異世界生活のはじまり 7
魔法の基礎訓練が始まった。
マールも、レンヴィーゴ様の長い説明が終わったタイミングでしっかり目を覚ましたよ。やっぱり狸寝入りだったんじゃ……。
わたしの中にある、元の世界に帰りたいって言う気持ちはウソじゃない。だけど、もう一方で魔法を使ってみたいっていう気持ちも確かにある。
お話の中にしか存在しないと思っていた魔法が使えるようになるかもしれないっていうのは、やっぱり心が躍る。
「じゃぁ、まずは魔法の基本、魔力の扱いからです。これは全ての魔法に共通するものなので、出来なければ話になりません。魔法は呪文を唱えたり、魔法陣を描いたりするだけじゃ発動しないですからね」
レンヴィーゴ様がそう言いながら、テーブルの上に小さな丸い石を置いた。
その数は二つ。どちらもペットボトルのフタくらいのサイズで、形はなんてことのない普通の石なんだけど、色は半透明の黒だ。
「例えば、水を出す魔法ってだけでも幾通りものやり方があります」
ん? どういうことだろう? 種類が多いのは、分類方法だけじゃないの?
「これから覚えてもらう言霊魔法だけでも、僕が知るだけで十通りくらいありますね」
「そ、そんなに……?」
「それ、全部覚えなきゃダメなのにゃ?」
マールがゲッソリとした表情をみせた。多分、わたしも同じ表情をしているはずだ。
「全部は覚える必要はありません。ただ、魔法によってちょっとずつ違います。例えば魔法陣が複雑で使う魔力も多いかわりに大量の水を出せる魔法、逆に簡素な魔法陣で消費魔力も少なくて済みますが出せる水の量も少ない魔法。普通の水を呼び出すだけか、水ではなく熱湯を呼び出すか……。自分に合う魔法や、自分の目的に合った魔法ってのは覚えたほうが良いでしょうね」
「でも言霊魔法っていうのだけで十通りあるんですよね? 他の分類の魔法にも水を出す魔法があるってことですか?」
「もちろんありますよ? 精霊魔法には水の精霊と契約して水を出させる事ができますし、神聖魔法には水っていうより井戸を作る魔法なんてのが有るはずです。珍しいのだと、鎮守魔法には近くにある水場が分かる魔法なんて変わり種もあります」
聞いてるだけで気が遠くなるね……。
でも、考えてみれば、そういう物なのかも。
例えば、温かいお湯が欲しいとき。
お風呂に使うお湯なのか、お茶やコーヒーを飲むために使うお湯なのか、それとも顔を洗うために使うお湯なのかで、お湯を用意する方法は変わる。
コーヒーを飲むために使うお湯って限定して考えても、ヤカンに水を入れてコンロにかける方法もあれば、キャンプの時につかうアルコールランプでお湯を沸かす人もいるかもしれない、太陽熱で温めるなんて事だって可能なはずだ。全く別の方法だと、飲める温泉を汲んで来るなんて方法も有りかもしれない。
そういう風に考えれば、それぞれに合った魔法が考え出されても不思議じゃないよね。
「マールはあんまり水を飲まないから、一つ覚えれば十分にゃ」
「一つだけなら、お風呂に使える魔法にしようね」
「うにゃー……」
マールも普通の猫だった頃にはお風呂が苦手だった。なので先に釘を刺しておく。
猫だった頃ならしょうがないけど、今の姿でお風呂に入らないのは許さないよ? まぁ、入りたくないって我が儘を言っても、強制連行するだけだけど。
「まぁ、どんな魔法を覚えるかは後から考えるとして……。その全ての魔法に共通しているのが、魔力を扱えなくてはならないということです。まずは、すべての基本の魔力についてですね」
レンヴィーゴ様は、そう言いながら指先で片方の石に触れる。
わたしがレンヴィーゴ様の指先をじっと見つめていると、魔石の中心部がうっすらと光り始めた。
まるで、石の中でろうそくの光を灯したみたいな不思議な光景だ。
「今、石に魔力を注いだのが分かりましたか?」
「石の中心が光ったのがそうですか?」
「ええ、この石はこういう風に魔力を注いで、溜めておくことが出来る石で、魔石と呼ばれるものです。そしてもちろん……」
レンヴィーゴ様は、もう一度魔石に触れる。
魔石の中の光がほんの僅かに震えたかと思うと、どんどん小さくなって最後には消えてしまった。
「あとで、こうして魔力を回収する事もできます。余裕がある時に魔石に魔力を溜めておいて、必要な時に引き出すっていうふうに使います」
おぉ。なんだか充電式の電池みたい。
「これは便利ですね」
「便利ですが、まぁルミさんには必要ないかもしれません。なにしろ、あの回復力ですし……。あっと、そうそう。ルミさんが魔力を溜めて、マール君が魔石を使って魔法を行使するなんて使い方も出来ますから、覚えておいて下さいね。残念ながらルミさんの魔力をマール君が回収するというのは出来ませんけど」
そういえば、わたしって魔力に関しては人並み以上って言われたんだったね。特に魔力の回復力はチートレベルっぽい。
「なるほど……。あ、ひょっとして、わたしの魔力を魔石に入れて販売とか出来ませんか?」
「出来るか出来ないかで言えば出来ます。ですが、あまりおすすめは出来ませんね」
「なぜですか? お金稼ぐのに良いと思うんですけど?」
「普通の魔法使いなら魔力を売るなんて出来ないからです。他人に売り渡すほど余力が無いということですね。それなのにルミさんが魔力を売りに出したら、素性を隠す気が有るのかって話になりますよ?」
ぐはっ! おっしゃる通り。いいアイディアだと思ったんだけどな、残念。
「それでは、お二人には、これで自分の身体の中にある魔力を認識して、魔石に注ぐところから始めてもらいます」
わたし、十六年間生きてきて、今まで魔力なんて存在さえも知らなかったんですけど?
「さぁ、二人共もやってみてください」
あれ? 説明はもう終わりですか? 具体的なアドバイスとか欲しいです。
わたしが助言を求めてレンヴィーゴ様と魔石を交互に見ていると、レンヴィーゴ様は小さく首を左右に振った。
「これは、言葉では伝わらない感覚的なものなんです。だから、出来る人は直ぐに出来るし、出来ない人は中々出来なかったりします。ですが、直ぐにできた人が優秀ってわけでもないですし、全然できなかった人が突然出来るようになって、そこからは一足飛びで魔力の扱いが上手になったりする事もあります」
アドバイスなんて無いっぽい。
わたしは、背筋を伸ばして小さく息をはいてから、ゆっくりと魔石に手を伸ばした。
指が魔石に触れた瞬間にピカーッ! って光ってくれれば良かったんだけど……
現実は、そう甘くなかった。魔石は何の反応もなく、その場に転がってるだけだ。
それはそうだよね。いままで意識した事さえ無いものを、突然、やってみろと言われて出来る筈がないよね。
わたしはもう一度指先で魔石に触れてみて、やっぱり変化がないことを確認してから、そっと持ち上げてみた。
だけど、指先で触って変化がないのに、持ち上げたからって変わるはずがない。
逆の左手でやってみたり、両手で握り込んでみたりしたけど、やっぱり変化無し。
無駄に手に力が入ってるだけのような気もする。
「これ、どのくらいで出来る様になるものなんですか?」
ちょっと不安になって聞いてみた。
「そうですね、早い人だと初めから、遅い人だと数ヶ月掛かる人もいます。中には、魔力はあるのに死ぬまで出来なかったって人も居るらしいですよ。まぁ、それは非常に稀な話ですが」
レンヴィーゴ様の言葉に軽い目眩を感じる。
これは長期戦も覚悟しなくちゃならないかも……。
更新頻度が週1でのんびりなのに、話の進みものんびり。
作者の人の性格は、のんびりしてないつもりなんですが _(:3 」∠)_




