最終話 彼と彼女の本当のはじまり
「いやあ……厳しい戦いだった……」
定期テストが終わった翌週の水曜日、全教科無事に返却され、学生全員がようやく落ち着いた日の放課後。くたびれた顔をした春道が俺の机にどさりと降ってきた。表情は暗く、何が起きたのかを何となく察する。
「……赤点か」
「いや、マジで2個も取るとはなって感じ……思わぬ伏兵がいたぜ……」
「古典と……英語かな」
春道は確か古典が大の苦手だったはず。前回も比較的簡単な笑いに赤点スレスレだった記憶がある。
英語は、まあ別に得意ではないにしろ苦手ではなかったと思うが、今回は前回よりひねった問題が多くて平均点が下がっていた。テスト期間大して勉強を頑張っているところを見なかったこの男はどうせ点数を落としているだろうと、勘で言ってみた。
どうやら正解だったようで、春道は泣きそうな顔でわめきだす。
「いやマジでなんだよ今回の英語! 超きつかったんだけど!!」
「まあ確かに、あんまり優しくなかったかもな」
「は~しんどい……」
「自業自得だ。次で取り返せ」
幸い、うちの学校は年間4回のテストを通して平均点が赤点の30点を割らなければ補習はない。1回の赤点でそんなに凹む必要はないはずだ。
「ちっくしょ~……こうなったらバイトで先輩に慰めてもらうしかねえ……」
……もっとも、こいつはもう少し焦ってもいいと思うが。
天中の意味も込めて、俺の机に突っ伏したこいつの頭に向かってチョップする。
うげっというカエルのような悲鳴から春道から洩れた。
「お前はもう少し頑張れ。やる気を出したら勉強の面倒見てやるから」
「マジで!?」
「日常生活の態度を見直してからな」
教えというのは聞き手側にもやる気が必要なものだ。今みたいに適当にやって赤点を取るような奴に差し伸べる手はないが、春道が本気で赤点回避のための勉強を始めるというのなら、俺はいつでも助けてやるつもりでいる。
「俺は本気でどうにかしたいと思ってるやつを放っておいたりはしないから、お前も少しはやる気を出せ」
少しだけ落ち着いた声でそういうと、うめいていた春道も少しおとなしくなって、しゅんとした態度を見せる。
「……俺ももう少し頑張るかあ……」
「そうしてくれ」
その言葉がどれだけ本気の物かは知らないが、少しでもこいつの態度が変わることを祈りたい。
「んじゃ、明日から真面目な学生になる前に……今日、ゲーセンいかね? 俺のシフトまでの暇つぶしに付き合ってほしいんだけど」
「いきなり遊びか?」
「いや~さすがに今日くらいは勘弁してくれって! バイトもあるしよ?」
「……ま、それはそうだな。けど、俺は今日ちょっと用があるから」
「あれ、そうなの? 図書?」
「それとは別件で」
そうか、と納得した春道は、ゆっくり俺の机から顔を上げると、大きく伸びをした。
「んじゃ、俺は帰るわ~」
「ああ、じゃあな」
下校していく春道を見送った俺は、自分の手荷物をまとめてから、教室を飛び出して図書館へと歩みを進めた。
***
「あれ?」
テストが終わったばかりということもあり、とても静まり返っている図書館2階。いつもの場所に立ち寄った俺は、辺りを見渡してみた。けれど、誰もいない。
「今日はそのまま帰っちゃったのか……」
勝手にいつものようにここにいるものだとばかり思っていたけれど、よく考えれば来ない日だって当然あるわけで。
「まずったな……仕方ない、明日にするか」
さっき、春道に言った用事というのは、大槻さんにテストの結果を聞くことだった。
テスト勉強の最終日、「半端にぬか喜びとかしたくないから全教科帰ってくるまでアンタとテストの話はしないから」と強く言われていたので、その日以降今日にいたるまで大槻さんとは一度も話してはいない。
それから時間もたって、今日ようやく全教科帰ってきたわけなので、結果がどうだったか聞こうと思っていたが――教室で声をかけないのは失敗だったか。
どうも前々から教室で声をかけられるのが嫌だったようだから、普段通り図書室に来ると思って何も言わずここにきてしまった。
まあ、下手に焦ることもないか。結果は逃げていくわけじゃないし、大槻さん自身も熱心に勉強していたから、結果くらいは教えてくれる……はずだ。
仕方なしと俺は踵を返し、素直に帰ることにした。
(こんなことなら春道の誘いに乗っておけばよかったかな)
そう思ったところで後の祭りではあるが。
気にしても仕方ないとその思考を振り切って、ぼんやりと一階へ下る階段を下りる中、頭の中に浮かぶのは大槻さんのテストのことばかりだった。
正直、ちょっと鬱陶しいと思われるくらいびっちり面倒を見てしまったと今少し反省している。
かなりかっちりしたスケジュールを組んでは、平日の放課後は授業終わってすぐ開始しては日が暮れるまでずっと勉強勉強。大槻さんが弱音一つ吐かなかったら気にしてなかったが、ちょっと無理をさせてしまったような気がしてならない。
これで結果に反映されていなかったら――
「……その時はケーキでも奢ろうかな……」
あまりにもかっこ悪い結末ではあるが、その覚悟はしておいて損はないかもしれない。
そんなことをぽつぽつ考えながら1階に降りて、図書館を出ていこうとしたところで、本棚の間にちょっと意外な人物を見つけた。
「青山じゃないか」
「ん? あっ、勇志! 図書の仕事?」
声をかけた途端元気な返事を返してきた彼女に、ジェスチャーで静かにするようにと促す。
青山は、いっけないと舌を出しておどけると、声のボリュームを数段落として改めて話し始めた。
「ごめんごめん、つい癖でさ。んで、勇志って今日図書だったっけ?」
「いや、仕事はない。別用だ」
それよりも、と青山が見ていた本棚に目を向ける。彼女が見ていたのは、びっしりと文庫本の敷き詰まった、日本の小説の本棚だった。
見た目通りスポーティーなタイプな青山が、こういう風に小説を見ているのは、少し不思議に思えたので尋ねてみる・
「青山ってこういうの読むタイプだったか?」
「いや、全然? 読書なんて漫画かたまーに雑誌読むくらい」
「それならなんで?」
「いや~ほら、この前勇志が小説読んで寝不足だって話聞いてさ。その後も結構ハマって読んでるっぽいし、私もちょっと興味があるな~ってなってね。あとほら、今秋だし」
いいでしょ? とそう言って笑う。読書の秋という言葉が似合うタイプではないと思うが、興味を持つことはいいことだろう。
「でもなかなか行けそうだな~って思う本がなくてさ……勇志、初心者お勧めな本とかない?」
なるほど、それでずっとここにいたわけか。
お勧めの本と聞かれ、考える。俺自身、そこまで読書家な方ではないし、自分で買う本は映画の原作小説だったりとかが多いから、初心者向けかといわれると少し悩むところだが……となるとやはり、あれだろうか
「そうだな、抵抗がなければ、という前提にはなるがある」
「おっ、本当に? どんなの?」
「こっちだ」
俺は、青山を連れて目的の本棚を目指して歩きだす。
「あれ? ここって……」
周りの本を見渡して、青山が気づいたらしい。
「ライトノベルのコーナーだな」
そうして俺は、この前、大槻さんからおすすめされた学園青春ものの1巻を手に取って、青山に見せた。
「女子に薦めるようなものじゃないかもしれないが……読みやすさって意味では、ライトノベルっていう選択肢もある」
もちろん、癖の強いものではあるので、万人に薦められるものとまで言うつもりはないが。
ただ、青山は比較的そういう文化に偏見がないタイプのはずなので、多少抵抗はあるかもしれないが、意外とハマるかもしれないと思い薦めてみた。
俺が紹介した本を見た青山は、目を丸くして本の表紙を見ている。
「勇志って、こういう本読むんだ」
「最近ちょっと知り合いに薦められてな。あまりこういうものに理解がなかったが、触れてみるとこれが意外と面白かった。読みやすかったしな」
「ふーん……そうなんだ」
「ん? ああ」
何か含みのある返事が気になったが、青山は何事もなかったかのように俺の手から本を受け取ると、一つ頷いた。
「んじゃ、これ借りてみる! 勇志のお勧めって気になるしね」
そう言って、彼女は楽しそうに笑った。
その後、図書室のシステムをすっかり忘れていた彼女に借り方の仕組みを説明した後、俺は青山と別れて帰路に就くことにした。
***
「遅いわよ。何してんのアンタ」
「……そっちこそなにしてんだ」
青山と別れ、帰ろうと校門に向かってみると、何故かそこに大槻さんがいた。
しかも、口ぶりから察するに、どうも俺を待っていたらしい。
「アンタを待ってたのよ。図書の仕事がないのは知ってたから、帰るとこ捕まえてこうと思って。なのに全然出てこないから何やってんのかと思ってイライラしてたところ」
「……俺も大槻さんを探してたんだよ」
「……そうなの?」
「図書館にも行ったりしてな」
「なるほど、互い違いになったわけね。それはごめんなさい」
不満げな大槻さんの小言が続くのかとも思ったが、こちらの言い分にすんなり納得してくれて、怒りの矛先は比較的すぐ引っ込めてくれた。
「それじゃ、行きましょ」
そう言って、彼女は何を言うでもなく歩き出そうとする。これは、とどのつまり……
「……一緒に帰るってことか?」
「何、嫌?」
「……いや、大槻さんがいいなら、俺は歓迎だ」
少々意外な提案で驚いたが、こちらとしても話があるわけで拒否する理由はない。
なにより、そういう誘いをされるというのは、純粋に悪い気はしないものだ。俺は快く提案を受けた。
下校ラッシュが終わり、少し静かになった帰り路を二人並んで歩く。秋風は少し肌寒く、そう遠くない時期に冬が来るのだろうということを感じさせる。
息をあてたり手をこすったりしながら、手を温めている大槻さんに、俺はさっそく本題について尋ねた。
「テスト、どうだった?」
「……いきなり聞いてくるんじゃないわよ」
「後回しにしていいものでもないだろ。それに、ずっと気になってたんだ」
「……それもそうね」
うんとうなずいた大槻さんは、懐からスマホを取り出すと、少しいじってから、俺に満面の笑みを浮かべながら、ある写真を見せてきた。
それは、彼女の今回のテストの点数の一覧の写真だった。
「驚きなさい、全教科平均74点よ。最高点は数学の89点」
とても楽しそうに笑いながら、大槻さんが言う。
「そうか……よかった」
俺は、そんな嬉しそうな彼女の様子を見て心の底から安堵していた。できる限りの手は尽くしたと思っていたが、それでも結果が出るかはわからないものだ。だが少なくとも、彼女自身の期待には何とか応えられたらしい。
無邪気にはしゃぐ大槻さんが、まるで自分のことのようにうれしく思う。
「英語だけ61点だったけど、ほかは全部70点以上。こんな上々な点いつ以来かしら。今すっごく気分がいいわ」
「大槻さんが頑張った成果だ」
「……ううん、一番は、アンタのおかげ」
そう言うと、大槻さんは、静かに微笑みを浮かべると、やさしいまなざしでこちらを見つめる。
「いつもなら、テスト本番ですっごく緊張しちゃうのに……アンタが教えてくれたから大丈夫、って思ったら、不思議と、すっごくリラックスしてできたの。だからこれは……アンタのおかげなのよ」
なんて、珍しいくらい(なんていうのは失礼だが)素直に礼を言われたものだから、つい俺は恥ずかしくなって目線を逸らしたくなる。けれど、それをぐっとこらえて視線を合わせたまま、俺は答えた。
「……大槻さんの役に立てなら、俺もうれしい」
――互いが互いを見つめる、妙に静かな時間が少し流れた。
なんとなく、照れ臭さが強くなってきた時、大槻さんが一度コホンと咳払いをして、今思い出したかのように話し始める。
「……そう、それで、なんだけど」
いつの間にか頬が少し赤くなっている大槻さんが、今度は少し視線を逸らしながら、俺に静かにこう告げた。
「私、アンタの監視、今日でやめる」
その言葉の意味を一瞬考え、俺はハッとした。
「それは、信頼してくれるってことか?」
詰めようような勢いで、俺は大槻さんに確認を求めた。
「……さすがに、あそこまでされればわかるわよ。アンタは、悪い奴じゃないって……」
そこまで呟いてから、彼女は首を振って、もう1度言い直す。
「ううん、違うわね。アンタが、良い奴だってことが、わかったの」
まっすぐな誉め言葉。なんだか、見たことのない大槻さんをこの瞬間だけでたくさん見たような、不思議な気持ちになっている。
どうにも気の利いた返事の思いつかない俺に対し、大槻さんは少しどぎまぎした様子でそのまま話を続けていく。
「それで、その、今まで迷惑かけちゃったじゃない? だから、その、謝罪ってわけじゃないけど……アンタに、渡したいものがあるの」
「……渡したいもの?」
俺が聞き返すと、彼女は無言でこくりとうなずいてから、カバンを地面に卸して中から何かを取り出す。取り出したのは、中に何かを梱包している紙袋。
大槻さんは、それをおずおずと俺に差し出してくる。
「……これ、受け取って?」
俺は、彼女から紙袋を受け取った。結構分厚くて、重量もある。これは……本?
「開けてもいいか?」
「そのためにあげたんだから、むしろ今すぐ開けなさい」
送り主の許可も得たので、俺は静かに袋を開封する。中に入っていたのは、2冊の本。
単行本サイズの大きな本田。表紙は漫画タッチな美麗なイラストでファンタジックなイラストが描かれている。俺は、片方の表紙に見覚えがあった。
「これって……」
「そう、アンタに貸してた異世界転生もの1巻と2巻」
そうだ、片方は、俺が彼女にお勧めのライトノベルを聞いた時に彼女自身から借りた3冊目の本だ。
「1巻はもう読んだから2巻だけでもいいかと思ったけど、本棚に並べるなら1巻から無いと変だろうし、1巻もつけてやったわ。感謝しなさい!」
強気な態度で感謝を求める大槻さん。けれど、そこに彼女らしい気遣いを感じた俺は、なんだか気持ちがすごく暖かくなってきて、溢れそうな喜びをそのまま伝えるみたいに、俺は彼女にお礼を伝える。
「ありがとう、すごく嬉しい」
素直な感謝を伝えると、彼女は一瞬ハッとした表情を浮かべた。そして、そのまま頬を真っ赤に染めると、視線を右往左往させながら、もじもじとした様子で小さく言葉を重ねていく。
「わ、私ね」
それは、まるで彼女の奥底から絞り出したみたいな、小さく、やさしい声で。
「私、アンタにたくさん迷惑かけたし、何ならこれからも迷惑かけるだろうし、そもそも性格からして面倒くさい子だから、呆れることも、たくさんあるかもしれない。でも、でもね?」
らしくないくらいいじらしい表情を浮かべて、彼女は、不器用に思いを表していく。
「私……アンタと話すの、好きなの。私みたいな変な子の話を、楽しそうに聞いてくれるアンタと、本とか、いろんな話するの、結構、好きなの。だから……」
そして、彼女はこちらにすっと手を伸ばすと、そのまま不安そうにほほ笑んで――
「改めて、私と仲良くしてくれる?」
――なんていうものだから。
そんな風に笑う必要なんてないというために、俺は迷わずその手を取って、告げる。
「そんなの、言われるまでもない」
そう、言われるまでもない。そう聞かれたら、いや、聞かれなくたって、俺の答えは決まっている。
「むしろ、こっちから言うよ。俺も、もっと大槻さんといろいろな話がしたいから、だから、これからも、よろしく」
俺の言葉を聞いた瞬間、大槻さんの表情から不安そうな色が消えて、そこに満面の笑みが浮かんだ。
何の曇りもない、きれいな笑みを浮かべた彼女は、俺の手を使って体をぐっと俺に近づけると、そのまま背伸びをして俺の顔の方に彼女の顔を寄せて――
「――ありがとう、古道君」
そう、彼女は耳元で言った。
一言言った後、彼女はすぐに身を引いて俺から少し距離を取った。そして、振り返って俺背を向ける。
「こ、これで話は終わりだからっ。ほら、さっさと帰るわよ」
そういう彼女の態度のはいつものつっけんどんな態度に戻っていた。背を向けているため、彼女の表情は伺えない。
けれど、彼女の耳は遠めでもわかるくらい、真っ赤に染まっていて――
ふと、俺は自分の頬に手を当てる。なんだか、俺も熱くなっている気がする。
だから、この話はここまでにしておこう。
「――ああ、そうだな」
そうして、俺の返事を聞く前に歩き出した大槻さんを追いかける。
こちらを全く振り向こうとしなくなった彼女の隣に並んで、のんびりと俺たちは帰路に着く。
結局、この後彼女は別れるまで一度も目を合わせてはくれなかったけれども、何気ない話をしているときに、とても楽しそうに笑っていたから。
なので、まあ、良しとしておこう。
最後まで読んでいただきあありがとうございます
この後もお話も、サブキャラだったみんなと絡めて作れたらな~……とぼんやり考えたりはしていますが、とりあえず一つの区切りとしてここまで、ということで。
未熟な作品でしたが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです!
もし機会がありましたら、別の作品で!
ありがとうございました!