3話 彼は彼女を笑わない
とにもかくにも大槻さんに一度落ち着いてもらおうと、近くの自動販売機で飲み物を買ってくることにした。
両手にドリンクを抱えて戻ってくると、彼女は図書館裏口の階段に座り込み、虚空を眺めながら枯れた表情で待っていた。
「お茶とオレンジジュースならどっちがいい?」
「……オレンジジュース」
生気のない声でそう答えた後、ひょろひょろとこちらの差し出したジュースを受け取る。
とりあえず、俺も大槻さんの隣に座る。俺自身も落ち着くために一度お茶を飲んだ。
俺の知っている教室での大槻さんとはかけ離れた、感情をこれでもかと昂らせた姿に、俺自身もかなり驚き、困惑していた。だから、どうしても聞きたいことがある。
頃合いを見計らって、改めて話し始める。
「落ち着いたか?」
「……後でお金払う」
「いいよ別に。それより、事情を説明してくれた方が助かる」
「……事情」
「そう。なんでそんなに警戒してたんだ?」
彼女の表情を伺いながら尋ねる。
見ると、露骨に嫌そうな表情を浮かべ、話したくなさそうにしていた。
しばらく話し出すのを渋っていたが、やがて諦めたのか、大きなため息を吐いた。
「……はあ、わかったわよ。どうせここで話さなかったら、『大槻紅音はわがままで生意気なやつだ』って言いふらされるだけでしょうし」
「いや言いふらさないが」
「話してやるわよ。癪だけど」
そこまで嫌なら別に話してくれなくてもいいんだが……とも思ったが、そういいだす前に彼女はゆっくり話し始める。
「あんたが拾った紙はね、簡単に言えば私の計画書みたいなもの」
「計画書?」
「そう。 ……考えたことない? もしも、お金持ちの家に生まれてたら、みたいなこと」
どことなく宙に視線を泳がせながら、ぽつりぽつりと彼女は続ける。
「私、来世は絶対に幸せになりたいの。それも、この世界みたいな退屈な世界じゃなくて、もっと、私好みの素敵な世界に生まれ変わってね。だから、来世のことをよく考えて、こうしたいってことを、書き起こしてみるの」
「……じゃあ、あの紙の裏に書いてあったのは」
「それの1つ。私の理想の来世のイメージ図」
そこまで話すと、大槻さんは自嘲するような乾いた笑いを浮かべた。
それは、諦めたような表情に見えた。
「どうせ馬鹿な女だと思ってるんでしょ」
「何?」
「隠さなくていいわよ。普通の人からしたら、意味の分からない考えでしょうし、あんたも私を馬鹿にするんでしょ。別に言いふらしてくれてもいいわよ」
なんて事のなさそうな言葉とは対照的に、彼女が浮かべる表情には、どこかもの悲しさが感じられる。
何もかもを投げ出して、諦めたような表情。
それを見たとき、俺の頭に、一つの考えが浮かぶ。
「……大槻さんが俺を呼びだしたのは、俺があの紙のことを広げると思ったからか?」
俺の問いかけに、彼女は身を縮めながら答えた。
「そうよ。……好きに笑いなさいよ。笑われるのなんて、慣れてるし」
そういって、自嘲気味ににやりと笑おうとする。けれど、それがただの強がりなことはすぐに分かった。
彼女の目は、笑っていない。ずっと、怯えたまま。
それを見た俺は――
「そんなことするか、バカ」
――そう言い放った。
「……えっ、バカ?」
俺の言葉に彼女はポカンとしていた。
だがそんな彼女の戸惑いを無視する勢いで、俺は言葉を続ける。
「悪いが、人の趣味をあざ笑う趣味もいたずらに拡散する趣味も俺にはない。心配に思うのは自由だが、俺は何もする気はない」
そこまで言い切って、ふとスマホで時間を確認した。昼休みも残り少なくなっていた。
もうこの一件は終わりでいいだろうと思い、立ち上がって校舎の方に戻ろうと歩き出した。すると、大槻さんも立ち上がって食い気味に引き留めてくる。
「ちょ、ちょっと待ってどこ行くの!?」
「昼飯だ。昼休みが終わる前に食べてしまいたい」
「待って、話はまだ終わってない!」
「これ以上話すことはないだろ。大槻さんが趣味のことなら誰にも言わない。それで終わりだ」
「待ってよ! アンタ――」
そこで、一度彼女は言葉を詰まらせる。
そして一呼吸おいて、言葉を振り絞るような声で、こう尋ねる。
「思わなかったの? 気持ちの悪い女だって」
「まあ確かに驚いた。でもそれ以上でもそれ以下でもない」
大槻さんのことは、予想もできないことではあった。
彼女の趣味嗜好のこともそうだし、今見せている彼女の一面も、教室で過ごしているだけではおそらく見ることのなかった一面だろう。そこに対して、少なからず驚きを抱いているのは、確かにそうだ。
けれど、それだけだ。
「でもそれが、大槻さんのことを否定する理由にはならないだろ」
「……え」
「話はそれだけか? 俺はもう戻るぞ。大槻さんも、早いところ戻るようにな」
俺は大槻さんにそう言い残して、背を向けて歩き出す。まだ何か声をかけられるかもしれないと思ったが、何もないまま、俺はその場を去った。
その後、昼食を買ったころにチャイムが鳴ってしまい、何とか遅刻せずには済んだものの、結果的に昼食抜きになってしまい、ひもじい午後を過ごすことになった。
授業中、一度だけ横目で大槻さんの様子を伺った。その時、不思議と彼女と目線があったような気がした。
***
「ふぁ……」
本の整理をしながら大きなあくびをしてしまった。
大槻さんとの一件の後の放課後。いつも通り俺は、図書局の方に顔を出し、図書館業務の手伝いをしていた。今は、返却された本を棚に戻す作業の途中。
しかし、眠い。
昼飯を食うのが遅くなってしまったためか、それとも単純に疲労のせいか。図書館自体が静かな場所ということもあって、先ほどから欠伸が止まらない。
「これは帰ったらさっさと寝たほうがいいかな……」
ぼんやりとそんなことを考えながら、ほんのラベルを参考に並べるべき棚を探し図書館中を歩き回る。
放課後でも図書館は、にぎやかな本校舎周辺とは対照的に、誰かがページをめくる音が聞こえるほど静かだった。故に、俺が目的の棚を探して歩きまわるときの足音も少なからず響くのだが――。
その音に、少し、違和感を抱いた。
「……?」
何が気になったのかはわからないが、一度止まって何となく周囲を見渡してみる。
もちろん、何があるわけでもなく、気のせいだと結論付けて、再び歩き出す。
俺が歩き出すと、足音が『2重』で響いた。
もう1度、立ち止まる。今度は、後ろに向かって振り返った。
「……」
背後の棚の裏に、誰かがいる気がした。
そのまま、一歩後ろに踏み出してみる。
すると、棚の陰で人影が動く気配がして――
「でっ!?」
……次いで、人の痛がる声と、何かがぶつかった音、本が落ちる音を聞いた。
音のしたほうに慌てて近寄ってみる。
「いったー……はっ!?」
騒音の現場に近づいて、一番最初に目に入ってきたのは、床にすっころんでうめいている大槻さんと、彼女の周りに散らばった何冊かの本だった。
見ると、彼女の近くには先週設置した特設コーナーの机が置いてある。だがポップが外れていたり、置いていたはずの本が床に落ちていたりするのを見るに、どうやら大槻さんが机に足を引っかけて転んでしまったらしい。
当の本人は、気まずそうにこちらから視線に入れないようにしている。
そして、おもむろに立ち上がると崩れてしまった特設コーナーを何となく並べなおし修復し始める。やや不格好ではあるが、一応コーナーの復元をしたその後、彼女は俺に苦笑いを浮かべると。
「じゃ、じゃあ私はこれで」
「待て」
「うひゃう!?」
そそくさとこの場を去ろうとする彼女の肩を掴んで引き留めると、彼女は情けない声を出しながらひどく驚く。俺はそんな彼女に静かにするようにとジェスチャーだけで伝えると、彼女は不服そうな目線でにらんでくる。
「……どうした」
「と、突然女子の肩をつかむのはマナー違反でしょっ!」
「ああ、それはすまない」
肩から手を放すと、大槻さんは俺から飛びのくように後ずさり距離を取った。
先ほど見た警戒した目つきだ。
「な、なによ。崩した本は元に戻したでしょっ」
「そっちじゃない。大槻さん、俺のこと後ろから追いかけてただろ」
「は、はあ? しら、知らないわよ! べ、別にあんたにばれたかと思って慌てて逃げ出そうとしたら足が引っ掛かったとか、そんなことないから!」
俺の指摘に大槻さんはひどく動揺している。
何とか言い逃れしようとヒートアップしている彼女を落ち着かせるように、再び静かにしてと伝えると、彼女はもどかしそうにしつつも、一応落ち着いてくれた。
「……なによ、追いかけたら悪かった?」
どうやら自分がしたことを認めたようだ。ただ、どうにも開き直っているようにも見える。
「悪いというか、なんでこんなことをしたんだ」
「……」
「こっそり逃げようとするな」
じりじり後ろに下がっている彼女に牽制するように言葉を投げる。
不満げな表情をしていた大槻さんは、やがて観念したのか、溜息を吐くと。
「……ここだとあれだし、昼休みと同じ場所に来てくれない?」
「……わかった。ただ、図書局の仕事があるから少し待ってもらってもいいか」
「別に構わないわ。先に行って待ってるから」
そういって、大槻さんは疲れた表情をしてその場を去っていった。
彼女を見送った後、一通り返却本を棚に戻した後、図書局の先輩に少し席を外すことを告げ、俺も図書館裏に向かった。
何故かやたらと何の用事か追及されたが、曖昧にしたまま振り払って出ていった。
今後は1日一話くらいでやっていくかと思います。
次は29日夜です。