしても1日で死ぬよ。それに、自由になりたいからと言って自由以外を捨てるのはーー愚かだよ』
「すまない。貴女に言ってもどうにもならないね。今、食事を持ってくるから待っていて下さい。苦手な食べ物はありますか」
メルクスは、本当に純粋な良い人だ。
「特にありません」
甘い顔立ちで女性受けも良いのだろう。
「分かりました」
私とは違う身分のメルクスはきっと私とは違う幸せを掴むのだろう。婚約者とも仲良くやっていると噂に聞く。
ただ一つ言えることは、幸せそうで良かった、ということだ。
僕は動揺していた。ボロボロのフードから覗く煤けた髪に。見間違いだったのかもしれないが、暗い中見た門の前で倒れた娘の髪は鈍い金色をしていたーーいや、していた、は正しくない。光っていた。しかし、部屋に運び入れ、光の下で見た髪は煤けた黒色だった。
気のせいか?
顔立ちが、幼き頃仲良くしていた神の御子、シェファーヌに重なって見えたのは。
娘の為に作らせた栄養たっぷりのスープを運ぶ道で悶々としていた。メイドは『じぶんたちがします!』と大慌てであったが何でかあの娘から離れたくなかった。
初恋の相手、シェファーヌに似た面立ちをしているからかもしれない。
あの娘には良い迷惑だろうなあ。
「入りますよ」
メイド室の空き部屋をノックする。
返事がなかったので、もう一度ノックするも無言だ。恐る恐るドアを開け、中に入れば娘はすやすやと眠っていた。
「疲れたのですね。ゆっくり寝かせておきましょう」
起きているときには眉毛に力を込め、厳しい顔をしていたが、寝てしまえば少し幼さの残る顔だ。
「体を冷やしてしまいますよ」
肩までかかっていない毛布をあげようと近付いた。何気なしに娘の首を見てーー
「お父様! お母様! いらして下さい!」
思わず声を上げた。娘はぐっすりと眠っている。
「どうしたのだ!?」
「何かあったのですか!」
侍女を引き連れてやって来た両親に頼んだ。
「彼女の湯あみの準備をして頂きたいです。あと、体に合う服もです」
確認しなければ。
「どうしたの、一体?」
母が狼狽えた表情で僕を見た。
「彼女を見て、誰かを思い浮かべませんか?」
問うと、母はハッとした顔で父を見た。
「他人の空似、ではないのか?」
「それを確認するのです。体を洗い、髪を清め、本来の姿を確認したい」
「別人であった場合は?」
「心から謝ります」
シェファーヌであったなら。
どうにかして皇太子からシェファーヌを隠し、死ぬまで守りたいと思う。