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八の(二) 転職

 年が明けて、入社から六年が経とうとしていた。結羽はいつもの年のように近くの神社へ初詣に行った。賽銭箱に小銭を入れ、願い事をするのだが、その年は何をお願いすれば良いのかわからなかった。おみくじを引くと「吉」だったが、むしろその下に書いてある小さな字の方に目が止まった。

 「願望…後に叶う」

 「恋愛…待て将来吉」

 「学問…努力すればよろし」

 「就職…頼らず探せ」

 「転居…よろし早くせよ」

三年ほど前から執筆している博士論文は、主査・副査の三人の先生からの指導も終わり、月末に行われる公聴会での審査に合格すれば、三月末に博士号の学位を取得できる見込みになっていた。したがって、四月以降であれば、博士号の学位が取得済みであることが応募条件である大学教員への道にチャレンジしても良いのだ。結羽は独身だったので、N市から離れることも特に問題はなかった。慣れ親しんだN市であったが、城之内あゆみのことを思い出してしまうので、かえって外に出るのも良いのかもしれなかった。いつの間にか、N市から離れて、新天地で仕事や恋愛に励む自分を思い描くようになっていった。

 それから二週間後、結羽はぼーっと学術雑誌を見ていた。結羽が昔やっていた電池関連の記事が出ていたので、懐かしい想いでそれを読んでいた。その記事を読み終え、ページをめくると

 「大学教員募集のご案内」

という文字が飛び込んできた。思わず結羽は身を乗り出し、その案内に目をやった。場所はO市にあるO大学で、募集期間は三月末まで。博士号取得者または取得見込者が対象で、研究内容も結羽が興味を持っている分野であった。結羽はO大学へ行ったことがなかったが、T社の採用試験の時に一緒だった関口がO大学だったことを思い出し、少し懐かしく感じた。早速、封筒と履歴書を買ってきて、必要書類を用意した。「これまでの研究業績と今後の研究・教育に対する抱負」という作文が課題に挙がっていたが、結羽は普段から思っていることがあったので、それを文章にした。週末の二日間あれば書類が準備できたので、何の迷いもなく郵便ポストに書類を投函した。

 月末になると、K大学にていよいよ博士論文を審査する公聴会がやってきた。公聴会では五名の教授の先生に合格をいただかなくてはいけないのだが、そのうち一人の先生の都合が合わず、その先生には前日に論文内容を説明し、審査を受けた。と言っても、事前に主査一名,副査二名の先生にご指導いただいているので、公聴会で不合格になることはほとんどなく、いわば博士論文のお披露目の会とイベント的な要素が強かった。その日の審査も、いくつかの質問に答えるだけで合格となった。結羽は、翌日の発表に向けて、K市内のホテルで準備しようかと思っていたが、主査の池江教授から

 「前祝いになってしまって申し訳ないが、飲みに行かないか。」

とのお誘いを受けた。池江教授はどちらかというとさっぱりした性格で、これまで論文以外のことを話すことはほとんどなかった。しかし、折角のお誘いだったので、お言葉に甘えて一緒に飲みに行くことにした。

 ホテルに荷物を置いた後に、K市内の小料理店で池江教授と再会した。最初は何を話せば良いのかわからなかったが、先生もT社のことに興味があったらしく、色々なことを聞いてくれた。結羽は、実用化が無理だとわかっている研究テーマでも組織や予算を守るために続いていること、新しいテーマを立ち上げようとしても周りの課長や係長がついてこないこと、博士論文をまとめた電池関連の研究を何故かやらせてもらえないこと、好きな研究をするために大学教員を目指していること、などを正直に話した。すると、池江教授は、

 「T社は研究所がなくても、これからは営業課が良い商品を調達してそのまま手を加えずに販売する『代理店』に変わっていくんじゃないの。」

と言った。確かにそうなのである。営業課は次々と優秀な社員が育っていて、良い商品を調達できる目利き力を身につけていた。そんな営業課からは「役に立たない研究所」と言われていたのである。先生の言う通り、こんな調子ではそのうち研究所はなくなるだろうし、優秀な社員はどんどん営業課に異動することになるだろう。T社で研究を続けるためには優秀と認められてはならず、優秀と認められない人たちと一緒に仕事をしなければならない、ということになるのだが、そんな条件でモチベーションが上がるはずもなかった。

 「残念ながら大学教員のポストはないけど、研究員としてなら採用してあげてもいいよ。」

と言ってくれた。しかし、O大学に応募したばかりだったので、

 「もう少し自分の人生について考える時間をいただいてもいいですか。」

と答えた。先生は黙って頷いてくれた。

 翌日の公聴会は、結羽の番の前に国立のS研究所に勤めている女性の発表があった。結羽は自分の番が次だったこともあって、その発表をあまり真剣に聞いていなかったが、彼女の発表はよくわからなかった。質疑応答の時間になり、どういう目的でその研究を行ったのか、その研究成果はどのようなところで役に立つのか、などの基本的なことから、何故そのような現象が起こったのか、などの専門的なことまで様々な質問を受けていたが、その女性は上手く答えられていなかった。そのおかげで、質疑応答の時間が予定より二〇分もオーバーし、ようやく結羽の番となった。自分のパソコンをプロジェクタに接続し、いざ発表しようとすると、プレゼンテーションソフトが上手く動かなかった。機械というのは、どうして肝心なときほどトラブルを起こす確率が高いのだろうか。全画面表示にすると動かなくなったので、仕方なく少し小さめの画面で発表をすることになった。前の女性が厳しい質問攻めに遭っていたので、少し臆病な気持ちで発表していたが、想定内の質問しか出なかったので、結羽をホッとさせた。公聴会も終わり、無事「合格」ということになった。これによって、三月末に「博士」になることが正式に決まった。

 O大学へ大学教員の応募書類を送ってから一ヶ月ほど経った。書類を送ったときは、二月に面接試験があって、三月に博士号の学位取得と同時に採用が決まって、四月から新天地で勤務!という勝手な夢を描いていたが、一ヶ月経っても何の連絡もなかった。書類選考で落ちてしまったのかな、と念のため聞いてみると、募集期間が三月末までなので、全てが揃ってから選考を始めるとのことだった。不合格になっていないことに少しホッとしたが、夢の実現が四月以降になってしまったと思うと少しガッカリした。仕方がないので、合格になった博士論文を印刷したり製本したりして一ヶ月ほどの時を過ごした。

 三月末にK大学の学位授与式に出席することになった。博士号を取得した五〇〇人余りの人に対して、学長が一人一人に学位記を授与するということで、終わるまでに二時間ほどかかる大規模な式典であった。結羽が学位記を受け取る順番は最後の方だったが、学長から学位記を手渡されると、その学位記を感慨深く見つめていた。これはK大学に三年間通ってようやく手にした学位だった。研究者にとって博士号の学位はその道の第一歩であり、これがないと大学教員の道も開けないのである。大学改革や少子高齢化により大学教員のポストは減少傾向にあり、いくら博士号を持っていてもポストはなかなか手に入らないのが実情であったが、とにかく博士号を取得したことでスタートラインに立てたような気がした。

 四月に入ると、ようやくO大学から連絡があり、書類審査に合格して、その次の面接試験を受けることになった。面接ではこれまでの研究業績と今後の研究や教育に対する抱負を二〇分間プレゼンテーションするように指示があった。結羽はT社で行った電池関連の研究を紹介し、入社して二年後に取り上げられてしまった研究の続きを是非やってみたいとアピールすることにした。また、研究実績としては大学で長らく仕事をしている人には敵わないかもしれなかったが、企業経験という強みがあるので、その点を他の人との差別化のポイントとして挙げることにした。

 初めて行くO大学は少しわかりにくい場所にあったが、早めに家を出たので余裕を持って着くことができた。面接会場に入ると、同じ研究室と思われる教授,准教授,助教と、他の研究室と思われる教授の四人の先生がいた。先日出来上がったばかりの博士論文を一冊お渡しし、二〇分間のプレゼンテーションを行った。プレゼンテーション自体は上手くいった。その後、質疑応答があり、教授の先生は結羽の研究に非常に興味を持ってくれているようであった。しかし、准教授や助教の先生からの質問は研究の話はあまりなく、何故T社を辞めてO大学へ応募する気になったのか、というものばかりだった。他の研究室の教授に至っては、O大学の組織や教育方針などについて知っているか、と言われたが、結羽はあまり詳しく知らなかったので、その質問には答えられなかった。どうも、七年前のT社の入社試験で業界本ばかりを一生懸命読んでいる人たちを思い出し、この先生にはそういう人たちの方が好印象を持たれるんだろうな、と思った。

 面接会場から退室し、家路に着くときの気分はあまり良いものではなかった。今後の研究や教育の抱負を持って面接に臨んだつもりが、T社の話やO大学の組織,教育方針の話の方が多く、研究の質問をしてくれた教授以外の印象があまり良くなかった。このような人たちと一緒に働いて、果たして楽しいだろうか、という気持ちにさえなってしまった。そういう意味では、七年前にT社の好感度が下がっていったのと同じように、O大学の好感度も下がってしまった。それでも貴重な大学教員のポストでもあり、複雑な気持ちで合否の結果を待つことになった。

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