8話 彼は彼女と話したい
春道たちに相談した日の放課後、いつものように図書局の仕事で図書室へ。
今日は珍しくメンバーの多い日で、日常業務に関して言えばかなり余力のある日だった。その分、いくつかの企画についての準備も進めていかなくてはならなかったりもするのだが。
本の整理を終えて手が空いた俺は、ほかのメンバーの許可をもらい少し休憩をもらうことにした。
仕事をしていた局員の部屋を出て、目的の人物を探して図書館をうろつく。1階を隅々まで見渡してみたが、見当たらない。
「……と、なると、やっぱり2階か?」
小さく呟いて、2階へと赴く。1階と比べても広い自習スペースをぼんやりと探しつつも、いるとしたらここではないだろうと、何となく確信していた。
自習スペースを抜け、洋書の棚の方へ。急に人気が消えて空気が静かになったことを感じながら、2階の端っこの自習スペースにたどり着くと、目的の人物が、前見たように読書をしていた。
「大槻さん」
あまり驚かせないように、少し遠いところから声をかけると、その声に気付いた彼女は、少し怪訝そうな目でこちらを見返してきた。
これでもかというくらい警戒されているのを感じる。
「……今日、いたのね。見当たらなかったから休みなのかと思ってたわ」
「局室で仕事をしてたんだ。今は休憩」
「……何か用?」
突っぱねるような問いかけだった。こうも用心されてしまうと、話を切り出すのに少し躊躇ってしまう。
青山が言っていた言葉を思い出し、とにかく、素直に話そうと試みる。
「雑談をしたくて来た」
「……は?」
……大槻さんが露骨に戸惑っている。こちらを見る目線はとても訝しそうだ。
正直自分でも直球過ぎたかとも思ったが、うまく会話を繰り広げられるタイプでもないし、思うがままをとにかく素直に伝えてみることにする。
「大槻さんと話がしたかったんだ」
「……私の信頼を得たくて?」
「半分はそうだな」
否定はしなかった。もちろん、そういう打算もある。
「もう半分は?」
「大槻さんのことを知りたかった」
まっすぐそう告げる。これも、今の自分の素直な気持ちだった。
ここ最近で、大槻さんについて教室のおとなしそうに過ごす姿だけではない、様々な一面を持っていることを知った。けれども、それすなわち彼女について知ることができたのかといわれれば、そんなことはないだろう。
だから、知りたかったのだ。例えば、そう。彼女が異世界転生ものの小説を読むときに、とても楽しそうに笑う理由とか、そういうことを。
「……なにそれ、意味わかんない。口説いてるの?」
「別に他意はない。言葉の通りだ」
大槻さんは、何とも言えない表情を浮かべながらこちらの様子をうかがっている。少し戸惑っているようだ。確かに、少々返答に困るような提案かもしれない。
「まさか、私をからかうためのネタ探しとかじゃないでしょうね?」
疑いの目線を向けられる。彼女がそういったようなことを言い出すのは、まあ予想していた。
「前も言ったが、人を笑う趣味はない。……その可能性を否定することもできないが」
彼女の疑いに対してはこちらは何もできない。そもそも信頼関係が2人の間で存在していないのだから。
故に、どうするかの選択権は大槻さんに託すしかない。
「嫌なら断ってくれていい」
俺は自嘲気味に笑う。こういうところでうまく距離感を詰めるコミュニケーションが取れるのならよかったのだが、生憎とそういうのは不得手なのだ。
あれこれ話の切り出し方は考えてみたが結局何も思いつかなかった。それならばいっそ、と正面から切り出してみることに決めた。
大槻さんの反応を伺う。彼女は、どうも決めあぐねているらしい。
視線をこちらから微妙に逸らし、何とも言えない表情を浮かべて考え込んでいる。時々ちらちらとこっちの様子も見てくる。
そうしていくらか時間が経った後、大槻さんは読みかけだった本をぱたんと閉じると、何かを観念したかのように一つ溜息を吐いた。
「……じゃあ、いいわよ」
そして、こちらと絶対に目線を合わせないように逸らしながら、小さな声でそう告げた。
「いいのか?」
「勘違いしないで」
俺の確認に食い気味に言い返してくる。
「別に、アンタのことを信じたとか、そういうのじゃないから」
「わかってる」
「監視するうえで都合がいいと思っただけだから!」
「それでいいよ」
「私から気を使って話したりとかしないし、つまんなそうな話だったら無視するからね!」
そう言い切った後、頬を赤く染めながら少し興奮した様子でこちらの方にキッと向きなおると、ビシッとこちらを指さしながら告げた。
「その辺、勘違いしないでよね!」
「ああ、胸にとどめておくよ」
俺の答えにどう思ったかわからないが、言い終わった後、俺が声をかける前にそうしていたように読書を再開した。
その姿を見た俺は、彼女の座っている椅子のちょうど反対の椅子に座る。
許可はもらったとはいえ、読書の邪魔をしていいものなのかと一瞬考えたが、大槻さんが少しだけ目線をこちらに向けている。
おそらく、「話すならさっさと話しなさい」、といった感じだろうか。
それならば、とりあえず思いついたままに話してみよう。
「いつもそうやって読書してるのか?」
ふと疑問に思ったことを尋ねてみる。すると、何故か大槻は眼鏡越しにジトーっとした目つきで睨みつけてくる。
「もしかして馬鹿にしてる?」
「……なんでそうなるんだ」
「……悲しい奴だって暗に言ってるのかと思って」
……大槻さんは、時々過度にネガティブに物事を考える節がある気がする。
「深い意味はないぞ。教室でも読書している姿をよく見るから」
「まあ、確かに学校で暇なときは大体読んでるし、放課後もよくここにいるわよ」
「読むのは、やっぱり異世界転生ものが多いのか?」
「それだけってことはないけど……少なくとも放課後はそればっかりね。ここの図書館、ラインナップがいいから、長いシリーズものとかで買い切れてないものはここで読むわ」
「確かに、本を買うのって意外とお金がかかるからな」
特に今彼女が読んでいるのは大判のライトノベルのシリーズもの。自分で集めようとすると、1000円以上の本を何冊も買わなくてはならなくなる。
払えないことはないだろうが、高校生の懐事情的にはなかなか痛い出費だろう。
「お小遣いは有限でも読みたい本は無限に増えていくんだもの。どこかで妥協しないと」
口ぶりこそ不満げだが、そう話す彼女の顔は少し楽しげだ。本当に、好きなんだろう。
「お金はどうしようもないからな……バイトとかはしていないのか?」
月浜高校は学生のアルバイトを禁止してはいない。春道がゲームセンターで働きだしたように、部活をせずバイトに注力しているような生徒も少なからずいる。かくいう俺自身も一応、それらしいことはしている。
大槻さんは、静かに首を横に振って答える。
「あんまり、そういうのはしたいと思わないわね。読むだけなら困ってはないし。この高校の図書館、ずいぶんと立派で助かってるわ」
「確かにすごい蔵書量だよな……図書局の仕事をしているといつも思うよ」
周囲を改めて見渡してみる。フロア中にびっしりと並ぶ本棚の数には、初めて見たとき圧倒されたものだ。
高校どころか、並の大学よりも多くそろっているのではないだろうか。
「……そういえば、アンタ局員とはいえいつも図書室にいない? 暇なの?」
「通い詰めている大槻さんがそれを言うか……?」
確かに、ほかの図書局員と比べても図書館にいる日は多いが。
「そもそもうちは局員が7人しかいなくて、そのうち5人が兼部している。だから、どうしても手が空いてる俺が来なきゃいけない日が増えるんだ」
「……よくやるわね」
「結構楽しいぞ?」
「そう」
「興味なさげだな」
「興味ないから」
彼女は冷たく答える。確かに、ここまでの会話の間も、彼女の目線は大抵本の方に落とされていた。
「でも、結構ちゃんと答えてくれるんだな」
そう、思った以上に彼女はこちらの話に応じてくれている。もう少しすげなく返されると思っていたから、少し意外だった。
そんな気持ちが俺の表情に出ていたのか、大槻さんがジト目でこちらを見ながらこう告げてくる。
「なに笑ってんの?」
「……笑ってたか?」
「にやにやしてるわよ」
「うれしかったからな」
思ったままを伝えてみる。すると、大槻さんは居心地悪そうに身をよじりながら、視線を漁っての方に向けて言う。
「……ほんと、なんなのよアンタ」
その言葉には、いったいどんな思いが込められていたのか。
こちらがそれを尋ねようとする前に、大槻さんが先に違うことを尋ねてきた。
「ていうかアンタ、休憩って言ってたけどずっとのんびりしてていいの?」
「え? あ」
そうだった。
慌てて時間を確認する。まだ時間的には余裕はあったが、今のうちに戻っておいて法がいいだろう。
「……そろそろ戻った方がよさそうだ」
「そう。じゃあね」
口頭でだけ大槻さんに見送ってもらい、そのまま1階の方へ立ち去ろうとする。
けど、その前に一つだけ確認しておきたいことがあった。
「大槻さん」
「何?」
本棚で大槻さんが見えなくなる直前に、俺は振り返って呼びかける。
「また、こうして話しかけてもいいか?」
俺の問いかけに、大槻さんは本から視線を外すことなく、冷静な声で答えた。
「……好きにすれば。図書館でなら、相手しないこともないわよ」
「……そうか、ありがとう」
返事を聞き終えた俺は、そのまま局室に向かって歩み出した。
『勇志は、あれこれ考えるより、素直に行っちゃうほうが早いんじゃないかなって』
「……青山の言うとおりだったな」
愚直もいいとこのやり方だったが、ほんの少しだけ、大槻さんと親交を深めることができた気がする。
「このまま、うまく信頼してもらえるといいんだがな……」
ほんの少しだけ好転した状況に、期待と不安の両方を感じながら、俺はその日の図書局の仕事に従事するのだった。
次は明日!