異世界の森 3
わたしの目の前には”マール”がいた。
だけどそれは、記憶の中にある生きていた頃のマールではなく、わたしがぬいぐるみとして作り上げた擬人化したマールだ。
なぜなら手に当たる部分が人間と同じように物を握れるほど指が長かったり、足がケモ脚じゃなくて、かかとを地面に付ける人間と同じ形だったりするから。
言葉にするなら、猫と小人を足して2で割った後に、ぬいぐるみ成分をトッピングって感じが近いかも?
「マール……なの?」
「そうですにゃ! 約束通り、ルミしゃまのお役に立つため参上したですにゃ!」
マールはそう言って、わたしに対して得意気な表情を見せてから、コボルトの方に向き直り、腰のベルトに吊るしてある剣の柄に手をかけた。
シャキーンって音がしそうな勢いで抜かれた剣。
三銃士風の服を着させたから、ついでにそれっぽい武器をもたせようと思って作ったものだ。
コボルトに向かって、剣を構えるマール。だけど、すぐに構えた剣を呆然と見つめる事になる。
「……にゃ?」
それは、ぬいぐるみのマールに持たせるために、ボール紙とフェルト生地で作ったおもちゃの剣だ。当然、刃なんか付いてない形だけのおもちゃ。
おもちゃの剣を構えて、マールは何をするつもりなの? コボルトが唸り声を上げながらわたし達を睨んでるよ?
「ルミしゃま!? なんで武器が武器じゃないにゃ~!?」
「え~~!? そんなの知らないよ!」
「こんなおもちゃの武器で戦えるはずがないにゃ! あっちのほうがマールの倍はデカイにゃ!」
わたしとマールが言い合ってる内にコボルトは一歩、二歩とわたし達の至近距離まで近づいてきていた。
さっきまでは突然の光と、動き出したマールに警戒していたみたいだけど、手にしている武器を見て勝てる相手と思われたのかも。
表情が固まるわたしとマール。
ゆっくりとコボルトに視線を向けてみる。コボルトの表情は、どう見ても友好的な感情を持ってるようには見えない。
「あー……、ハハハ」
「こ、こんにゃちわーですにゃ?」
今更遅いかもしれないけど、とりあえず愛想笑いをしてみる。「こちらには、戦う意思はないですよ~」アピールだ。
マールも手に持ったおもちゃの剣を背中側に回して、敵対する意思はないことを示しているっぽい。
……だけど。
コボルトにはわたし達の気持ちは通じなかった。異文化交流って難しい。
コボルトは再び大きく吠えると手にしたボロボロの剣を振り上げた。
「キャー!?」
「ルミしゃま! 逃げるにゃ!」
そして始まる、森の中の追いかけっこ。
苔むした地面を蹴って、張り出した木の根を飛び越え、枝葉をくぐり、大木を回り込むように走るわたしとマール。
身長が50センチ位しか無いマールより、わたしの方が足は長いのに、流石は猫というべきか。マールの方が走るのが速い。
いや、わたしの身体能力とか運動神経とかがちょっとだけ低いってのもほんの僅か関係あるかもしれないけど、絶対それだけじゃないはず。
マール自身の身体能力が多分人間を上回ってるんだと思う。
わたしが必死で走ってるのに、マールはピューッと走って距離が開いたら立ち止まって後ろを振り返って、わたしが追いつきそうになったら、また走るって言うのを繰り返してるし!
「マール! 自分だけズルいよ!」
「ズルくないにゃ! 猫の逃げ方はこういうものなのにゃ!」
息が切れそうなわたしが必死に抗議すると、マールも必死に反論してきた。
すぐ後ろに聞こえるのはコボルトの息遣いと足音、そして激しい咆哮。ほんの少しでも足を緩めれば、すぐにでもわたしの背中にボロボロの剣が振り下ろされるってくらいの距離しかない。
インドア派で運動が得意じゃないわたしが、足場の悪い森の中を涙目になりながら走って逃げる。わたしの前を走るのは”猫っぽい何か”であるマール。
そして、追いかけてくるのは、犬のような頭部を持つコボルト。
このままじゃマズイ……。
犬と猫と人間が競走したら、一番速いのは何か?
ものすごい短い距離なら猫で、ある程度長い距離なら犬に軍配が上がる印象なんだけどどうだろう?
ムチャクチャ長い距離だと人間の持久力っていうのも馬鹿にならないらしいけど、残念ながら日頃から鍛えている人限定の話だと思う。少なくとも、わたしにはフルマラソンを走りきるような体力はない。ハーフ・マラソンですらかなり怪しい。
必死で逃げるわたしとマール。追いかけてくるコボルト。
いずれ三者の内の誰かの体力が尽きる。
それって一番最初に体力尽きるのは、どう考えてもわたしだよ!
追いつかれ、背中をバッサリと斬られる未来が見えるようだ。
背後から迫る犬頭のモンスターに怯えながら考える。
このままだと、最初に私の体力が尽きてコボルトに追いつかれる。ここまでは確定だ。わたしより先にマールやコボルトの体力が尽きるとは思えない。
わたしの体力が残ってる内に現状を打破しなくちゃならない。
コボルトにとって優位な点は、おいかけっこをする持久力、地の利がある事と武器を持ってること。
わたし達にとって優位な点は、相手より人数が多く、意思の疎通も問題無いこと。もしかしたら、わたしとマールが大声で作戦会議をしても相手には内容が伝わらない事ってのもあるかも。
倒木を飛び越え、張り出した枝をくぐるように走る。
相変わらず、人の姿も、人の手が加わった人工物らしきものも見当たらない。人の手で管理されてるような場所でもないから、さっきから低木をかき分けたり、下草に足を取られたりで忙しい。
「マール! 何か必殺技とかないの!? 魔法とか!」
「魔法なんて知らないにゃ! マールはただの猫にゃ!」
先を行くマールに大声で問いかけると、必死な顔で振り返ったマールが答える。
いや、どうみても”ただの猫”じゃないよね!? わたしが知ってる普通の猫って喋らないよ?
でも、”ただの猫”というマール自身の言葉を信じるなら、猫にできることはマールにも出来るってこと?
「じゃぁ、猫パンチは!?」
「武器を持った相手に猫パンチ!? それ、マールに死ねと言ってるのと同じにゃ!」
ぬいぐるみは「死ぬ」じゃなくて「壊れる」だよね。
そんな考えが頭をかすめたけど、もちろん口にはしない。死ぬでも壊れるでも、マールが傷ついたり、またお別れになるなんてのはゴメンだ。
「わたしが相手のスキを作るから!」
「無茶言わないで欲しいにゃーー!!」
マールの絶叫が聞こえるけどスルーして、考えた作戦を実行に移せる場所を探す。
ポイントは反発力と耐久力と、ある程度のサイズだ。
「マール! あそこの大きな木を左に!」
遠目に見えたポイントにマールを誘導するわたし。
マールが進んだ後をわたしが続いて、その後をコボルトが追ってくるのだから、コボルトは誘い込まれようとしている事には気が付かないはずだ。
問題は、そのポイントがわたしの考えた通りの場所かどうかっていう事。
「そこの茂みを抜けたら急ブレーキして猫パンチ用意!」
「にゃー!? 本気でやるのにゃ!?」
もちろん本気だ。
このままでは、いずれわたしの体力は尽きる。巻き込む形になってマールには申し訳ないけど、力を貸してもらうより他に無い。
「おねがい! 力を貸して!」
「うぅ~……、わかったにゃ! 何をやるのかは分からにゃいけど」
マールが不安そうに、でもどこかやけっぱち気味に言いながら、わたしが示した大木の左側を抜け、根元の茂みをくぐり抜ける。
その後ろに続くわたしは、茂みを通り抜けると同時に茂みの影に身体が隠れるように倒れ込む。その時、ピョコンと飛び出している枝を素早く引っ張る。
わたしのすぐ後ろを追いかけてきていたコボルトも、当然わたし達に続いて茂みに足を踏み入れた。
その瞬間を狙って、弓状にしなる枝をヒョイっと離す。枝は元の形に戻ろうと勢いよく跳ね返っていく。
「ギャウン!」
しなりを戻そうとする枝はすごい勢いで跳ね返り、そのままの勢いでコボルトの顔面を直撃。
力の無いわたしでも簡単にしなるような枝だったけど、むき出しの顔面に当たれば痛いだろう。顔面を押さえて、後方へ倒れ込み呻き声を上げるコボルト。
それは、わたし達にとって反撃のチャンス。
「マール!」
「了解にゃ!」
わたしの合図に呼応したマールが茂みから飛び出し、一足飛びにコボルトへ近接すると、そのままの勢いで猫パンチを放つ。
今のマールは、猫のマールじゃない。わたしが作ったぬいぐるみに似た姿をしている。その特徴の一つが、手の形だ。今のマールは体毛と鋭い爪が伸びた人間のような手をしている。
そして、猫パンチっていうのは名前に反して、手をグーの形にしない。爪という武器を最大限に使うのが猫パンチなのだ。
マールの放ったその”猫パンチ”は正確にコボルトの顔面、血走った二つの眼球を瞼ごと切り裂く。
二度目の悲鳴が響き渡る。猫パンチは、正確に眼球を捉えたようで、コボルトは地面に倒れ込み、うめき声を上げながら自分の両目を押さえている。
「逃げるよ!」
そう、マールに向かって叫ぶように声をかける。
コボルトを倒すことよりも、安全の確保を優先すべきと判断したからだ。
コボルトに止めを刺そうと近づくより、できるだけ早くこの場を離れた方がいい。
わたし達は後ろを振り返る事もせず、コボルトの呻き声が遠く離れるまで無我夢中で走り続けた。
コボルトって最弱クラスのモンスターじゃないの!? 怖すぎるんですけど!
他作者さんの作品を読んでると書く時間が……
私、豆腐メンタルであること以上に、意志が弱いみたいです(*'ω'*)