異世界生活のはじまり 9
「さて、お二人とも問題なく魔力が動かせるようになったようなので、そろそろ次の段階に移りましょう」
わたしが魔石へ魔力を注ぐ練習を始めてから一時間ほど経った頃。レンヴィーゴ様がわたしとマールの間に一枚の紙を差し出してきた。
その紙には小さな子供が文字を覚える時に使う『あいうえお表』の様に文字のような記号が何十個も並んでいる。
「これは、現在までに分かっている『魔法文字』と呼ばれるものの一覧です」
「『魔法文字』ですか?」
「はい。普段、我々が使っている文字とは違う、魔法を行使するための文字ですね。『古代文字』とか、『神聖文字』なんて呼び方もあります」
またいっぱいあるパターンか!
学者先生って、なんで分類とか名称とか頑張るのよぅ。
わたしが辟易しているのを察したのか、レンヴィーゴ様は苦笑しながら説明を続ける。
「現在では、魔法使いと呼ばれる人でも熱心に覚えようとする人は少ないですが、新しい魔法を組もうと考えるのなら必要になる知識なので、ぜひ覚えて下さい」
ん? 魔法使いでも覚えなくても良い? 熱心に覚えようとしないって事は、覚えて無くても魔法が使えるって意味なのかな?
「はい! 先生! 魔法使いでも熱心に覚えようとしないって、どういう事ですか?」
つい、学校のノリで、手を上げて質問してしまう。
「それは、この『魔法文字』を覚えて無くても、魔法を使う事は出来るからですね」
「ええっと、つまりどういう事です?」
「詳しく説明するには、まず、魔法の発動方法から説明したほうが良いですね」
そう言いながら、レンヴィーゴ様は何処からともなく一冊の本を取り出す。相変わらずの手品だ。
ほんと、どこに隠してるんだろう?
「現在、魔法使いと呼ばれる人たちは、ほぼほぼ全て『魔導書』と呼ばれる、このような本を持っています」
森の中でも使っていた革表紙の本だ。
「簡単に言えば、この魔導書に魔法陣を書き込み、その魔法陣に魔力を流す事で魔法が発動するわけですが……」
「あっ! 分かりました! 一度、書き込んでしまえば、書き込まれた魔法陣に魔力を流すだけで魔法が発動するから、暗記しておく必要がないって事ですね!?」
「まぁ、そう言う事ですね。魔導書に書き込む時には、手本を見ながら書き写すのが一般的な方法となりますから」
お手本を見ながら描くだけなら、確かに暗記する必要はないね。
あれ? でも、魔法陣に魔力を流すだけで魔法が発動するのなら、この世界の魔法には呪文の詠唱は必要無いって事? 漫画とかラノベとかだと、呪文の詠唱って結構頻繁に見かける気がするんだけど。
その辺りの事が気になったので追加で質問してみる。
「呪文の詠唱ですか……。必要か必要でないかという話なら、必要はないですね。呪文を詠唱して魔法を発動する方法もありますが、一般的ではないので」
「一般的ではないっていうのは?」
「その辺りを説明するには、逆に魔法陣の説明をした方が理解できるかも知れません」
そこから、またもレンヴィーゴ様の長い長い説明が始まった。
わたしは欠伸が出そうになるのを堪えながら、必死に耳を傾けているというのに、マールはまたも気持ちよさそうに寝息を立てている。
マールが授業に興味を示さないのは置いておいて、レンヴィーゴ様の授業の内容を簡単にまとめると、「魔法を行使するために詠唱する呪文とは、魔法陣の形を口頭で表したもの」という事らしい。
つまり魔法の呪文とは絵描き歌の歌詞のような物で、「外周に円があって、その中に三角が二つあって、三角の中にはAという記号とBという記号があって……」というような魔法陣として描かれている事を、魔力を込めながら発声する事で魔法を発動するっぽい。
当然、複雑な魔法陣になれば呪文が長くなるので、魔法を発動するまでに時間がかかる。おまけに、一言でも間違えれば、狙った効果が得られないか、発動自体しない。
しかも、詠唱自体にも魔力が必要なので、魔法陣に魔力を流して発動するよりも余計に魔力を消費するらしい。
それじゃあ誰も、呪文を詠唱して魔法を使おうとは思わなくなるよね。
わたしが魔法文字を覚えなきゃいけない理由は、新しい魔法を作るために必要だからだそうだ。
もちろん既存の魔法を使うだけなら魔法文字まで覚える必要はないんだけど、レンヴィーゴ様は、迷い人としてのわたしの知識や発想で、新しい魔法を組み上げることを期待してるっぽい。
でも、ズブの素人がそう簡単に新しい魔法なんて作れるの?
わたしはアイディアだけだして、レンヴィーゴ様が魔法陣を作った方がよくない? レンヴィーゴ様って魔法の事に詳しいみたいだし。
「まぁ、新しい魔法を考えるのは後にして、とりあえず簡単な魔法をやってみましょう」
レンヴィーゴ様がそういって『あいうえお表』の一文字目を指差す。
一文字目は、円。ただの丸だ。
「これは、『世界』そのものを表す文字です。また、『最初』や『全て』という意味、数字の『1』という意味に解釈される事もあります。あ、そうそう『神々の女王』という意味もありました」
はい、わかりました。わたしには覚えられないという事が。なんでただの丸に、そんなにいくつも意味があるのよ!
「魔法陣を描く時には、必ず必要になる文字です。この円を最初に描いて、その中や周辺に他の文字を入れて魔法陣を組み上げる感じですね」
そう言われてみれば、先日、森の中でレンヴィーゴ様が使っていた魔法陣も、円に囲まれていたような気がする。
レンヴィーゴ様は、そのまま続けて二文字目、三文字目の説明をしていく。
うん。さっぱり分からない。正にちんぷんかんぷんって感じだ。
何十個もある記号の全てを説明し終えたレンヴィーゴ様。
全ての文字を暗記してて、スラスラと解説できるレンヴィーゴ様の頭ってどうなってるんだろう?
「……と、今現在、判明している魔法文字については以上です。いきなり全てを覚えるのは難しいでしょうから、ゆっくりと覚えてください。……それでは、説明を聞くばかりなのも大変でしょうから、とりあえず一度魔法を使ってみましょうか」
そう言いながら、何も書かれていない紙と筆記用具をわたしの前に出すレンヴィーゴ様。
それと同時に、マールが大きく欠伸をしながら両手を大きく上に伸ばす。
「ふぁ~~。説明は終わったにゃ?」
「ええ。終わりました。マール君も魔法を使ってみますか?」
「はいにゃ。マールもやってみたいにゃん」
実質的な「寝てました」宣言を気にした様子もなく、笑顔でマールの前に同じ様に紙と筆記用具を差し出すレンヴィーゴ様。
どれだけ人間が出来てるんだろう? わたしだったら、お説教のひとつもしちゃいそうだ。
「それでは、最初は、簡単で危険のない魔法を使っていただきます。具体的には、光を放つ魔法ですね。まずは、紙いっぱいに大きな円を描いてみて下さい」
わたしとマールは、言われた通りに出来るだけ真円になるように丸を書き込む。
大きな円って意外と難しいね。コンパスとかテンプレートとかないのかな?
「円が描けたら、次は円の中を二本の直線で四分割にします。四分割にした右上にこちらの文字を書き込んで下さい。その下にはこちらの光を表す文字を、左上にはこれ、左下はこちらです」
いちいち『あいうえお表』を指さしながら教えてくれるので、示された文字を書き込んでいく。
「書き終わったら、魔法陣に手を触れて、先程、魔石にしたのと同じ様に、魔力を流してみて下さい」
「こんなので、本当に魔法が使えるの?」ってくらいシンプルな魔法陣に、内心で首を傾げつつ、魔力を流してみる。
その瞬間、魔法陣が筆跡に沿って光を放ち、その中心部からピンポン玉くらいの白く輝く光の球が現れた。光球は、ふわふわと舞い上がって、わたしの頭の斜め上あたりを漂い始める。
「おぉ~、出た! 出ました!」
「マールもできたにゃ!」
隣を見てみれば、マールの頭の上にも、わたしと同じ様にピンポン玉くらいの光の球が浮いていて、右手でチョイチョイと突いている。
光の球は、突かれるとちょっとだけ移動して、また元の位置に戻るっていうのを繰り返してる。
なんだか、ゴム付きの水風船みたいな動きだ。
「二人共、ちゃんと発動しましたね。おめでとうございます。これで魔法使いと名乗れますよ」
「ありがとうございます!」
「ありがとですにゃ!」
やっぱり、簡単なものって言われてても、実際に魔法が使えたっていうのは嬉しいね。
今日からわたしも、魔法少女だよ!
「さて、それではこの魔法陣を使って説明していきますね」
レンヴィーゴ様が、わたしの描いた魔法陣を指しながら説明を始める。
それによると、円の内部を四分割にして、それぞれに記号を描いたのは、きちんとした法則に則ったものであるらしい。
おとぎ話とかのイメージだと、魔法ってファジーでメルヘンな感じだったけど、この世界では学問的、技術的なものなのかもね。
そういえば、魔法学なんて事も言ってたっけ。
そんで説明によれば、四分割にしたそれぞれのスペースに描いた記号は、どういう魔法を、どの様に発動させるのかっていうような事が描かれていたっぽい。
つまりは、『自分の頭の上』に『ピンポン玉サイズの球体』の『光』を『込められた魔力分の明るさ』って感じかな。『明るさ』じゃなくて、『時間』かもしれないけど。
それぞれの記号を変えることで、『的に向かって撃ち出す』だったり、『バレーボールサイズ』だったり、『矢の形』だったりになるんだと思う。
もちろん、もっと複雑な魔法陣になれば、他にも色々な効果が得られるんだろうね。
でも、そう考えると、あんまり融通は効かないのかも? カボチャを馬車になんてのは無理っぽいよね。魔法少女に変身なんてのも無理っぽい。残念だ。
「ここまでで何か分からないことはありますか?」
「えっと、レンヴィーゴ様はさっき、魔法使いは魔導書を持っているって言ってましたけど、例えばこの光の魔法を使う時には、魔導書の光の魔法のページを探し出して、そのページに魔力を流して、発動するって事で良いんですか?」
いちいちページを探すのって、結構めんどくさくない?
「あー、そうですね。それは術者によりますね。例えば上級者は魔法を使う時に魔導書を手に持っているなんて事は殆どありませんが、見習いだったり、実力の低い者などは、片手にワンド、もう片方の手に魔導書という感じでしょうか」
レンヴィーゴ様の説明に首を傾げる。上級者は魔導書を持ち歩かないって事なのかな?
「実際にやってみますね」
そう言って苦笑しながら、魔導書の最初の方のページを捲っていく。簡単な魔法だから、最初の方に書かれてるのかな?
お目当てのページを開いたレンヴィーゴ様が、そこに描かれた魔法陣に手をかざして魔力を流すと、左手の中指に嵌められている指輪から小さな球体の光が飛び出してきた。
「……と、見習いや慣れていない人はこんな感じですね。これが、ある程度慣れてくると、こうなります」
そう言いつつ一度、魔導書を閉じると、魔導書の表紙に左手をかざす。
その瞬間、風に煽られたようにページが捲られていく。
開いたのは、さっきと同じ光球を出す魔法のページだ。さっきと同じ様に、左手をかざし、魔力を流すレンヴィーゴ様。
レンヴィーゴ様の頭の上に、二個目の光の球体が浮かんだ。
「これで見習い以上、一人前以下って感じですかね」
それを簡単にやってしまうレンヴィーゴ様は、最低でも見習い以上って事か。
わたしがふむふむと見ていると、レンヴィーゴ様は魔導書を何処かに隠してしまう。
だから、何処に隠してるんだこの人は。ホントは、魔法使いじゃなくて、手品師なんじゃないの?
「それからもう一歩進むと、こうなりますね」
そう言いつつ、左手を前に突き出すと、それだけで頭の上に三個目の光球が浮かび上がった。
「ここまで出来れば十分ですが、まぁ、これはいわゆる魔法を使える人限定の話で、実際には多くの人は魔法を使えません。なので、こんな物が用意されてたりします」
そう言いながら部屋の扉に近づいていくと、扉の横にある照明のスイッチのような物を指し示した。
「灯りが必要なら、そのための魔道具を用意するのが一般的ですから」
レンヴィーゴ様がスイッチに触れる度に、部屋の中が明るくなったり暗くなったり。
レンヴィーゴ様によれば、照明みたいな簡単で使用頻度の高い魔法に関しては、専用の魔道具があるらしい。
まぁ、当たり前といえば当たり前なのかな。
部屋の照明をつける為に、いちいち魔導書を開いて魔法を使うなんて、めんどくさいもんね。
昨夜いただいたシャワーも、やっぱり魔道具だったんだろうね。
「こういった魔道具は、広く普及してるんですか?」
「それは経済的な問題で変わりますね。富裕層なら照明の魔道具だけでなく、温水や食品の冷蔵保存に関わる魔道具も持ってたりしますが、貧しい層では、そもそも魔道具を使うための魔力を融通するのも難しかったりしますから。ああ、この領では、照明の魔道具は割と普及していますよ。なにしろ魔物討伐を仕事にしてる人は多いですからね」
つまり、照明の魔道具位ならどこの家庭にもあるということか。逆に言えば、魔力を供給する方法がない家庭では、わざわざ魔道具を買ったりしないって事になるね。
そうなると日本人的には、魔道具によってどの程度快適な暮らしができているのか? というのが気になる所。
テレビやラジオやスマホ、パソコンなんてのは無理だとしても、エアコンとか冷蔵庫、冷凍庫なんてのは欲しいかな。
「魔道具に関しては、また後で説明させていただきます。それよりも今は魔法を使えるようにする事の方が大事ですから」
魔道具は照明くらいなら誰でも知っているけど、その他の物に関しては、あまり一般には出回っていない為、わたしが知らなくても絶対的におかしいって訳じゃないらしい。
つまり、照明用やシャワー用の魔道具しか知らなくても、「あぁ、貧乏だったんだね」位にしか思われないって事みたいだ。
「そういうわけで、明日には魔導書を作りといきましょう」
……はい?
魔導書って、本だよね? 本ってそんなに簡単に作れるものなの?
マールは猫なので、隙あらば寝ています。
リアル猫の場合、成猫だと一日に12から16時間、子猫だと18時間も寝ているというデータもあるらしいです。
うらやましぃ……。私も一日12時間くらい寝ていられる生活がしてみたいです。前提条件として健康である事が必須ですが。




