異世界生活のはじまり 1
ぼんやりとした意識の中、ゆっくりと周囲の様子を確認する。
そこは昨夜、眠りについた何もない部屋のまま。傍らには、丸くなってるマールの姿もある。
残念。やっぱり夢じゃなかった。
正直、少し覚悟はしてた。夢にしては、やけに長くて色んな感覚がハッキリしてるって思ってたんだよね。
草木の匂いとか、肌や髪をなでる風の感触とか、スープの味とか。
小さくため息を漏らして、ベッドから起き上がる。
少し冷やっこい。
日本では、もうすぐ桜の季節だったけど、こっちの世界にも桜はあるのかな? そもそも、四季があるのかな? 四季があったとして、今はどの季節なんだろう?
まさか、今が夏真っ盛りです! なんて事はないよね?
昨日着ていたスウェットシャツに着替え、エプロンも付ける。ちなみに下着も昨日のままだ。替えの下着なんて無いからね……。
まずは、なんとかして着替えになる下着や服を手に入れたいな。
まだ眠そうなマールも起こして着替えさせてから、寝ぼけたままのマールを抱きかかえて食堂へいくと、そこには既にメイドであるレジーナさんとポリーちゃんがテキパキと働いている姿があった。
「おはようございます」
「あら。お早いお目覚めですね。おはようございます」
「おはようございます」
振り返って、挨拶を返してくれる二人。
時計らしきものがないから正確な時間は分からないけど、ちょっと早すぎたかな? まだ朝食の準備が終わってない忙しい時間帯なのかもしれない。
日本にいる頃は夜更かしが多くて、朝はゆっくりだったわたしだけど、昨夜は森の中を歩き回った疲れが出たのか、早い時間に眠ってしまった。おかげで今朝はスッキリ目が覚めちゃったんだよね。日本にいた頃は「ネボスケルミ」なんて呼ばれてたのに。
とりあえず、少しの照れ笑いを浮かべて、昨夜の夕食の時と同じ席についた。
「朝食にはもう少し時間を頂きたいのですが、お待ちになっている間、なにかお飲み物でも召し上がりますか? 昨日と同じものですけど……」
「はい、いただきます」
正直、手持ち無沙汰で、間が持たないからね。
本当はレジーナさんとポリーちゃんのお手伝いをしたいくらいなんだけど、この世界の調理法が分からないわたしが手を出しても、きっと邪魔をしちゃうだけだと思う。
なので、わたし達は昨夜と同じ不思議な甘い香りの果汁水をいただくことにした。
「昨夜はゆっくりできましたでしょうか? なにかご不便な点などございましたか?」
グラスをわたし達の前に並べながら、そう質問してきたポリーちゃん。
「うん、大丈夫。ぐっすり眠れたよ。……あ、そういえば、洗顔と歯磨きをしたいんだけど……」
わたしが言うと、膝の上で微睡んでいたマールの体がビクって感じに震えたのが分かった。
「ご案内いたします。朝食の前になさいますか? それとも朝食後になさいますか?」
日本にいる頃なら、朝起きてすぐに洗顔とウガイをして、朝食後に歯磨きって感じだった。だけど今は忙しそうな二人に迷惑を掛けたくないかも。
「それじゃ、今日は朝食後でお願い。明日からは起きたらすぐに洗顔とウガイを、食事の後に歯を磨かせてもらえるかな。自分でやるから」
「わかりました。それではそのように準備しておきますね」
そんな話をしている内に、食堂に人が集まり始めた。
最初はシャルロット様、続いてレンヴィーゴ様。その後に少し間があいて領主のスタンリー様。
あれ? 一人足りない?
「おはよう、みな揃って……ないのか。エルミーユはまだ寝てるのか?」
「昨夜、遅くまで部屋から灯りが漏れていらしたので、ご友人に手紙でも書いていらしたのではないでしょうか?」
メイドのレジーナさんがそう答えると、スタンリー様は顎を擦る仕草を見せる。
「そういえば、釘を刺すのを忘れていたな。しばらくの間、ルミフィーナ嬢とマールの事は領外の者には漏らさないように。エルミーユの手紙も一度確認してから出させるから、俺の許可がない内に手配しないようにしておいてくれ」
わたしとマール以外の、その場に居た全員が頷いた。
「スタン、わたしからも良いかしら?」
「なんだ? なにかあるのか?」
「ええ。ルミさんとマール君なんだけど、昨日と同じ服を着ているじゃない? つまり、着替えも無いような状態なのよね? 貴族家でお客様として扱っている二人が、ずっと同じ格好をしているなんて変よ?」
「ああ、確かにそうかもしれんな」
全員の視線がわたしとマールの方に。
なんだか恥ずかしい……。
「それで、着替えを用意すべきだと思うのだけれど……、どういう服を用意すれば良いのかしら? その、ルミさんが着ているような服だと、チョット用意できないわよ? それにマール君が着れる服なんて……ねぇ?」
確かに、わたしが日本で着ていたスウェットなんて、この世界だと用意できないだろうね……。
シャルロット様はシンプルなワンピースドレスみたいなのを着ているし、昨日のエルミーユ様の事を思い出してみると、やっぱり、簡易なワンピースドレスだった。
レジーナさんとポリーちゃんはスカート丈の長いクラシカルなメイド服みたいなのを着ている。
昨日、この領地を訪れた時に集まっていた人たちの中に何人か女性も居たけど、ジャンパースカートみたいなのを着ていた気がする。
「そうだな……。ルミフィーナ嬢は、とりあえずエルミーユの服で大きさの合う物があれば、それで良いんじゃないか?」
「え!? お貴族様が着るような服なんて、わたしに似合わないですし、もったいないですよ!?」
「ああ、昨日エルミーユが着ていたようなのじゃないわよ? あれは、お客様が来ていると知って慌てて着替えさせたんだから。普段は、領内の他の女の子と大して変わらない格好をしてるのよ?」
シャルロット様は「こんな田舎領地で、いつもキレイな服を着ているなんて窮屈でしょうがないでしょう?」と笑っている。
ごもっとも。わたしだって一応女の子だから、綺麗なドレスとかに憧れる事はあるけど、毎日着たいわけじゃないからね。
「ルミさんには、エルミーユが着れなくなった服を着てもらうとして……、問題はマール君よねぇ」
マールに限らず、わたしが作ったぬいぐるみの着ている服は、全てわたしが作った一点物だ。
ぬいぐるみなので、体幹や手足の長さや太さ、首周りなんかは自由に作れるんだけど、自由に作れる分、逆に既製服なんて着れないようになっちゃうんだよね。既製服って言っても、ベビー服かペットウェアだからサイズもイメージも合うはずがないんだけど。
マールの場合、身長50センチ位なので、人間、この世界でいうメディロイドか。そのメディロイドでいうなら赤ん坊くらいの背丈なんだけど、仮にこの世界にベビー服があったとしても、身体の各部位の比率とかは違うから、サイズが合わない。……それ以前の問題として、デザイン的に似合わないってのもあるけど。
マールがベビー服を着るくらいなら、わたしがお貴族様のドレスを着るほうが、まだ似合うってくらいだ。
「マールは、裸でも……」
「「ダメッ!」」
「……はいにゃ」
マールが主張し終える前に却下するわたしとシャルロット様。
お互いの気持ちが同じだという事を目と目で確認しあい、力強く頷き合う。
「それじゃ、適当な布地をいくつかと裁縫道具を用意して頂けないでしょうか? この服もわたしが縫ったものなので、わたしが作ります」
「まぁ、ルミフィーナさんはお裁縫ができるのね? 分かったわ、早速準備しておくわね。他に必要なものは有るかしら?」
「えっと、そうですね……。このあたりの一般的な服の形が分からないので、教えていただければ、それに合わせてマールの衣装も仕立てたいと思うんですが」
わたしの場合、ぬいぐるみを作る時には、いろんなテーマで作る。
例えば、職業をテーマにしたものとか、スポーツをテーマにしたもの、イベントをテーマにしたものなどなど。
動物を、ただ動物として作っただけだと他の作家さんのぬいぐるみに埋もれてしまうので、少しでもわたしなりの個性を出そうとした結果が、擬人化と着せ替えが出来るようにした衣服だった。
もちろん、顔や身体の造形部分でも個性を出そうと頑張ってたんだけどね。
でも、擬人化と着せ替えできる服のおかげで、わざわざ注文してくれる人が居た事も事実。
一番のお得意様は、結婚を控えたカップル様。結婚式で使うウェルカム・ドール。つまり、ウェディングドレスとタキシードを着たぬいぐるみ。
わざわざお礼状まで頂いたこともある。あれは、本当に嬉しかった。
そういうわけで、ぬいぐるみ用の衣装なら何とかなるはず。
スペンサー領ギーンゲンでの、わたしの二日目の予定は、こうして決まった。
ありゃ? 魔法の勉強を始めさせるつもりだったのに、なぜか辿り着けませんでした。




