プロローグ
チクチクチクチク……。
わたしの名前は、澤乃樹 瑠美。
十六歳の現役バリバリ女子高生にして、まだまだ半人前だけど、ぬいぐるみハンドメイド作家でもある。
小さな頃からぬいぐるみが好きで、いつの間にか自分で作るようになり、わたしの作ったぬいぐるみを欲しいという友人知人が現れるようになった。
リクエストに応えてぬいぐるみを作ってプレゼントすると、友人たちは嬉しそうな笑顔を浮かべ喜んでくれた。その友人たちが、わたしのプレゼントしたぬいぐるみを抱きしめる様子を見て、わたしの中で、ぬいぐるみ作家という夢が芽生えることになった。
そんなわたしの目の前にあるのは、様々な形に切られたボア系の生地だ。
染めの作業も終わっている生地を作業机の上に広げ、縫い合わせていく。
正直、それほど難易度の高い作業じゃない。
ちょっとでも裁縫をやる人なら、材料が揃ってて、手順もわかってれば誰でも出来るくらいだ。
もちろん、わたしにもできる。半人前とは言え、ぬいぐるみのハンドメイド作家を名乗る以上、最低限の針仕事くらいは出来ないとお話にならない。
小学校低学年の頃からやってるからね。裁縫に関しては、母さんよりは綺麗に出来る自信はある。まぁ、比較対象が、手先の不器用な母さんって時点で、どうかと思うけど。
チクチクチクチク……。
わたしが今、作っているのは猫のぬいぐるみ。
猫と言っても、普通の猫じゃない。
ぬいぐるみの世界に限らず、創作関連の世界でお馴染みの、二本足で立って人間のような服を着て、人語を喋る猫。
いわゆるひとつの『長靴をはいた猫』タイプの擬人化猫だ。
大きさは、立たせた状態なら五十センチくらい。結構大きめなサイズかな。ある程度の大きさがあると、抱きまくらにもできて良いんだよね。
ぬいぐるみらしく、頭を大きめ、手足は太めにして、抱き心地も考慮して、丸っこい感じにデザインしてみた。
つい先月に眠るように天国へと旅立ってしまった一番の友だち、愛猫のマールがモデルだ。
マールは、わたしが物心ついた頃に出会った、捨てられていたミックスの子猫だった。
たぶん、他にも何匹かの子猫も一緒に捨てられていたと思うんだけど、木箱の中に残っていたのはマールだけで、その唯一残っていた子猫をわたしが発見して、家に連れ帰ったのが出会い。
マールは、小さなわたしにとって、最初の遊び相手だった。
毛は短毛の、白に黒のはちわれ。全ての足に長さの揃ったソックスがあって、尻尾の先にも白い部分がある。身体の配色は綺麗に左右対称。額から鼻にかけて綺麗に色分けされてるんだけど、額の部分に、上手い具合に白い円環状の模様が出来ていたのが”マール”という名前の由来だ。
もちろん、ぬいぐるみの額の部分も円環状の模様を入れてある。
──もう二度と会うことが出来ない友達。
マールが天国に旅立ってしまった時、わたしは一日中泣いて過ごした。
自分から動くような事はなく、食欲も失ったような状態。
家族が心配して、あれやこれやとしてくれたけど、わたしの心が元気を取り戻す事は無いままだった。
三日くらいで食事はいつもの量くらいは取るようになったし、学校にも普通に通えたけど、それでも、何日も趣味のぬいぐるみ作りもせず、ただ流されるままに過ごしていたような気がする。
一週間近くもそんな状態が続き、ぬいぐるみ作りを再開してからも、犬とかクマとかウサギとかは作る事ができても、どうしても猫をモデルにした物は作る気にはならなかった。
猫をモデルにぬいぐるみを作ろうとすれば、マールが旅立った日の事を思い出しちゃうから。
ひと月以上が経った今も、それは変わらないままだった。
そんなわたしが、何故、マールをモデルにしたぬいぐるみを作ってるかと言えば、マールと再会したことが切っ掛けだ。
もちろん、庭の片隅に埋めたマールが、ゾンビの様に蘇ったわけじゃない。たとえマールといえども、ゾンビやスケルトンになって動き出したのを見たら、悲鳴を上げる自信がある。
わたしがマールと再会したのは、夢の中。
夢の中のわたしは、いつものように机に向かってぬいぐるみを作ってて、そんなわたしの足元や机の上をウロウロする元気だった頃のマール。
「次は、マールをモデルにしたぬいぐるみを作って欲しいにゃ」
夢の中のマールが、わたしの手元を覗き込みながら、そうおねだりをしてきた。ほんのちょっと舌っ足らずな、小さな男の子みたいな声。
わたしは猫であるマールが日本語を喋っている事に何の違和感も持たずに「うん。いいよ」って答える。
「やったにゃん! あと、ぬいぐるみを作る時にマールの毛も入れておいて欲しいにゃ」
「……毛?」
「そうにゃ。マールが死んだ時に遺髪として尻尾の先っぽの毛を取ってあるはずにゃ。それを綿と一緒に入れておいて欲しいにゃ。そうしたらマールはきっとルミしゃまのお役に立つにゃ! 約束にゃ!」
「えへへ。マールは、ずっとそばに居てくれるだけで良いんだよ」
「そばにいるのはモチロンにゃ! だけど、それだけじゃないにゃ! マールはルミしゃまのお役に立ちたいにゃ!」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、可愛いことをいってくるマール。
わたしは、針を動かす手を止めて、マールを優しく、ギューって抱きしめる。他の家族に対しては決して抱っこさせなかったマールが、わたしだけに許してくれた特権。
そこで目が覚めた。
両手に、マールを抱きしめた時の温かい感触が残ってる気がした。
そこからのわたしは、自分でもビックリするくらい行動が早かった。
パジャマから着替える間も惜しんで、作業机に向かい、デザイン考案用のスケッチブックにペンを走らせる。
写真なんて見なくても、ちょっとまぶたを閉じればマールの姿をハッキリ思い出せる。はちわれ模様も、瞳の色も、優しそうでちょっと幼い感じの顔つきも。
思い出の中のマールを、スケッチブックに描きうつしていく。
お気に入りのシャープが、まるで見えない何かに導かれるように動く。
ぬいぐるみらしく、猫らしく。そして、マールらしく。
わたしは動物をモデルにぬいぐるみを作る時には、ほとんどの場合、擬人化を行うことにしている。動物としての形態そのままのぬいぐるみは、おもちゃ売り場に行けば一杯売ってるから、余程特殊な動物でもない限り、自分で作る必要が無いんだよね。
作風としては擬人化してあるとは言え、アニメ調というよりはリアル寄りかな。もちろんデフォルメしている部分もあるんだけど、基本はリアル寄り。なので、「実在するとしたら、こんな感じじゃない!?」なんて考えながら作る。
今回も、特に意識したわけでもないのに、いつの間にか擬人化したデザインになっていた。擬人化させるのが当たり前で、自然な姿であるかのような気がしたからだ。
大まかなイメージが固まったら、細かい所を決めていく。
擬人化させたのだから、服を着させたいし、服を着させるなら、デザインにもこだわりたい。
衣服を身に着けた猫といえば、童話の”長靴をはいた猫”とかが有名で、それらが登場するヨーロッパの伝承や童話といえば、アニメや映画、ライトノベル、ゲームなんかに代表される『中世ヨーロッパ風ファンタジー世界』が思い浮かぶ。
そして、『中世ヨーロッパ風ファンタジー世界』なら、剣と魔法。
連想に連想を重ねて、中世から近世にかけての衣装を調べ、それを参考にしながら、アイディアを紡いでいく。
そして、インターネットで史実やアニメ、漫画、映画なんかを調べて、被毛とのバランスとかまで考えて。更に、着せ替えまで出来るようにしてみた。
ここまでで、三時間位かかったかな? 実はよく覚えてないんだよね。
夢中になってたってのもあるんだけど、一番の理由は、ほとんど悩まずに進めることが出来たからかも。
見えない力にひっぱられて勝手に手が動く感じ。最初から「ここは、こうあるべき」っていうのが決まってて、それをなぞって行くだけみたいな感覚。
それは翌日から始めた型紙作りの段階になっても変わらなかった。
型紙作りっていうのは、オリジナルのぬいぐるみを作る場合に必要な工程の事だ。
ぬいぐるみを作ってみたいっていうだけなら、市販されてる雑誌の付録とか、最近ではネット上なんかでも型紙データが配布されてたりする。だけど、それだと誰が作っても同じぬいぐるみにしかならない。
自分だけのオリジナルぬいぐるみを作りたかったら、型紙から自作するしかない。
型紙を作る時には、まずは粘土とか厚紙とかを使って立体モデルを作るところから始める。いきなり紙に型紙を描いていける人なんて居ないんじゃないかな。
わたしの場合は、新聞紙を丸めて、それを食品用のラップフィルムで包んでから、粘土を盛り付けていく。
アイディア考案用のノートに書き出したデザイン案を参考に、大まかなサイズとかバランスとかを調整。
ここでも考えることは「猫らしく、マールらしく」ってところだ。
マールは、同じくらいの大きさの猫に比べて、頭が大きくて、手足が太くて、尻尾が長かった。毛色は白と黒がちょうど半分くらいずつで、おまけに左右対称の配色だった。
デザインを起こしたときと同じように、自然と手が動いていく。
もちろん、手を抜いてるわけじゃない。
いつもなら、「どうしようかな」なんて悩むような箇所が一つや二つ、必ずあるもんなんだけど、今回に限ってはそんな事は欠片もなくて、思い描いたイメージ通りに形作られていった。
型紙作りも、素材の選択も、裁断も、縫製も。
どこにも躓く事なく進んでいく。
ぬいぐるみ作りは、小学校低学年の頃から始めてたけど、こんな感覚は初めての経験だった。
そんなわけで、マールの夢を見てから数日を経た、学校が春休みに入ったばかりのこの日。
勉強やアルバイトの合間を縫って、少しずつ進めてきたぬいぐるみ作りも、ゴールが近づいてきた。
マールと交わした約束を守るために作ったぬいぐるみ。
それが自己満足でしかないってのは分かってる。だけど、夢の中で交わした約束は、わたしにとっては何よりも大事なものに思えた。
そして、例えぬいぐるみであっても、マールにもう一度会いたい、そばに居て欲しいって思いもあった。
* * *
趣味だからこそ、ガチ。
作家としてぬいぐるみを作る場合は、材料費とか手間とかのコストも考えるけど、自分で自分の為に作る分には、そんなものは一切考慮しない。
素材だって、値段は度外視して選ぶし、無駄な位に手間もかける。そこに、妥協なんて言葉はない。
今回は、モデルが家族同然だったマールなので、余計に気合も入ったかもしれない。
チクチクチクチク……。
詰め物をする為の開口部を残して、一通り縫い終えたところで、生地をクルンとひっくり返す。縫い目が外に出ないように、裏側から縫っていたのだ。
正直、ここまで会心の出来だ。
デザインも、型紙も、裁断も縫い合わせも。それどころか、素材選びでさえも、目に見えない何かに導かれているような、不思議な感覚は続いていた。
時計を見ると、そろそろ夕方の六時。
椅子の上で大きく腕を広げ、背筋を伸ばす。
ずいぶん長いこと同じ姿勢だったので、身体のあちこちが固まっちゃった感じがする。首筋とか腰とか、なんかポキポキッって音がするんだけど。
背筋を伸ばした拍子に、ふと窓の外に大きな満月が輝いてるのが見えた。
吸い込まれるように視線が奪われる。
その一瞬、身体がブルッと震えた。ちょっと熱っぽいかな。風邪を引かないように、今日は薬を飲んで暖かくして早めにベッドに入ったほうが良いかも。
何分くらい、お月さまを見てただろう。
新月とか満月とかに限らず、お月さまって何だか引き込まれるような感覚があるよね。
わたしは、はっと我に返ると、作業机に向きなおる。
勉強机という名前の作業机には、製作途中のマールのぬいぐるみ。
まずは一度、軽く綿を入れてみる。
コレはチェックの為なので、あとで引っ張り出す事を前提にしているからテキトーだ。とりあえず膨らめばいいって感じ。
綿を詰め終わったら、おかしな所がないかをチェック。同時に、目の位置を決める。型紙の状態で仮に決めてはいるんだけど、立体になってから本当にそこで良いのか最終チェックって感じ。
尻尾は、体幹部分を縫い合わせる時に同時に接合しちゃうんだけど、腕と足は、可動させる都合でこの段階での最終チェックになる。
上下左右のバランスが崩れると、出来上がりに差が出るからね。チェックは多すぎなくらいで調度良いのだ。
場所を確定させチェックの為に詰めた綿を抜き出してから、印に合わせてガラスアイという目の部分にあたるパーツを付ける。今回選んだのは、マールと同じ青空みたいな青色のガラスアイだ。
ぬいぐるみの目に関しては、他にも、布で作ったパーツを貼り付けたりとか、洋服のボタンを目の代わりにつけたりとか、刺繍で目を描いたりなんて、色々方法はあるんだけど、それはその時のぬいぐるみの作風だったり、作者の好みだったりで変わるかな。
わたしはガラスアイを使うことが一番多い。そういう作風だし。
ガラスアイを縫い付け終わっても、まだまだ「これで、完成っ!」とは行かない。
机の上に散乱した糸を掃除し終えると、次は口だ。これは刺繍糸を使って描いていく感じ。
うん。ちょっと幼い感じの均整のとれたハンサム君になった。
顔全体の形が決まったので、次はヒゲ。猫といえばヒゲ。それは擬人化されても変わらない。コシがあるナイロン素材の糸を植毛するんだけど、欲張って長くしすぎないように注意だ。
現実の猫は、顔の幅よりもヒゲの先端の方が外にあるんだけど、ここは猫としてのリアルさよりもぬいぐるみとしての可愛さとかバランスとかを重視すべき所。
顔の部分が出来たら再びひっくり返して、綿詰め用の小さな穴から関節部分の印を目印にジョイントっていうパーツを付ける。このジョイントというパーツが関節の役目を果たすのだ。
その後は、当初の計画通りに綿入れ穴から綿を詰める作業だ。綿を詰める時には手加減などせず、コレでもかってくらいに力いっぱいやるのがコツだ。
高校生になっても小学生と間違われるくらい小さなわたしだと、汗をかくくらい一生懸命に力を入れないと上手く行かないんだよね。
綿がぬいぐるみの中でダマになると、完成した時の手触りがボコボコと感じるものになっちゃうので、やりづらくても綿をちぎって入れたりはしない。
綿を詰め終わった所で、マールとの約束通り、彼の遺髪を入れることにする。
だけど、綿と一緒に詰めてしまうと、あとあと綿がヘタって交換する時が大変になることは容易に想像できる。なので余った布で極小の巾着袋を作って、その中に遺髪を一摘みだけ入れることにした。
できるだけ身体の中心になるように巾着袋を押し込んでから、綿入れの為の開口部を被毛と同系色の丈夫な糸で縫い閉じる。
まぁ、もともと目立たない場所を開けてあるんだけどね。それに毛皮で見えづらくなってるし。
チクチクと最後の一針を縫い終えたら、余分な糸を切る。
ここまでくれば、もうほとんど完成と言っていいレベル。
あとはこだわりとして、手足の爪に当たる部分を白い糸を使った刺繍で表現。樹脂素材とかで爪を作ってくっつけても良いんだけど、抱きしめた時に肌に当たって痛いなんて事になりかねないので、個人的にはやりたくない。
こだわり部分の細かな加工が終わったら、最後に予め用意しておいた衣装を着せれば完成だ。ちなみにこれも自作。人間用の既製品だと、身長五十センチサイズは子供服ってよりもベビー服だから、イメージに合わないんだよね。そもそも体型も違うし。
今回用意したのは、古典小説・三銃士を参考にしてデザインした服だ。ちょっと派手目な衣装を着て、小さなマントをつけ、腰には剣を吊るしている。
手にはもちろん肉球があって、その肉球の中に小さなマグネットを入れてあるから、同じくマグネットを仕込んだサーベルを持つことも出来る。
首にはスカーフを巻こうか首輪にしようかと迷った末に、結局生きている頃につけていたのと同じデザインの首輪に決めた。
衣装に合わせるならスカーフの方が良いのかもしれないけど、より”マール”らしいのはカラーの方だと思ったからだ。
わたしは、膝の上にマールのぬいぐるみを抱きかかえた状態で細部までチェックしていく。
作った自分でいうのもなんだけど、やっぱり今回のマールのぬいぐるみは、会心の出来だ。猫系のぬいぐるみに関しては、これ以上のモノって今後作れないような気がする。
アニメチック過ぎることもなく、かといってリアル一辺倒ってわけでもない。
猫らしくありながら、どこか人間の子供っぽくて、ぬいぐるみらしい。そして、マールらしい。
「マール……。約束守れたよ……」
ようやく会えた一番の友達にそう語りかけた。
当然、返事はない。ぬいぐるみなんだから当然だ。それでもわたしは満足だった。
夢の中でマールと交わした約束を果たすことが出来たのだから。
「待たせちゃって、ごめんね」
やさしく抱きしめる。
マールを抱きしめることが出来る嬉しさと、待たせてしまった申し訳無さ。二度とマールに会えない寂しさ。
わたしの中で、色んな感情がごちゃ混ぜになって、涙が溢れるのを止めることができなかった。
溢れ出した涙が頬を伝い、マールの額にポトリと落ちる。
その瞬間──。突然、窓ガラスが割れ、突風が吹き込む。
カーテンがバタバタと左右に別れ、部屋の照明が、まるでブレーカーが落ちたように消えた。
真っ暗になった部屋に、窓から月光が射し込み、わたしの事を照らす。
その瞬間──。
わたしの意識は途絶えた。
初投稿です。
見切り発車ですが、猫の日にスタートさせたかったので投稿してしまいました。
よろしくお願いします。