表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

四の(一) 人事異動

        四

 T社に入社して一年が経った。結羽にとっては何もかもが初体験で、あっという間の一年だったようにも思えたが、大学にいたのは随分前のような気もして、不思議な感じだった。仕事は相変わらず実用化に程遠い研究ばかり担当していたが、それでも少しずつ成果が出始めていて、実験するのが楽しかった。ある材料は電池として動くことを初めて実証した。一ミリアンペアの電流しか取り出せず、実用的には何の意味もなかったが、その材料で電流を取り出したのはおそらく世界で初めてのことだったので、その成果を論文にまとめ、学術雑誌で発表することができた。博士号を持っていた魚谷課長や鳥飼は、結羽の論文発表を喜んでくれたし、結羽もT社の技術力PRに一役買うことができたと思っていた。しかし、会社は何の評価もしてくれなかった。それどころか、他の研究課から新しい成果が出て論文発表したり、実用化に成功したという話を一切聞かなかった。結羽は、成果が出ていない他の研究員はいつも何をやっているのだろう、と不思議に思っていた。確かに、基礎研究で最初から成果が出るとわかっているものはない。実験や計算をしてみて初めて実用化の見込みの有無がわかり、実用化に近づくためには他の材料や方法を試すなどの試行錯誤を苦労しながら何度も繰り返すことが重要なのである。場合によっては、実用化の見込みがないと分かった時点で研究を断念することもあるだろう。しかし、T社の研究員の多くは、実用化に向けて必死に試行錯誤を繰り返すわけでもなければ、実用化が難しいテーマをやめて、より可能性のある新しいテーマを立ち上げよう、ということもなかった。逆に、実用化が無理だとわかっていても、組織や予算を守るために延命されているテーマも数多くあった。結羽は、そのことに少しずつ不満を持ち始めていた。

 結局、結羽は二年間の研究で論文を五報発表することができた。大学との共同研究もあって、先生に発表していただいた論文も他に四報あった。論文を発表しても会社から評価されないことはわかっていたが、すぐに実用化できるわけではなかったので、途中の成果をPRするためにはこうするしかなかった。さらに、国際会議で二件発表する予定だったが、運が悪いことに現地でテロが発生し、海外出張が中止となってしまった。ただ、入社二年目で海外出張なんて恐れ多いと思っていたので、残念な気持ちとホッとした気持ちの両方が交錯していた。

 入社三年目に突入し、結羽はゴールデンウィーク前に三連休を取った。城之内あゆみとは順調に交際していたが、別に彼女と旅行に行ったりするためではなかった。人事課が作った教育プログラムに「入社三年以内に○○の資格を取得すること」と明記されていたので、その資格を取るために二泊三日の講習会に参加したのだった。三〇〇〇人という規模の会社の割に、「人事処遇制度」とか、「昇格試験」とか、人事関連の制度が大企業並みに充実していた。人事研修も毎年のようにあり、結羽はそれに参加するのがすごく嫌だった。ただ、今回は社外の講習会だったので、気楽な気持ちで参加していた。

 講習会から帰ってくると、結羽は社内の雰囲気が変わっているのを感じた。何となく自分に接する人たちの様子がよそよそしい。気持ち悪いな、と思っていると、魚谷課長に呼ばれ、一枚の紙切れを渡された。そこには、

 「企画第三課への異動を命じる」

と記されていた。結羽は一瞬目を疑った。しかし、辞令であることは間違いなかった。結羽は仕事を一生懸命やっていた。やっと研究の面白さもわかってきて、充実した毎日を送っていた。最初は自分には合っていないと思っていた研究も、最近は「これも研究職で骨を埋めよという神のお告げなのかな」と思い、研究を極めるつもりでいた。それが何故……。T社の企画第三課は、研究関連の企画業務を担当する部署ということで研究所にあったため、異動と言っても机を数メートル移動しただけだった。しかし、たった数メートルでもその間には大きな壁が立ちはだかっているように感じられた。

 結羽の仕事は、新入社員の女性に引き継ぐことになった。ただ、新入社員に引き継いでも理解できないだろうということで、実質的には魚谷課長と鳥飼に仕事を引き継いだ。その中には結羽は一から始めた研究もあり、愛着もあった。それが、あの紙切れ一枚で全てを手放さなければならないと思うと、悔しくてたまらなかった。しかし、それがサラリーマンの宿命なので、仕方がなかった。

 しかし、入社三年目の人間が企画課に行って、何の役に立つのだろうか。本来であれば、入社十年以上が経過した係長以上で構成されるケースが多い。それは、企画・立案の仕事はそれなりの経験がないとできないからだ。これは後で聞いた話なのだが、企画第三課も最初は研究所にいる係長の中から人選していたらしい。しかし、候補に挙がった人の課長からことごとく断られ、入社三年目以下の若手であればOKという返事しか得られなかった。それならばということで、企画第三課の課長と同じ高校の出身である結羽に白羽の矢が立ったとのことであった。出身高校が一緒という理由だけで異動させられたと知ったときには、怒りで気が狂いそうになった。また、このTK高校に結羽は良い思い出がなかった。結羽は中学校までN市に住んでいたが、両親がマイホームを購入する際に郊外のT市に引っ越した。そして、近所のTK高校に通うことになったのだが、TK高校では全く友達ができなかった。N市にいるときは明るくてリーダーシップも発揮できる子だったが、どうもT市の人とはソリが合わず、高校でも大人しくしていた。大学はN市にあるNK大学に通うようになったので、結羽は本来の明るさを取り戻したが、T市のことはいつまで経っても好きになれなかった。そのTK高校つながりで今回の異動辞令が出たということを知って、余計に気分が沈んでしまったのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ