6話 彼は彼女を見逃せない
その後も教室中で何度か視線を感じたものの、もう仕方ないと諦め気づかないふりをして放課後までやり過ごした。
そして放課後。教室で青山と今日の課題について改めて確認した後、彼女が部活に行くのを見送った。その後、いつものように図書局の仕事のために図書館へ向かう。
貸し出しカウンターにいる局員に挨拶をしてから裏の局員室に入ると、人の姿があった。
その人は、部屋の中央の机で何やら楽しそうにスマホをいじっていたが、ふとこちらに気付くと、にこやかな笑顔でこちらに挨拶をしてきた。
「やあやあ勇志くん、お疲れ様! 今日も相変わらず思慮深い顔をしているね?」
「……お疲れ様です。今日はご機嫌ですね」
すっと伸びた黒いロングヘアにいつも同じ髪飾りをした、丸顔でいつもニコニコ楽しそうに笑う、われらが図書局長――高野みどり先輩に挨拶をする。
「いやあ、今日は久しぶりに良いひらめきがあってね! 指が止まらなくなっちゃったんだよ!」
「そうなんですか」
この先輩は、時々やたらとウキウキとした様子で夢中でスマホをいじって何かをしているときがある。そういう時は決まって夢中になっているので、あんまり邪魔しないようにしている。
ただ、今はちょっと聞かなくてはいけないことがある。
「高野先輩、この前のミーティングで決めたPOP、完成しましたか」
「……あ」
「……まあいいです」
「ああごめんごめんそんな『やっぱりな』みたいな諦めた目線を向けないで!」
そういわれましても。
この先輩は、確かに楽しいいい人ではあるのだが、自分のことに夢中になるあまり、たまにやるべきことを後回しにしてしまうことがある。
まあPOPの制作締め切りは過ぎているが、元々先輩が忘れる前提でスケジュールを組んでいたので特に問題はない。
「じゃあ、俺、カウンターの方いくんで、先輩は製作お願いしますね」
「うう、仕方ない、とりあえず今はPOPを……ん?」
不意に、高野先輩がその動作を止める。そして、何か考え込むような仕草をしながら、だんだんとその表情が焦りの色に変わっていく。
「どうしました」
俺の問いかけに、高野先輩はゆっくりとこちらの方へ首を傾けると、消え入りそうな声で告げた。
「……製作途中のやつ、今家だった」
…………この人は…………。
***
とりあえず今は制作をあきらめてもらって、俺と高野先輩の2人で貸し出しの業務をすることになった。
局室を出て、カウンターの椅子に座り、何気なく周囲を見渡すと、目の前の自習スペースに大槻さんが当たり前のようにそこにいた。
「……むっ」
こちらが向こうに気付いたとほぼ同時に、向こうもこちらに気付いたようだ。
彼女はこの前図書館で見たときと同じように、何冊か大判の小説(おそらく異世界転生物だろう)を積み、それをパラパラと読みながら、ノートに何やら書いているらしい。
そうして読書をしながら、ちらちらこちらにも視線を向けてくる。
「彼女、この前君を連れ出してた人だよね?」
遅れて局室から出できた高野先輩が、目線で大槻さんの方を指しながら聞いてくる。
「連れ出したっていうか……用事があったというか」
「……もしかして、彼女?」
「違います」
きっぱりと否定しておいた。
その返答に、何故か高野先輩が胸をなでおろした。
「良かった~。まだ勇志君には彼女なんか早いからね。勘違いでよかったよ」
「何目線なんですか……」
高野先輩とは図書局への入局の前後にいろいろあったのだが、そのためか時折とても過保護な扱いを受けるときがある。悪意はないのは分かるが、少々恥ずかしい。
そんな俺の羞恥心を知ってか知らずか、先輩は質問をやめない。
「それじゃあ、この前は何の用事だったんだい?」
「それは……」
答えようとして、少し考える。素直に答えると、大槻さんのことについてある程度言及しなくてはならなくなりそうで、それは本人のことを考えるとやめておきたい。
「まあ、ちょっとした相談みたいな感じです」
とりあえず、曖昧に答えておくことにした。
「ふーん……そっか」
高野先輩はこちらの答えに何か裏があるのは察しているようだったが、それ以上は聞いてこなかった。
こういうところの距離感をきちんと見てくれるのは、先輩の美点の一つだと俺は思っている。
「すいません、返却を……」
「あ、はい。わかりました」
ちょうどそのタイミングで、本を返却したい学生が現れたので、仕事をこなす。
その後続けて、何人かに貸し出しや返却の手続きをしながら、細々としたカウンター業務をこなしていく。仕事中はそっちに集中できるので、大槻さんがこっちを見てるかどうかも気にしないでいられた。
そうしていくらか時間が経ち落ち着いたころ、思い出したように大槻さんの方をちらと見てみる。
大槻さんは、先ほど同様に読書をしながら―――
「……はぁ……」
――うっとりした表情を浮かべていた。
この前一度見た寝顔よりもずっと幸せそうな(ある意味ではだらしのない)、満面の笑み。見たことのないほどのその表情で、時折何かを呟いている。
こちらのことなど気にしていないほど、自分の世界にトリップしているようだ。
「勇志君、どうかした?」
大槻さんの方を見ながら動きを止めた俺を見て、高野先輩が声をかけてきた。
「……すいません、一瞬カウンター頼みます」
「え? 別にいいけど――」
俺は高野先輩にそう告げると、カウンターを抜け大槻さんの方に近寄る。
近くまで行っても、彼女はこちらが全く見えていないらしく、幸せそうな笑みを崩さない。
あまり驚かせないよう、小さな声で呼びかけてみる。
「大槻さん」
「……」
「大槻さん?」
「……ん?」
2回目の呼びかけで気づいたようで、こちらの方にぱっと振り返る。瞬間、椅子から軽く飛び上がる勢いで立ち上がった。先ほどから一転して困惑した様子だ。
「……驚きすぎじゃないか?」
「あんたのタイミングが悪いのよ!」
こちらを非難する言葉の勢いは先ほどと変わらないが、一応図書館であることを意識してか声は控えめだ。
「っていうか何。また文句? 何言われてもやめないわよ?」
「文句じゃない。俺は注意をしたかったんだ」
「注意? なにそれ、別に変なことはしてないわよ。図書局に怒られるようなことなんてない」
「……そういうのでもなくてだな」
どうも彼女は、注意という言葉を図書局員としてのお叱りだと思っているらしい。もしかすると、あまり自覚がないのだろうか。
どう伝えたものやらと考えてみたものの、うまい言い方が思いつかず、直球勝負で伝えてみる。
「今さっきの読書しているとき、どんな表情をしているのか自分でわかってるか?」
「……表情? それが何?」
「……かなり気の抜けた笑顔だったぞ」
「え、嘘!?」
大槻さんは喉から悲鳴に近い声を上げながら、何かを確かめるように自分の顔をペタペタ触りだす。
そうしてしばらく慌てふためいていたが、突然キッとこちらを睨みつけてくる。
「まさか、あんた気の抜けた私を見て笑ってたの!?」
「……そんなことしない」
「じゃあなんでわざわざそんなこと言いに来たのよ! 変なやつだって遠回しに笑いに来たんでしょ!?」
声のボリュームこそは絞ってくれてるが、トーンはどんどんヒートアップしている。
しかし、別にこちらに彼女を貶める意志はない。手振りで彼女を眺めながら、出来るだけ冷静に彼女に語り掛ける。
「別に、楽しそうにしてるのを笑ったりはしない。ただ、あんまりにも無防備だったから一応伝えといたほうがいいかなと思っただけだ」
「無防備? って、なによそれ」
どうやら、自覚はないらしい。
「……端から見て分かるくらいうっとりしてた」
「……そ、そんなに?」
大槻さんが困惑の表情を浮かべる
「う、嘘でしょ? わ、私をからかおうとしてるんじゃないの?」
「そうじゃない」
冗談ではないという意思をはっきりと伝える。
「……大槻さん、あんまり趣味を人に知られたくなさそうだったから、油断しすぎないようにと声をかけたかったんだ」
「え?」
一瞬、虚を突かれたような表情をした後、彼女は、こちらから目を逸らして、こういった。
「…………あ…………な、なるほどね。 ……ありが、とう……」
余計なお世話だと、また何か怒られてしまうかとも思ったが、意外にも彼女は感謝の意を示してきた。それも、とても照れ臭そうに。
その素直な言葉にこちらもちょっと驚き、戸惑ってしまう。
お互い、言葉のない時間が少しだけ流れた後、それを断ち切るように声を上げたのは大槻さんだった。
「……っていうか、あんたが貸し出しの仕事なんかしてなかったら、私変な姿晒さなかったんじゃないの!? アンタのせいじゃない!」
「……それは俺の知ったことじゃない」
「もっと監視しやすい場所にいなさいよね」
「監視相手にそんなこと言うやつがいるか」
そう切り返すと、俺の非難の目線を突っぱねるように、彼女はきっとそっぽを向いた。
その顔は、だんだんと見慣れてきた不満そうな、意地っ張りな表情に戻っている。
「まあ、注意自体はありがたく受け取っておくわ。でも、私はいつだって見てるから、油断すんじゃないわよ!」
「その油断したときに見える本性を探してるんじゃないのか」
「こ、言葉の綾よ! いいからさっさと仕事戻りなさいよ!」
そう言って、手でしっしとこちらを追い払ってくる。これ以上はこちらの話を聞いてくれなさそうなので、黙って引き下がることにする。
「そうだな。それじゃ、俺は戻るから……もう寝落ちはしないようにな」
「余計なお世話よ!」
そうして、俺は大槻さんの文句ありげな視線を受けながら、カウンター業務に戻っていった。
その後、仕事中に何度か大槻さんの方を確認した(あまり性格の良いことではないが、向こうもこちらを監視しているのでお互いさまということにしたい)。
先ほどのように気の抜けた表情をすることこそなかったが、読書する彼女は、教室でほとんど見たことがないくらい、無邪気で楽しそうな微笑みを浮かべていて。
そうやって、趣味にまっすぐ夢中になっている彼女に、俺は好感を持つのだった。
次回は2日、少し遅めの時間に