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六の(二) ストレスと別れ

 その頃、結羽は交際相手の城之内あゆみのことでも悩んでいた。交際期間が四年半にも及び、彼女も二三歳になった。普通であれば、そろそろ結婚の話が出てきてもよかった。しかし、T社を辞めたいとも思い始めた頃でもあり、学位取得できるまでは精神的にも余裕が生まれそうにもなかったので、結羽から結婚の話をすることはなかった。また、仕事や転職の話で相談相手にならなかったのも悩みの一つだった。確かに、高校しか出ていない彼女に結羽の悩みの全てを理解してもらうことは不可能だった。しかし、こういう時に相談相手にならないと、将来の子育てや家計を任せられないのではないか、という不安もあった。また、性格の違いもだんだんわかってきた。結羽はどちらかというと一人でいる方が気楽に思う方だった。友達といるときでも、四人以上で一緒に行動することはなかった。しかし、あゆみは大人数の輪の中にいるのが好きだった。あゆみは突然、ダンスサークルに入りたいと言い出した。結羽は、付き合っているからといって、全て同じことをしなければいけないとは思わなかった。お互いがやりたいことを尊重し合って好きなことをやればいいと思っていた。結羽もダンスサークルに入らないかと誘われたが、大人数の話の中に入るのが嫌だったし、そもそもダンスに興味がなかったので、その誘いを断った。しかし、彼女のサークルが試合やイベントに出るときには、自分の時間を削ってでもそれを応援しに行った。彼女も足を運んでくれることを喜んでいるようであった。しかし、次第に彼女とデートする日よりも、彼女がサークルに参加する日の方が多くなっていった。結羽も博士論文の作成がヤマ場を迎えていたが、二人の時間が少なくなっていることに、何となく不満に感じるようになっていた。

 仕事でも恋愛でも悩んでいた結羽は、ストレスをどんどん溜めていった。結羽は酒が強い方だったが、これまでは飲み会のときくらいしか酒を飲むことはなかった。しかし、この頃から仕事で嫌なことがあると家で飲むようになっていた。と言っても、三五〇ミリリットルの缶ビールを一本飲むだけで気が晴れたので、このくらいなら「酒は百薬の長」だと思って飲んでいた。ところが、結羽は事件を起こしてしまったのである。その日は例のごとく藤原課長にハシゴを外され、かなりフラストレーションが溜まっていた。気を晴らそうと、普段は決して行くことのないスナックへ足を運んだ。あゆみに話しても良かったが、結羽の愚痴を聞いている方も面白くないだろうし、心配されると余計に精神的な負担が大きくなるような気がしたので、自分とは全く関係のないスナックの若いホステスに愚痴をこぼすことにした。そのスナックは、以前先輩社員に無理矢理連れて行かれたところで、その時が二回目だったが、相手のホステスは結羽のことを覚えていた。彼女は結羽の話をわかったような、わからなかったような曖昧な表情で聞いていたが、それがかえって良かった。とにかく悩んでいるときは飲んだ方が良いと言われ、結羽はそこで相当な量の酒を飲んだ。終電の時間になったので、その店を離れ、電車で家路に着いた。

 電車の中では眠ってしまったため、記憶が戻ってきたのが自宅の最寄り駅だった。まっすぐ歩けないほど酔っ払っていた。すると、突然「どすん」と何かにぶつかったような鈍い音がした。

 「ちょっと、何するのよ!」

と女性の声が聞こえた。酔っ払っている結羽には何が起こったのかすぐに理解できなかった。その女性は結羽の腕をつかみ、そのまま交番へ向かった。交番に着くと、女性が警官に一生懸命何かを説明していた。それが一通り終わると、警官が結羽の前に来て、事情を説明してくれた。どうやら結羽がふらふら歩いていた先に女性がいて、思いっきりぶつかってしまったらしい。女性は故意だと主張しており、傷害罪でも迷惑防止条例でも何でもいいから被害届を出したいと言う。しかし、結羽が酔っ払っているのは明らかであり、故意というのはあり得なかった。警官にスナックの話をし、その証拠に呼気中のアルコール濃度を測定してもらった。その結果、酒酔い運転で免許取り消しになってしまうくらいの高濃度のアルコールが検出された。結局、この時点では被害届が出ていないということで、すぐに釈放された。結羽は帰宅後家族と相談し、謝りに行った方が良いということになった。しかし、ただ謝るだけでは許してくれないこともあり得るので、翌日弁護士のところへ相談に行った。弁護士の話では

 ・怪我をしていないのであれば、傷害罪は適用されない。

 ・迷惑防止条例違反は痴漢などの軽微な罪でも適用されるので、これで被害届を出されると男性側が不利になる。

ということで、もし後者の対策をするならば、一般的には五〜一〇万円の示談金で解決することが多いとのことであった。そこで、一〇万円を包んだ封筒を持って、謝りに行くことになった。先方の自宅を訪れると、女性の父親が出てきた。その女性がまだ二〇歳で、当人同士がやると話がおかしくなってしまう恐れがあるので、父親が対応するとのことであった。スナックへ寄ったことから正直に話すと、先方は最後まで黙って話を聞いてくれた。そして、すべてを話し終えると、

 「わかりました。しかし、問題を起こしたのは事実なので、何らかの形で謝意を示していただければ、この話はなかったことにしましょう。」

と言った。そこで、結羽は一〇万円の入った封筒を先方に渡した。先方も弁護士から相場を聞いていたようで、金額を確認すると納得した顔になった。

 「それでは、これで示談成立と言うことで、お帰りになっても結構です。」

と言われたので、結羽は頭を深く下げ、その場を後にした。その後、警察に呼ばれることもなく、事件は一応解決した。

 しかし、結羽の心に残した傷跡は深かった。気を晴らすために飲んだ酒が、かえって気を重くしてしまったというのが皮肉だった。こうなると、ストレス発散の手段がなくなってしまい、ストレスがどんどん溜まっていく一方になってしまった。結羽の表情から明るさが消えてしまったのは、誰の目からも明らかだった。それを一番敏感にキャッチしたのが、交際相手の城之内あゆみだった。結羽は事件のことを彼女に一切話さなかったが、あゆみは結羽の元気がなくなっていくことを心配していた。しかし、六歳下の彼女は相談相手にはなれず、デートの時に一緒に楽しく過ごしてあげることしかできなかった。ただ、この時の結羽は将来のことを考える余裕もなかったので、あゆみが一緒にいてくれるだけで嬉しかった。結婚のことは、もう少し気持ちの整理ができた段階でゆっくり考えようと思っていた。

 事件から五ヶ月ほど経って、ようやく結羽の気持ちがようやく落ち着いてきた。相変わらず、会社では嫌なことばかりでストレスが溜まる毎日が続いていたが、酒も上手に飲めるようになり、チャレンジしている博士論文も完成に近づいていた。将来についても少しずつ考える余裕が出てきたところであった。しかし、ある日突然あゆみから

 「正和に対する気持ちがなくなっちゃった。ごめんなさい。」

と携帯メールが届いた。最初は何が何だかわからず、一度会って話がしたいと伝えた。その翌日、結羽はあゆみと会った。話を聞くと、彼女も半年ほど結羽との性格の不一致を悩んでおり、このままダラダラ付き合ってもその後の進展はないと思うから、一度別々の道を歩んでみて、将来のことを考えてみたい、ということだった。結羽は、あゆみという心の支えを失うことはとてもショックだったが、自分も同じことを思っていたので、彼女の言う通り別れることにした。その日は、五時間ほど話しただろうか。付き合っている間はほとんど喧嘩することのない二人だったが、付き合って初めて本音で話し合えたような気がした。こういう本音での会話がもっと前にできていれば、その後もずっと一緒にいられたかもしれなかったが、「時すでに遅し」といった感じだった。あゆみとの交際は、ちょうど五年でピリオドを打つことになった。

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