14話 彼は彼女に教えたい
あと三話……!
「すまない、待たせたな」
放課後、もろもろの準備に手間取って約束に少し遅れた俺は慌てて図書館のいつもの場所に駆け付けた。
大槻さんは頬杖を突きながら、退屈そうにどことなく視線を泳がせていた。俺の呼びかけに気付くと、ハアとため息を一つはいて嫌味っぽくしゃべりかけてくる。
「遅い。人を呼び出しといてそれ?」
「申し訳ない、事前準備がいろいろあって」
「……まあ、別にいいけど。それで、何も聞かされてないんだけど、本当にテスト勉強するの?」
「ああ、やる。もう2週間しかないしな」
「……私、何の用意もしてきてないんだけど」
「今日のところは問題ない。俺の持ってるやつでやろう」
「……ていうか、私、まだちゃんとやるって言ってないんだけど」
「嫌か?」
「それはまあ……むしろありがたいくらいだけどっ」
そうは言いつつも、大槻さんの浮かべる表情はやや不満げで、こちらに何かしら言いたいことがあるようだ。
「でも、アンタにも自分の勉強があるでしょ」
「それはまあ、なんとかなる」
「なんとかなるって、アンタねえ……」
「本当に大丈夫だって。昔から、よく周りの勉強の面倒見ながらテスト前過ごしてたから、大槻さん一人の面倒見たくらいで成績は落とさない」
自慢のようにも聞こえるかもしれないが、勉強についてはそれなりに自信にある。
それこそ、中学のころからクラスメイトに泣きつかれてまとめて複数人に追い得ながら自分のテスト勉強もしたことがあったから、1人の面倒を見るくらいどうってことはない。人数が少ない分やりやすいくらいだ。
「人並み以上に勉強できるのだけが、取り柄なもんでな」
「……そこまでいうなら、一緒やるくらい、良いけど……で、今日は何するの?」
「それなんだが、まず大槻さんの前回のテスト結果を聞いていいか?」
「えっ」
大槻さんの表情が一瞬固まった。そして、とても気まずそうに視線を逸らした。どうも、人に自分の点を見せるのに抵抗があるらしい。まあ気持ちはわかるが……。
強要するのもあれで様子をうかがっていたが、大槻さんはしばらく悩んだ後、やがて諦めたように一つ溜息を吐くと、観念して小さく呟いやいた。
「……ちょっと待って」
大槻さんは、カバンからスマホを取り出すと、少し考え込みながら何やら入力すると、気まずそうに画面を俺に言えるように差し出してきた。
「多分、こんな感じ。何となくの点だから実際と違うかもだけど、大体はあってると思う」
「ありがとう」
「それでも一応多少は勉強したけど……そのざまだった」
見てみると、確かに、平均と比べるとやや悪目な点ではあった国語系や理科系は平均かその下くらいだが、社会系は40点台、数学と英語に至っては赤点スレスレ。人に見せるのをためらってしまう気持ちも少しわかる気がした。
「……じゃあ、とりあえず、今日は英語と数学をやろうか。ほかの強化は、明日以降ゆっくり考えていこう」
そういってから俺は、カバンの中からうちの生徒が全員持っているはずの数学の問題集と、英語の教科書を取り出す。それから、昨日の時点で見繕っておいた問題のページを探すと、それを大槻さんの前で開いた。
「まず、これと、これをやってみてもらっていいか?」
「え、これを?」
「ああ、参考にしたくて」
「……わかったわ」
何か言われるかと思ったが、以外にもお月さんは素直に応じてくれた。静かに自分のノートと筆記用具をカバンから出して、そのまま解き始めた。
俺は、そんな大槻さんの様子を見つつ、自分は社会などの暗記をしながら待つことにした。
互いが自分の勉強に集中する静かな時間かしばらく流れた後、大槻さんがカランとペンを手元に置いた。
「……できたけど、答えは?」
「丸つけは俺がする。ノートを借りてもいいか?」
「いいわよ、はい」
ノートを受け取って、回答を開いて丸つけを始める。自分で問題を解く以上に慎重に回答と答えを照らし合わせ、数学は途中式までしっかり確認。
問題量のわりに時間をかけていたため、大槻さんはやがてじれったくなってきたのか、少し居心地悪そうにしていた。
「どうなのよ」
「……結構あってる」
「……簡単な問題だから?」
「いや、そんなことはない。テストで平均以上の点を取るならこれくらいがある程度できれば十分だ」
前回やったテストの出し方や、先輩のつてで見させてもらった過去問を見た感触で、俺の中では大体どの教科もテストの作り方は把握できていた(そういう傾向把握が趣味だったりする)。
今出した問題は、その出題形式から予想した、「この辺ができれば70点狙えるだろう問題」だ。
「間違いもイージーミスくらいだから、慣れればなくなるくらいのもんだ。正直、赤点スレスレの点を取りそうには見えないな」
正直に思ったままを伝える。すると大槻さんは、寂しげな顔をして静かに話し始めた。
「……これでも、一応授業は真面目に聞いてるのよ。毎回、それなりに勉強はしてるつもりなんだけど……本番になると、急に不安になるの」
「不安?」
「何を解いてても、これで本当にあってるのかなって。それで、悩んだり解きなおしたりして毎回進まなくて、気づけば時間ギリギリに……」
「……そうか」
おそらくだが、大槻さんは本人が言っているほどできないタイプではない。
本人が思っている以上にちゃんとした実力はある。あとは、それをきちんと発揮すればいいだけなのだ。
俺は思考を巡らせる。どうすれば、彼女が欲しい結果を得られるだろうか。
「……そうだな、そうなると、もう少し本番想定で問題を解く練習をしなくちゃいけないかもな。ほかの教科も見ながらだから探り探りにはなるかもだが……」
細かいことも考えつつ、俺はスケジュール帳をカバンから取り出して、ぼんやりと当日までの予定を考える。
「なに、アンタ何書いてるの?」
「何となくのスケジュールだ」
「……勉強予定ってこと?」
「結構大事なもんだぞ。テストまでの時間が限られているからこそ、な」
時間というリソースは無限じゃない。ギリギリの状態で1から始めるからこそ、出来る限り有効活用する方法は考えるべきだろう。
大槻さんのためにも、出来る範囲では協力はしたい。
「さすがに土日まで拘束する気はないけど、可能だったらやってみてほしいところを宿題みたいに言うかもしれない。正直、ちょっと手間だから強制はしないが……」
どうしても手間をかけさせてしまうことを、大槻さんに確認しようとして顔を上げると、大槻さんがなぜだか少し泣き出しそうな顔をしていて、言葉が止まった。
目をウルウルさせながら、絞り出すような声で彼女は言葉を紡ぐ。
「なんで、アンタはそこまでしてくれるのよ」
気持ちが溢れ出しそうな声で、俺に問いかけてくる。
「私、変な子で、ダメな子なのに。なんで、そんなに優しくしてくれるの」
なぜ、と彼女は問うてくる。
なぜだろう、と考える。俺は、どうして大槻さんを放っておけないのか。
大槻さんの力になりたいと思うのは――
「……俺、大槻さんの本を読んでる時の笑顔好きなんだよ」
思いついたのは、彼女の本を読んでいるときの楽しそうな笑顔だった。
「えっ? ……なっ」
「一緒に本について話すのも、楽しくて好きだ」
最近をゆっくり思い返す。本を読んでいるときの笑顔とか、本の話をしているときの楽しそうな様子とか、そんな姿が好きで。
「だから、大槻さんが自分を信じられなくて苦しんでるのが、嫌なんだよ」
自分のことで辛そうにしている彼女は、見たくはないから。
それ解消するために少しでも役に立てるなら、俺は力になりたい。
「……それじゃ、ダメか?」
今度は、俺が確認するように問いかける。
大槻さんは、俺の視線から逃れるみたいにふっと顔を逸らして、自分の足元を見つめる。顔が少し赤くなっているが、目元は髪の毛で見えず表情はあまりうかがえない。
しばらくうーだのあーだの言葉にならない声をあげていたが、やがて、意を決したように鼻を一つ鳴らしてこちらに振り返った。
「……ふん、何よ、恥ずかしいこと言っちゃって」
まっすぐこちらを見据える。頬は気づけば真っ赤になっていて、気まずそうな様子のまま、けれど、にっかり笑ってから、彼女は言う。
「いいわよ、そこまで言うなら私だって頑張ってやるわよ。だから、だから……」
息を一つごくりと飲んで、机の向こう側からこちらに手を伸ばすと。
「最後まで、私の面倒見なさいよ?」
そう、まっすぐ頼んでくるから。
俺は、迷わずその手を取って、応えた。
「ああ、もちろん。約束だ」
次回は14.5話! 少し短めの大槻さん視点です……!