五 技術調査
五
結羽が企画第三課へ異動して二年が経過した。相変わらず上司にゴマをする課長や官僚的な組織にはうんざりしていたが、仕事自体は慣れてきて少しずつ余裕が出てきた。この頃になると、社内よりも社外の仕事の方が楽しく感じることが多かった。例えば、社外の仕事には、大手二社と共同で海外や国内メーカーを訪問し、最新機種や技術を調査するというものがあって、T社では企画第三課が担当することになっていた。報告書の作成などの面倒な仕事は大手二社の人がやってくれたので、結羽はただついて行くだけで良かった。しかも、メーカーの最新機種や技術を見せてくれるということで、普段事務的な仕事が多かった結羽にとって、技術に触れ合う唯一の機会だった。この仕事は調査に行ったからと言って、商談をしなければいけないわけでもなければ、目新しい商品や技術を見つけられなくてもお咎めがなく、まるで役人の「視察旅行」のようだった。とにかく、予算を使って調査をしたという事実さえあれば良かったのだ。大手二社の担当者は気さくな人で、せっかく行くのであれば夜も楽しめるところにしましょう、と札幌のすすきのや福岡の中洲にも連れて行ってくれた。もちろん仕事の方も、M重工の造船所へ行ったり、DK工業の鉱山に入れてもらったり、P社の製造ラインを見せてもらったり、と日本の最先端技術を間近で見ることができ、結羽には勉強になることが多かった。この官僚的なイベントに参加することに対して少し後ろめたい気にもなったが、大手二社の担当者はT社の社員よりも気を遣う必要がなく、それが何よりも嬉しかった。社内の人よりも社外の人の方が気楽だというのも変な話だが、そう思えば思うほど、自分はT社が合っていないかもしれないな、という想いが強くなっていった。
企画第三課在籍中に、海外調査にも二回行くことができた。一回目はオランダで最新技術の展示会があるということで、一週間アムステルダムに滞在した。しかし、展示会の調査は一日あれば終わってしまうので、ある日は海外メーカー主催のレセプションをハシゴしたり、他の日は真面目にドイツやオランダの研究所を訪問したりと、有意義な一週間を過ごすことができた。実は、結羽はそれまで外国にあまり興味がなく、この出張が初めての海外であったが、ケルン大聖堂やアムステルダムの街並みを見て、すっかり外国の風景に魅了されてしまったのであった。
二回目は国の役人の視察に同行するというもので、真面目かつハードなスケジュールだった。まず、イギリス・ロンドンへ行き、I大学へ行って最新技術の調査。次はデンマークのコペンハーゲンにあるR社へ行って最新機種を紹介してもらった。その後、オランダ・アムステルダムとドイツ・ケルンへ行って、前回も結羽が訪問した研究所でヒアリング。そして、ドイツ・ドレスデンのS社で最新機種の製造ラインを見せてもらい、スイスのローザンヌ、ルツェルンへ移動して展示会を見学。最後は、スペインのアルメリアという小さな町にある鉱山へ行き、新しい材料を見せてもらった。結羽は上下に揺れる飛行機がどうも苦手だったが、この出張では二週間で何と一四回も乗ることとなった。
この旅行、もとい仕事は、国の役人の視察ということで、いろいろとおかしなことがあった。一つは、この役人が几帳面でせっかちだったということである。まず、事前に決めたスケジュール通りに事が進まないと気が済まないタイプで、空港で飛行機が遅れたりしようものなら、すごくイライラしているのが結羽たちにも伝わってきたのだ。また、以前に痛い目に遭ったのか、空港には二時間前に着いていないと不安で仕方がないと言うので、EU圏内の国内線扱いの路線でも二時間前に空港へ行くために早起きしなければいけないのが辛かった。当然、空港に着いてからの二時間はやることがなかったのだが、国の役人に文句を言うわけにもいかず、役人以外の人はぼーっと待っているしかなかった。
もう一つの問題は、役人の部下が頼りなかったことだった。その部下は、ホテルの手配を全て旅行代理店に任せたそうなのだが、そのホテルはすべて郊外にあって、交通の便が悪いところばかりだった。ロンドンのホテルは、中心地から十キロメートルほど離れた住宅街だったし、オランダに至っては、あのアムステルダムの街並みを見ることができないほど遠い場所だったのだ。どうやら、観光バスで周遊する日本人観光客のためのホテルを手配したようだったが、バスも何もない結羽たち一行はどうすることもできず、ホテルのバーでお酒を飲んで過ごすしかやることがなかった。幸い、サッカーの欧州選手権が開催されていて、現地の人とバーのテレビを見ながら一緒に盛り上がれたことだけが救いだった。訪問先の地図が間違っていたり、チャーターしたハイヤーが来なかったりと、その役人の部下のおかげで多くのトラブルが発生し、その都度結羽たち一行をハラハラとさせるのであった。
結羽が国の役人に会うのはこの時が初めてだったが、T社の社員とは違う意味で常識外れだった。まず、今回の海外調査の予算は、結羽たちの分を含めて全て国から出ていた。この調査を必ずしなければいけなかったのか、と言われればそうとは言い切れず、結局その役人が所属する課の予算を使い切るために行われた調査であった。結羽は、貴重な経験をさせてもらったことは別にして、このような予算の無駄遣いはやめて、余ったお金は国の借金返済に充てるべきだと思っていたので、少し後ろめたい気持ちになった。それでも、最低限の予算で調査が行われたのであれば、まだ罪も浅いであろう。しかし、信じられないことに、国の役人だけ飛行機はビジネスクラスに登場していたのである。しかも、役人と言っても次官クラスとかそんな偉い人ではなく、三〇代後半のまだ若い役人である。そんな人が、EU圏内でもわざわざ結羽たちとは別のスーパーシートに座っていた。一方、同じ予算なのに結羽たちはエコノミークラスだった。また、宿泊したホテルは、四ツ星以上のホテルばかりで、さすがに役人とそれ以外の人で部屋のグレードが違うということはなく、結羽も立派な部屋に泊まることができた。しかし、国の役人はスイスの展示会を見学せずに途中で帰国したのだが、スイスのホテルに到着すると、三ツ星以下にグレードダウンされていて、バスタブなし、シャワーのみの部屋になっていた。ここまであからさまにやられると、怒りを通り越してただ笑うしかなかった。
それでも「せっかく海外に来たのだから」と思い、結羽は毎朝早起きしてホテル周辺を散歩した。ドイツのドレスデンは観光名所に近かったので、デジタルカメラを持って行ってみた。すると、役人やその部下ではない同行者とばったり会った。おそらく、その人も結羽と同じ想いだったのだろう。ドレスデンと言えば第二次世界大戦の時の大空襲が有名で、「ドイツの京都」と言われた街並みが破壊されてしまったのだが、東西ドイツ統一後から本格的な復元が始まり、結羽たちが訪れたときには綺麗な街に戻っていた。朝日がまぶしい中、結羽とその同行者は、役人に対する嫌な想いもしばし忘れて、美しい街並みにカメラを向けたのであった。
国の役人が帰国してからは、ホテルのグレードは下がったものの、それまで厳格だったスケジュールが緩くなったので、展示会を抜け出して観光することも可能になった。みんなフラストレーションが溜まっていたのだろう。仕事を速やかに片付けると、思い思いの方角に散っていった。結羽はフランス・パリまで遊びに行った。ここは、材料研究課に所属していたときに、テロが発生して行けなくなってしまった場所だった。国際会議には出席できなかったが、ここに来られたことでようやく二年越しの夢が叶ったような気がした。凱旋門に上ると、そこには新婚旅行中と思われる日本人のカップルがいて、久しぶりに微笑ましい気分になった。
スペインのアルメリアへは、結羽だけが別の調査をすることになっていて一人で訪れた。ここは、首都マドリードから四〇〇キロほど南の地中海に面した小さな港町であった。マドリードからは五〇人乗りの小さなジェット機しか飛んでおらず、そんな地方路線に日本人の乗客が物珍しいのか、知らない男性が結羽に声を掛けてきた。アルメリア空港は非常に小さく、飛行機を降りると地上から直接小屋のようなターミナルへ行くように促された。歩いていくとすぐ空港の出口にたどり着いてしまったため、観光カウンターへ戻って「地図がほしい」と頼んだ。実は、日本のガイドブックにはアルメリアという小さな町は載っておらず、インターネットでダウンロードした航空写真しか持っていなかったのだ。しかし、手渡された地図はスペイン語で書かれており、全く読めなかった。仕方がないので、ホテルの名前と住所を余白に書き込み、それをタクシーの運転手に見せた。ホテルまでの道中、運転手はスペイン語で色々話しかけてきた。スペイン語の地図を持っていたので、スペイン語が理解できると勘違いされたらしい。車内には日本でも有名なジプシーキングの音楽が流れていたが、運転手の親切な観光案内は残念ながら全く理解できなかった。ホテルではさすがに英語が通じてホッとしたが、一歩外に出ると全く英語が通じなかった。しかし、それがかえって新鮮で面白かった。
結羽は、タクシーで一度痛い目に遭っていた。一回目のオランダ出張の時に、アムステルダム駅前からタクシーに乗った。しかし、そのタクシーが無許可の「白タク」だったのだ。しかも、運が悪いことに、結羽が乗っているときに車をガードレールにこすってしまい、運転手が怒り出してしまったのだ。二キロほどの距離で五〇ユーロと法外な値段を請求されたのだが、結羽は怖くなってその金額を払って、逃げるようにタクシーから降りたのであった。しかも、ホテルに着くと、オーバーブッキングで部屋がないと言われた。ホテルのポーターは、二件隣にあるウィークリーマンションのようなところへ案内してくれた。そこは四人家族で泊まっても十分なくらい広い部屋なのだ。事情がよくつかめず不安になったので、再度ホテルのロビーに戻って聞いてみると、オーバーブッキングはこちらのミスだから、その広い部屋にシングルの料金で泊まっても良いと言うのだ。タクシーでポッタクられて運がないと思っていたが、ホテルでは予期せぬグレードアップに恵まれ、結果的には得をしたのである。タクシーに関しては、車内に料金メーターがあると安心して乗っても良いことがわかり、スペインでもそれだけは注意してタクシーを利用した。
海外調査の話が長くなってしまったが、車内の仕事でストレスを溜めていた結羽にとって、他社との国内・海外最新機種・技術調査、博士号取得に向けたK大学での勉強、そして城之内あゆみとの交際の三つが日々のモチベーションになっていた。あゆみとの交際も四年目になっていたが、テーマパークへ遊びに行ったり、温泉で一時を過ごしたり、週末にドライブに行ったりと、二人の時間を楽しんでいた。