異世界の森 4
一体どれくらい走っただろう?
息が上がり、全身に汗をびっしょりとかいて、肺が締め付けられるように苦しい。足は上がらないし、頭もフラフラしてる気がする。
一時間とか二時間とか走ったわけじゃない。それどころか十分だって怪しいんだけど、それでもヘロヘロになってしまう位、わたしには体力がない。
自称”ただの猫”のマールも持久力はさほど無いみたいで、わたしと同じようにヘロヘロになっている。
体力の限界一歩手前って感じだったわたし達が、比較的走りやすそうな所を選んで進む内に、ぽっかりと開いた空地のような場所に辿り着いた。
わたしは手ごろな倒木に座り込んで、背が低いマールは地面に座り込む。
乱れた呼吸を整えながら、逃げてきた方向を確かめてみるけど、今のところ、コボルトが追いかけてくる様子はないみたいだ。
普通に考えて、両目を切り裂かれて大量に出血しているような状況なら、獲物を追いかけるようなことはしないと思う。まずは自分の身の安全の確保、それから怪我をした部分の治療を優先するはずだ。コボルトがそういう考え方をするかは分からないけど。
ともかく、コボルトが追いかけてくる様子が無いと分かれば、途端に気になってくるのがマールの事だ。
マールはわたしの視線の先で地面にお尻を付けて足を投げ出し、仰け反らせた上体を両手で支えていた。
わたしよりは楽そうではあるけど、やっぱり呼吸は荒い。
わたしは自分が人生経験が豊かとは思ってないけど、地球に猫と小人とぬいぐるみを足して3で割ったような生き物が居ないって事くらいは知っている。
だけど手を伸ばせば届く距離に居るマールは、どう見ても猫じゃないし、人間でもない。
背丈は50センチ位、猫のような顔、小さな人間のような身体、長い尻尾。被毛は白と黒のハチワレに額に円状の模様が入っている。
猫の特徴と人間の特徴をあわせたような姿形なんだけど、全体的なバランスは、ぬいぐるみのように頭が大きく手足が太い。
だけど、ぬいぐるみらしからぬ部分もある。まず目につくのは、顔だ。
ぬいぐるみって、結局は布と綿で作られた人形だから、特別なギミックでも無い限り、作った時の表情しか見ることが出来ない。だけど、呼吸を整えようと大きく息を吸ったり吐いたりしているマールの顔は、いかにも苦しそうな表情に見える。
更に、ぬいぐるみらしくない部分としては、まぶたや口だ。
わたしがぬいぐるみを作る時には、目の部分を表現するためにガラスアイっていう市販のパーツを取り付ける。ガラスアイっていうのは手芸店のぬいぐるみコーナーなんかに売られているガラス製のパーツなんだけど、当然、眼球を表現するだけのものだ。
そのガラスアイでしか無いはずの目に、なぜか瞼と睫毛が備わっていた。
そして口。わたしがつくったぬいぐるみの口は、刺繍糸で口の形を表現しただけのものだった。当然、口が開くような造りにはしてなかったし、ましてや口の中の歯や舌なんかも作り込んではいない。
それが、なぜか今は口を大きく開けてハアハアと荒い呼吸をしていて、その口の中には小さな牙が見えるのだ。
これって全くぬいぐるみらしくないし、かと言って人間でもないし、猫でもない。
「えっと、マール……?」
「なんですにゃ? ルミしゃま?」
わたしに呼びかけに日本語で答える”マール”。
でも、わたしの知ってるマールは頭のいい猫だなぁって思ったことは何度もあるけど、人間の言葉を喋ることは無かった。
「本当にマールなの? わたしの知ってるマールと違うんだけど……」
「信じられませんにゃ?」
「……うん」
そう、返事をする。何だかちょっと申し訳ない気持ちになってしまうけど、でも、やっぱりわたしの知ってるマールとは余りにも違いすぎる。
マールはわたしの返事に少し苦笑を漏らした。
「まぁ、見た目が違うからしょうがないにゃ。でも、この姿はルミしゃまが作ったものにゃ」
「たしかにわたしが作ったぬいぐるみのマールにそっくりだけど、でも、ぬいぐるみが動くって……」
映画とかで何回か見たことあるけど。主にホラー映画とか。あ、あとハチミツ大好きなクマもぬいぐるみだったね。
「この姿になる前の事も、ちゃんと覚えてるにゃ。小学校にあがったばかりのルミしゃまがオネショしたのを誤魔化すために、一緒に寝てたマールのオシッコって嘘付いたこととか……」
「わーわー! なんでその事を知ってるの!? っていうか、そんな事言わなくて良いから!」
誰にもバレてないはずだったのに……。
「バレてないと思ってるのはルミしゃまだけにゃ。猫のオシッコは臭いが人間とは違うから、パパしゃまもママしゃまも気がついてたにゃ」
えっ……。両親に指摘されなかったから、誤魔化しきれたと思ってたんだけど……。地味にショックだ。
「他にも色々あるにゃ。ルミしゃまがママしゃまの真似してお化粧して怒られた話とか、内緒でパパしゃまのお酒のんでベロベロに酔いつぶれて何故か玄関で寝てた話とか、返ってきたテストの点数が悪かった時の隠し場所とか……」
「何でそんなことまで!?」
わたしが驚愕の声を上げると、マールは嬉しそうに、だけどちょっと寂しそうに笑った。
「ずっと、ずーっと一緒だったからにゃ。ルミしゃまの事ならなんでも知ってるにゃ。マールが死んだあの日までのことなら……」
わたしは思わず言葉に詰まる。
もし、目の前の存在が本当にマールだとしたら、彼自身は自分が一度死んだことを知っているという事になる。
「マールは、ルミしゃまに拾われて、綺麗にしてもらって、餌を貰って……温かい寝床と幸せな時間をもらったにゃん。だから恩返ししたいにゃ。今度はマールがルミしゃまを助ける番なのにゃん」
マールは、嬉しそうな笑み浮かべているように見えた。
* * *
陽も傾き始め、ちょっと肌寒さを感じるようになってきた森の中をテクテクと歩くわたしとマール。
森の中の様子は、わたしが目を覚ました所と殆ど変わらない。どっちを向いても濃い緑に囲まれている感じで森の外を見ることはできない。
頭と耳をあちこちに向けながらヒョイヒョイと進むマールを信じて、離されないように追いかけるわたし。
背中から見るマールは、尻尾をフリフリ弾むように歩いている。
コボルトとの戦いや逃げてる時にも思ったんだけど、マールってやっぱり基本は猫なんだよね。身体能力が人間基準じゃないっていうか。
体つきがぬいぐるみのバランスのまま、頭が大きくて、人間で言えば歩き始めたばかりの赤ちゃんみたいでスゴく可愛いらしいのに、身体能力は猫に準じてるって感じがする。
あと、付いていくのが大変な理由はもう一つ。サイズの差だ。
わたしは身長が148センチ。学校でも小さいほうだけど、それでもマールに比べれば3倍近い。
身長50センチ位のマールがスイスイと通り抜けるような場所も、わたしは頭を下げたり体を捻ったりしながらじゃないと通れない事も多い。
正直、周囲を警戒する余裕もないくらいだ。
コボルトに斬りつけられた腕の傷は、ちょっとジンジンと疼いているけど我慢出来ないほどじゃない。骨が折れてるとかでは無いっぽいので、マールの身に付けていたマントを包帯代わりに縛ってもらって止血をしておいた。
ホントは傷口を水で洗い流したり、お医者さんに診てもらいたいんだけど、今は我慢するしか無いね。
それから、わたしの中では「マールはやっぱりマール」という事になった。
マールの証言が、わたしの記憶と合致していたっていうのも勿論あるんだけど、それだけじゃない。
マールとお喋りをしている間、幼いころに家の近くに捨てられていたマールを見つけた時や、ぬいぐるみを作った時と同じような感覚になっていたからだ。
口では上手く説明できない不思議な感覚。身体の中にある何かが引っ張られるような感じだった。
その感覚の正体は分からない。それに、色々と仮説を考えたとしても、答え合わせが出来るわけじゃないので放置するしかない。
それよりも、今、問題なのはわたし達がどこに向かっているのかという事だ。
不安になってきたわたしは、何度目かの休憩中に尋ねてみた。
「ねぇ、マール? コレ、どこに向かってるの?」
「どこって……、ルミしゃまが進んでる方ですにゃ?」
あれ? わたし、マールの野生の勘的な物で進んでると思ってたんだけど。
「……」
「……」
無言のまま、お互いの顔を見詰めるわたしとマール。
どちらからともなく溜め息。
「はぁ。ルミしゃまは相変わらずですにゃ……」
「えー? わたしのせいなの!?」
「そうに決まってますにゃ! マールに何を期待してたのにゃ!?」
だって、猫だった頃のマールがいくらペットだったとは言え、そして今は猫と小人とぬいぐるみを足して3で割ったような姿になったとはいえ、基本はやっぱり猫だ。
少なくとも、人間のわたしよりは野生に近いような気がしてしまう。
そしてこんな森の中なら、より野生に近いマールの方が頼りになると考えるのが普通じゃない?
「じゃぁ、今は当てもなく歩いてたって事ね。はぁ……こんなんじゃ、今夜は野宿かな」
「野宿……? 野宿って屋根も壁もベッドもない所で寝るって事にゃ!? そんなの無理にゃ!」
「でも、これだけ歩いてるのに、人の姿どころか人の手が入ったような物も見つからないんだよ? この近くには人が住んでないって事じゃない?」
改めて周りを見回しながら言うと、マールも釣られたように周囲に視線を巡らせる。
そこは、休憩場所として選んだとはいえ、人の手が入っていない森の中なので、ベンチがあるわけでもないし、見晴らしが良いわけでもない。
腰掛けるのに丁度いい感じの倒木があって、ちょっとだけ頭上が開け、空が見えるってだけの場所だ。
マールは耳をクルクルとあちこちへ向けているから、多分、視力以外にも頼って辺りを探ってるのかな。
わたしも出来ることなら野宿は遠慮したいので、マールには全力で頑張って欲しい。
クルクルと動いていたマールの耳が何かの物音をキャッチしたのか、わたしたちが歩いてきた方向に向かってピクンと止まる。
マールの耳が向いている方向を振り返ってみるけど、わたしの視界にはこれと言って変わったものは見えない。相変わらずの深い森が広がっているだけだ。
「なにか見つけたの?」
「シッですにゃ」
首を傾げることしか出来ないわたしとは違って、マールは人差し指を口に当てながら、真剣な眼差しで森の奥の方を睨むように見つめている。
「……あっちから何か聞こえるにゃ」
マールの指さす方向に目を凝らすと、しばらくして木と木の間に小さく人影が見えた。
今度は普通の人間でありますようにっ……!
初めての予約投稿!
ちゃんとできますように!(*>ω<)=3