一の(二) 就職活動
J鉄道の社員と会ってから一週間が過ぎた頃、T社から一次面接の案内が来た。念のためT社の募集資格を確認してみたところ、「化学・材料・機械・電気・建築/土木・情報」となっていた。「材料」の二文字を見て、結羽は「いいぞ、いいぞ」と思った。少なくとも、材料工学科が不利になることはないと思ったからである。慣れないスーツを着て、T社の本社へ向かった。
面接会場へは、結羽の他にもう一人の学生と一緒に入った。会場には三〇代前半と思われる面接官が座っていた。面接官一人に対して応募者二人の面接であった。まず、面接官から自己PRをするように言われた。結羽は自分の名前と大学の学部・学科を言い、履歴書に書いた自分の長所について話した。そして、隣の応募者の番になった。すると、彼は突然
「私はカメレオンです。」
と言った。その後、自分はどんなことでも臨機応変に対応でき、相手にも合わせることができるので、変幻自在という意味でカメレオンだと思う、というような説明をした。その後もT社の志望動機や学生時代に力を入れたことなどについて質問されたのだが、結羽はどうしても普通の答えしかできないのに対して、もう一人の応募者は例え話を連発して面接官の興味を引いているようであった。最後に、結羽は面接官に
「君はもう少し元気があると良いね」
と言われた。この時点で、結羽は「これは駄目だな」と思ったが、カメレオン氏の受け答えも気に入らなかった。世の中には「面接マニュアル」という本がありふれているので、おそらくカメレオン氏がとった行動もどこかに書いてあるのだろう。結羽は、「そんな行動の方が評価される会社であれば、こちらから願い下げだな」と思った。
一週間ほどすると、T社から二次面接の案内が来た。面接官の最後の言葉から絶対に駄目だと思っていた結羽にとっては、とても意外であった。二次面接の会場へ行ってみると、そこにはカメレオン氏の姿はなかった。もちろん会社がカメレオン氏を呼ばなかったのか、それともカメレオン氏が他の会社を受けるために来なかったのかはわからなかったが、何となく嬉しかった。しかし、T社に来る前に、またもや奇妙な光景を目にしてしまったのである。二次面接では本社ではなく研究所に来るように言われた。他社の製品をカスタマイズしているT社では、そのカスタマイズの方法を研究所で開発しているとのことで、それを見学させてもらえるということであった。T社の研究所は郊外にあるので、N鉄道のS駅に○時○分に到着する電車に乗るように言われたのである。結羽も当然その電車に乗った。S駅に近づくにつれて、自分と同じようにスーツを着た人を多く見るようになり、T社の応募者であることは一目瞭然であった。しかし、よく見ると全員何か本を読んでいるのである。それは、T社にも関連のある業界の本で、一生懸命企業研究をしているという感じであった。結羽は「面接のマニュアル本の次は業界本か」と思ったが、何も勉強していない自分もどうかという想いを持ってしまったのも事実であった。
そんな想いのままT社の研究所に到着し、待合室のようなところに案内された。どうやら、二つのグループに分け、一つが面接をしている間にもう一つが研究所の見学をし、それが終わったら交替するということであった。結羽は先に見学するグループに入った。研究所には家電メーカーのP社の製品や、M重工の巨大なエンジンが置いてあり、社員が一生懸命作業をしていた。その一つ一つが各社の最新機種であり、それを触ることができる社員が羨ましく思った。と同時に、それまでT社の事業内容がよくわからないままに応募していた結羽にとっては、業界本なんか読むよりも多くのことを知ることができ、とても勉強になった。その後行われた面接は、一次面接とは違って面接官二人、応募者一人であったが、逆にカメレオン氏のような人が横にいない方が話しやすかった。先に見学させていただいたおかげでT社でやりたいことがクリアになったような気がして、それをストレートに面接官に話すことができた。もし先に面接を行うグループに入っていたら、こんなに面接で話すこともできなかったと思うと、人生は些細なことで変わってしまうのかもしれないな、と思ったりもした。
その見学の際に、一人の応募者が声を掛けてくれた。彼はO大学の関口と名乗った。他の応募者は面接前の緊張のせいか、見学中も話すことはなく、面接を待つ間も例の業界本を一生懸命読んでいた。しかし、結羽も関口もあまり緊張していなかったので、二人は社員の人にいろいろ質問したり、話を聞いたりした。また、お互い業界本の類も持っていなかったので、普段の卒業研究のことなど、たわいのない話もした。帰り際にメールアドレスを交換したが、結羽は彼と一緒にT社へ入社できるといいな、と思った。
さらに一週間ほどすると、T社から最終面接の案内が来た。関口に連絡すると、彼も案内をもらったとのことであったが、呼ばれた時間が違っていたので会うことはできなかった。しかし、お互いの健闘を祈ろうということで、最終面接に臨んだ。最終面接は役員と人事部長が面接官ということもあり、「長所と短所を二つずつ教えて下さい」など、答えに窮する質問が多くあったが、何とか答えることができた。そして、一週間後にT社の入社内定の通知を受け取ることができた。このときも関口に連絡をしたが、彼も内定をもらったとのこと。この時点では好感度の良い会社に、気の合いそうな関口と入社できると思うと、結羽は嬉しい気持ちになった。
T社の内定を受け、まだ採用試験が始まっていない素材メーカーのKC社と電機メーカーのS電機への受験をやめることにした。後から思えば、これらの会社も受けてみて、内定をもらった会社の中から選んでも良かったのだが、その時は、T社で働くことばかりを夢見ていたし、これらの会社を受ける意味を見いだせなかった。
T社の内定が決まってから一ヶ月後、T社から「内定者の集い」という案内が来た。内定式は一〇月一日とまだまだ先であったが、おそらく他社と天秤に掛けている人に対して、T社の好感度や志望度を上げてもらうために開催されたものだった。しかし、T社以外に内定をもらっていない結羽は、何も考えずにその集いに参加した。久しぶりに関口に会えるのも楽しみだった。会場に入ると、数名の内定者が座っていたが、関口の姿はなかった。仕方がないので、近くの内定者としばらく話していたが、結局関口は来ないまま会食が始まった。驚いたのは、昼食にもかかわらずいきなりビールが出てきたことだった。ドイツ人であれば昼からビールを飲むかもしれないし、フランス人であればワインを飲むかもしれない。結羽はお酒が好きだったが、社会人ともなると昼間からお酒を飲むのかとちょっとびっくりした。しかし、もっとびっくりしたのが、周りの内定者である。皆が皆「俺が俺が」という感じで、とにかく目立ちたがり屋ばかりなのである。会社主催の会食が終わった後、二次会も行ったのだが、勝手に仕切っている人が複数いて、結羽はそれについていくだけだった。結羽は明るい性格で、大学の研究室でもゼミ旅行などを企画するのは結羽の役割だった。その結羽が埋もれてしまうくらい強烈な人間が集まっているのだ。女性も四人いたが、それぞれに強烈な個性を持っていた。結羽は急に心配になった。
「この人たちと一緒にやっていけるだろうか。」
しかし、今さらKC社やS電機を受けるわけにはいかなかった。内定者の集いが行われた日には、もう面接試験が始まっていたからである。T社の目的の一つに他社の面接試験を受けさせないというのもあったようで、実際その日は公務員試験が行われていたことが後になってわかった。関口に連絡すると、彼はK電力の内定をもらってそちらに入社することを決めたとの返事が返ってきた。関口がおらず、目立ちたがり屋の集団の中で仕事をしていかなければならないと思うと気分は沈んでしまい、T社の思惑とは逆に、好感度が下がっていくのを感じたのであった。
七月頃にもう一つの事件が起こった。事件というと大げさかもしれないが、結羽は内定者の中野という男と岡本という女に呼ばれて、一緒に飲んでいた。中野と岡本がたまたまNK大学の近くで会ったので飲もうという話になり、NK大学なら結羽がいるはずだということで呼んだらしい。結羽は断る理由もないので、指定された居酒屋へ行った。事件が起こったのは、店を出た後であった。突然、中野が結羽の研究室を見てみたいと言い出したのだ。結羽は「他の学生もいるからやめろよ」と言ったが、そんなのもお構いなしで、中野と岡本はNK大学の正門を守衛の許可なしにくぐり抜け、結羽の研究室に入ってきたのであった。そこには五人ほどの学生がいたであろうか。酔っぱらっている中野と岡本は「どんな研究をやっているのかなぁ」と大声で叫びながら、勝手にパソコンのモニターを覗いたり、レポートを読んだりしていた。十分ほどすると飽きてきたのか、「じゃあな」と言い残し、二人は研究室を出て行った。研究室で仲の良かった津川から
「あれは誰? 知り合いか?」
と聞かれたので、結羽は
「ああ、同じ会社に入る予定の人間だ。」
と答えた。
「あんな奴らと一緒に働いて、お前は大丈夫なのか?」
と聞かれると、結羽は答えられなくなってしまった。同じことを思っていたからである。しかし、T社に入社する以外の選択肢を持っていない結羽はどうしようもなく、あとは無事に大学を卒業し、無事に入社日を迎えるしかなかった。