スペンサー家の人々 1
わたしの腕の中で眠ったままだったマールが目を覚ましたのは、レンヴィーゴ様が住むというギーンゲンの町? 村? に着く直前だった。しかも、目が覚めても自分の足で歩こうとはしないで、わたしの胸の中で「そろそろ着くにゃん?」なんて言いながら大きな欠伸をしてたりする。
タイミングが良すぎて、やっぱり寝た振りだったんじゃないかと疑ってしまう。まぁ、可愛いから寝た振りだったとしても許しちゃうんだけどね。
そこは、わたしの身長よりもちょっとだけ高い木製の柵、柵の周辺を正体不明な野菜畑に囲まれた小さな村だった。
魔物が住むというこの世界で、この1.5メートル程しかない柵が果たして何の役に立つのかと疑問に思ってしまう。
村の入り口である門を通り抜けると、すぐに村人たちが集まってるのが見えた。二十代から四十代くらいの大人たち数人が何やら話し合っているみたい。
その話し合いをしていた中のひとりが、レンヴィーゴ様の姿に気がついて声をあげた。
「レン様! 無事でしたか!」
「ほら見ろ、レン坊がそう簡単に怪我なんてするもんかよ」
「レン様、おかえりなさいませ。そちらのお嬢さんは?」
「レン様のいい人ですかい?」
「それより何だ、その猫みてえなのは?」
「あんた知らないのかい? こりゃケット・シーっていう猫妖精さ」
集まっていた大人たちが口々に喋るので、誰が何を言っているのかも良く分からないけど、とりあえず領主様の息子だからといって領民と付き合い方に距離があるって訳じゃなさそう。
「皆さん、心配かけました。こちらは僕の客人です。とりあえず、すぐに父に紹介したいので、詳細はまた明日にでも知らせます。皆さんも今日はゆっくり休んでください」
レンヴィーゴ様は、そう言うと、わたしの手を取って歩きだしてしまう。
突然、手を握られたわたしは、ドギマギしながら足早にレンヴィーゴ様の後ろを歩く。
だってしょうがないじゃない! 同年代の男の子に手を握られた経験なんて幼稚園以来なんだから!
「彼らも基本的には善人なんですが、何しろ田舎領地で娯楽が少ないので……」
長居をすると揶揄われるのが確定的なので、すぐに逃げたかったらしい。
なんだかちょっと、レンヴィーゴ様の顔が赤いような気がする。
わたしみたいな子供っぽい子が相手だから、やっぱり噂されると恥ずかしいのかな。
貴族様のご子息だから、やっぱりロ◯コン疑惑とか困るだろうし……。
* * *
領都とは名乗っているものの、ギーンゲンの村は外から見た時と同様に小さかった。これは断じて町のレベルじゃないと思う。
見渡した限りでは家屋の数もそれほど多くは無いし、家同士の間隔も広い。
門のすぐ脇の、大人たちが話し合っていた所を抜けると、すぐに小さな広場に出てしまうくらいで、どうやらそこが村の中心らしい。
その広場の近くに、嫌でも目につく建物があった。二階建てで他より明らかに大きくて、周囲をグルリと塀に囲まれている。
レンヴィーゴさんは慣れた手付きで塀の扉を開けると、そのまま玄関に。
どうしたら良いのか分からないわたしも、とりあえず、その後ろを追い掛ける。
玄関を開けると、ドアベルがカランコロンと鳴り響いた。その音に呼び出されたのか、奥の方から二人の女性が姿を現す。
「お帰りなさいませ、レンヴィーゴ様」
「おかえりなさい、レン様」
そういって頭を下げる二人の女性。二十代後半くらいのお姉さんと、十歳位の妹さんって感じ。あ、もしかしたら母娘かも。
なんでそう感じたかと言えば、二人がとっても良く似ているから。二人共、綺麗な黒色の髪をしていて、グレーの瞳、顔立ちもよく似ている。
二人共、形は違えど同じ様な印象を受ける服装をしていて、白いエプロンを付けている。
メイドさんかな?
リアルメイドさんって初めて見たよ! 東京とかでメイドコスプレしている人なら見たこと有るけど、あれはメイドさんじゃなくて、アルバイト店員だよね。
わたしは初めて見たリアルメイドさんに感動して、拝みたくなる気持ちを必死に抑え込む。
二人のメイドさんはといえば、レンヴィーゴ様の後ろに隠れる形になっていたわたしとマールを見て、驚いているみたい。
まぁ、マールの姿を見れば驚くよね。普通の猫とは明らかに違うし、獣人とも違うらしいから。
大きく目を見開いている年上のメイドさんに対して、年下のメイドさんの方は玩具を見つけた子供みたいな表情を浮かべている。もしかしたら、動物好きなのかな。
「ただいま戻りました。父上は執務室ですか?」
「はい。ですが、そろそろ夕食の時間になりますので、そちらを先にして頂きたく存じます」
レンヴィーゴ様はメイドさんの言葉に少し考える素振りを見せたけど、すぐに小さく首を振った。
「いえ、先に用事を済ませてしまいます。夕食は、少し遅くなっても構わないので、お客様の分も用意するように。母上達には、待っているように伝えてください。それと、こちらの二人は僕がお連れするので、レジーナとポリーはそれぞれの仕事をお願いします。それと、しばらくは執務室に近づかないように。……っと、マール君は普通の食事は大丈夫ですか?」
「分かりません。こちらのせか、いえ、こちらの食文化が分からないので」
「マールは、ルミしゃまと同じもので大丈夫にゃ。食べられないものは残すにゃ」
マールが何を根拠に大丈夫と言っているのか分からない。
まぁ、元々それ程好き嫌いのない子だったから、体に悪いものじゃなければ大丈夫だとは思うけど。
ちなみにわたしの嫌いな物は、納豆と内臓系の食べ物だ。同じテーブルで他の人が食べてるだけなら気にならないけど、納豆やレバニラ炒め、モツ煮なんかをつまんだ箸は洗うまで使いたくない。
そんなわたしを見て、母さんやお姉ちゃんは「何でも食べないと大きくなれないよ」なんて苦笑してたけど、わたしと同じく好き嫌いの多い父さんは、何も言わずにナスを避けていた。
「では、ルミさん、マール君。こちらへいらっしゃってください。ここの領主である父上に紹介させていただきます」
レンヴィーゴ様に案内された先には、大きく重そうな扉。その扉だけ豪華な装飾がされてて、他の部屋とは違うんだぞってアピールしている感じだ。
その扉をレンヴィーゴ様が軽くノックをして扉の向こうに向かって名乗ると、部屋の中から「入れ」と返事があった。
「失礼します、父上」
「どうした? 良い知らせか? 悪い知らせか?」
部屋の中にいた主は、机に向かって書類に視線を落としたまま、顔をあげもしない。
「お客様をお連れしました」
レンヴィーゴ様の言葉に興味を持ったのか、書類を机の上に放り出しながら、わたし達の方に顔を向ける男性。
年は四十歳前後。栗色の髪を短く刈り込み、同じ色の口ひげもキレイに整えられている。
いや、顔の造形や着ている服なんかよりも目を引くのは、その体の大きさだ。椅子に座っているのに大きいって事がひと目で分かるほど。しかも、ただ背が高いってだけじゃなくて、体格そのものが大きい。
日本に居たら、力士かプロレスラーかって思っちゃうくらい。たぶん、体重はわたしの三倍くらいあるよ。
この人が、レンヴィーゴ様のお父さんなんだろうけど、レンヴィーゴ様は間違いなく母親似だろうね。
「なんだその嬢ちゃんは? どこで拾ってきた? ん? 抱いてるのは何だ? ケット・シーじゃないし獣人でもないな?」
領主様は、わたしに向かって目を細めたけど、すぐにマールの方に興味が行ったみたい。
「こちらはルミ・サワノギ嬢とマール。森で出会った異世界からの『迷い人』です」
「澤乃樹留美です」
「マールですにゃん」
名前が出たタイミングで、頭を下げておく。この世界のマナーとか分からないけど、敵意が無いことが伝わればいいな。
下げていた頭を上げると、領主様は片眉を上げて難しい顔をしていた。なんだか、ムッとしてるみたいで怖い。
もしかしたら、マールが人の言葉を喋ったことに驚いてるだけかもしれないけど。
「……レン。お前は俺の息子にしては、頭もいいし、温厚で大人びてもいるのは分かってる。だが残念ながら、冗談は面白くないな」
「冗談で連れてこれるなら、父上も彼女たちの着ている服やマール君のような猫を用意してみてください。研究に使いますので」
研究って何をつもりなの? まさか解剖とかするんじゃないよね!?
マールは絶対渡さないよ!?
領主様は、わたしとわたしの腕の中のマールに視線を向けると、小さくため息を付いて頭をガシガシと掻きむしる。
「『迷い人』ってのは本気なんだな? 根拠は?」
「彼女の着ている服、そしてマール君の存在。それと、出会った時には聞いた事もない言葉を使っていました」
「それだけか?」
「魔力に対する親和性の高さも、通常では考えられない水準です。これは幼い頃に他者の魔力の影響をほとんど受けていない事が原因だと考えられます。彼女の言葉によれば、彼女のいた世界では魔法も魔物も存在していなかったそうですから」
レンヴィーゴ様の話を聞いた領主様は、眉間にシワを寄せて椅子の背もたれに体を預けて天を仰ぐ。
わたしは何も言えないまま。レンヴィーゴ様も領主様が何かを決断するのをじっと待っている様な感じだ。
しばらく物音一つしない時間が流れる。
そんな静かな時が流れる部屋の中、マールが空気を読まずに大きな欠伸をした途端、領主様が突然椅子から立ち上がった。
「よし、俺はこの地を治めるスタンリー・スペンサー小爵。ルミ・サワノギにマール。其方ら二人を我が領地の客人として歓迎する」
瑠美が嫌いな納豆と内臓系の食べ物は、実は私自身も嫌いだったり。




